※この話は『15歳恋愛事情』の第3弾です。『15歳恋愛事情』及び『15歳恋愛事情2』を読んでいなくとも支障はありませんが、話中の時間の流れ上、先に『15歳恋愛事情』『15歳恋愛事情2』を読んでいただくことをお薦めします。


 ここ数日、英二が妙に元気がいい。
 いつも明るいだの言われている英二だが、最近はそれに輪をかけて、輝かんばかりの笑顔を振り撒いている。
「何があったの?」
 そう問い掛けると、英二は、
「ん?別に、何も無いよ」
 と、嬉しそうに答える。
 その顔が、自分の言葉を否定していることには気付いてないのだろうか。
 あけっぴろげな性格の英二は、基本的に嘘がつけない。
 自分をさらけ出すのにほとんど躊躇しない英二が、珍しく何かを隠している。
 不二はそれが気になっていた。
 普段ないことだけに、何か重大なことを隠しているのではないかと勘繰ってしまう。
 しかし、いつにもまして元気な英二を見ていると、こちらも自然に笑みがこぼれる。
(まあ、気にするほどのことじゃないか…)
 と、疑問はいつの間にか心の奥底へ沈んでいく。
 そして、忘却の彼方に―――――。



『15歳恋愛事情3』



(忘れてた…)
 不二は独り、胸中でごちた。
 英二の異変に気付いたのは2、3日前。
(妙に元気になった…。変だなって、思ったんだ)
 そう思いながら、不二は窓際に座る英二をちらりと見る。
 英二は、窓の外を見ていた。
 その行為自体は別に珍しくもなんともない。英二が授業を話半分にしか聞いてないのはいつものことだ。
 しかし、その窓の外を見つめる目が問題だった。
 いつもくりくりとよく動く澄んだ黒めがちの目は、彼の喜怒哀楽を良く映す。
 窓の外をぼうっと見ている今の英二の目は、今の曇った空を映したような濁った目に見えた。
 まるで覇気がない…というよりむしろ、無表情に見えた。
 表情を失った英二は、少なくとも不二は今まで見たことが無い。
 胸に去来する2、3日前の違和感。
 それに何か関係があるのか無いのか。そしてそれよりも何よりも。
(一体何があったの…英二?)


「さ〜、不二!!クラブ行こうぜ!!」
 終礼も掃除も全て終わって、残るは部活のみとなった放課後。教室にはまばらな人影。
 そんな中で英二が明るい声を上げて、ガタンと大きく椅子を鳴らして立ち上がる。
 しかし不二は、自分のテニスバッグには手を伸ばさない。
 かわりに、つかつかと英二の席に歩み寄る。
「不二?」
 肩に鞄を提げながら、英二が目を丸くして問い掛ける。
「何?早く行こうよ」
「…ねぇ、英二。授業中、何考えてたの?」
「授業中…?」
 不二はその時、微かに揺れた英二の目の動きを見逃さなかった。
「授業中って…いつの?」
「ここ2、3日の授業中」
「…別に、何も」
 英二の視線が、一瞬不二からそらされる。
「嘘でしょ。嘘じゃないなら、目を逸らさずに言ってよ」
「不二」
 まるで睨むように見てくる不二に向かって、英二が驚いたように目を瞬かせた。
「不二、なんかいつもと違わない?」
「いつもと違うのは英二の方だよ。気付いてないの?」
「……………どこが違う?」
 英二が完全に横を向いて問う。不二はいきなりのその変化に少し驚きながら、答える。
「……強いて言うなら…いつもより元気なところかな?」
「じゃあ別に心配するようなことじゃないじゃん。…元気だって言うんならさ」
「………………」
 微かに拒絶の色が込もった口調に、一瞬口を噤む不二。
 しかし、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
 だって――――気になる。
 2、3日前は元気すぎて不思議に思った。でも授業中に見せる表情は、同一人物の顔に見えないくらい、異質だった。そのギャップのあまりの激しさに、尋常じゃない事を隠しているのじゃないかと、自然に危惧がつのるのだから。
「…ねえ英二、何か悩み事あったりする?」
 不二は無意識のうちにそう切り出していた。
 自分でも、何故そう尋ねたのか分からない。
 いつもより格段に元気になっているのだから、何かいいことがあったのかと尋ねるのが順当だっただろう。なのにそう尋ねてしまったのは、きっと、授業中の表情を見ていたから。
 しかし、そう尋ねられて、ぴくりと英二の眉根が動いた。
「どうしてそう思うの?不二」
「どうしてって…」
 二人の間に沈黙が落ちた。放課後特有の浮ついたざわめきが二人の空間を包み込む。

 喧騒に満ちたその沈黙を先に破ったのは、英二の方だった。

「…あ〜あ。オレって嘘つく才能ないのかなぁ」
 英二はそう言いながら、鞄を床に放り捨てるように置き、椅子にどかっと腰を下ろす。
 大きくため息をついて頬杖をついてみせる英二に、不二は困惑しながら尋ねる。
「…英二?」
 すると、英二は上目遣いで不二を見ながら口を尖らせた。
「だってさー、みんなおんなじこと言うんだぜ?大石もオレのこと「何か変だ」って言うし、河村も乾も言ってくるし。挙句の果てには手塚にまで「何かあったのか」とか言われるし」
「そうなの?」
「そうなの」
 英二がこくりと頷く。
「…でも、悩みがあるのかと尋ねてきたのは、不二が最初だな」
「…僕、間違ってた?」
 不二がおずおずとそう聞くと、英二はややあった後、くすりと笑った。
「うんにゃ。ドンピシャ」

 英二の答えに、不二は呆然となった。
「…しっかしなんでドンピシャでバレるかなぁ…。あ、そっか。授業中オレのこと見てたんだったな…。くっそー、不二が授業中余所見してるなんて考えもしなかった〜」
 英二がぶつぶつと呟くのを、不二は見るともなしに見る。
「英二…」
「…不二、オレの悩み事知りたいんだっけ?」
「え?」
 じっと見上げられてきっぱりと言われ、不二は一瞬返答に迷う。
 もちろん…聞きたい。何を悩んでいるのか、友として知りたいと思う。
 しかし、そうはっきりと言われると、咄嗟に肯定の言葉も否定の言葉も出なかった。
 躊躇している不二をちらりと見て、英二は苦笑した。
「……気になってるみたいだから、しゃべっちゃおっかな…。不二には前に相談に乗ってもらった事だし」
(僕が以前相談に乗った事…?)
 不二は内心首を傾げるが、思い当たる事がたくさんありすぎた。しかしそうやって思い当たるのは小さな悩み事ばかりで、正直どうでもいいことばかりだ。
「不二は確か知ってたよな?ミヤさんのこと」
 結局不二の中で答えが出ないまま、英二が話し出した。
 不二は長丁場を予想して、英二の前の席の椅子を引き出してきて腰掛ける。
「ミヤさん?…ああ、あのペットショップのお姉さん」
 不二は記憶の引出しから一人の女性の姿形を引っ張り出してくる。
 黒くて長いサラサラの髪。大きな瞳。笑顔が印象的な可愛らしい人。英二がいつも、自分の家で飼っている犬とオウムの餌を購入する店でバイトしている女の人のことだ。
 英二から何度かミヤさんのこと――ちょっと不器用だとか、単純だとか、でも何に対しても一生懸命だとか――を聞いていたから、名前は大分前から知っていたし、何度か英二についてそのお店に行った事があるから、不二はミヤの顔も人柄も知っている。
 英二はお得意さんだからか、その“ミヤさん”とはとても親しそうに見えたのを覚えている。
「ミヤさんがどうしたの?」
 不二が頭の中にミヤの姿を思い浮かべながら尋ねると、英二は笑顔を浮かべて言った。
「結婚するんだって」
「結婚?それはめでたいね。おめでとう」
 不二はぱちぱちと手を叩くような動作をして微笑む。英二はその一連を見つめ、そして笑顔を引っ込めて呟いた。
「……………。…だよな〜、普通」
 不二が不思議そうに見つめると、英二が小さくため息をつく。
「普通はそういう反応するもんなんだよな」
「…じゃ、ないの?」
 不二は首を傾げた。
 すると、英二がふるふると首を振る。
「…オレは違うよ」
「え?」
「…なんか、素直に「おめでとう」って言えなくてさ。結婚するって聞いた時、何も言わずに帰ってきちゃったんだよね」
 不二は少なからず驚いた。
 英二は、不二に限らず友人に何かいいことがあると、「良かったじゃん!!」と言いながら、飛びついて抱き合って一緒に喜んでくれるような人種である。
 それなのに、何も言わずに飛び出してしまったというのは、到底英二のする行動には思えなかった。
「ペットショップ辞めるって言うし、その前に「おめでとう」って言わなきゃ、って頭では思うんだけど、実際ペットショップに行こうとしても、なんか勝手に足が止まっちゃって入ることができなくて」
 英二は適当な所に視線を向けながら話している。不二の方は極力見ないようにしているようだった。
「でも一度だけ…昨日頑張ってお店に行ったんだ。んでミヤさんに「結婚おめでとう」って言おうとしたんだけど、ミヤさんの顔見た途端、言葉が詰まってさ。言葉が喉まで来てるのに音にならなくて。結局また言えずじまい」
 英二が肩をすくめて少しおどけてみせるが、顔がどこか憂いを帯びていて、不二の目には痛々しく映った。
「なんで言葉が詰まっちゃうのかな…。どうして素直に喜んであげられないのかな…。今までひとの幸せを喜べないことなんてなかったのに」
 僅かに唇を噛む英二。
 不二はそこでハッと気がついた。
「英二、それは…」
 不二が言いかけると、英二は待ったと手を挙げて不二の言葉を制す。
「………すごく胸の中がモヤモヤする。それが言葉をひっかからせるんだよ。オレに「おめでとう」って言わせなくしてる」
 そして、英二は片手で顔の半分を覆って言った。
「オレ分かったんだよ。なんでこうなっちゃうのか上手く言葉に出来ない。自分が自分じゃなくなるみたいな、そんな感じ。……これが…「好き」ってことなんだなぁって。人を「好き」になるのってこういうことを言うんだって」
 不二には、声が震えそうになるのを必死で抑えているように聞こえた。
「英二…」
 不二は自分が言おうとしたことを、自分の口で話す英二を見つめる。
「………泣いてるの?」
「……泣いてなんかないやい」
 不貞腐れたようにどこか下へ目線をやっていた英二だったが、
「…泣くもんか」
 そうポツリと言って、英二は机の上に伏せた。

 不二は小さく息を吐く。
 「好き」という気持ちが分からないと言っていた英二。
 あれはいつのことだったか。
(……自分で答えを見つけたんだね、英二)

「………不二」
 暫く机に突っ伏す英二を見つめていた不二に、声がかかる。
「ん?」
 顔をあげようとしない英二に聞き返すと、くぐもった声で英二が言う。
「クラブ、もう行かなきゃ遅れるよ」
「そうだね」
 不二は微笑む。突っ伏した英二には見えなかったが。
「…オレのことはいいから、先に行けよ」
「そうだね」
 そうだね、と答えたのに、席を立つ気配がしない。
 英二は少し気になって、僅かに顔を傾けて隙間をつくり、不二の様子を垣間見た。
 すると、不二は頬杖をついて外を眺めていた。
 英二は、また顔を伏せて言う。
「…手塚に走らされちゃうよ?」
「そうだね」
「……………」
「……………」
 長い沈黙が落ちる。
 その沈黙を割って小さく呟いた英二の言葉は、放課後の遠い喧騒に紛れて不二の耳にかろうじて届いた。
「…せんきゅ、不二」
 不二は英二の声を聞いて、小さく微笑んだ。

<了>



※あとがき※