※この話は『15歳恋愛事情3』の後の話です。先に『15歳恋愛事情3』を読んでいただくことをお薦めします。



「なんか今年は人多いなー」
「本当だね。天気がいいからかな?」
「あんたたち、またはぐれたりしないでよ?いつかの夏祭りの時みたいに」
「やだな姉さん、いつまでも昔のことひきずって」
「そうそう。俺達、もうガキじゃないんだから」
「何言ってんの、あたしから見たらあんたたちなんてまだまだ子供よ」
 由美子はそう言って口角を上げて笑い、不二と裕太の肩を抱いた。
「それとも大人だってんなら、一緒に笹酒貰って飲みましょうか」
「由美子」
 窘めるような母の口調に、由美子はぱっと二人の弟から手を離した。
「冗談よお母さん」



『笑顔×涙×笑顔』



 いつもは閑散としているが、毎年この日はたくさんの人で賑わう。そう、元旦のこの日には。
 穏やかな天候に誘われてか、例年に比べ、初詣客がかなり多い。少し目を離せば家族とはぐれてしまうのは必至だろう。
「でも由美子の言う通り、はぐれないよう気を付けなくちゃね」
 母親がそう言った時、不二の耳は、不意に雑踏の中から聞き慣れた声を拾い上げていた。
 反射的に振り返ると、見慣れた外ハネの髪が、たくさんの初詣客の間からちらりと覗くのが見えた。
「あ」
「何してるの、周助?お母さんたち、行っちゃうわよ」
「いや、今、英二が…」
 不二がそう言いかけた時、外ハネの後ろ頭が一瞬消え、唐突に人と人の隙間に英二の顔が現れた。
「あ!」
 英二がこちらの姿を認めて、ぴょこぴょこと飛び跳ねる。
「ふーじー!」
「あら」
 手を振りながら人の頭の上に現れては消える英二の姿に、隣にいた由美子が声を上げて笑いながら不二を振り返る。
「いつも元気ね、あの子」
 英二は、数秒の後、人の波を掻き分けて、不二姉弟の前にひょいと飛び出てきた。
「不二、あけましておめっとー!あ、お姉さんも、おめでとうございますです」
「ええ、おめでとう」
 無造作に、しかし深々と頭を下げる英二に、由美子がニッコリ微笑んだ直後、
「こら英二、勝手に動くんじゃな―――って、あれ?」
 英二が掻き分けてきた人垣を同じように縫って、英二の姉が現れた。
「あらー、不二君じゃない!」
「あけましておめでとうございます」
「うん、おめでとー…って、こちらは」
「姉の由美子です。いつも周助がお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ!いつも英二がお世話になって。英二は末っ子で甘やかされてばかりだから、他所様で迷惑かけてるんじゃないかっていつも心配しているんですよ」
 言いながら英二の姉は、わしわしと英二の頭を乱暴に撫でた。
 嫌そうに顔を顰めた英二は、身を退いて姉の手を躱し、そのまま不二の後ろに回りこむ。
「もー、いつもあれだよ。いつまで保護者面するつもりなんだろ」
 不二の肩越しに英二が憮然と呟いたその時、英二の母親が人ごみを掻き分けて現れた。
「何こんなところで立ち止まってるの?」
「母さん!今、不二君と不二君のお姉さんと…」
「あら、不二さん!」
「菊丸さん」
 気付くと、姉の由美子の陰から、不二の母親も顔を覗かせていた。
「あけましておめでとうございます」
 お互い丁寧に頭を下げる不二の母と、英二の母。
「いつも英二がお世話になって」
「いえ、こちらこそ周助がお世話になって…。今日は皆様でこちらに?」
「ええ、久々に家族全員が揃って。みんな大きくなるとなかなか家に居てくれないんですけど。そういえば―――」
「…ありゃ長くなりそうだな…」
 完全に足を止めて井戸端会議モードに入った母親たちを横目に見つつ、英二はため息を吐いた。
「そうだね。でもまあ、母さんたちは懇談会以外にあまり顔を会わす機会もないだろうから、積もる話があるんじゃないのかな」
「それはそうかもしれないけど、待つ方の身にもなって欲しいよ……って、そうだ。不二、一緒にちょっとそこらへん回ろうよ。屋台がいっぱい出てるの見たんだ」
 英二はそう言って、不二の返事も待たずに声を上げた。
「母ちゃん、オレ、不二と一緒にちょっとそこらへん回ってくる」
「いいけど、迷子にならないでよ?」
「大丈夫大丈夫。何かあったら携帯に連絡入れるし。ほら行こ、不二!」
「うん」



「ふあー、今日はすんごい人多いよなー」
 人垣を掻き分けるように前進し、ようやっと少し人の空いている場所に出て、英二がそう呟いた。
「いつもこんなん?オレん家、いつもは別の神社に行くんだよ。今年は珍しく家族全員揃ったから、いつものとこに行った後で、少し遠出しよーってことになってココに来たんだけどさ」
 ここは不二の家に程近い神社だった。
 幼い頃、この神社の夏の縁日には毎年のように行っていたものだが、裕太がルドルフに入学して寮生活を始めてからのこの2年間は、行っていなかった。しかし不二家は、初詣だけは毎年欠かさず訪れている。
「そうだなぁ…例年はもうちょっと少ないと思うんだけど」
 例年の様子を思い出しながら不二がそう答えると、英二は辺りを見回して楽しそうに言った。
「ふーんそっか。でも屋台がいっぱいあって楽しいな!なんかお祭りみたいで」
「そう?夏の縁日の時はもっと立つよ。まだ先の話だけど、今年一緒に行く?」
「行く行く!」
 嬉しそうに頷いた英二は、ふと、立ち並ぶ屋台の一角に目を留めた。
「あ、たこ焼き!」
「ホントだ」
「二人でワリカンして食わない?」
「うん、いいよ」
「よっし、んじゃオレ買ってくるね」
 英二はそう言って、不二に目を向けたまま身を翻しかけた。
 だが急に踵を返した英二の前方に、不意に人が通りがかる。
「わっ!」
 唐突に視界に現れた人影に驚きつつ、持ち前の反射神経で英二が飛び退く。
 しかしそこには先客が居た。
「きゃっ!」
 細身のパステルカラーのコートに身を包んだ女性に、英二は見事に肩からタックルを食らわす。
「!」
 ぐらりと体勢を崩した女性に、不二は咄嗟に腕を差し伸べて支えた。
「あ、ありがとう、助かったわ」
 不二の腕から身を起こして女性がそう言った瞬間、英二の目が驚愕で見開かれた。
 英二の劇的な表情の変化を見て、不二は改めて女性の顔を見る。
 黒目勝ちな大きな目に、形の整った小振りな鼻。そして艶やかな長い髪。
 どこかで見たような気がする顔だった。しかしどこで見たのか思い出せない不二の耳に、英二の呆然とした呟きが響いた。
「美也さん…」
「え?」
 英二の声に振り向いた女性は、英二を認めて大きな目を更に大きく見開いた。
「あら、英二君!久しぶり!」
「あ…うん」
 不意の再会に喜ぶ美也の笑顔につられて英二も口元を綻ばせるが、下がり気味の眉が、困惑気味に揺れる瞳が、英二の方は心の底から喜んではいないことを表していた。
 不二は複雑な気持ちで、そんな英二を見た。
 好きという気持ちに気付かず、彼女が手の届かない所に行ってしまってからそれに気付いた英二。
 失ったものの大きさに打ちひしがれ、彼女の幸せを喜べないと言いながら涙を流した英二の姿が、目の前の英二と重なる。
 あの日から、まださほど経っていない。
(まだ英二の中で、決着が着いてないんだろうな…)
「ん…?英二君、ちょっと元気無い?」
 美也も英二の様子に気付いたようで、心配そうに額を曇らせて英二の目を覗き込む。
 刹那、ぱっと目を逸らせて、英二は身を引いた。そして美也と少しばかり距離を取って、英二は改めて顔を向ける。
 そこにはいつも通りの、満面の笑顔が張り付いていた。
「んなことないよ!元気元気!」
「そう…?」
 美也はまだ心配そうに表情を翳らせたまま、そう呟く。
 その時、口元に添えられた左手から、チカっと眩い光が放たれた。
「あ、美也さん、それ結婚指輪?」
 英二は無邪気そうに、美也の左手の薬指を指差す。
「え?あ…うん、そうよ」
 はにかみながら言う美也の頬が、瞬間的に朱に染まった。しかし、恥ずかしそうにしながらも愛しそうに指輪を撫でる手つきは、とても優しい。
 その様子に、本当に相手の人を愛しているんだなと不二が感じた時、美也の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「美也ちゃ…あれ?」
「あ、タケト君」
 美也の視線が向いた先に、美也の名前を呼んだ人物が立っていた。
 りんご飴を持ちながら柔和そうな雰囲気を纏ったその人物は、ラフな出で立ちも相まって一瞬高校生くらいに見えた。どうも、男にしては大きな目が実際よりも若い印象を与えているようである。
 男の足元から大きな犬がぬっと出てきて、美也の足に擦り寄る。よく見れば、犬の陰に猫の姿もあり、こちらは屈んだ美也の膝に飛び乗ってくる。
「知り合い?」
「お店の常連さん。ほら、私言ってたでしょ?テニスが凄く強い男の子…」
「ああ、英二君」
「!」
 タケトが自分の名を口にして、英二は驚いてタケトと美也を見た。
「よく聞かされてたから覚えちゃったんだよ」
 タケトが人好きのする笑顔で笑いながら、物問いたげな英二の視線に応えた――――その時。
 タケトの隙を突き、タケトの飼い犬らしい大きな犬がすかさず、タケトの手に握られていたりんご飴目掛けて飛び掛かった。
「あ!こら、サルサ!」
 タケトがそう叫ぶのも空しく、サルサという名らしい犬は、りんご飴を咥え、素早く人の足の合間を抜けてどこかへ駆け去って行く。
「もー、サルサのヤツ〜!そのうち糖尿病で死んじゃっても知らないからな」
 ぼやくタケトに美也が可笑しそうに笑う。
「相変わらずね、サルサ」
 猫の喉を掻いてやりながら、美也は、成り行きを呆然と見ていた英二を見上げた。
「この人がね、私の未来のだんな様」
 美也の言葉に、タケトが頬を紅く染める。
「ちょっと美也ちゃん…その言葉、結構恥ずかしいんだけど…」
「本当のことだからいいじゃない」
 美也も照れくさそうにしながらも、ニッコリと笑ってそう言った。
 恥じらいを含みながらもお互いを慈しむような視線を交わす二人は、とてもお似合いのカップルに見えた。そして二人とも幸福の中にいることが、一目で見て取れた。
「…………………」
 英二は暫く無言で二人を見ていた。
 二人はまだ、恥ずかしいだの何だのひそひそと言い合っている。
 沈黙を続ける英二の様子にいたたまれなくなって、不二が口を開こうとしたが、その前に英二の声が不二の動きを遮った。
「美也さん」
 英二の呼びかけに美也が振り返る。
「なあに?」
 にこりと微笑みながら尋ね返す美也に、英二は少し間を置いて言った。ニッコリと、美也の笑顔を映したような穏やかな笑顔で。
「美也さん、結婚おめでと。えっと、タケトさんも」
 軽やかに英二の口から滑り出た言葉に、不二は目を見開く。
 しかし不二の驚きを他所に、タケトは恥ずかしそうに礼を言い、美也は嬉しそうに瞳を輝かせた。
「ありがとう、英二君」




「英二」
 タケトと美也が肩を並べて歩いていく様子を眺める英二に向かってそう呼びかけると、英二は一回肩で大きく息を吐いて振り返った。
「オレ、ちゃんと笑ってた?」
 悪戯めかした表情が大部分を占めながら、少し辛そうな色を含んだ瞳を隠せずにいる英二に、不二は気付かないフリをして頷いた。
「うん、大丈夫だったよ」
「…いい人みたいだったなー」
「…敗けたって思ってる?」
 冗談めかした不二の軽口に、英二が笑う。
「にゃはは。いや、そういうんじゃないけど。あの人だったら、美也さんは幸せだろーなーって」
 英二は頭の後ろで手を組み、再び二人が去った方向を見やる。
「…美也さんがオレのことを、婚約者によく話してくれてたって知って、なんか胸の中のつっかえが取れたよーな気がしたんだ。美也さんにとって、オレがどういう風な存在で受け取られてたか…それははっきりとは分からないけど、少なくともただの常連客その一じゃなかったって分かったから」
 思い出を辿るように遠くを眺める英二の横顔に、不二は努めて優しく言った。
「…偉かったね、英二」
「…………………」
 返答の代わりに、沈黙が訪れる。
 まるで二人の周りだけが異世界になってしまったかのように、雑踏の中、しんと静まり返る。
「…………あめ」
「飴?」
「…雨が降ってきたらいいんだけどなー…」
 唐突な発言に意味が解らず振り返ると、英二の横顔に一筋、涙が見えた。
「ちょっとはずみで出ちった」
 笑いながら、英二は手の甲で涙の雫を拭った。
 しかし、少し赤くなった目はスッキリとした清々しさに満ちていて、先ほどの翳りは完全に消えていた。
 英二は涙に濡れた手をジャケットの中に突っ込み、にかっと笑った。
「さ、不二!色々見て回ろうぜ」
「そうだね」
 不二は英二の笑顔につられて笑いながら、先に足を踏み出した英二の後を追った。



<了>




※あとがき※