特別「気胸」入院日記
MIDNIGHT RENDEZVOUS


作成開始2003年9月21日
追加更新2006年9月16日
2003年(平成15年)8月25日から9月19日まで「気胸」と言う病気で入院しました。
発作が起これば再入院で手術です、入院時の心の不安を記録してみました。


目次
1 入院までの経過 2 入院1日目〜5日目 3 入院6日目〜10日目
4 入院11日目〜15日目 5 入院16日目〜19日目 6 20日目〜25日目退院
食欲 その後

お世話になった病院・科 ホームページURL
奈良県生駒市
医療法人和幸会阪奈中央病院 内科
"担当医"栗岡宏彰医師   3A病棟

http://www.wakoucai.or.jp/cyuou/cyuou-index.htm
 途中手術の為転院
奈良県生駒市
近畿大学医学部奈良病院  外科
3A病棟
胸部外科(でも肺が元に戻って手術中止、再発時は直に手術)

http://www.kindainara.com/

双方の病院関係者の皆さんには大変お世話になりました、有難う御座いました。

気胸?
肺に突然穴が開き、空気が胸腔内に漏れて肺が圧迫されて縮んでしまう病気で、突然かなり激しい胸の痛みに襲
われ、息苦しさや咳などの症状を伴います 。
人によって若干の症状の違いがあるそうです、私の場合は息苦しいのと肩甲骨の付近が凝って息が出来なくなっ
てきます、そして上半身に冷や汗をかきます。。


入院までの経過
今から15〜6年前から気管支喘息・肺気腫といわれて毎年季節の変わり目に再発し通院をしていました。
 今年も5月ころから体調を崩し始めました。
 病院には7月25日にかかり始め薬を服用したり、その後息苦しい時は点滴受けたりしていました。
 8月23日(土)午後から散髪に行ったころから息苦しさが始まり夜になっても収まらず、急遽阪奈中央病院で診察
を受け点滴後帰宅、日曜日は自宅で寝て居りました。
 8月25日若干の息苦しさがありましたがいつもの通り出勤、生駒駅から近鉄東大阪線に乗車しました、新石切駅
付近から座っていても次第に息苦しくなっていたたまれず長田駅で下車、ホームの冷房の下でしばらく休みました、
救急車を頼もうかと一瞬思いましたが、大阪府内では入院となった場合、看病で通う家族の大変さを考え生駒市ま
で戻ることにしました。
 妻に連絡して生駒駅から病院に送ってもらいました。
 午前8時30分受診の手続きを終え、診察前の体温・血圧、酸素率の測定を済ませ診療科室の前で椅子に座って
待っていました、通りかかった看護師(線がキャプに入っていた・・)さんが私の息苦しいさを見て外来措置室のベッ
トに寝かせてくれました、そして酸素率を測定してくれました、すると体内の酸素率は「92」「93」、酸素吸引、直に
栗岡ドクターが診察くれました「・・・投与している薬が効果ないとは?」、そしてドクターの指示で血液、レントゲン、
心電図検査が行われた結果「左気胸」と病名が判明し、即入院となりました。

入院日記
1日目
8月25日(月)
 酸素吸引マスク(5L/min)を受け内科処置室でド
クターから左側脇から左肺に管を挿入して胸腔内の
漏れ出した空気を抜く措置を受け病棟に移動、吸引
装置が付いたためベットからしばらく離れられない。
 体の自由が無い、こんな生活考えた事なかった。
 3人部屋に移動、息苦しい。
 この吸引で肺が元通りにふくらみ空気漏れがなく
なれば良いのだが。
2日目
8月26日(火)
 ベットから離れる自由のない生活、夜は殆ど寝る事が出来なかった、頭はパニック状態である。
 寝返りも上手く出来ないし、それと、同室の1名の方が寝られないとかで一晩中部屋を出たり入っ
たり、挿入した管の傷のチクとする痛み共にスリッパの音が気になって、辛抱辛抱を言いながら夜
を明かした。
 まだ息苦しい酸素率も「95」「96」,酸素吸引マスク(レベル5)であった。
 テレビも見たくない。
3日目
8月27日(水)
 夜になるとスリッパの音が気になって、しかし、寝る体位も右側を下にしたり出来る様になったこと
から少し寝る事が出来たような・・?
 部屋から一歩も出ることが出来ない、2メートル弱の幅のカーテンに仕切られた空間しか眺めるし
か出来ない、見えると言えば入口の出入りの人の姿、隣接する建物の壁、気分転換に廊下を散歩
出来ればと思いつつ、楽しみは食事、味覚が少し回復した。
 ストレスが取れない、気が変になりそう、酸素率も「95」「96」,酸素吸引マスク(5L/min)であっ
た。
 まだテレビを見ても集中できない、ラジオも聞く気になれない。
 明日は主治医が休みと聞くと不安
4日目
月28日(木
 比較的寝る事が出来たようで、吸引のため挿入さ
れている管も時々「チクリ」とする程度で違和感が無
くなって来た。
 ただ、まだ左側を下にした体位は上手く取れない、
息苦しさは少し改善してきた、朝の酸素率も「96」
「97」。
 今日の朝食のデザートは「ぶどう」、久し振りにハ
ガキサイズの絵を描く気になった、しかし直に疲れて
横になる、再び描いて仕上げた。
 15×9cmのサイズで描くには大変な体力・気力
が必要な事を知った。
 昨夜妻から「これでタバコとオサバラですね」、私
「これ以上吸わないよ」と答えたのに描いている途
中でふとタバコを吸う姿勢になった・・習慣て恐ろし
い。
 本当にタバコやめる事出来るのかな・・・?、しかし
こんな息苦しい思いはしたくない、多分辞めるでしょ
う。
 夜る子供達が見舞いに来てくれて一家揃って嬉し
かった。

 (大阪教育大池田小学校、児童殺人事件の宅間
被告に死刑判決)
5日目
8月29日(金)
 あまり寝る事が出来なかった、深夜NHKーFM深夜便を聞き時間を過ごした。
 朝の酸素率も「96」「97」、酸素吸引を外すとやっぱりまだ息苦しい、本当に良くなるのだろう
か?
 今日の朝食のデザートは洋梨、ハガキ絵を描くが途中で息苦しくなって中断、寝て気分が回復後
絵を仕上げた。
 今日もベットにつながれいて、ああ頭がおかしくなって来た。
 繋がればなしの犬が、散歩に連れて行けと鳴いている気持ちが判る様な気がする。
 看護師さん等に励ましを受ける・・・・感謝・・頑張らなくては。
 午後4時父(89歳)が妻に連れられ見舞いに来てくれた「顔色が良いな」と言って安心して帰って
行った。
 心配かけてすまないと思う。

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6日目
8月30日(土)

"比較的寝る事が出来た、息苦しさも若干ましだ(酸
素率96〜97)
 今日の朝食のデザートはスイカ、20分程の描く作
業、集中すると疲れた、少し寝る。
 午前9時レントゲン検査、病棟に戻ると吸引装置の
一時外してくれた、吸った時と吐いた時の各1枚、肺
が元に戻っている事を祈る。
 9月1日(月)に再度レントゲン検査、肺の状態が元
に戻った状態であれば挿入した管は抜いてもらえる
との主治医からの説明であった。
 しかし、まだ点滴と酸素吸引を続けているので手
洗・便所へ行く許可は出ていない、今しばらくベットの
周りを起きたり座ったり、ストレスが溜まる。
 同室の寝られないと言って歩き回る人が明日退
院、少しスリッパの音に慣れて来たのに一時は音が
気になって気が狂いそうであった、今夜で終わりだ。

7日目
8月31日(日)
 何となく寝たような寝なかったような、朝のデザートもなし、病棟内の雰囲気もやっぱり日曜日なん
だ、のんびりした空気が漂っている。
午後9時になって吸引中の酸素が5L/minから3L/min変更になった。

点滴の時間の調節

 入院してから今日まで点滴が続いている、1袋8時間、時間の調節が大変である、看護師さんに
よって腕時計を添えて落ちる回数を調節する人、今までの経験則で調整する人、点滴を受けている
人の体位でも速度が変わるそうだ、そのために時々点検しに来ては調節するのでほぼ時間通りに
交換される・・・・大変な仕事だ。

清潔かな不潔かな

 ベットから離れないので手洗いは全く出来ない、朝は暖かいタオルが貰えるので顔や手を拭くこと
が出来るが、後は食事前、排尿後手洗いが出来ないので、妻にウェットタオル(アルコール殺菌)を
買ってきてもらい使用した。
頼めば手拭が出来たのだろうと思う・・?トイレに行けないから排尿の措置をしてもらっていたから気
が引けて・・・・
 今日はこんなこと考えたのは気持に少し余裕があるのかな・・?
 酸素率「96〜97」でもそんなに息苦しい感じはない。
8日目
9月1日(月)

 朝食に輪切りのキューイフルーツのデザート、気持
ち良くハガキ絵を描けた。
 午前9時レントゲン検査、朝は少し右肩甲骨の付近
が痛かったが、息苦しいとは感じなかった、上手く行
けば挿入管を取り除いてもらえるのだが・・?
 午前11時ころ母(83歳)が孫(私の長男)に連れら
れて見舞いに来てくれた。 
 「この際悪いところを徹底して治しもらうよ」と伝え
た、顔を見て安心して帰って行った。
 午後0時過ぎ妻が来る、レントゲンの結果まだかと
尋ねられたが・・・・・主治医からまだと答えると着替
えを置いて今日は用事があるから来れないと帰って
行った。

ショック

 午後5時主治医から肺の状態は元に戻っていませ
ん(入院時と同じ)、もう一度吸引装置を木曜日(4日
まで)取り付けますと遠慮がちに説明があった。
 残念な結果だ、再びベットに繋がれてしまった、冷
静にと思うが、頭は真白、パニック、精神的におかし
くなりそうだ、でも頑張らなくっては治らないと自分に
言い聞かせた。
 夕食時妻の知人Mさんが見舞いに来てくれた、再
び吸引装置を取り付けられた話をすると慰めて頂い
た。
 夕食は精神的ショックのあまり味覚感覚が全く無く
なっていた。
 午後8時ごろまでに吸引装置の調子が悪く止まっ
て2回調整してもらう、そんな事から息苦しくなり、脈
拍が速くなり気分が悪く、八つ当たりしたい様な、大
声を出したい気持になった。
9日目
9月2日(火)
 夜は一睡も出来ず朝を迎えた。
 吸引装置の調子が悪かったのも手伝って、朝方は人の話し声、足音全てが気になり出して腹立ち
さを覚える、大声出したいような、頭が変になりそうだ、ストレスがピークだ。
 TVも見たくない、ラジオも聞きたくない、朝食も美味しくない、デザートのバナナを食べずに残して
おいた。
 朝から入れ替わり看護婦さんが様子を見にきてくれる、思っていることを話すと少し気持ちが楽に
なった。(退院してから思った・・・我がままを言って、嫌な思いをさせました・・・色々慰め頂いて有難
う御座いました。)
 午後になって爪も伸びて来たので看護婦さんから爪切りを借りて爪切り、良い気分転換を図れ
た、そして動ける範囲を折の中の熊のように・・・?
 依然TV,ラジオを聞く気になれず。
 午後4時入院時から続けられていた点滴が終わった、抗生物質の点滴がしばらく午前・午後に1
回ある。
 酸素吸入いているが、後は胸腔内の吸引が終われば自由に歩けるのだが・・・辛抱、辛抱。
 夜になって気持ちが落ち着いたのでババナ(朝のデザート)をハガキ絵の描く、1本のバナナを工
夫してみた。
10日目
9月3日(水)
 深夜少し寝ることが出来たがベットリした汗をかいた、でも体温を測ってみたが35,4℃、体調は
よろしくない、体が緊張したような状態で息苦しい、朝食後薬を服用、気分悪くなる、看護婦さんに
血圧測定してもらうと上140であった、いつもの120前後より高い、ベットの頭の部分を少し高くして
もらって寝る、少し眠る事が出来た。
 昼食も味覚なし、薬服用ドキドキ感あり、急遽レントゲン撮影・・結果は肺は膨らんできている。
 悪い結果でなくって良かった。
 窓の外は残暑が厳しそう、昨夜は冷房が止まると蒸し熱く感じた・・・これが体調不良になったの
かな?
 夕食少し味覚が回復したが何となく義務的に食べている感じ。

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11日目
9月4日(木)
寝たのか、寝なかったのか?でも気分は悪くない、朝食も美味しい。
午前中看護婦さんに足湯と体を拭いて頂く、気持ちが良く、息苦しさもない。
午後になって主治医が回診、昨日のレントゲン検査で肺の状態が回復しているので明日の午後のレ
ントゲン検査まで吸引装置から一時的に開放してくれる事になった、3A病棟内、便所へは自由に行
ける許可を頂いた、嬉しい早速部屋から出てうろうろ、看護婦さん、ヘルパーさんから「良かったね」と
声を架けて頂いた、嬉しかった。

自宅の電話番号が思い出せない

公衆電話で家に電話しょうとしましたが電話番号を2回も間違えた「あれ・・・・・何番だったかな」結局
電話せず部屋に戻るショック、最近は携帯電話に頼りきり登録した名前を押せば済む、番号を押す事
もない、機械は進歩しているが人は後退している。
12日目
9月5日(金)
 よく寝ることが出来たかな?
 細切れに寝ている22時から1時ま
で、目が開くとNHK−FMの深夜便を
聞く、2時から夜明けまではうとうと、気
分もそんなに悪くはない、朝の酸素率
は「97〜8」
 朝食にオレンジ2切れが付いて来
た、ハガキ絵を描くが20分ぐらいで気
持ちが集中出来なくなりしばらく寝
る・・・シマッタ酸素吸引忘れていた。
 一寝入りしてから絵を仕上げた、寝た
い時に寝るのが一番良いのかもしれな
い、2枚目は昼寝後描いた。
 午後2時レントゲン検査へ、右側肩甲
骨付近が痛い、よい結果は期待できな
いかな。
 午後4時栗岡ドクター回診、肺の状態
は回復していません、胸部外科の専門
医の居る病院で手術が必要です、家
から近い近畿大学医学部奈良病院か
希望の病院があれば紹介しますとの
説明を受けた、頭が真白になった。
 再再度吸引装置のお世話になる事に
なった。
 日曜から火曜日まで妻は旅行の予
定なのに。
 今日午前中に来た妻には病院から連
絡して頂き午後8時に主治医から妻と
娘に私の病気の状態と手術になる旨
の説明があった。
13日目
9月6日(土)
入院中、いつも寝ているので朝と言っても清清しいと言う事はない、久し振りにTV観るが、目が疲れ
て集中してみる事が出来ない、やっぱり寝不足かな?
午前9時胸部CT撮影(転院のための検査)検査のため一時的に吸引装置の管をはずしてもらうと、な
んだか気持ちがほっとした。
 CT検査が終わると吸引装置の管につながれてしまった、治すためには仕方がないのだが、午後に
なって右肩甲骨付近少し痛い、午後6時妻食事にあわせて果物を持って来てくれたが胸が一杯にな
って食べられなかった・・・感謝。
明日から妻は旅行、一時は中止も言っていたのだが、子供達とも相談して私の病状が大きく変化す
る事もないので、悩んだ末旅行に行く事になった、妻が旅行中は長男が毎日病院に来てくれるそう
だ。
14日目
9月7日(日)
比較的良く眠る事が出来た、吸引装置
が快調に動いていたためかな、入院生
活にも慣れたのかな、午前中栗岡ドク
ター回診、私のホームページを観て頂
いたそうで褒めて頂く、気分が良かった
ので手鏡に写った自画像と巨峰を描い
た。
 看護婦さんに私が絵のホームページ
を持っている話をしたところ観て頂いた
ようでBBSに書き込みして頂いた。
15日目
9月8日(月)
今日も比較的眠る事が出来た、吸引装置も快調に動いている。
夜長男来る、ホームページBBSに返信を書いてくれるように頼んであったが、忘れたとの事であっ
た。

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16日目
9月9日(火)
夜中何回も目を覚ます、その度にラジオを聞く、酸素率「97〜8」息苦しい事もない
朝食のデザートに巨峰3粒、ハガキ絵は6粒に工夫して描いた。
外は暑そう・・描き終わるとタバコが恋しく感じた、辞めると誓ったのに、まだまだ40年の喫煙の習
慣から抜け切っていない様だ。
明日転院先の近畿大学医学部奈良病院へ妻に紹介状を持って行ってことになった。
手術・・不安
17日目
9月10日(水)
何時もながらの朝の目覚め、朝食は美味しい、今日は1名退院、1名は明日夕方まで外泊(自宅)
新たな人との出会いがあるのか?
妻午前中に紹介状を持って近畿大学医学部奈良病院へ、昼食一人で静か、妻は午後3時ごろ転
院手続きを済ませ戻ってきた、12日(金)午前10時に阪奈中央病院の救急車で転院する事になっ
た。
今日も息苦しさなし、食事は美味しい
18日目
9月11日(木)
 まずまず寝る事が出来た、目が覚めてはNHK−FM深夜便を聞く、そして寝むければ寝る、一人
で静かに朝を迎えた。
 朝青空が美しい、今夜はお月見とか、今はベットに繋がれている状態、歩行の自由もないので名
月も見ることも出来ない・・・残念である。
 午前11時主治医回診、今まで描いたデザートの果物のハガキ絵差し上げる。
 病棟の婦長さん、ハガキ絵を観て頂いて、私のホームページも観て頂けるとか・・感謝
 午後病室から見える風景を描いた。
 夕方外泊していた方が戻られる、 今夜は2人
 台風14号が宮古島で風速74メートルとか、リンク先沖縄の源氏パイさんのところ大丈夫かな?
19日目
9月12日(金)
 転院の朝
 まずまず寝る事が出来たかな、時々起きてはラジオを聞いた。
 9時過ぎ看護婦さんが吸引装置のホースの口を止めてくれた。
 酸素吸入は続投、
 転院の時間が迫ってきて少し緊張気味、主任看護婦さんが先方まで付いて行ってくれるので安心
だ、ストレッチャーに乗せてもらって病棟をあとにした、廊下ですれ違う看護婦さん等に励ましの言葉
を頂いた、うれしかった。
 本当に皆さんお世話になりました。
午前10時、病院の救急車で転院先近畿大学医学部奈良病院に向った。
転院 午前10時30分近畿大学医学部奈良病院3A病棟に入院
午後からレントゲン、心電図、採血、午後4時30分CT撮影、その結果に基づいて来週に手術との
話で午後5時再び吸引装置を機械につながれた。
 しばらくして主治医がみえてCT撮影で診ると肺は元に戻っています。
 息苦しさもない事から酸素吸入、吸引装置も中止、挿入管も抜いてくれた酸素率は96であった。
 気持ちがリラックス出来た。
 今後はレントゲンでしばらく様子を見ることになった、肺がしぼんでしまったら、その時に挿入管を
また付けますとのこと、やれやれ、上手く行けば手術もしなくても良さそう・・嬉しい
 歩行はトイレはOKであるが、後はベットで安静にするこ・・との指示であった。

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20日目
9月13日(土)
主治医午前7時30分回診、胸の音変化なし・・
当分レントゲンで様子みて、肺の状態が悪くなれば吸引装置を取り付けますとの説明。
午前9時レントゲン検査、酸素率96〜7、息苦しさもないが右肩甲骨のところが少し痛い。
肺は正常のまま、うれしや。
 建設されて5年とっても綺麗な病棟、部屋は5人部屋、廊下も明るく広い、トイレ2時間おき、運動と
思えばいいか。
夕食イカのチリソース、美味しかった。
21日目
9月14日(日)
何となく寝て、夜中に目が冴え眠れない、FM放送は電波状況が良くなかった。
今日も朝息苦しさはない、酸素率98。
このまま行けば手術せずに退院かもしれないが全ては火曜日のレントゲン検査しだい、明日は老人
の日、健康であれば連休で滝を見に行っていただろうと思うと残念でならない。
妻、長男等が見舞いに来てくれた、1日1回家族の顔を見ないと落ち着かない、気が弱くなったのか
な?
22日目
9月15日(月)
老人に日
朝NHK〜TVに三浦雄一郎さんが出演されていた、印象に残った言葉は「歳をとっても目的を持つこ
と」「夢・勇気・諦めない・・・目的を成し遂げるために一歩を踏み出すこと」だそうだ。
午前10時担当医回診、肺音・・良好。
明日レントゲンと肺活量等の検査を行います、結果が良ければ退院して頂きます。
嬉しい反面不安もある。
今日は午後から入院22日目にして初めてシャワーを使った、何と壮快なことか、気持ちが良い
23日目
9月16日(火)
まずまず眠る事が出来た。
 午前9時から採血、レントゲン、肺活量の検査を受ける。
11時ドクター回診検査の結果、肺の状態がどうも良くありませんね、肺音も弱いし、午後になってト
イレ以外は安静にしておく様に、明日のレントゲン検査の結果が悪ければ吸引装置を付けます、あ
ーあー逆戻りか?
昨日の話では退院だったのに、一転して手術か?
午後からはひたすら安静に努め寝る、夕方妻・長男がコーヒーを持って来てくれた、久し振りのコー
ヒーは美味しかった。
歩行禁止のため夕食もベットのところでした。
24日目
9月17日(水)
 午前9時レントゲン検査に、不安な気持で検査に行ってので疲れた、戻って寝る。
 午前10時ドクター回診、今日のレントゲンの結果では明日退院してもよろしいですが、今度気胸
が起これば貴方の場合両肺が一度に破れる危険性が高く、その場合生命の保証は出来ません、
今度発病すれば救急車を依頼して病院に行ってください。
今後は定期的にレントゲン検査等を受けて頂きますとのことであった。
午後シャワーをする、気持ちが良かった。
退院の日
9月18日(木)
退院と思うとなかなか眠る事が出来なかった、
少し動悸があって、緊張しているのか息苦しいなる、少し様子もみて午後無事退院した。
外の空気はまた格別、太陽がまぶしい、妻に付いて歩くが、付いて行けない、入院て体力の衰えが
激しいのだ、病院前からの生駒山の眺めは雄大だった。
自宅に戻る、嬉しかった。

入院中の食欲(普通食)
8月25日 味は少しわかった、食欲なし
8月26日 食欲なし、味覚なし、残す
8月27日 味覚少し回復
8月28日〜9月1日 美味しい
9月1日夕〜9月3日 精神的に味覚なし、仕方なく食事
9月4日〜18日退院まで 美味しい

両方の病院関係者の皆様大変御世話になりました。


その後
2003年
10月11日

最近の休みは自宅付近の散歩、その散歩の途中をハガキサイズで描きましたが出来栄えは今一つ、
集中力を保つのが大変ですね。

その後肺がんの疑いもあって近畿大病院から紹介してもらって奈良県天理市の高井病院でペット検査
を受けた、検査の結果・・肺がんの疑い晴れた。
10月26日  退院して1ヶ月が経っているのに、体調は今もイライラの連続、何でだろう、左側の管を挿入してあっ
た付近に違和感があって気分が悪くなったり、頭に重苦しい物が残ったり。
 肩甲骨左右に重い物を背負ったような感じ、でも食欲があるのに、しかし、食事後は疲れた感じがあ
って少し横になって休まないと、午後の行動は出来ない。
 こんな状態いつまで続くのかな・・・?
再発が怖いから心に余裕がないのかな・・?
11月3日 従弟が肺ガンのため他界、49歳であった。
春からガンとの知らせを受けて数回見舞いに行ったが8月ごろまでは治ると思ったが、私が病気して退
院後、見舞いに行ったら痩せて、見るのが辛かった。
叔父も73歳、よもや息子に先立たれるとは思っていなかったとのこと。
2004年
2月9日
仕事中息苦しくなり、発作の兆候があったため、急遽大学病院に電話、主治医の指示を仰ぎ、午後に
胸部レントゲン、血液検査の後に診察を受けた、待っている間に息苦しさが改善、検査結果から肺に穴
が開いていないが、ここ数日無理をしない様にとの医師の指示であった。
2004年
3月12日
以前からの予約診察、レントゲン検査、診察、肺は大きく膨らんでいるとのこと、低い山なら山登りをし
ても良いとのこと、が無理をしない様にと注意を受けた。
計画して滝見に行くようにしたい。
2004年
6月18日
以前からの予約診療、問診、聴診器では肺は膨らんでいるようである。
「ブラ」について再度治らないですかと尋ねた、ドクターこれは治りません、左右同時にブラが破れない
事を願ってください。
(この時期になっても左側の装具を付けていた肌付近が敏感になっていて気持が悪い、また雨の日は
息苦しくなって来て困る)
2004年
7月18日
久し振りに三重県海山町の清五郎の滝へ、短い距離での滝行きであるが、急坂は心臓がついて行か
ない、ペースを落として歩く、疲れて来ると右肩甲骨のところが凝ってきて痛くなる、なるべく疲れないよ
うな歩き方をしなければと思いました。
無事車両に戻ってこれた時、嬉しかったです。
高度800m付近日陰は涼しい、下に降りると暑そうなのでしばらく休んでから帰路についた。
2005年
6月20日
叔父(74歳)が肺ガンでなくなる、春のお彼岸の墓参りの帰りに叔父宅に行った時は元気であった、5
月に入って叔母から入院しているが思わしくないとのとの知らせで見舞いに行ったが、ヒョットスルト駄
目か、姉である我が母親に亡くなる前日に見舞いに行く様に話したが「突然の話に動転して」見舞いに
いける状態ではなかった、その事を叔父に伝えに行った、叔父は言葉がなく寂しそうであった。
12歳まで叔父の家で世話になったので知らせを聞いた時涙止らなかった。
2005年7月 定期的に胸部レントゲンで診察を受けているが実際のところお医者さんも「突然起こる病気・・予想が出
来ません、ブラはあります」とのことで健康管理には注意しなければと思っていますが、年々体力の低
下を痛切に感じるようになりました。
2006年2月
2006年8月
定期的に胸部レントゲンで診察を受ける。
今回はレントゲン写真で左のブラが消えているようだとお医者さんからの話、でも「突然起こる病気・・予
想が出来ません、右側に変な影があるようだが問題ないと思われます・・」
2007年2月
予約診察・予定
診察結果・変化なし


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最後に一番世話をかけたのは妻だ・・有難う
このページの
BGMは
管理者「みかちん」さんのHPファイルから提供を受けた
クラシック音楽MIDIを使用しています。
   音楽も楽しんで下さい。   *無断転用禁止* 

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