「4月1日」
 英二は腕時計に表示された日付を睨みながら呟いた。
「エイプリルフール!」



『All Fools' Day』



 英二はずっと前からこの日を待ち望んでいた。
 毎年この日は、家族や友達と、騙したり騙されたりといったシーソーゲームを楽しんできた英二だが、今年は少し趣が違った。
 日付を見る英二の頭の中には浮かんでいるのは、いつぞやの部活でのリョーマにまんまと騙された、あの苦々しい思い出。
 あの日から、英二はいつかリョーマに復讐してやろうと機会を狙っていた。
 そして、合法的(?)にどんな嘘でも笑って許される今日こそが、まさに絶好のチャンスなのだ。
 そしてこのチャンスを最大限に生かし、自分を馬鹿にしてくれた落とし前をつけてもらわなければならない。
 そのためには、かなりパンチの効いた嘘を考える事が不可欠である。
 英二は頭をフル回転させて、どうリョーマを手玉に取るか、考えていた。
 そしてふっと頭に浮かんだのは、以前言っていた不二の言葉。
 確か、”竜崎先生のお孫さんが、リョーマに好意を抱いているらしい”そして、”リョーマもまんざらではないようだ”と、そんな風なことを言っていた。
 ならば……自分が桜乃に興味を持っていると知ったら、リョーマはどう思うだろう。
 あまり顔には出さないだろうが、動揺するリョーマが見れることだろう。
 英二は自分でひねり出した案を実行した時を思い、一人ニヤリと笑った。
「うっし、じゃあ行くか!!」
 気合いを入れるように両頬を軽くぱんっと叩いて、英二は学校の校門をくぐった。


「あれ?エージ先輩」
「やっほー、桃…って、お?乾来てんの?」
「やあ、英二」
 球出しする手を止め、私服の乾がひょいっと片手を上げた。
「不二と大石も来てるよ。あ、河村も後で来るって言ってたな」
「先輩方、卒業したのにマメっすね」
 3年間を過ごした学び舎から巣立ったのは半月くらい前。
 もちろんクラブも既に退部済みであるが、高等部に行ってもテニスを続けたい面々は、身体を訛らせる訳にも行かず、こうして中等部のクラブに指導がてら自分の練習をしに来ている。
「高等部の方には顔ださないんスか?」
「まだ俺たち高校生じゃないしな。かといって中学生でもないが」
「微妙な立場なんだよね」
「そんなもんスかね」
 桃城がそう言ったところで、英二は自分の復讐の標的の姿が見えないことに気付いた。
「…桃、越前は?」
「あー、グラウンド周回してますよ。そろそろ戻ってくるんじゃないですかね?あ、ホラ、帰ってきましたよ」
 桃城が指差す先には、息を切らせてコートに駆け込んでくる新2年生の部員たち。その中に帽子を被った小さな影があった。
「おーい越前!こっち来い!!」
 桃城がぶんぶんと手を振って叫ぶと、その影――リョーマが、帽子で自身を扇ぎながらとことこと歩いてきた。
「何の用スか?」
「いや、俺が用があるんじゃなくて…」
「おチビ、元気だったか〜?」
 英二は満面の笑顔を浮かべて、リョーマの頭をぐりぐりと撫でた。
 憮然とした表情で、リョーマは英二を見上げる。
「元気だったか?って、一昨日も会ったじゃないスか。ンなこと、見たら分かるでしょ」
「相変わらず可愛くないなぁ」
「別に可愛くなくていいッス。…んで、何の用スか?俺、この後ストレッチしたいんですけど」
 英二は、少々周りに人が多いことが気になったが、どうせ最後には嘘だとバラすんだから問題はないと結論付け、作戦実行を心に決める。
 英二は復讐に逸る気持ちを抑えながら、口を開いた。
「あのさ、竜崎先生のお孫さんのことなんだけどさ」
「竜崎?」
「うん、桜乃ちゃん」
 桜乃のことを”桜乃ちゃん”などと呼んだことがなかった英二は、自分の中で大いなる違和感を感じながらも続ける。
「あの子可愛いなって思わない?」
「別に」
 素っ気無く答えるリョーマ。ここまでは英二の想像通り。
 英二は、次に口にする言葉にリョーマがどういう反応をするかドキドキしながら、かねてより考えていた言葉を言った。
「なら、オレが狙っちゃってもいい?」
 英二はにっこりと余裕綽々の笑顔でリョーマを見下ろした。
 きっと動揺しているに違いない―――。

「なっ…本当ッスか!?エージ先輩!!」
 しかし、予想に反して声を上げたのは、リョーマの後ろに立った桃城だった。
 肝心のリョーマは相変わらず素っ気無い目付きで英二を見上げ、
「ふぅん」
 と興味なさそうに相槌を打つ。
「ふーん…って、別に越前は構わないわけ?」
「何で俺が構わなくちゃいけないんスか?」
 心底不思議そうに見返してくるリョーマに、英二の内で焦燥感が募る。
(不二が言ってたことは間違いだったのか?それとも越前がヤセ我慢しているだけ?)
 英二は焦りを顔に出さないように努めながら、口を開いた。
「だっておチビも桜乃ちゃんのこと狙ってるんじゃないか、って思ってたもんだからさ」
「狙ってなんか………」
 言ってリョーマは視線を伏せた。
(お?)
 意味深にも取れるその様子に、英二は胸を高鳴らせた。
(もしかしてこれは成功?)
 英二は小躍りしたい気分になって、思い通りに言った事に思わずぷっと吹き出しそうになった。
 しかし、意気揚揚と「今のは嘘だ」と言おうとした矢先、リョーマが衝撃的な一言をきっぱりと言い放つ。
「だって俺が狙ってるのは英二先輩だもん」
『……………………………は?』
 暫くリョーマの言葉が理解できず、かなりの間の後、桃城と、告白された英二が、共に素っ頓狂な声を上げた。
「でも部長とかもいいっすよね。あの冷たさがたまんないっていうか。大石副部長もあの母親的なあったかさが何とも言えないし、不二先輩はキレイだし」
 上目遣いで宙を見やりながら言うリョーマの背後で、桃城が完全に硬直している。
 当の英二は、当初のリョーマを陥れる作戦などとっくに頭から吹き飛んでしまった。そして、当然と言えば当然の如く、完全にパニクっていた。
(何?越前がオレを狙ってる!?それってどーゆーこと!?…って、そーゆーことだよな。うん、言葉どおりだよな。ってことはだよ…え?ええ!?だってオレ男、越前も男じゃん!!これってこれってこれってぇ!?)
 リョーマはそんな英二に全く意を介さず、ぼうっと突っ立っている乾をちらりと見、
「乾先輩も何考えてんのかよく分かんないとこが惹かれるけど…」
 そう言いながら、混乱の極地に達していた英二の手をそっと握り、きらきらと輝く目で英二の目を覗き込んだ。
「でもやっぱり…俺、英二先輩が一番好き」
「げっ!!」
 声を上げたのは桃。
 英二は完全に言葉と体の動きを失っていた。ぞわぞわと全身が総毛立ち、顔から血の気が引くのだけがかろうじて分かった。
(こっ…これは…オレはちゃんと答えた方がいいのか!?気持ちに応えるべきなのか!?でもオレは越前のことそーゆー対象として見れないし…!!どっ…ど、どーしたらいいんだ!?)
 英二はぎぎぎと首を回して、助けを求めるように乾を見た。
 乾は腕を組んで、ただぼけっと突っ立っている。
(助けてよ、乾〜!!)
 混乱の余り声にならず、心の中で訴えつづけるも、そんなことで乾に気持ちが伝わるはずも無く、乾は顔色一つ変えなかった。
 英二は仕方なく、大きく深呼吸をする。少し気が落ち着いた。
 緊張で渇いた喉がひりひりと痛んだが、英二は必死に声を出した。
「ああああああああの、さ!」
 しかし苦労空しく、ちょっと声が裏返っている。
「えと…えっと…き、キモチは、う、嬉しい…ケドさ、お…オレは、オレ…おチビのことはそーゆー風に見れないし…ああああえっと…」
 冷や汗が背中をつたう。
(何て言ったらいいんだ〜!?)
 英二がおろおろと言葉を捜していると、リョーマはいきなり、ぷっと笑った。
「何うろたえてるんスか。ンなの嘘に決まってるでしょ」
「……………………………………………は?」
「………嘘?」
 本日二度目の素っ頓狂な声を上げる英二と桃。
「なにが悲しくてオレが男に興味持たなくちゃいけないんスか」
 リョーマは言って、顔をしかめる。
「でも、冗談でも男に好きって言うのは気持ち悪いな。ああヤダヤダ」
「………お、おチビ…?」
「なんだ、本気にした?でも乾先輩はオレの嘘、見抜いてたみたいだったけど」
 乾は話を振られて、ちょっと間を置いて答えた。
「まあ、変なトコ見て喋ってたしな」
「英二先輩、オレを騙そうとするからそういうことになるんスよ」
 リョーマは茫然自失に陥っている英二に、くすりと笑って言った。
「ここまで見事にハマってくれると、気持ちいいな。英二先輩、是非来年のApril foolもよろしく」


<了>



※あとがき※