戦争のようないつものランチタイムが終わりに近づき、店内は落ち着きを取り戻す。
普段ならば、蘭はこの瞬間が一番好きだった。
やりきった達成感があるし、皆がひとつになれたように思えるからだ。
だが・・・今日だけは、居心地が悪かった。
いつものような達成感はなかった。
それどころか、忙しさがずっと続けばいいとまで思っていた。
忙しさに忘れていたかったのに・・・。
そう思う蘭の目の前で新一は、エプロンをはずしていた。
「じゃあ・・・俺、帰るよ。」
「え!?」
いきなりの新一の言葉に蘭は驚き、大声を出してしまった。
「蘭。」
「ご、ごめん、志保・・・。」
至近距離で聞かされた志保は耳を押さえ、蘭をたしなめる。
謝りはしたものの、蘭は、新一の言葉と行動のほうへと意識が向いたままだった。
それに気づいた志保は、苦虫をつぶしたような顔をする。
「・・・ランチタイムは終わったし、もう俺居なくても宮野たちが居れば平気だろ?」
「あ・・・。」
新一の特徴的な深いブルーの瞳が自分を見すかし、蘭はそこから一言も発せなくなった。
一方の新一も自分の言葉のトーンに驚いていた。
不機嫌丸出し。
まるで子供のように聞き分けなく拗ねて。
蘭にあたった。
蘭がつらそうな瞳で自分を見ているのに気づいていた。
志保が非難の目で自分を見ているのにも気づいていた。
何か言いたかったのに・・・新一の口から訂正の言葉が出てくることはなかった。
そこまで大人にはなれなかった。
そのまま一言も発言しないまま、店を出ようとくるりときびすを返した。
そのまま、扉を開けようと手をかけようとした瞬間。
まるで自動扉のようにドアが開いた。
そこに立っていた人物に新一が目を見開いた。
新一を何も言えずに見送っていた蘭からもその人物ははっきりとその視界に捉えられた。
「和葉・・・ちゃん。」
言葉を発したのは一番冷静だった志保だった。
それでもその声はいつもの冷静な彼女の声ではなかった。
「あれ?皆おそろいなん?」
「あ・・・。」
「行ったレストランで食べた料理が美味しくって新メニューにアレンジ出来るかもって来てみてんけど・・・。」
和葉の声はひどく冷静だった。
少し楽しそうな響きも持っている。
いつものように新メニュー開発のわくわくに心を躍らせているように見て取れた。
一見では。
すっと入ってきた和葉は。キッチンへと向かう。
後ろからついてきていた平次は誰よりも難しい顔をしていた。
いつもの陽気なカップルではなかった。
皆が動けないで居る中で、和葉は、自分専用のエプロンを身につけ、キッチンに立つ。
「あんな〜。平次引っ張っていったお店やねん。雑誌とかでも最近注目とかって言われてる店で前から興味あってん。
オーガニックのカフェ形式やねんけどな。今流行のデトックスとかも取り入れ取る店やねん。」
ぺらぺらと新メニュー開発の切っ掛けになった店の事を話す。
話しながら購入してきた野菜を取り出し水洗いする。
「野菜たっぷりでエエと思うんよ。ヘルシーで。」
ざーっと流れる水の音と和葉の話し声。
それが今、この場で聞こえる全て。
新一は自分がキレていたのを棚に上げ、周りをざっと見渡す。
今日此処へ和葉を必死で寄越さないように必死だったであろう平次の表情はもう諦めきった様子だ。
光彦はおろおろとしているばかり。
志保は目をつぶったまま、壁へと寄りかかっている。
そして。
蘭に表情はなかった。
顔面蒼白状態で、すでに立ち尽くしているばかりだ。
いつもなら新メニュー開発に一緒になってアイデアを出し合うのに、それさえも出来ない様子だった。
今日は臨時休業と和葉には伝えてある。
「店を開けようか?」との申し出も彼女からあった。
それを断ってまでの休業日のはず・・・だった。
なのにこの店は今、開いている。
普段と全く変わらないように営業している。
昨日のやり取りを見る限り、蘭と平次の間に何かの取り決めがあるようだ。
和葉に関する何か。
おそらく平次が殺人的に忙しかった金曜日のランチ時に手伝ったことがその原因らしいとも分かる。
新一は、蘭がアルバイトとはいえ、ウェイターである新一を頼らずに志保や光彦を頼ったことで機嫌を損ねた。
自分は頼りにならないのか?と嫉妬して。
では。
同じように騙されたカタチになった和葉が機嫌を損ねている理由はなんだ?
今も新メニュー開発を普段と変わりない態度でやってのける和葉。
だが、明らかに無理をしていると分かる。
たった、数ヶ月一緒に働いただけの新一が気づくのだ。
もっと長く居る平次や蘭が気づかないわけがない。
「出〜来たっ!」
楽しそうに料理を完成させた和葉は、綺麗に皿に盛り付け、キッチンを出てきた。
蘭と平次が立っている丁度真ん中のテーブルにとんっ!と皿を置く。
美味そうな匂いが漂う。
「どうしたん?野菜たっぷり使ってな。ラタトゥイユ風にしてみてん。
アレよりかは酸味を抑えてな。結構自信作なんやけどなあ・・・。」
和葉はいつも通りの明るい声で料理の説明をする。
「なあ。蘭ちゃん、どうかなあ?」
「あ・・・。」
「ん?・・・平次も、どうや?」
「か、和葉・・・。」
和葉は二人に話しかける。
責めるような口調ではない。
いつもどおりの和葉のしゃべり方。
だけれども。
平次も蘭も・・・動けずに居た。
それは罪悪感から来るものなのか・・・新一には理解しかねたけれども。
「もう新メニュー開発なんていらんかった・・・?」
「ちがっ!!あ・・・。」
静かに口にした和葉の言葉に蘭は反射的に顔を上げた。
否定の言葉は・・・和葉の瞳に押され、最後までは出なかった。
「蘭ちゃん今日臨時定休言ったやん。アタシ店あけよか?ってったらエエっつったやん。」
「だ、だからそれはね・・・!」
「いきなり用事なくなったなんて下手な言い訳聞きたないで。」
ぴしゃりと言い切る強い口調の和葉の言葉。
先を越され、蘭は黙ってうつむいてしまった。
「平次も知ってたようやね?今日店やってるって。」
「や、それ・・・はその・・・。」
「せやから、必死でやめとけ言ったんやね。」
「か、和葉・・・。」
ポンッと和葉の肩に置かれた平次の手が引き金になったように。
今まで、努めて冷静を保とうとしていた和葉の怒りが爆発した。
「またなん!?前やったとき、もうせえへんって約束してくれたんちゃうん!?」
大声で張り上げる和葉の言葉に新一が気づく。
「また」・・・?
口をついて出た和葉の言葉に新一は疑問に思った。
「ちっ!違うの、和葉ちゃんっ!そうじゃなくて・・・!!」
「蘭ちゃん。アタシもプロの料理人としてプライドも持っとるねん。
自分の体調ぐらい自分で調節つける。・・・無理なんてしてへんっ!」
「和葉ちゃん・・・!!」
良かれと思ってやった蘭の優しさが裏目に出たって・・・ところか。
新一は二人のやり取りを聞いて、そう判断した。
休まない和葉に休ませたい蘭。
じゃあ服部は・・・?
やっともう一人の存在へと思考が飛んだ瞬間だった。
「俺がっ!俺が無理なんやっ!!」
店内一杯に響き渡った声に誰もが驚いた。
「服部君。」
「へ、平次・・・?」
力いっぱいに耳に劈くような平次の声。
その声に店に居た人間全員が動きを止める。
全員が平次の方へと意識を向ける。
「服部さんが無理って・・・なんですか?」
一番年下の光彦が口を開いた。
疑問を素直に口にする。
怖いもの知らずの年頃だからこそ出来たむこうみずな物言い。
そのものいいに志保がちょっとだけ笑みを零す。
もっとも、それは「苦笑い」といった種類の笑みだった。
新一も光彦の発言にあっけにとられたが、自分自身も不思議に思っていたことなので、あえてとめようとはしなかった。
そう思ったのは和葉も同じだったらしく、光彦のほうへと意識を向けいてた彼女の顔が自然に平次のほうへと戻っていた。
「平次・・・。」
冷静さを取り戻した和葉の声が静かに響く。
その声にピクリと肩を揺らした平次。
他人ならばそれがどういう意味を持つのか分からないだろう。
長年、幼なじみとして過ごしてきた彼らだからこそのコンタクト。
肩を揺らしだけでそれが返事だと和葉には理解できた。
自分の疑問に答える。という返答だということに。
「大体・・・なんで気づかへんねや、オマエも。」
「なん・・・なん?」
ため息をつきながら静かに口を開いた平次の言葉に和葉は疑問の言葉をそのまま発した。
「オマエ、料理の事ばかりやろ?」
「え・・・?」
「毎日、毎日働いて。休みの日には今日みたいに新メニューの開発に明け暮れて。
それが悪いとは言わへんで?それがオマエのいいところでもあるからな。」
ふーっと息を吐き出して一つ一つの言葉を選びながら和葉に言い聞かせるように発言する。
その発言は新一にはよく理解できた。
蘭を見ていて、自分が感じることそのままだからだ。
だから、ちらり。と和葉と蘭を見て、不思議そうに首をかしげる二人を見て、苦笑いする。
事実。
和葉に休んで欲しいと願う蘭だってそうそう休んでいるわけではないのだ。
本当に働きすぎで倒れてしまうのではないかと心配になるほどだ。
だが、新一はそんな蘭を止めようとはしない。
多分へ意地も同じ事を考えているからだろうと思う。
いや、もっとずっと長い間思っていたはずだ。
「料理しとるお前見てんの好きやで?せやけどな。そればかりじゃないこともしたいと思うんは俺のわがままなんか?」
「へ、平次?あんた何言うてんの・・・?」
和葉の困惑した声が響く。
それに気づいているのか、いないのか。
平次はそれに何も返さずにそのまま続けた。
「自分でも随分と女々しいこと言っとると分かってるねんけどなあ・・・。」
「は?」
「せやろ?『仕事と俺とどっちが大事や?』言うて・・・まるで女の台詞や。
そんなもん、天秤になんて掛けられへんってわかっとるのになあ・・・。」
ん〜っ!と伸びをしながら軽くそう言う平次。
言ってることは重いのに軽く聞こえるから不思議だ。
「平・・・。」
「和葉。」
「な、何・・・?」
ぴしっとして和葉のほうへと向き直っていた平次に呼ばれ、和葉自身も居住まいを正した。
「俺、もう”幼なじみ”ではおれへん。」
「え・・・。」
「和葉が好きやから。好きやから今のままではおられへん。」
平次は心穏やかだった。
最終の手段だと思っていたちゃんとした「告白」。
言いたいことは言えた。
それだけで満足だった。
「ほな、俺帰るわ。」
「あっ・・・!」
からんっと音を立ててドアが開いて、そして閉まった。
困惑した、和葉一人を残したまま・・・。