店内には今までどおりの活気が戻ってきていた。
「チキングラタン出来たっ!」
「こっちもパンサラダ出来上がりっ!」
「おまたせしました。」
3人の息の合ったコンビネーションが余すところなく見られる。
ちょっと前までの沈んだ雰囲気は一掃されたように常連客は感じていた。
いつもの「Phalaenopsis」。
そう思う人がほとんどだろう。
だが、本来の力を出し切れて居ない人物が一人だけいた。
「和葉ちゃんっ!」
「え?あ、ごめん蘭ちゃん、何?」
「やっぱり聞いてない・・・。」
蘭は、思わずため息を零してしまう。
蘭が大声を出すことでやっと気づいた和葉は、ひとりきょときょとと周りを見回している。
「え?え?」
和葉の様子がおかしいのだ。
理由もわからずでは無いのだが、コレが一番厄介だったりする。
一番判りやすい変化は、夜の8時半だった。
そう。
いつもこの時間に現れていた平次が姿を現さないのだ。
和葉が大阪へ帰っているあいだも、8時半ジャストではないけれども、ほぼ毎日店には顔を出していた。
それが、和葉が復帰した途端、ぴたりと止んでしまった。
「和葉ちゃん、服部君と会った・・・?」
おそるおそる、蘭は皿洗いをしている和葉にたずねた。
「あるよ。こっちへ戻ってきたその日にマンションの前で会った。」
「じゃあ、どうして・・・!?」
ますます不思議だ。
和葉に合わす顔が無くて現れないのだとしたら。
まず間違いなく、会う筈はない。
「忙しいんちゃう?」
「そうかなぁ?」
確かにその考えははずれに近いと店内を掃除していた新一は思う。
さも気にしていません。といった風に答えた和葉の顔がほんの一瞬、こわばったのだ。
せっかく「自分の気持ち」に気づいてこちらへと戻ってきたはずの和葉。
平次が自分の前に現れて「もう一度」自分に告白してくれれば答えられるのに。
そう思っているのだろうと新一はぼんやりと思う。
「和葉ちゃん。」
「え、何?」
「服部の奴の大学ってどこだっけ?」
「え・・・?」
新一のいきなりの質問に和葉は首をかしげる。
知らなかったのか。との疑問も何割かは入っているはずだろう。
だが、一番の疑問は「なんで?」だろう。
新一は、ちょっとの苦笑いを零す。
実は、新一は平次とは「この店」でしか会った事が無いのだ。
後は、ダブルデート失敗のあの時が店以外であった一度きり。
故に、通っている大学も、携帯の番号さえ知らない。
マンションは「和葉の隣」だからわかるのだが、ソレはあえて選択しなかった。
蘭にも和葉にも携帯の番号を聞こうとしなかったのは当然訳ありだ。
二人にも知られずに平次に会う必要があると判断したからだ。
大学名を聞く時点であってもその疑問は当然ある。
だからこそ、蘭が「どうして?」と聞いたのだ。
「ま、ちょっとね。そういや知らねぇなあっと思って。」
ちょっと苦しいか?と思いつつも二人とも半分は納得してくれたのか、素直に教えてくれた。
翌日。新一は、教えてもらった大学の前に立っていた。
新一が通う東都大学が国公立の最高峰だとすると、平次の通う大学は私学の最高峰と言ってよかった。
「ふうん。そういえばはじめて見るな、この大学。」
ぽそり。と新一は呟いたとき、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「工藤・・・?おまっ、何しとんねんっ!」
「よっ。」
平次の驚く声とは対照的に新一は軽やかに右手を上げて対応した。
「何しにきてん、オマエ?」
コトン。とコーヒーの入ったカップを机の上に置きながら、平次は問いかける。
ここは、平次の所属する研究室の中だった。
お互いにバイトをする大学生同士。
無駄な喫茶店代をケチったのだ。
「和葉ちゃんにまともに会ってないらしいな。」
「・・・それを言いにきたんか?」
平次の声が低くなった。
それに気づかないフリで、新一はコーヒーに口をつけた。
「可哀相なくらい、彼女落ち込んでるからな。」
「落ち込んでる・・・?」
「気づいてなかったのか?どうせストーカーもどきの行為はしてるんだろ?」
「・・・。」
ふいっと何も言わずにそっぽを向き、ドカッと乱暴にイスに座る平次に新一からの追い討ちが入る。
「何も言わないっつーことは、図星か。」
「ほっとけ!」
次第に不機嫌になる平次をよそに新一は淡々としている。
「オメーさ。前に蘭に対して「待つしかない。」っつーてたけどさ。」
「ああ?」
「待つつもりがあるのなら逃げててもしょうがねーんじゃねーの?」
「・・・。」
「それとも何か?彼女が自分と同じように追いかけてこないと気に食わないのかよ?」「
「感情的になるなよ。」
新一は冷静に戒める。
バツが悪くなった平次はそのまま立ち上がりかけたイスに再度腰をおろした。
「違う。・・・和葉に同じように追いかけて欲しいとかそんなんちゃう。」
「・・・。」
どこか苦しそうに話す平次の表情は、かなり切羽詰っているようだった。
「ただ、和葉をこれ以上苦しめたないんや。」
「苦しめる?」
「勝手に感情的になって「好きや」言うてしもて。・・・あいつの負担になってしもてる。
オレに会ったら、きっとそれを気にして普段どおりに出来へんやろ。・・・それは嫌や。」
静かに話す平次はあの時、和葉に告白したときと同じ表情をしていた。
直情的に動く平次なのにこんなにも変わるのはその想いが大切なものだからだ。
そう考えてそのままそっとしておこうかとも思ったが。
言葉は思わず本音が零れ出てしまった。
「オメーって・・・、鈍いんだな。」
「・・・は?」
しみじみといわれたその言葉の意味を分かりかねて平次はぽかんとしてしまった。
「なんだよ?自分で気づいてねーのか?」
「和葉や、毛利の姉ちゃんじゃあるまいし・・・鈍いなんていわれる覚えは・・・。」
困惑する平次に対して苦笑いを零す。
これ以上は自分がでしゃばらなくてもいいだろうとそう新一は勝手に判断したのだ。
「ま、とりあえず和葉ちゃんにちゃんと会ってみれば分かるんじゃねーの?」
「お、おいっ、工藤っ!!」
自分の言いたいことだけを告げてさっさと帰ろうとする新一を平次は慌てて呼び止める。
「じゃあな。」
しかし、新一は何も語らずにそのまま研究室を出て行ってしまった。
「なんやねん・・・。」
平次は一人ぽつんと取り残され、その場に立ち尽くしてしまった。
新一は、言いたいことだけを告げて何も答えをくれずに去ってしまった。
単に和葉を思いやってのことだったのかさえもわからない。
平次自身、新一に言われるまでもなく和葉が日増しに笑わなくなったのを知っていた。
面と向かってはあえないが、とりあえずいつも8時半には店の傍にはいたから。
入ろうか、入るまいかいつも葛藤して、そうしていつもどこか落ち込んだ風な和葉を見ているだけ。
ただ、それだけで時間はいたずらに過ぎていっていた。
自分らしくない。
そう分かっているけれどもどうしても勇気がもてない。
和葉が拒絶する言葉を自分に向かって放つのを聞きたくない。
ただ、それだけだった。
「和葉・・・。」
「・・・平次・・・?」
「!!!」
ふと、ポツリと呟いた愛しい愛しい人の名前。
それは夜の闇に溶けて誰にも聞かれないはずだった。
なのに。
なんてタイミングが悪いんだろう?
今、一番会いたくて会いたくない・遠山和葉本人がすぐそこに立ち止まっていた。
今の時刻、丁度8時半。
今までなら「Phalaenopsis」で向き合い、楽しんでいた時刻。
二人の家のすぐ傍の公園の入り口前だった。
うじうじ平和話。
互いに歩み寄らなければならないのに出来ない二人。
新一さんにちょっと後押ししていただいたつもり・・・なのですがどうなんでしょうね?
新一さんもはっきり言うようで言わないからねぇ・・・。
とりあえず二人決着の時までこぎつけました。