27. 遙か彼方
腕時計のアラームを、遠くの方で微かに聞いたような気がする。
ボンヤリとまだ判断がつかないまま、眼を細めて時計を見ると5:10。
この旅の間は、毎朝ずっと夢の中で浅く目覚めることが多かったが、今日は重く身体が沈んだままでの覚醒。
意志の力で、無理矢理に上半身を起こした。
窓の外はもう明るい。行かなきゃ、行かねば。
あまり音を立てないよう、顔だけ洗って部屋を出る。
ザックは一階の物置に置いておいた。午前中にもう一度宿へ取りに戻る旨を、昨晩の内に頼んである。
玄関を出ると、キンとした冷気が鼻筋を通って、ようやく意識がはっきりとしてきた。
朝日はまだ地平線すれすれの高さだ。
一見、東と西の違いだけかと思うものの、夕暮れとは光の色や透き通った空気感が全然違う。
八王子の駅に着くと、疎らではあるが意外に人がたくさんいて驚いた。ほとんどは遠距離通勤者だろう。一様に眠そうな顔をしているが、足取りだけはスタスタと素早かった。
ここはもう東京なのだ。
道行く人の姿勢も、売店のおばちゃんの仕草も、駅員の無表情も、どこがどうとは言いにくいものの、やはり間違いなく東京のそれだと感じる。たくさんのゴミ袋が積み上げられた繁華街の朝も、久しぶりに見るある種新鮮な風景。
まだ一旦相模湖まで戻って、最後の峠である高尾山の小仏峠を越えて来なければならないが、それでもおそらく数時間後にはここを通過するだろう。その後立川の近くで甲州街道に別れ、五日市街道、新青梅街道、青梅街道、目白通り……。国分寺、小平、小金井、武蔵野、練馬、中野、そしてゴールの池袋。
都心に近づくほど道は複雑だが、ルートは昨晩の内に頭の中に叩き込んでおいた。
なんせ、これまで未踏の55km。道に迷っているヒマはない。
でも、まだ頭の奥がスッキリと醒めてこないな……。
大月行きの列車の中で、カロリーメイトと菓子パンの朝食を済ませる。横一列になった普通の座席で、車両に乗客は3人だけ。皆俯いて目を閉じている。
冷たいジュースが腸を直撃してゴロゴロと嫌な音を立てた。やっぱりホットコーヒーにすれば良かったかな。
何となく憂鬱な気分が抜けないのは、最終日の朝だからかも知れない。
今日ゴールすれば、当然ながら旅は終わってしまうのだ。
毎日続いた、身体もキツイし、不安や焦りもたくさんあったけれど、行き当たりばったりな旅生活。それが明日からはもうないと思うと、やっぱり名残惜しいような寂しさがあった。
ちょうど合宿旅行から帰るバスに揺られている気分って、こんな感じだったかな?などと夢想する。
そんな未だ半睡状態のまま、5:55、あっという間に列車は相模湖駅に到着した。
昨日虹が架かっていた駅前のロータリーに出る。濃密な朝霧が立ちこめて視界がほとんどない。
アスファルトの路面もまだ濡れたままで、飽和した湿気があたりに充満していた。
相模湖駅で降りた乗客はぼくを合わせて3人。ほかの2人はきっちりとした登山装備で、迷わず向こうに停まっていたバスの方へ去ってゆく。
ぼくも万歩計をセットして、特にこれといったきっかけもなく歩き出した。
駅前の商店街も角を2つ曲がるともう途絶えてしまう。
その先はさらに真っ白な霧が行く手を塞いでいた。
八王子ではそうでもなかったが、ここへ来るとさすがに寒い。思わず袖を伸ばして、手先を覆う。
今日の天気はまだ分からないが、朝霧が晴れればきっと青空が広がるだろう。そうでなければ困る。
R20はこんな時間から時折車が通り過ぎるものの、ほとんどシンと静まり返っている。まだ鳥の鳴き声もなく、耳を澄ませば樹木から朝露のしたたり落ちる微かな音さえ聞こえてきそうだ。
沿道の杉林の向こうには、相模湖があるはず。しかし、それもまだ白く発光する霧に隠れて見えない。
やがて旧道が国道を逸れて、山間に入る分岐点までやって来た。標識によると、小仏峠まで3.6km。
ぼくは足を止めずにそのまま薄暗い樹林帯の道へと分け入った。
湿った落ち葉や土は、足に優しくていい。
光の届かない森のトンネルは、更に濃い湿気で満たされている。ただし低温のためか、さほど不快でもない。
朝の森は、人を寄せ付けない神秘的な静寂に包まれ何とも言えず心地よかった。
唯一不安といえば、また蛇でも出そうなこの得体の知れない気配……。
木の根や枯れ枝が、時として一瞬不気味なトグロにも見える。
森の中ではひとたび何かが気になり出すと、とめどなく不安を増長させてしてしまう効果がある。
ぼくは足元を注意深く見つめながら、努めて無心になって黙々と歩いた。
まだ十分に身体が温まってこないためピッチは思うように上がらないものの、呼吸は割合乱れない。
随分身体機能がアップしたな。それは、改めて自分でも驚くほどである。
ほぼ一ヶ月間、いわば強化合宿をしてきたようなものだから当然かも知れないが、当初からそれを目的にしていた訳ではなかったのでなんだか得をした気分だ。
ただしこれも2週間身体を休めてしまうとたちまち元へ戻るという。勿体ない。
自分の足で歩いて実際に昔の街道旅を味わってみると、最初は昔の人の脚力が信じ難いほど超人的に思えたのだが、今はある程度納得できている。こうやって毎日歩いていれば、ぼくでさえ2〜3週間で順応してくるのだから、彼らにとってはごく自然に歩ける距離だったと考えてまったく違和感はない。改めてそれは、我が身でもって実証されたわけだ。
ただし肉体労働にでも従事していない限り、この強度で毎日トレーニングを続けることはかなり難しいだろう。
自分の場合も、東京へ戻れば毎日30kmもの距離を歩くことはなくなる。今のように一日の時間のほとんどを歩行に当てるなんてことは、まず不可能に近いからだ。
このように気力も体力も充実した状態をずっと保ち続けられたら、どんなにいいだろう。しかしそのためだけに日々の生活を度外視して歩き続けるとすれば、それはあまりにナンセンスだ。なんのための健康なのか分からない。
結局、バランスをとって折り合いを付けてゆくしかないのだろうけれど、それがどういう生活を指すのかはまだ見当がつかない。以前は何とも思っていなかったオフィス勤め、すなわち「歩かない生活」も、今ではどうしても害悪に思えてしまう。ずっと屋内で座っている生活なんて、とても考えられなくなっているのだ。
ああ、なんだかんだ言って、考え方が後ろ向きになっているんじゃないのか……?
旅を終える寂しさに、未練を引きずられている感じだ。
とにかく、東京へ戻ってきた。歩いている間は忘れていられた現実モンダイも、また再び日々の悩みとなるだろう。でも、そこから逃避しても始まらないではないか。
まったくすべてが元に戻る、という気はしない。確かにこの一ヶ月で何かが変わった。それは劇的な飛躍でも精神の悟りでもなく、季節が春から夏へと変わりつつあるような、自然の内に起こっている明瞭な変化。
あるいはまたそれも四季の移り変わり同様、単に輪廻の一片に過ぎず、ぐるぐると回る流れの中のある瞬間でしかないのかも知れない。ゴールに近づく昂揚感に煽られて、何か大いなる意義を悟ってみたいと思ったところで、正直に見つめればそんな大袈裟なものは何もないのである。心に留めたいろいろな言葉も、簡単に言ってしまえば「よくあることさ」という一瞬の閃き。瞬く間に輝いて、次から次へと忘れていってしまう……。
6:40、突然、パッと視界が開けた。
ちょうど山の尾根線上で、送電線の巨大な鉄塔の足元に出たのだ。周囲の木が切り開かれて、一帯を見渡すことができる。どれくらいの高さまで来たのか分からないけれど、そろそろ峠も近そうだ。もう朝の霧は跡形もなく消え去り、眼下には新緑に覆われた山がなだらかに連なっていた。
だいぶ陽も射すようになってきたので、中のフリースを脱ぐ。朝日に誘われたのか、鳥の鳴き声も方々から連鎖的に呼応しだした。中でもヒバリの甲高い声は、いっそう際立って空へと響きわたっていた。
再び山中の道へ入ると、既に陽射しがかなり林床まで届いている。朝露に濡れた葉がその光をキラキラと反射して、森の奥まで不思議な明るい輝きを帯びていた。
突然、バッ!と大きな影が道をよぎる。ビックリして、一瞬身構えて立ち止まった。
ドキドキしながら、注意深く周囲を見回す。しかし既にあたりは何事もなかったかのように静まり返っていた。
うっすらと眼球に残った残像を思い出していると、あの影はなんとなくキジだったような気がする。いずれにしても、蛇や熊の類でなかったのは確かだ。
(これで道中、犬も猿もキジも、全部出てきたな……)
やがて、唐突に木を切り開いた広い場所へ出た。
ベンチ、案内板、茶店小屋……。お、もしや!
まだ人気のない休憩施設を通り抜け、光の射す方へと思わず駆け寄ってゆく。最初は少し目が眩んで景色が白く飛んでいたが、徐々にはっきりとその先が見えてきた。緩やかに下っている山並み、その下に細かい建物がギッチリと並んだ薄紫色の市街地、あれはきっと八王子、その向こうが立川……、ああ、武蔵野の丘陵がこんもりと盛り上がっているのも分かる。
(あっ! あれは……)
それは、まったく思いがけない光景だった。
眼下に広がる東京の市街は、立川あたりから先が薄青色のガスに隠れて見えないにもかかわらず、その更に向こう、遙か彼方に、見覚えのあるビル群のシルエットがうっすら浮かび上がっていたのである。あの特徴的な摩天楼、間違いない、新宿だ!
旅の終わりの寂しい気分は、次の目標を見失うことへの不安、恐怖。
目指すべき場所さえ眼前にあれば、また勇気と活力が湧いてくる。
でも、たとえ先の見えない日でも、毎日変わらず歩き続けることだ。
犬も歩けば棒に当たる?
ススメ、歩け、それがすべて。
ゴールはもう、目の前だ。
だが道はその先にもまだまだ続いている。
「終わり」の感覚が消え去ったとき、朝の重苦しい気分はたちまち霧散していた。
(あの景色、逆光が強くてフィルムには写らないかもしれないな……)
ぼくは精一杯その眺望を眼に焼き付けて、また峠の下り道を歩き始めた。
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