『ココロの行方』



「えっと、あとは…」
 桃城は手に持ったメモを見ながら上りのエスカレーターに乗った。
 母親から買い物を頼まれ、桃城は近くの大手スーパーに来ていた。
「なんだ?カップ??…あ、そっか、この前オレのが割れたんだっけ。…日用雑貨って何階だ?」
 エスカレーターに乗る前に確認しておけばよかったと少々後悔したが、乗ってしまってからでは後の祭り。桃城は仕方なく、次の階につくまで大人しくしていることにする。
 しかし、丁度メモから顔をあげた時、桃城の目に見知った人影が映った。
(あ?あれって不動峰の神尾か?)
 自分よりも7、8段ほど上にいる男の後姿が、不動峰の神尾にそっくりだった。自分と神尾との間に客が数人いるために全身が見えるわけではないが、確かに神尾だ。
 7、8段上にいた為に、桃城より先にエスカレーターから降りる神尾。
 神尾が降りたフロアに桃城が着いた時には、神尾はまばらな人影を縫ってどこかの店に向かっているようだった。
 なんとなく後ろめたさを感じながら、それでも桃城は好奇心に駆られて、物陰に隠れつつ神尾を追う。
(アイツってここら辺に住んでんのか?)
 桃城が追い始めていくらと経たないうちに、神尾はファンシーな雑貨が置いてある店に入っていく。
「お?」
 その店は可愛らしい動物の人形やら雑貨を扱っている店で、およそ男が入るに似つかわしくない店である。
「…………」
 一瞬妙な趣味でもあるのかと思った桃城だったが、すぐに考えを改める。
「!さては…」
 桃城は一人ニヤリと笑い、神尾が入っていった店に入る。
 店内で神尾は兎のヌイグルミを手にしていた。
「よう、神尾」
「ッ!?」
 相当驚いたのか、飛び跳ねるように振り向く神尾。
「な、なんだ…青学の桃城か…。って、なんでこんなトコに」
「そりゃこっちの台詞だ。何してんだ?こりゃお前の趣味か?」
 神尾が手にしている兎を指差し、ある程度答えを予想しながら桃城が尋ねる。
 すると神尾は、桃城の予想通り、少し頬を赤らめて反論してくる。
「違うっ!!これは…これはだな…」
(やっぱそうか)
 桃城は笑い出したくなる衝動を抑えて、自分の予想を口にする。
「女へのプレゼントか?」
「!!」
「違うのか?…あ、もしかしてそれ、橘妹へのプレゼントだったりして?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 桃城の言葉に対して、神尾が声にならない叫びを上げる。耳まで真っ赤にして、兎のヌイグルミを放り出すように棚に戻す。
「もッ、桃城〜っ!!か…からかうのもいい加減にしろよ!!」
「………お前、分かりやすいなぁ」
「何がっ!?」
「いや、何がって…」
 桃城は後頭部を掻きながらしれっと言い放つ。
「橘妹が好きなんじゃねぇの?」
「なっ…なっ…」
 口をパクパクとしながら、さらに神尾の顔が赤く染まっていく。
「何を根拠に…!!」
「お前なぁ…。そんなに素直に反応しときながら…」
 言われて、神尾は舌打ちしてそっぽを向く。
「で、なんだ?誕生日かなんかか?」
 桃城は、神尾が放り出した兎のヌイグルミを手にとった。ふわふわとした白色の毛並みが気持ちいい。
「…そうさ。今週の土曜日が杏ちゃんの誕生日」
 神尾は不承不承といった感じで答えた。
「ほうほう。で、コレ?」
 言って桃城は兎の手を持って、ふにふにと動かす。くりくりとした兎の黒い目が、なんとも愛らしいヌイグルミだが…。
「いや、それはちょっといくらなんでも可愛すぎるかなって思ってたんだけどよ…」
 神尾は言って、桃城の手から兎のヌイグルミを奪い取る。
「女の子って何貰ったら喜ぶのか、イマイチよく分かんねぇんだよなぁ」
 棚にヌイグルミを、今度は丁寧に戻して、神尾はため息を吐いた。
「そーだなぁ…まあ、プレゼントってのは自分が貰って嬉しいもんは相手も嬉しいもんだって言うし、お前が貰って嬉しいものでも買えば?」
「桃城、お前な…。男と女じゃ、そこらへんの感性ってモンが違うんじゃねぇのか?」
「そうかあ?そういうモン?」
「……………」
 神尾は、自分が今、とてつもなく不毛な時間を過ごしているような気がしてきて、再度ため息を吐いた。
 しかしその時、神尾の脳裏にふと、今まで忘れていた記憶がよぎった。
「あ、桃城、お前、妹いたんじゃねぇのか?」
 確か以前、桃城自身の口から、妹と弟がいるというような話を聞いた事がある。それを聞いて、なんとなく「ああ、それっぽいなあ」と納得したことがあった。
 桃城は突然の問いに少々面食らったのか、目を丸くして言った。
「いるけど、それが何だよ」
 神尾は藁にも縋る思いで、桃城に詰め寄る。
「どんなプレゼントなら貰って嬉しいか、聞いてみてくれよ」
「ああ?そりゃ聞いても無駄だぜ。オレの妹、まだ小学低学年だから、何の参考にもなりゃしねーよ」
「くっそ〜、そっかぁ…」
 神尾は心底脱力して、がくりと頭を垂れた。
 神尾の落胆振りが手にとるように分かったから、桃城は憐憫の情を込めて、神尾の肩をぽんぽんと叩いて言った。
「まあ、気持ち篭もってりゃなんでも喜んでくれるって。頑張って自分で選びな」


「そーかぁ…あいつ、橘妹のことが好きだったんだなぁ。こりゃ面白れーな、面白れーぜ」
 神尾が耳まで真っ赤にしていた様子を思い出し、ぶぷっと吹き出した桃城は、既にカップを購入する事などすっかり忘れてしまっており、早くも家路についていた。
 結局、あの場は神尾だけ残し、早々と退出した。
 ファンシーな雑貨屋で男二人が立ち話というのがどうにも居心地悪かったからである。
「しっかしあの様子じゃあ、まだ迷ってるんだろうな〜」
 下り坂、勢いのついた自転車のペダルをこぐのをやめ、すいすいと気持ちの良い風を切りながら、桃城はまたぶぷっと笑った。
 そして下り坂の半分くらいまできたとき、突然少女の声が響いた。
「あっ!モモシロ君!!」
「へ?」
 突然自分の名前を呼ばれて、桃城はブレーキを握った。
 キキーッ!
 少々耳障りな音を立てて、自転車が止まる。後方からタッタッタ、と軽い足音が近づいてきた。
「あ…橘妹」
「杏だよ、橘杏」
 にっこー、と笑って、不動峰男子テニス部部長の妹、橘杏が言った。
「何処行ってたの?」
「買い物。お前は?」
「アタシはストリートテニス行った帰り」
 言いながら杏は、肩にかけたテニスバックを桃城に見せるように身体を捻った。
 桃城はそれを見ながら、杏が好きだと言った(正確には神尾は何も言っていないが)神尾が、いつもはどのような顔で杏に対面しているのかに思いを馳せた。
 桃城に指摘されてあんなに真っ赤になるくらいだから、杏と直接話すときなど、一体どんな顔をしているのやら―――いや、あの時は不意に指摘されたからであって、心の準備があれば、好きな人と対面していたって、案外普通に振舞えるものかもしれない。
 正直、杏は可愛いランクに入ると思う。
 気の強そうな目がくりくりと動いて、なんとも愛らしい。肩で切りそろえた色素の薄い髪も、さらさらと風に靡いて触り心地が良さそうだ。
(まあ、神尾が惚れるのも分かる気がするかな)
「何?あたしの顔に何かついてる?」
「あ?いや、別に」
 桃城がそう言うと、杏は思い出したように手を打った。
「そうだ。ちょっと聞きたい事があるんだ」
「俺にか?」
 意外な申し出に、桃城は自分を指差して目を丸くした。
「うーん、そうね…別に男なら誰でもいいんだけど、なるべく部外者がいいから、桃城君」
 言って、びし、と桃城を指さす杏。しかし、男なら誰でもいい、とキッパリと言われて、桃城は複雑な気分になる。
「はあ」
 なんとも気の抜けた返事だ、と思いながら、一向に話が読めない桃城は、別にいいけど、と答えた。すると、杏はよかった、と笑って口を開いた。
「大した事じゃないんだけどね。詳しい事はいえないんだけど……えっと…異性として好かれているのが分かってても、今まで通りの関係でいたいから、態度を変えたくないって私は思うんだけど…こういう考え方って男の目から見てヘン?」
「え?」
「お兄ちゃんは、そういう、男心を煽るようなことはやめろって言うのよね。その気がないのなら、そういう風に振舞えって言うのよ。でもそれっておかしいと思わない?別に好きだって面と向かって言われたわけじゃないのに、私にはその気はないのよ、って振舞うのなんて、なんか、ヘン」
 杏はそう言いながら眉を顰める。
「でもね、お兄ちゃんが言うことも一理あるような気もするんだ。なんか相手に期待持たせてるだけなんじゃないかって思えるときもあるから…。桃城君はどう思う?」
「どう思うったって…」
 返答に困って、桃城は頬を掻いた。
 杏が言っている内容は理解できるが、一体何のことだか要領を得ない。もちろん、杏が詳しい事はいえない、と言うからには、質問しても明瞭な答えを得られるわけはないのだろうが、これだけの情報では、何と答えてよいのやら全く分からなかった。
 しかしそうしているうちに、桃城の脳裏に一縷の考えが浮かんだ。
(もしかして…神尾のこと言ってんのか…??)
 桃城は愕然とした。
(バレてるんじゃん、神尾)
 しかし、杏の言っていることが神尾とのことだと決まったわけでもない。神尾の他に、杏を好きな男がいるのかもしれない。
 桃城は探りを入れようと、慎重に言葉を選んで口を開く。
「えっと…なんでそういうことに?」
 しかし出てきた言葉は、なんとも思慮に欠けるセリフで、案の定、杏は少々面食らったようだった。
「え?なんでって………お兄ちゃんが、あたしが、か…」
 言いさして、杏は咄嗟に口をつぐんだ。顔がしまった、と言っている。
「か?」
 桃城はその様子に気付かないフリをして問いかけるが――。
「あっ…な、何でもない!えっとね、まあ…その、何?なんかお兄ちゃんから見て、あたしの行動が気になったんじゃない?お兄ちゃん自身、今までに何かヤなことがあって、その記憶と被ったのかもしんないし」
 明らかに杏は狼狽していた。笑顔が引きつっている。
 桃城は、杏が飲み込んだ言葉の先を推測した。
(「か」…ね。神尾の「か」…なんだろうなあ)
 そう結論付けて、桃城は少々、神尾を哀れに思った。
(兄にも妹にもバレてるなんてなぁ)
「とにかく…桃城君はどう思う?」
 杏はそう言って、黒い目で桃城を見上げる。
 桃城は、神尾なら杏にどうして欲しいだろうかと、神尾の心中に思いを馳せた。少し考えて、桃城は腕を組みながらぽつりと言う。
「別に、お前の考え方で構わないんじゃないか?俺なら、自分が相手に「好きだ」ってちゃんと言うまで相手に自分の思いの丈はバレていて欲しくないから…もしそういうことで態度変えられたら、余計傷つくな」
 「俺なら」と言ったが、言えるならば「神尾なら」と言ってやりたかった。
 もちろん、そこまでしたらお節介にも程があると思ったから、桃城は名前を伏せた。
「期待持たせるも何も、そういう意図を含んでないんだったら、別にそんなの、気にすることねぇって」
 事実、神尾は杏に態度を変えられたら悲しむだろうし、全てが露見した後、杏がそういう風な――心を煽る意図をもって自分に接していたのだ、などと思うわけはないだろうと思えた。
「――ムッツリ部長、よほどヤな目に遭った事があるんじゃねぇの?」
 言いながら桃城がウシシと笑うと、杏はつられてクスクスと笑った。
「…そうかもね」
 言って、杏は口元を綻ばした。
「ありがと、桃城君。気が楽になった」
「そっか?良かったな」
「うん」
 杏は嬉しそうに頷いた。


「そーだ。なあ、聞いていいか?」
 成り行きで一緒に帰途につくことになった杏に、桃城は問い掛けた。
 自転車越しに杏が首を傾げる。
「いいよ、何?」
「もしかしてお前の兄ちゃん、シスコン?」
「………は?」
 杏は一瞬我が耳を疑う。
「…シスコン?」
 聞き間違えたのかもしれない、と思って鸚鵡返しに問うと、桃城はおう、と言って頷く。
 やはり聞き間違えたのではない。
 杏は、自分の兄を思い浮かべて、シスコンという言葉の響きとのギャップに抱腹した。
「あっははははっ!!ない!ないない!」
 杏は大声を上げて笑う。
「有り得ないって!絶対〜!」
「へ、へぇ」
 杏の笑い声の勢いに少々戦きながら相槌を打つと、杏は笑いすぎて目の端に溜まった涙を指で拭った。
「ゴメンゴメン。でもウチの兄貴に限ってないわよ、それは」
「そ…そうだよなぁ。あの顔でシスコンってことはないわな」
「そうそう!」
 杏はまだ可笑しそうに笑いながら、こくこくと何回も頷いた。
 桃城は曖昧な笑顔を浮かべながら、内心思った。
(ならなんで、橘妹にあんなこと言ったんだ?)
 直接尋ねるわけにもいかず、桃城は謎を抱えたまま、他愛もない話をしながら杏を家の近くまで送り、そして自分自身も家に帰った。

 家に帰り着き、カップを買うのを忘れていたことで母親にこっぴどく文句を言われたのは、言うまでもないことである。


<了>


※あとがき※