「いらっしゃいませ!少々お待ちください!」
「3番テーブルさん、出来上がりました。」
「こっち、2番さん分のデザート上がったで!」
「ありがとうございました。あ、こちらへどうぞ。」
昼時の「Phalenopsis」、店の中は戦争状態だ。
空腹を満たそうとする大勢の客が、店の外にまで溢れている。
それに対応するために、店員は休む暇もなく動き回っている。
そんなどこもかしこもせわしない状態の中でただ一人だけ別世界に居る。
慌しい店の此処だけは時間が止まっているのではないだろうか?と思うほどだ。
服部平次だ。
彼は、カウンターの角の席を陣取り、のほほんと目の前の大盛りランチをほおばっている。
しかし、彼の目は他の人間と同じように慌しく動いている。
ただし「きょろきょろ」ではない。
向かっているのは、厨房の中。
彼の視線の先にあるのは、ゆらゆらとせわしなく揺れるポニーテールの後姿。
迫り来る大量の注文を捌き切ろうと必死になって居るのが後姿からも良く分かる。
真剣な表情が見えないのは惜しいなあ・・・。
などと考えながらも後姿を見つめながら、へら〜っと表情を崩し、ポーカーフェイスなどどこ吹く風の如くだ。
そう考えてみると、彼自身も、同じように忙しいのではないだろうか?
だが、それを理解すべき立場に居るはずの人間にとっては面白くないのだ。
いや、むしろ不愉快だ。
自分は忙しさで目が回りそうなのに、のほほんと気楽そうに居るその態度。
挙句の果てに平次は、新一のやりたくて仕方ないことを平然とやってのけているのだ。
それが、彼的には一番許せないことだったのだ。
ちっくしょ〜!俺だって蘭の真剣な姿眺めていてーよ!!
あまりにも馬鹿馬鹿しいとも思うが、そこは恋する男。
好きな女の姿はいくら眺めていても飽きないものだ。
そんなとっておきのシーンを眺められない苛立ちから、新一は平次に八つ当たりをする。
「おい、服部っ!次のお客さんの邪魔になるだろ、どけろ!」
「あ〜・・・何や?俺も客やねんけど?」
「朝の10時、開店と同時にやってきてコーヒー一杯で2時間粘って、その後にランチ食べてるだろっ!」
「長居しとっても客は客や!」
イラつきながら悪態をつく新一に対して、のらりくらりと平次はかわす。
それが面白くなくて新一のイライラはますます高まっていく。
「工藤君っ!そんな奴かまわんとき!」
「和葉ちゃん。」
「それよりこれ、4番さんの分っ!」
「あ、悪いっ!」
和葉は厨房から顔を出して新一をたしなめ、次のオーダーを手渡す。
新一も我に返り、自分の職務に戻っていった。
「平次も暇なんやったら、手伝おてな!」
「あ?」
「学校休みなんやろ、今日?」
和葉は何故か知ってる平次のスケジュールを引き合いにだし、助けを求める。
「え〜・・・・?」
「何やの、その不服そうな声!」
あからさまな拒否の声に和葉は少々むっとした顔を向ける。
その間も手は忙しそうに動いてオーダーをてきぱきとこなしている。
こんな風に忙しい時は蘭が調理に集中してしまうので、和葉が中心となって店が動く。
きちんと調理しながらも周りに目を配る余裕も持てる人間なのだ。
故に厨房では和葉の声がよく響き渡る。
もちろん、平次もそれが分かっているからこそ、この忙しいときに店の一角を陣取っているのだ。
和葉を見るために。
だが、そんなことは普通の生活ではあまり考えられない。
和葉の忙しい時間帯は、平次も忙しいのだ。
親元を離れての下宿生活。
家賃その他は親もちだが、金銭的余裕は少ない。
貧乏でもない・・・というよりも生活レベルにおいては中の上を誇っている服部家。
何もしなくても豪華なマンションへ住み、余りあるほどの小遣いももらえてしまう立場だ。
世間一般的には。
だが、平次の両親にはそれは当てはまっていなかった。
家賃やその他の生活費は多少援助する。
だが、自分的な楽しみという部分においては「自分で稼げ」が基本の服部家。
遊興費その他を得るためにはバイトをせざるを得ない。
幸いなことに慶都大学のトップクラスの成績を誇っているのを利用し割りのいい家庭教師をやっている。
しかし、普通の日は学校だってあるし大学からはこの店は割りと離れているためここへ来て一服。
ということも出来ない。
そんなたまにしか味わえない「至福の時」を手伝いなんかでフイにはしたくなかった。
それだからこそ、和葉のヘルプコールにも関わらず応じようとはしないのだ。
いつもはこんな風に平次が拒否して和葉が諦めてこの話は終わる。
だが、今日はそれで終わらなかった。
正確にいうと、それほど店が込み合っていたのだ。
「服部君、お願いっ!」
料理に集中していた蘭の声が聞こえてきた。
「蘭ちゃん。」
「蘭?」
声のした方向へと新一と和葉が顔を向けると同時。
蘭の第2波がやってきていた。
「ちょっと今日は尋常じゃないわ。新一君一人じゃフロア大変。」
「しゃあないなあ・・・・。」
「え?平次!?」
よっと立ち上がり、珍しい動物を見るような新一と和葉を見ながら、エプロンを強請る。
「和葉、エプロンどれや。」
「あ・・・これ、やけど。」
「おおきに。」
和葉から受け取ったエプロンを手早くつけて、新一へと振り返る。
「な、なんだよ?」
「何て・・・どれ運ぶんや?」
二人をよそに平次はやる気満々だ。
蘭もすでに調理に戻っている。
「なんなん・・・・?」
「さあ・・・??」
和葉と新一はクエスチョンマークを頭に大量に飛ばしていた。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました〜!!」
ランチ時の戦争を勝ち抜いて、最後の客を見送る。
声もどこか、清清しい。
「あ〜・・・・ホントに今日はマジで忙しかったなあ・・・。」
「そうね。新一君が学校お休みで助かったわ。」
「え、あ、いやあ・・・・ははは。」
にっこりとと極上の笑顔のおまけつきの蘭の言葉。
単純な新一はそれだけで疲れが吹っ飛ぶようだ。
「あ〜・・・ホンマに疲れるわ。」
「服部君もお疲れ様。」
くすりと笑って蘭からのねぎらいの言葉が続く。
新一は気づかれないように二人を見る。
ちょっと目つきは怪しい。
・・・・・なんで、こいつ和葉ちゃんのお願いは聞かなかったのに蘭の事は聞いたんだ・・??
こいつは和葉ちゃんが好きなはずだろう?
解らねえ・・・・。
考え込む新一のすぐ後ろでは和葉も一人輪の中から外れて黙々と片づけをしていた。
心中は複雑だ。
なんでなん?
なんで、平次はあたしの事は聞かんかったくせに・・・・。
蘭ちゃんが一言言っただけですぐに動いた・・・・。
平次、蘭ちゃんの事好きになってもうたんやろか・・・?
でも・・・もしそうならあたしどうしよ?
蘭ちゃんに敵う訳ないやんかあ・・・・。
和葉は頭の中が整理できないままに考え込んでいた。
そんな二人の葛藤など気づかずに蘭と平次は密談中だ。
考え込んでいる二人はそれに気づいていない。
ただ、世間話をしていると思っている。
「んじゃ、今回は4な。」
「4は無理です。」
「なんでや!?結構忙しかったで?」
「ランチのあれくらいで4なんて渡せるわけないでしょ?」
きっぱりとした蘭の言い方に平次は憮然とした態度を取る。
「ほんなんやったら、姉ちゃんはどれくらいが妥当やと思ってんねん。」
「ん〜・・・・2くらいかな?」
「すくなっ!」
「もっと厳しくしてもいいのよ?」
「・・・・2でいいです・・・。」
「じゃ、決まりということで。」
がっくりと頭を落とす平次とこの話は終わり!っと言いたげな蘭の言葉があった。
この二人、何を話していたのか?
手っ取り早く言うと取引だ。
この場合の取引の対象は平次ではない。
和葉の臨時休日の話なのだ。
和葉がかなりの頑張り屋で、下手をすると休日さえも仕事に当ててしまうほどなのだ。
それを見かねた・・・・というよりも。
自分と出かける機会がただでさえ少ないのに、これ以上減ってたまるか!と平次が主張してきたのだ。
それがこの取引方法。
平次が蘭の要請に応じて店を手伝った時、和葉にそれとなく臨時の休みを蘭が告げるのだ。
それも、平次の都合のいい日にあわせて休めるように。
和葉が頑張ってくれてありがたいと思うと同時に和葉の身体が気がかりなのも事実だった蘭はこの要望に応じた。
とはいえ、ここはレストランの経営者。
取り決めはかなり厳しい。
これには厳しくしないと勘のいい和葉に気づかれると思ったからからではある。
だから蘭の要請があると、平次は率先して働くのだ。
それはそうだろう。
自分が働けば働くほど、和葉と過ごす時間が増えるのだから・・・・。
それに和葉が気づくとストップがかかると恐れる平次はそれを一切、和葉に伝えていない。
これによって、和葉に不安を与えていると、平次は一切気づいていない。
もっとも。
それに気づけるほど平次の恋愛指数はそんなに高くはない。
気づくことが出来ていたならば、平次だってこんな契約を取り付けては居なかった。
気づかなかったからこその大騒動も起きなかっただろう。
それは、嵐の前の静けさに似ていた。