01. 旅の意味

 

「どうして東京まで歩いて旅しようなんて、思ったんですか?」

ショートヘアに着物姿の女性が、横に並んで歩調を合わせながらそう聞いてきた。岐阜市内では最も賑やかそうな繁華街の、公園に沿った道。
これまで何度か聞かれた質問だったけど、彼女の口調はしんみりとして声が笑っていない。色の濃い口紅が夜の中に浮かんで見える。ちょっと胸を軽く突かれる感触を覚えた。
ぼくは少し迷って、あまり深く考えずに答えた。

「……先月末に仕事を辞めるとき、会社の人が送別会を開いてくれたんです。で、その席で『これからどうするの?東京には戻ってくるの?』って聞かれたんで、酔った勢いで思わず『戻ります!歩いて帰ってきまっす!』って言っちゃったんですよ。……でまあ、引っ込みがつかなくなって」

「……それだけ?」

彼女の明らかに落胆した口調に、逆にぼくは狼狽した。なにか、もの凄くロマンチックで高尚な理由を期待していたのかな?
次の言葉が見つからないで「え、まあ……」とか口ごもっている内に、彼女はもうぼくに飽きてしまい、他の友達にさらわれてさっさと行ってしまった。

ついさっきまでは延々と独りで歩いていても、別に寂しい気持ちはなかった。でもこうして大勢の人の中にいて独りで歩いていると、却って孤独を感じるものだ。
しばらく歩きながら自分でも旅に出た理由を言葉にしてみようと努めた。しかし今更そんなものをでっちあげたってなぁ……。
まるで頭が働かない。膝の裏の筋が突っ張ったように痛くて、地面を踏む足裏にも痛みを通り越した妙な感触がある。とにかく今日はもう余力が全然残ってないや。
一行が2件目のカラオケ屋に着く頃には、もう考えるのを諦めた。早く飯喰って寝たい……。

 

奈良から東京まで歩く。
酔った勢いとはいえ、送別会でそう宣言したのは確かだ。しかしそれは、もう心に決めていた予定を思わず打ち明けてしまった、というだけだった。「宣言」は旅の理由ではなく、ひとつのきっかけに過ぎない。そうやって引っ込みがつかないようにして、ともかく旅に出るという「勢いづけ」が欲しかったのかもしれない。

奈良から東京まで歩いてみたい、と思ったのはいつ頃からだったかはっきりしない。
出発点と目的地にも別にたいした意味はなかった。奈良は生まれ育った実家のあるところで、東京は現在住んでいる場所。仕事を辞めた今、東京に住まなければならない理由もないけれど、かといって地元に帰る理由もない。それで池袋に近い風情の残る下町に、今もアパートの一室を借りている。

奈良から東京までの距離はおよそ500kmくらいだろう。東京日本橋(にほんばし)から大阪日本橋(にっぽんばし)までが、主に東海道を経由して550kmだと聞いたことがあったから、大まかにそう推測した。
ふつう人間が歩くスピードは時速4km程度。よく「大阪の人はせっかちだ」と言われるが、ぼくも関西育ちの例に漏れず、平均時速5〜6kmくらいで歩く。
そこで時速6kmで試算した場合、500kmの距離を歩くと単純に83時間余りかかる計算になる。1日8時間歩いたとして、11日。時速4kmで計算しても16日、雨などで思うように進めない日もあるだろうし、寄り道の日程を加えても、せいぜい3週間もあれば十分に着けるじゃないか!
ぼくの思考は極めて単純だった。普段はもうちょっと慎重なはずだけど、なにせ仕事を辞めてしばらく自由な時間を持つという昂揚感が、もはや止めどなく広がっていたのだ。

実際、そんな長距離を歩いて旅行したことはこれまで一度もなかったし、3年近い会社勤めのおかげで人並みに(?)運動不足である。1日8時間、それを3週間歩き続けるというのがどういうことなのか、想像もつかなかった。
でも逆に想像がつかなかったから、不思議に不安もあまりなかった。とにかく計算上は、3週間後には東京へ戻ってこられるのだ。せっかく退職して時間もできたことだし、学生時代以来の長期旅行としては手頃じゃないか。季節もちょうど春先でいいかんじだし……
想像すると益々たまらなく魅力的な計画に思えてきて、もうすっかりココロは旅の空へ飛んでしまっていた。

知人の中には、仕事も辞めてニッポンを歩くなんて、会社でなにかとんでもない失敗をやらかしたのか、あるいは立ち直れそうにない大失恋をしたのか、はたまた都会のストレスで遂に頭が沸騰したのかと心配してくれる人もいた。そこまでではなくとも、会えば今生の別れみたいな顔をして酒に誘う友人もあった。
それはそれでとても有り難いハナシだけど、当の本人にとってはそんな心配が申し訳ないくらい、「ただの思いつき」だったのだ。一大決心でもナンでもなく、とにかくちょっと長めの旅行がしたい、いわば欧米流の「バカンス気分」でなのである。
されど奢ってくれる酒は遠慮なく頂戴する。「とにかく無事で帰れよ」と励まされれば、やっぱりちょっとつられて胸が熱くなったりもした。酔いが回ってくると、なんだか自分でもすごい大旅行に出るような気がしてきて、そういう酔狂な自分のことは結構好きだな、などとほくそ笑んだりもした。

 

しかし……。
そんな日々のことはもう、遙か遠い彼方の出来事だ。
正直言って、「東京まで歩くなんて無茶もエエとこやん!」と、当の本人がさっそく根を上げていた。足は棒のように固まって膝裏の筋がギシギシ張り詰めるし、一歩一歩踏み出すごとに鬱血した足裏に激痛が走る。
足だけじゃない。最初はそれほどでもなかったザックが、歩き進むに従って岩の如く重くなってきて、両肩から鎖骨の辺りにかけてミミズ腫れのように痛んだ。一日中直射日光と乾いた風に吹き晒されたせいで、顔がガサガサに乾いて目の回りもヒリヒリする。頭の中に「満身創痍」という言葉が浮かんで、ほとほと気が滅入ってしまった。 しかも、それが出発からまだたったの3日目で!

今、岐阜にいる。といっても、奈良から岐阜までを既に歩き通した、ということではない。
たまたまこの4月1日は、年初に結婚した大学時代の友人夫婦の披露パーティーが岐阜であるというので、旅を一時中断して列車で駆けつけたのだ。
奈良を出発したのは3月30日。もう少し早く出て、当日ちょうどに岐阜へ到達して驚かせる計画も出発前にはあったけれど、そんなのは身の程知らずもいいとこだ。
3日目の今日までで実際に歩けたのはわずか56km程度。岐阜までの半分にも満たない距離だった。

 

披露パーティー2次会で盛り上がるカラオケBOXの端っこで、できるだけ目立たないように(歌わなくて済むように)しながら、ヤキソバとお好み焼きを慌てて掻き込んだ。30人くらいいる新婦の地元の友達 は、みんな賑やかで楽しい人ばかり。酔いも回ってますます場が湧く。さっきの着物の女性も、新婦と一緒にマイクを握って「モーニング娘。」の曲を熱唱していた。

♪にっぽんの未来は〜!  
  ♪をうをうをうをう!(全員)


己の情けなさといったらない。
でも、それを顔に出して弱音を吐くのは更にカッコ悪いもんなぁ……。
既にいろんな友人・知人がこの計画を知っている。この段階で途中断念することは毛頭考えなかったけれど、同時に東京まで歩くなんて事が可能なのかどうか、もはや想像もつかない気分になっていた。

「東京まで歩くって、どれくらいかかるんですかぁ?」(←酔った女の猫撫で声)
「……そーやね、一応ヨユウみて3週間くらいかな!」(←疲れてるくせに見栄坊な自分)

「猿岩石の影響!?」(←ぼくのことをチューヤンと呼ぶ酔った男)
「……古いよ、それ(笑)」(←男には冷たい自分)


ああ、明朝には元の駅まで戻って、また歩き続けなきゃならんのだなぁ……。
初対面の女性陣と楽しく盛り上がるこの時間が、余計に旅の現実を遠ざける気がする。
オレ、好きで歩いてんじゃないのか?

……ダメだ。たぶん疲れのせいだ。
人間疲れているときにはロクなことを考えない。こういうときはしっかり喰って、とにかく寝ることだ。明日になれば、気持ちも回復するさ!

 

しかしその日の宴はこの後も延々と盛り上がって、人数を減らしながらもとうとう4次会まで続いた。その最後の会場が近くに住む新婦の友達宅だったので、ぼくは到着するなり猛然と寝袋を広げ、鬼のような酒豪たちから逃れてようやく安眠の地を得ることができた。
もう明け方の3時過ぎだったと思うけれど、よく覚えていない。

 

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