『Black Lie』




「お疲れ様、みんなよく頑張ったね」
 乾がそう言いながら、手に持ったデータノートにさらさらと何やら書いている。きっと今の筋力強化トレーニングについての各選手分析結果でも書いているのだろう。
「休憩?休憩?」
「そうだね…じゃあ10分間休憩」
「やったーっ!!」
 英二が大きく万歳をして、そのままごろんと地面に転がる。そしてそのまま身体を横転させると、同じく地面に倒れこんだ生意気な一年生ルーキーが目に入った。
「さすがのおチビも疲れたのかにゃ〜?」
 横になって帽子でぱたぱたと風を送っていたリョーマの頭をぐりぐりと小突きながら言う英二。
「…別に」
「あらまあ、強がっちゃって」
 言いながら傍らにどっかと腰を下ろしたのは桃。
「ただ…たくさんかいた汗を登別の湯で流せたら気持ちいいだろうなーって思って」
「…登別?」
「今はまってるんス」
「あ、そう…」
「あったかい御飯に焼き魚とか食いたいっすね。その後番茶を飲んで…」
「おチビ…じじくさいぞ」
「お前、それは中一の嗜好じゃねーだろう」
 思わず英二と桃がそう漏らすと、リョーマはムッとしたように上半身を起こした。
 英二もそれにつられて身を起こすと、リョーマは憮然とした表情で暫く二人の先輩を見詰めていたが、ややあった後、一瞬、口の端をきゅっと吊り上げた。
「そういや先輩、こんな話知ってます?」
「?どんな?」
 几帳面にも英二がそう尋ねると、リョーマは無表情のままで答えた。
「あるアメリカの医学部の大学教授で、人間の感じる痛みについて研究した人がいたんです」
「ふむふむ」
「その人は、痛みを数値化して表す為に、まず単位を決めたんです。1cmの鼻毛を引っ張って抜く時の痛みを1鼻毛って」
「は、鼻毛!?」
「分かりやすいでしょ?」
「いや、分かりやす過ぎだろう…」
 驚く英二と脱力したような呟きを漏らす桃。
 そんな二人を全く意に介さないように、リョーマは続ける。
「んでその人の統計によると、こむら返り起こした時の痛みが100鼻毛、アキレス腱切った時の痛みが1万鼻毛」
「ってーことは…こむら返りした時は1cmの鼻毛100本を一気に引き抜いた痛みと同じってこと?」
 英二の問いにリョーマが頷く。
「ええ。んで、出産の時の痛みが1ギガトン鼻毛だって」
「ギガトン…?」
「へぇ!!凄いんだなぁ、産みの苦しみって!オレの母さん、5人も生んで大変だったろうな〜」
 疑問符を頭の上に浮かべている桃と、純粋になにやら感動している英二。
 そんな対照的な二人を見、リョーマは不敵な笑みを浮かべ、そして言う。
「んなの、嘘に決まってるでしょう。どこの研究者に鼻毛なんてイロモノ単位付けるのがいるんですか」
「…おい」
「えっ嘘ぉ〜!?」
 リョーマは、こめかみをひくつかせながら低い声ですごむ桃と、素っ頓狂な声を上げる英二の二人をちらりと一瞥して傲岸不遜に言い放った。
「…You're jerk.」
 軽侮の念をたっぷり込め、リョーマは鼻で笑う。
「…さ〜、ストレッチしよ」
 リョーマは意地悪げな表情を満面に浮かべながら、ラケットを持って立ち上がる。
「…エージ先輩、今の、どういう意味っすか??」
「…さあ?」
「馬鹿にされてるぞ、菊丸、桃城」
 首をかしげた菊丸に、背後から感情の篭もらない声がかかる。
「手塚」
 振り返ると、手塚と大石が立っていた。
「英二…jerkってのは、間抜け、とか、世間知らずってことだよ」
 大石が苦笑いをしながらそう言うと、手塚がその言葉の後を淡々と継いだ。
「主に、人をけなす時に使う」

 手塚の言葉をすぐに頭で理解できず、しばしの時が流れる。
 呆然とする二人。

 ちっちっちっちーん。

『ッなに〜!?』
 二人同時に我に返り、声を上げる。
「越前っ!!」
「おチビっ!!」
 叫んでリョーマの姿を探すと、生意気な一年生ルーキーは既に二人の間合いにはいなかった。
 ちゃっかりコートの外に出て、安全地帯に避難している。
「まだまだだね」
 遠いところからそう言って、リョーマが小さく舌を出した。
「くっそ〜!!オレ本気で信じたんだかんな!!」
「待て、越前!!」
 英二と桃は逃げ出すリョーマを捕まえるべく、先ほどの疲れは何処へやら駆け出した。

「…まだ元気みたいだね。休憩要らなかったかな?」
 乾はそう小さく呟いて、データノートをぱたんと閉じた。
「三人は後でグラウンド20周だ」
「手塚、今日のところは勘弁してあげたら?」
「…………」


<了>



※あとがき※