いつの間にか人通りも絶え、道を行き交う車の音も絶え、しんと静まり返った住宅街に、時々思い出したように遠吠えをする犬の鳴き声が尾を引いて響くが、基本的に部屋を支配しているのは規則的な時計の秒針の音と、シャープペンシルをノートの上で無心に滑らす音のみだった。
 が、しかし。
「飽きた」
 ぽつり、と岳人が吐いたその一言が、静寂を打ち破った。



『Dead or Alive』



 瞬間、参考書に目を落としていた跡部や、資料集のページを繰っていた忍足、計算に行き詰まって手の動きを止めていた宍戸や、単語帳を捲っていた鳳が一斉に顔を上げた。
「岳人、お前飽きるの早過ぎやで」
「さっきもンなこと言ってたじゃねぇか、アーン?」
 跡部は岳人を横目で睨む。
 眦の切れ上がった跡部がこういう視線の投げ方をすると相当怖いものがあるが、岳人は全く臆しない。いや、正レギュラーならば大抵皆、そういう跡部の表情には免疫がある。
 岳人は跡部を睨み返した。
 とはいえ、瞳が大きくて幼さが抜けない岳人の顔立ちでは、跡部が醸し出す威圧感の十分の一も表現できない。
「ンなこと言っても、飽きたもんは飽きた」
 言って、岳人は手に持っていたシャープペンシルを机の上に放り投げる。
「大体、なんで冬休み明けにテストなんてやるんだよ!折角の休みが台無し!」

 愚痴を零す岳人を始め、跡部、宍戸、鳳、そして未だ黙々と問題集を解いている樺地や、周囲が騒がしいにもかかわらず突っ伏して寝ているジローは、忍足の家に集まって勉強会をしていた。
 それもこれも、岳人の言葉にあるように、冬休み明けに全校一斉学力テストがあるせいである。勉強会を開くのが忍足の家に決まったのは、運悪くあみだくじで当たってしまったからという理由だけである。

「お前みたいに怠けるヤツが出るからだろ」
 岳人の愚痴に、宍戸がことも無げに言い放つ。
「何だと!!お前だってさっき飽きたって言ってたじゃねぇか!」
「やるか!?」
 机をバン、と叩いて立ち上がる宍戸。
「上等!」
「やめてくださいよ、宍戸先輩、向日先輩」
 つられて立ち上がろうとする岳人を、鳳が慌てて押さえる。
「てめぇら…」
 跡部が底冷えのする低い声で唸るように言いかけたその時、忍足が口を開いた。
「しゃあないなー。なんかもう勉強どころやないみたいやし、ここらで晩メシにしよか」
「…………」
 突然言葉を遮られて何が飛び出すかと思えば晩御飯。
 跡部が思わず忍足を見返していると、忍足はにっこりと笑った。
「岳人も宍戸も腹減ってカリカリしとんのやろ。腹膨れたら、また勉強再開したらええやん」
「…まあ、構わんけどな」
「いいんですか?晩御飯御馳走になっちゃっても」
 鳳がおずおずと尋ねてくるので、忍足は手をヒラヒラと振って笑顔を向けた。
「ええねんええねん。どうせ今日は両親帰ってくんの遅いし。その代わり、準備とか後片付け、手伝ってな」
「あ、はい、それはもちろん」



 忍足の部屋から一階に移動してきた面々は、台所の広さや器具の数の問題から、食事準備組と引き続き勉強組に分かれた。
 食事準備組は忍足と鳳と樺地。
「それ、ほかしといて」
「は?『ほかす』?」
「ああ、捨てといてってこと」
「はあ」
「それと、コレなおしといて」
「………直すったって、別に壊れて無いじゃないですか、コレ」
「ああ、片付けといてってこと」
 忍足と鳳のちぐはぐな会話が、ダイニングと繋がっているカウンターキッチンから聞こえてくる中、勉強組はリビングに居た。
 とは言え、勉強組とは名ばかりで、ジローは案の定、3人掛けソファに横になって寝息を立てていたし、宍戸と岳人は勉強道具をほっぽりだしてテレビの前でリモコンを取り合っていた。
「金曜の夜7時と言ったらドラえもん!人類永遠の夢だろ!」
「お前その歳になってまだドラえもん観てんのか!?金曜夜7時って言ったらぐるナイだろ!?ゴチバトル見るんだよ!」
 ぎゃあぎゃあわあわあ喚いている二人を、優雅に一人掛けソファに腰掛けた跡部が半眼で睨む。広げていた参考書を音を立てて閉じた。
 そしてやおら叫ぶ。
「煩いテメェら!」
 ゴッ。
 跡部の投げた参考書が岳人の頭にクリーンヒットし、衝撃で岳人の手からすっぽ抜けたリモコンが宍戸の顔面を打つ。
『痛ぇっ!』
 同時に声を上げる二人の耳に、唐突に、忍足の声が聞こえた。
「はいはーい、メシやで〜」
 振り返ると、こんがりキツネ色に美味しそうに焼けた丸い物体をたくさん盛った大皿を手にした樺地と、飲み物を載せたトレイを持つ鳳、人数分の取り皿と箸を持った忍足が立っていた。
「あ、たこ焼き!」
 岳人の言葉に忍足が笑う。
「そ。でも普通のたこ焼きやないで」
「へ?」
 呆然と訊き返す岳人に、忍足はニヤリと笑んだ。
「何が入っているか分からんたこ焼き――通称闇ダコ」



「ルールは闇鍋と一緒な。一度箸を付けたもんは必ず食うこと」
『…………………』
 外から見た限りでは普通のたこ焼きに見える闇ダコを、宍戸と岳人は食い入るように見つめる。
 忍足が笑いながら取り皿と箸を配ってくれるが、それには目もくれない。
 料理の準備を手伝ったはずの樺地をちらりと見てみるが、樺地は普段通り、何を考えているのか分からない、焦点の定まらない瞳でウス、と答えた。
 何がウスなんだ、と岳人は内心つっこんで、次に鳳を見た。鳳も準備を手伝っていたのだから、中身を知っているのではないだろうか。そう思ったのだが―――。
 鳳は、岳人の視線に気付くと、複雑そうに笑顔を浮かべた。
 引き攣った口元に一抹の不安を覚え、見なければ良かったと思ったが、それももう後の祭りである。
「さ、食おか。ジロー起きやー。メシやで〜」
「…んあ?」
「聞くけど、食べ物以外のものなんて入ってないよな?」
「ああ、それは安心し。一応、ちゃんと食べれるモンしか入っとらんで」
 一応という言葉が胸の内にひっかかったが、そこはそれ。
「じゃ、いただきマス」
 岳人は箸を持って一つのたこ焼きを取った。小さくも無く大きくも無く。持った感触も、一見普通のたこ焼きであった。
「んー………」
 手を返して、下や上から眺めてみる。
「無駄無駄。外からは分からんよう、ちゃんとしたからな」
 忍足はとても嬉しそうに笑いながら、忍足自身も一つのたこ焼きを取る。
 それを口に運び―――。
「ん、当たり。しそチーズたこ焼きや」
「しそチーズ…」
「美味いんやで。これ」
 忍足は嬉しそうにそれを頬張っていたが、その時。
「ぐわっ!」
 宍戸が悲痛な叫び声を挙げて仰け反った。
「辛ッ!辛ッ!み、水!!」
「あ、わさび入り」
 忍足が平然と宍戸を見やる。その脇で、鳳が慌しくキッチンに駆けて行く。きっと水を取りに行ったのだろう。
 悶絶する宍戸の横で、次にジローがたこ焼きを口に運んでいた。
 まだ半覚醒状態なのかボーッと締まりのない表情をしていたが、咀嚼した瞬間、ジローの表情がぱあっと輝いた。
「何だこれ!おいC〜!!何コレ何コレ!」
 岳人はジローの箸の先に残ったたこ焼きの残り半分を見た。
「…お前、こんなの美味しいって思うのか?」
 たこ焼きの残り半分の中に入っていたのは、黄色い物体―――パイナップル。
「おいしーじゃん!トロピカルで」
「たこ焼きとトロピカルは合わないだろ、普通」
「えー?何なら食ってみてよ。美味しいから」
「ンな食いかけ、要らない」
 岳人とジローが不毛な会話を繰り広げていると、その横で樺地が何やらずっとくちゃくちゃと口元を動かしていることに忍足が気付いた。
「樺地何食ったんや?」
「…ウス」
 表情を全く変えずに頬張り続ける樺地に忍足は首をかしげていたが、丁度キッチンから戻ってきた鳳がその様子を見て、苦笑いしながら言った。
「アレじゃないですか?一粒300メートルの」
「ああ、グリコか!」
「そんなもんまで入れたのかお前!!」
 鳳の手から水で満たされたグラスをひったくって一気に呷った宍戸が叫ぶ。
「美味しいやろ、グリコキャラメル」
「それ自体は美味いかもしれんけどな、たこ焼きに入れて美味いわけがないだろ!?」
「味が予想できへんからこそ闇ダコやんか。何を今更」
「………………」
 宍戸が言い返す言葉が思い浮かばず、空しく口をパクパク動かしていると、跡部が山と盛られたたこ焼きから一つを箸に取った。
「あ、跡部とうとう取ったな!それ何が入ってても絶対全部食うんだぞ!絶対!」
「うっせぇな、岳人」
 跡部は半眼で岳人を睨み、そしてたこ焼きを口に運んだ。半分を齧って二、三度頬張ってから、跡部は呆れたようにたこ焼きの中身を見た。
「忍足、こんなもんまで入れたのか?」
「あ、ウニ!」
「何か冷蔵庫に残っとったから入れてみた」
「なかなか美味だ」
 跡部はそう言って残りのたこ焼きを満足そうに食した。
「”俺様の美味に酔いな”」
「侑士似てる!似てる!」
「…………お前ら…」
 ぴくぴくとこめかみを震わせながら、跡部が心底嫌そうに二人を睨む。
「岳人、お前もいい加減に食え」
 跡部に言われて我に返ると、確かに岳人が手にした箸には、一つのたこ焼きが挟まれていた。
「…………」
 跡部の言葉で失語状態から回復した宍戸や、パイナップルたこ焼きの余韻に未だ浸っていたジローが、岳人を見た。
 岳人は余人たちの視線に仕方なく、たこ焼きを口元に運んだ。
 だが口に入れようとした瞬間、たこ焼きから普通では有り得ない匂いが立ち昇ってきて、岳人の鼻腔を刺激する。
「なあ侑士…何かこのたこ焼き、甘ったるーい匂いがすんだけど…」
「んー?さあ何が入ってんねやろな?まあ食べてみたら分かるわ」
 嬉しそうに笑う忍足に岳人は少々うそ寒さを覚えながらも、おそるおそるたこ焼きを口に含んだ。
 普通なら一口で食べられる大きさのたこ焼きだが、何が入っているか分からない恐怖から、岳人は半分だけを口に入れる。
 アツアツのたこ焼きの身に混じって、じわりと口の中に、液体とも固体ともつかないような、微妙な感触の甘いモノが広がる。
「チョコボールたこ焼きやな」
 箸に半分残ったたこ焼きを見て、忍足は嬉しそうに言った。
「げッ!」
 岳人は思わず取り皿に残り半分を捨てるように放った。
「あ、全部食べんといかんで、岳人」
「いいなソレ!美味そう!」
「美味いわけねぇー!!」
 羨ましそうに見てくるジローに八つ当たる岳人だが、ジローは全く気にしない。
「いいなー!どれだチョコボールたこ焼き!これか!?」
 ジローは手当たり次第たこ焼きを食べ始める。
「く〜〜〜〜っ、しょっぱい!」
「あ、いかの塩辛入り」
「うおー!酸っぱい!」
「梅干丸ごと入り。種に気ぃ付けや」
「何コレ伸びる〜!」
「納豆やな」
「ぎゃ!渋い!」
「渋柿かな?」
「ぬるぬるー」
「なめこ」



 闇ダコを存分に楽しんだジローは晴れやかな顔で、またやろうな!とウキウキと弾む声で言ったが、他の面々は、流石に顔色が優れなかった。
 そんな全員を見回して、忍足は言った。
「さ、じゃー遊びも終わったことやし、普通のたこ焼き食べよか」
「え?」
 岳人は予想していなかった一言に目を瞬かせる。
「さすがにこれだけやったら後味悪いやろ。それにみんな、今まで自分でたこ焼き焼いたって経験、あまりないんとちゃうかなと思て」
 振り返ると、ダイニングのテーブルの上に球状の焼き型が20個ほど並んだ鉄板が置いてある。
 油を含んだ鉄板を見る限り、闇ダコもこれで準備したのだろう。
 岳人が目を輝かせて鉄板を見た。
「やっぱ関西人ってみんなたこ焼き機持ってるもんなの?」
「…別に関西人みんなの家にたこ焼きプレートがあるわけやないんやけどな……っと」
 背後に人が立った気配がしたので振り向くと、樺地が立っていた。
「ああ、樺地、材料持って来てくれたんやな。そこ置いといて」
「ウス」
 樺地は、小麦粉を溶いて卵を加えたものが入ったボウルと、一口大に切ったタコが盛られた皿を置いた。他にも、天かすやネギ、紅生姜が用意される。
「さ、じゃあ普通のたこ焼き焼こか」
 忍足はたこ焼き用の短い錐を持って、ニッコリ笑った。


 その後、自分で焼いたたこ焼きの形の品評会などを行って一同はわいわいと楽しんだが、ついぞ勉強会が再開されることは無かった。



<了>




※あとがき※