26. 春雷

 

8:10、大月駅は、一斉に降りた高校生でごった返していた。
黒い学生服の一団の中で、薄汚れたジーパン姿に無精髭、そして季節外れの日焼けという風体は否応なしに目立っている。ザックを背負っていればまだ旅行者だと分かりやすいが、今日は八王子の宿に荷物を置いてきたため、手ぶらの軽装だ。労働者ふうでもあり、浮浪者ふうでもあり……。
どうも身の置き場がなくて、そそくさと足早に人垣を縫って駅を離れた。

すぐに国道20号線に出て、東へしばらく進むと集落が途切れる。
朝から爽快な青空なのは良かったが、おかげで真正面から光線を浴びてまぶしい。
左右に連なるのは秩父と丹沢から続く関東西縁の山系で、その狭間をゆるやかに蛇行するのが桂川。川は深く谷をえぐりながら東へ下り、やがて相模湖へと至る。緑青色の流れは、川底まで見通せるほどに澄んでいた。
国道はこの流れに沿って、狭い崖を縫うように続いている。また段丘上の僅かな平地には、小さな棚田と素朴な農家が見え隠れして、時折朝餉の煙も細長く静かに昇っていた。
ここも田舎には違いなかったが、爽快な青空のせいか、あるいは目も眩むほどに輝いている新緑のせいか、どこか生命感のある不思議なざわめきに満ちている。
あたりはもうすっかり初夏の趣だ。


(今日は、いよいよ東京へ入る!)

そう思うと、足取りも一段と力強い。
ただしそのためには約40kmといつもより距離を延ばして、しかも日が沈むまでに高尾山の峠を越えなければならない。そうすると、足が慣れて以降は最高時速6kmで歩くことができたが、それを終日ほぼコンスタントに維持することが条件になる。かなり厳しいけれど、あと2日でゴールするためには今日の頑張りが鍵だ。
実は昨夜の時点で、ようやくぼくは明日中にゴールする意志を固めていた。
明日にこだわる理由は、わざわざ出迎えに来てくれるという有り難い友人に日時をきっちり伝えなければならないということもあったが、もっと単純に明後日から数日間は雨が続くという天気予報があったからだ。一日宿泊を増やした上に、雨でのゴールというのはさすがに勿体ない。第一、中途半端な距離を残してしまうことになる。
ゴールを決めた以上、もはや遠いの辛いのと言っているヒマはなかった。

一方、目下のもうひとつのモンダイは、国道の排ガス対策である。
笹子峠を越えてから再びトラックの交通量が増え、収まりかけていたアレルギー鼻炎が再発してしまった。クシャミだけならまだいいが、鼻水がタラタラと途切れなく流れてくるのには閉口する。苦肉の策として、頭に巻いていた白タオルを、鼻から下を覆うようにして巻き付けた。この恰好で国道脇を歩いているのは相当に怪しいのだが、意外にもこの即席マスクはてきめんに防塵効果があった。

 

11:00梁川駅着。
さっき鳥沢駅前の和菓子屋で買っておいた柏餅と大福で、朝間食の小休止をとる。本当は菓子を買った後すぐに川原でも見つけて休憩したかったのだが、R20はどこまで行っても狭い崖っぷちで、落ち着いて座れるような適当な場所が見つからず、キョロキョロしている内に次の梁川駅まで来てしまったのだ。
猿橋、鳥沢、 梁川と、それぞれ4〜5km間隔のポイントを30〜40分のハイピッチで飛ばして来た。このペースで行けば午後の早い内に上野原まで届く。昼飯はそこまで我慢して、日没の2時間前には峠に取りかかりたい……。
今までにない飛ばしようだったが、調子は悪くない。ただし足が痛くなくなった訳ではなく、それはむしろずっと慢性化していた。
実際、終始足裏には鬱血したような鈍痛を感じている。根本的な疲労感とは違うものの、歩いている間は決して消えることはないので、休み休み、なだめすかして歩くしかないのだ。忘れるのが一番の薬である。
今日は爽やかな新緑が目を楽しませてくれて、痛みを忘れるのに貢献していた。
しかし、そういえばさっきから左足の親指の先に、コリコリとした異物感がある。毛玉を踏んでいるような感触だったので靴下を脱いで確かめてみたが、裏返してみても異常は見あたらない。おかしいなと思ったら、なんと指の内部に小石くらいのしこりがあって、押さえると硬く、しかも皮膚表面 の感覚がなくなっていた。長く休まずに歩き続けていると、どうしても膝から下がむくんでしまうが、それが更に進んで指先に血が溜まってしまったようだ。

(あと1日、あと1日の辛抱だからな……)

指先を摘んで、祈るような気持ちで揉みくだす。自分の指なのにそうでないような、変な感触。

と、そこへフラリと人がやって来た。鳥打ち帽を被り、肩から大きなショルダーバッグを下げて、杖をつきながらゆっくりと駅前の坂道を登ってくる。顔が真っ黒に日焼けした、愛嬌のある老翁。

「アレぇ?駅の向こう側へ行くのは、どっからだかな?」

老翁は線路の向こう側へ渡る道を探しているらしい。下の売店でも聞いたが、実際に来てみるとよく分からない。それでさっきから、ウロウロとこのあたりを往復していると嘆いた。

「オレよ、相模湖から石和まで(切符を)買ってきたんだけど、この近くにオレの命の恩人がいてな。昔風呂で溺れかけたところを助けてもらったんだ。いっぺん挨拶に行かネェとと思って来たんだが……、アレ、○△×(聞きとれず)の先生なんだよ。でもそこの茶店じゃ知らネェって言うしよ。兄ちゃん何処から?ん、神奈川?あ、カンサイね。聞き違えちまったよ。どーやって向こう側行くのかなぁ、兄ちゃん知らネェか?」

どこかで見た顔だと思っていたら、長野の木曽平沢駅で会ったトンネル掘りのおじさんにそっくりだ。人なつっこい喋り口調も驚くほどよく似ている。こういうタイプの人って、顔も似てんのかな?
あんまり困って身動きがとれないようなので、ぼくも裸足のまま立ち上がって道を探してみた。どうも、向こうで道路工事をしている囲いの辺りが怪しい。果たして、その脇に腰をかがめて歩かないといけないような小さなトンネルがあり、線路の下をくぐり抜けていた。

「おお、こっこかぁ(笑)! いやぁ、助かったよ。じゃ、兄ちゃんもお元気で」

老翁は杖をヒョイッと高く上げて挨拶すると、そのまま暗いトンネルの中へ消えていった。

 


「エッ、なに、奈良から歩いて来たの?」
「え、ええ、まあ……」
「ひぇー……。オイオイ! この兄さん、奈良から歩いてんだってサ!」
「な、え!? 奈良から!?」
「そーだよ。弥次喜多道中だ。あ、ありゃ東海道か」
「何です? 何です? 奈良がどうしました?」
「いやね、この兄さんがサ……」

話が、アッという間に店中に広まってしまった。
14:00過ぎ、ようやく昼飯にありついた、上野原の寿司屋。ぼくはうな重を頬張ったり、話に相づちを打ったり、あたふたと忙しい。昼食時も過ぎて厨房が暇だったのか、次から次へと板さんまで出てきて、大いに盛り上がり始める。とはいえ、興味を持ってもらうのは正直嬉しいものだ。

「なんだい、アンタ物書きか何か?」
「そ、そう見えますか!?」
「うーん……、ま、真っ当なカタギじゃないわな」
「…………」
「中山道を通って来たんだろ? ウチのこの漆器、あの木曽平沢の特注なんだよね」
「ああ! そうなんですか。ヘェー、縁がありますね」
「そう。昔はみんなこの街道を通して商売も繋がってたからね」
「東京まではこのまま甲州街道かい?大垂水峠を越えて?」
「あ、高尾山の峠は通常どっちを通るんですかね?」
「国道は大垂水だけど……。車が多くて頻繁に蛇行するし、しかも眺望がまったく利かないよ」
「多分小仏峠の方が歩きやすいんじゃないかな」
「そうそう、2日くらい前にさ、日本一周してるってお爺さんが来たよね」
「ああ、何でも駄菓子屋やりながら旅してるって、リヤカー引っ張りながら……」
「え!? それ、ぼくさっき見ましたよ。梁川あたりで擦れ違いました」
「へぇ、まだ梁川だったんだ。でも、あの恰好で笹子峠どうやって越えるのかな?」
「死んじまうよ、爺さん。もう70過ぎだって言ってたし」
「スゴイわねぇ……」
「なんでまた、そういうことになんのかね? 面白しれぇ人たちだな(笑)」

うな重に舌鼓を打ち、久しぶりに歓談にも加わって、おまけに写真まで撮らせてもらった。上野原への到着が遅れてすこし焦っていたのだが、いつの間にかそんなことはすっかり忘れている。

「なんだい、ソレ、雑誌にでも載るのかい?」
「いや(笑)、それはまずないと思うんですけど……」
「ウチの娘もね、この前新宿から2日がかりで歩いて帰ってきたよ」
「……! 新宿から、ですか!?(なんちゅー娘や……)」
「気を付けてね」
「頑張って!」
「また帰りに寄って下さい(笑)」

……帰り?って、また奈良まで歩いて帰れってか?
まあそれはともかく、寿司屋の娘が新宿からここまで2日で歩いたというんだから、オレにもできない訳はない。でも、優に60kmはあるはずだがなぁ……。
いろんな意味で元気付けられつつ、気合も新たに勇んで店を出た。暖簾をくぐれば、今日も日本晴れ〜っと……!
思わず空をみてギョッと顔が固まる。

(雲が……)

ついさっきまでも、モクモクと爽快な入道雲が出始めてはいた。しかしわずか30分ほどの間に、西の空が鈍い鉛色の雨雲で覆われてしまっている。しかも西から吹く生暖かい風が、みるみるその勢力をこちらに向かって拡大しつつあった。
マズイ。このままでは数時間のうちに降られる!
ぼくは大急ぎで、再びR20を東へと大股に歩き始めた。今日は軽装のため、傘も持っていない。しかも山中の道では、雨宿りできる場所も簡単には見つかりそうにない。幸いJRが併走しているためいざとなれば逃げ道はあるが、それでは旅程が大幅に遅れてしまう……。
状況が一変して、暢気な気分はたちまち吹き飛んだ。目に眩しかった新緑もみるみる輝きを失い、巻き上げる風にゾワゾワと翻弄されている。振り返るたび、驚異的なスピードで雨雲が発達しながら追って来ていた。

(こうなったら、競争だ!)

ガムシャラに歩速を上げる。足の痛みはこの際二の次だ。
上野原の市街を離れ、完全な山道になると、途端に不安感が倍増する。こんなところで降られたらたまらない。
そして焦燥を見透かしてあざ笑うように、背後では雷鳴が重低音でゴロゴロゴロと響き始めた。まるで空という生き物が不気味に咽を鳴らしているかのような、腹底を揺さぶる轟き。
急げば急ぐほど、一層増してきた湿気が服を肌にベタつかせる。しかしそんなことも気にしていられないほど、もはや一刻の猶予も許されない状況であった。

 


(……まだ、行けるな。よしっ)

思い切って、藤野駅を飛び出した。
雨はすこし前、駅の手前で降り始めていた。間一髪、駅舎に避難できたわけである。
そして一時幾分強く降ったものの、今はまた傘がなくても何とかなる程度の小康状態に落ち着いている。
雨宿りをするには駅は最適だ。売店もあるし、電話もある。万が一の場合には、そのまま列車で脱出できる。
しかし、藤野から相模湖までは5km弱。急げば50分程度の距離である。結局、少しでも距離を稼ぎたい気持ちが勝って、その50分は雨が降らないことに賭けた。一応空を見て考えたが、根拠があるわけではない。強いて言えば「神に祈る」ような気持ちしかなかった。

(降らないはずだ、大丈夫だ。まだ雷鳴も遠い……)

確かに唯一判断の根拠にしたのは、雷鳴がまだ遠いことだった。ピカッと光ってから、音が響くまでに30秒近くかかっている。雷雲の本体はまだ笹子峠あたりだと、都合良く読んだ。
それでも時折雨足が強くなる。その都度、大急ぎで軒先などを見つけて飛び込まなければならない。さっきなどは人気のない国道脇の石材場で雨宿りをして、埃にまみれた地面に座ることもできずに、しばらくじっと立ちつくした。雨の中を不安に煽られながら歩くのは辛いが、雨の中で孤立して動けないのはもっと辛い。
だがとにかく藤野を出た以上、何が何でも相模湖までは到達しなければならない。その先の小仏峠のことを考えると頭が真っ暗になるが、とにかくそれも相模湖へ着いてから、だ……。
歩きながら、目と耳を集中させて雷雲の動きを敏感に察知する。思ったほど速度は速くなく助かっているものの、着実にこちらに接近しているのは間違いない。既にアスファルトの路面も乾いた部分が消えて、すべて黒く塗りつぶされていた。

15:40、ついに本降り!
幸い一軒だけのドライブインが近くにあり、すんでのところで避難に間に合った。
ドライブインの中には喫茶店もあり、何人かの釣り客が休んでいる。よく見ると、いつの間にかこのあたりは相模湖の湖岸だ。
ぼくは熱い缶コーヒーを買い、すぐに雨が再び収まることを信じて店の軒先で待つことにした。
しかし雨はこれまでになく本格的に降っている。ザアザアというより、ドサドサと落ちる感じだ。路面にもたちまち川のように水が溢れ、大型のトレーラーなども一時パーキングへ避難してきた。

(頼む! 俄雨であってくれ……)

春の雷は、初夏の到来を告げるという。田園では、田植えの合図でもある。
季節の境目もまた、劇的にやって来るものだ。旅の初めはまだ桜もつぼみだったけれど、今ではもうすっかり新緑が芽吹いている。あっという間の短い旅のような気がしていたが、気がつくとちょうど一月が過ぎようとしていた。

 

16:40、ようやく相模湖駅へ、なんとか無事に辿り着いた。
しかし! ベンチで靴を脱いで休憩の態勢に入った途端、なんとこれまでにない豪雨が降り始めた。
バチバチと大粒の雨滴が駅舎の屋根を叩きまくる。駅にいた人々も、驚いて不安げに空模様を眺めていた。

( なんという悪運の強さ……!)

我ながらこのタイミングの良さに感嘆したものの、さて目下のモンダイは次のことである。
折角日没までに峠を越えられそうなペースで相模湖まで到達したのに、ここで足止めとは!
小仏峠の頂上までは約4km。高尾までで10kmくらいか。雨さえ上がれば、2〜3時間の距離。とはいえ、おそらくこの豪雨で峠道は滝のような沢になっているだろう……。
冷静に考えれば、続行はほぼ不可能な状態だった。けれども簡単には諦めきれず、ますます強くなるばかりの雷雨を睨みながら、ジッと集中して思索を巡らせる。

(国道を迂回するか……、いや、それだと距離が伸びる。明日で最後なのだから、いっそ無理を覚悟で小康状態になったら山へ入るか……。でも断念するなら、早く戻って寝てしまった方が……)

列車の時間を見ると、中央線上りは約30分に1本。迷っている内に列車を逃してしまうと、ここで無駄な時間を過ごさなければならなくなる。判断は急を要していた。

立ち上がって、軒先から空を眺める。雨はまだ激しく降り注いでいたが、上空の雲はみるみる白くなって、確実に雨が収束に向かっていることを示していた。長くても、あと30分……。
1分1分、ジクジクと煩悶しながら時計を確かめる。いつの間にか、駅に着いてからもう1時間近くが過ぎていた。
今日はここで断念して八王子まで帰るなら、次の17:54の便より遅れるわけにはいかない。
明日中にゴールしようと考えれば、相模湖から池袋まで概算で約55km。これまで1日平均で歩いてきた距離の2倍近い道程だ。日没後も歩けることを加味しても、せいぜい3〜4時間のプラス。それ以上だと日付が変わってしまう。時速6kmを維持したとして、正味10時間。休憩と食事にのべ3時間。明日の朝は……、5:00起きで始発に乗れば、なんとか……。

駅の時刻表で始発の時間を再度確認し、ほぼ方針が決まった。
今日の峠越えは諦めざるを得ない。そして明日は未踏の最長距離!
ここへ来て、自然の前では思い通りに事は運ばないなと、改めて痛感せざるを得なかった。
ただ数字的には相当過酷な予定だが、不思議と困難な気はしない。むしろ絶対にできるという自信が全身にみなぎっている。今日一日驚異的なピッチで飛ばせたことも自信に繋がっているし、とにかく明日はゴールするだけなのだ。

(12時間後に戻るからなっ!)

改札口を通る前に、もう一度駅前を振り返る。
雨は未だ降り止まないが、西の空は雲が切れて、ようやく黄金色の夕陽が射し始めていた。もはや峠越えには時間もなく、引き返すつもりはなかったが、あと1時間早く上がってくれれば……、と思わず唇を噛む。
雨は眩しい陽光をキラキラと乱反射して、不思議な瑠璃色の光を放っている。
その向こうには、ちょうど峠の方角に大きな虹が弧を描いてくっきりと現れていた。

 

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