泣き顔を・・・君が涙するところを目の辺りにした。
嬉し泣きならまだしも、そうではない現実。
どうにかして君の涙を止めたかったけれど、どうすることもできない男が1人。
その時から彼女の泣き顔が離れなかった―――オレの心から。
あたふたとするばかりの男は初めて躓いたのだ。恋という石に。

躓いたのは誰が先?


「あっ、工藤君。」
するりと耳に馴染む声に呼び止められ、振り返るとそこには同じ高校の女性徒。
肩より長い髪はCMにでても可笑しくはないと言えるほどの艶やかな黒髪に、
彼女の性格が表れたような優しげな瞳は笑うと愛らしく細められる事を知っていた。

―――あの日からずっと見ていたから。

見ていた・・・とは正しくない。いつの間にか・・・無意識のうちに目が追ってしまうのだ。
それだけだったはず―――だが。

「工藤君と商店街で会うなんて珍しいね。買い物か何か?」
「いや、事件の帰り。毛利は買い物・・・だな。」
商店街の一角。毛利は学校指定の制服であるブレザーを着ていたが、両手にはスーパーの袋に入った品物と学生鞄。
周りにはせっせと商品を買い込む主婦やら、夫婦なんかも見受けられるが、
食生活を重視していないオレは、買い物は勿論のこと適当に、というヤツだ。
そんなオレには関係のないような世界が繰り広げられている。

「そうなの。両親が暫く家にいないから、今日のうちに色々と買っておこうかと思って。」
つい買い込んじゃった。と笑う彼女に、あの日と重なるものはない。

「ふーん、気をつけろよ。この辺も物騒だからさ。」
「ありがと。ふふっ・・・。」
心配から出た言葉だったが、笑われる覚えはないぞ。笑う・・・ところではないよな。
「なんだよ。」
毛利に笑われたというだけなのだが、拗ねた口調になってしまい、
子供じゃねーんだからよ。と自分に言い聞かせても、言ってしまったものはどうしようもない。

「気を悪くしたらゴメンね。お父さんにも同じこと言われたのを思い出したら、つい。」
「お父さんね・・・。」
「あっ、工藤君がお父さんに似てるとか、そういうことじゃないんだよ。んー・・・でも、似てるかも。」
「・・・ファザコンか?」
「え?・・・・・・工藤君ってば何言ってるのよ!」
拗ねるようにオレを見る目は、何だかさっきの自分を見ているようだ。
毛利が拗ねると17という年よりも幼く見え、可愛いと思うが、正直自分が拗ねたって可愛くもなんともないだろう。
男が可愛いと言われても、思われても、嬉しくはないが。

ファザコン発言がいけなかったのか、毛利はつーんと顔を背ける。
そんな毛利も可愛いのだが、そんな事を言っては余計にこじれてしまう。

「悪かったって。なっ。こっち向いてくれよ。」
毛利に向かってゴメンと言うこと数回。やっと返事があった。
「ホントに悪いと思ってる?」
「あ、・・・ああ。」
オレの言葉を受け、くるりとこちらを向いた毛利は、不機嫌な顔1つせず、逆に笑いを堪えている。
しかも、どこか楽しげで。

おいおい、怒ってるんじゃなかったのかよ。

どんな毛利も可愛く、時に綺麗に見えてしまうのは何かの病だろうか。
そして、笑っていて欲しいと思うのは・・・。
原因はわかり過ぎるほどにわかっている。
今も隣で笑っている本人に気づかれていないか、内心ヒヤヒヤものだ。

「ほらっ」突然手を差し出したオレに、当然の如く毛利は目を見開いて驚いているが、
次の瞬間には「えっと・・」なんてオレの手をしげしげと見つめている。

見てたって何にもでねーぞ。毛利・・・。まあ、言わねーとわかるワケねーか。

「そっちの袋持つよ。確か毛利の家ってオレのウチがある方向だろ?」
「そうだけど・・・。って、ちょっと、工藤君?!」
立ち止まっている毛利の右手にあった買い物袋を奪うようにして持てば、後ろから毛利が追いかけてくる。
本当は左手にある鞄も持ってもいいのだが、それでは毛利がますます納得しないのは目に見えているので、
これでよしとする。



夕方ということもあり、オレたちと同じような学生の姿がちらほらと。
友人同士、恋人など、それぞれが今を楽しんでいるようだ。
オレたちはどんな風に見えるのだろうかと気になりもするが、どう思われようが知り合い程度の付き合いなのだから、
気にしていてもしょうがない。
同じクラスなら話す機会もあったかもしれないが、隣のクラスでもないオレは接点を探すほうが一苦労だ。

2年A組の『毛利蘭』と言えば、容姿もさることながら気だても良く、男女共に人気を集めている。
友人も多く、昼食の時間になれば友人たちと弁当を広げ、放課後にはお決まりのパターンのように毛利に告白する輩もいる・・・
らしい。
『らしい』とはっきりしないのは、一部分は訊いたことだからだ。

そんな彼女とオレがこうして歩いていると知られたら、明日学校で男共に何と言われるか。
けれど、こっちだってそんな事にかまってやるほどお人好しではない。毛利と2人で話す機会なんて滅多にないのだから。

「そういえば、工藤君とこんな風に話すのって初めてだよね。クラスも違うからほとんど会うこともないし。」
「姿ぐらいしか見かけることねーからな。お互い。」
クスリと笑う毛利。前を見ているとばかり思っていたオレは、そんな毛利の姿をちらりと伺うように見ていた。
が・・・、どうやら前を見ていると思っていたのは間違いで、当の本人はオレの方に向いていたらしく、目と目が合ってしまう。

「ん?どうかしたか。毛利。」
「それを言うなら工藤君も、でしょ?」

なんともないところから気まずい雰囲気が流れる。
何か話題はないか、と手繰り寄せようとしても手繰り寄せるものがない。

「ねえ、工藤君。・・・今日工藤君と話せてよかった。」
「え?」
「きっと今日話してなかったら、工藤君のこんな一面を知ることもなかったんだなあって。
 冷静沈着、頭脳明晰、容姿端麗。そんな言葉で工藤君のこと見ていたから、別の世界の人なんだって思ってたの。」
「・・・オレはそんな立派な人間じゃねーよ。」

毛利がそんな風に見ていたとは・・・。
他のヤツにはどう思われていようと構わないが、毛利にはそんな目でオレのことを見て欲しくはない。
そう言えたらどんなに楽か。

「そうだよね。今日の工藤君を見ていたら、この人が『工藤君』なんだって・・・。
 ごめんなさい。勝手に思い込んだりして。」
「いや、別に。」
毛利が悪いワケではなのだから謝ることもないのだが、・・・こうして話していると人の心を聞ける人なのだと思う。
だからこそ、あの時お前は泣いていたのか?声を押し殺して1人で。
自分の為ではなく、誰かの為に・・・。そうだとしても、その誰かにオレは嫉妬するよ。
毛利の心を揺すぶることができるほどなのだから。

「なあ、毛利。あの時、さ・・・・・・。」

隣を歩く毛利に訊こうと思った。あの時の、あの涙の意味を。
けれど、親しいとも言えない男に突然こんなことを訊かれても答えるどころか、腹立たしいだけだろう。
今はただ至福とも言えるこの時に満足していればいい。そう・・・それでいい。
呼びかけに対し、じっとオレの目を見る毛利に訊くことはできなかった。

「・・・工藤君?」
「ワリィ、気にしないでくれ。」
言いかけておいて「気にしないでくれ」とは頂けないが、毛利の関心を引くような話術を披露できそうにない。
ましてや気になっている女と2人きりという状況の中、柄にもなく緊張しているのに、これ以上オレにどうしろと?
毛利もどうしていいのかわからないらしく、どこか訝しげにしながらも「うん」と頷いた。


そうこうしている間にも毛利の家の前まで来てしまった。
お互い先程までの気まずさを隠して、別れを惜しむかのように立ち止まる。

「あの、ありがとう。結局わたし工藤君に荷物持ちさせちゃったね。」
「気にすることねーよ。それにオレも、毛利と話せて良かったと思ってるからさ。」
「え?・・・あ、うん。」

返事と同時に俯き、ギュウっと鞄を持つ手に力を込めている。

俯いているので表情はわからないが、そのせいもあり、髪がさらりと動きを持つ。
俯いていたのはわずか数秒程度。毛利は気まずい雰囲気を一掃するようにバっと顔を上げる。
すぐにじゃあね。とか、そんな言葉がくるのだろうと思っていたが、そうではなかった。
なんと「お茶でも飲んでいく?」と思いがけないお誘い。
いやいや、毛利は純粋に荷物を運んだお礼で言っているのだろう。
それはわかるし、嬉しいことなのだが、だからといって誰もいない家に気軽に上がっていいのか。

「サンキュ。でも、やめとくよ。」
「そう?でも、ホントにありがとう。おかげで助かっちゃった。」
「ああ。・・・じゃあ、またな。」
さっきオレが手渡した買い物袋を右手に持ち、鞄を左手に持っていた毛利はそれらを下に置き、ドアの前で手を振った。
―――「また、明日ね。」と。

『明日』。
見ているだけ、そんな関係も何もない日が続いていた。
それが今では―――『今日』からは『明日』も会える、話が出来る。そう感じさせてくれる。
まだまだ細い糸のようなものだが、繋がりを見つけられた。これからへと繋げる糸を。


毛利がドアの中へと入ったのを見届け、帰るか。と毛利の家を後にする。
しかし、2.3歩程歩いたところで足は止められてしまった。
窓をがらりと開け、こちらに聞こえるようにと大声でオレを呼ぶ毛利の声に。

「工藤君っ!」

切羽詰まった声ではないが、何かあったのでは、と緊張が走る。
けれど、毛利はそんなオレを他所に「ちゃんと受け取ってね。」と言ってくるではないか。
一体何が始まるんだと思ったのも一瞬。
次の瞬間には、毛利がオレに向かって小さな箱のようなものを投げてくるのがわかり、慌てて手を出して『ソレ』を受け取った。

弧を描くように手中に収まったもの。それは―――「カロリ―メイト」。

これは・・・オレにってことだよな?
毛利の突然の行動。箱をちらりと見ても、これがどんな意味で渡されたのかわからずにいた。
もう1度毛利が顔を出しているほうを見れば、にっこりと笑って手を振っている。
とりあえず受け取った『ソレ』をしっかりと手に持って、今度こそウチに帰ることにする。
その前に手を振る毛利に返事として右腕を上げた後で。


この日を境に2人は距離を縮め始める。
それはのっそりとした亀並みのペースだけれど、2人にはお似合いのペースで。
明日からは新しい1日が待っている。
話をするきっかけを掴んだ男は、顔には出していないが心中は喜びで溢れていた。