恭仁京の大極殿は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です。 疫病や戦乱に見舞われた世情不安の中、奈良の平城京を離れて740年三香の原の地に新都を定めました。 中央を木津川(泉川)が貫流します。しかし恭仁京はわずか4年で廃都されます。その後宮域は山城国分寺として再利用され、 現在は大極殿や塔跡基壇や礎石が残っています。 |
今造る 恭仁の都は 山川の 清けき見れば うべ知らすらし
万葉集 恭仁の都を讃めて作れる歌1首 大伴家持 6-1037
新 大極殿跡の、国分寺の鎮守社として祀られていた御霊神社の境内であったところで、永年地域の氏神として信仰をあつめていた社には、楠や椿、黒鉄もちが繁茂し、大極殿跡とともに歴史的景観をたもっています。 |