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私の生徒指導論


2002年06月24日に提出した『私の生徒指導論』です.HTML化に伴いレイアウトは若干変わっています.

注意! こちらの『私の生徒指導論』は,私が大学1回生の06月に『生徒指導論』(だったかな?)の講義で提出したレポートです.入学したてということもあり,参考文献などの記述の点でレポートの体裁には不十分です.また,提出時期が大学1回生の06月ということで,内容が「青い」です.お読みになる際は,これらの点を予めご了承願います.

私の生徒指導論

 我が国に於ける旧来(私達が生まれた頃・20年程前迄の生徒指導は,画一的だったと言わざるを得ない.我が国に於ける旧来の生徒指導は,徹底的な管理教育によって個性のないロボットを大量生産してきた.教育を効率的に進める為に,「独創的」という概念を排除した.進路指導に於いても,偏差値で生徒を輪切りにし,ランク毎に学校へ送り込むと言う方法が採られていた.「お前の偏差値はこうだ.よい学校へ行くにはお前はもっと頑張らないといけない.」と言った,“受験マインドコントロール”と言ってもよい状況があったと言っても過言ではないと思う.極論すれば,オウム真理教のあの数々の凄惨な事件をおこしたのはこの徹底的管理教育の下で育った高学歴のエリート達だったのだ.オウム真理教の指導者達も,受験マインドコントロールされて育った彼等を,自分たちの都合のよい様にマインドコントロール“し直す”のはごくごく簡単だったと言えると思う.

(註:ここからが本文です)
 「生徒指導」と言う語に対して,人々がどのようなイメージを持つかと言うと,恐らくは具体的なイメージがわかないか,或いは,真っ先に服装検査や持ち物検査のイメージが浮かぶ人もいると思う.然しそれは生徒指導の役割や方法の一部に過ぎないのである.
 生徒指導とは,或る資料によれば,「学校の教育目標を達成する為の重要な機能の一つであり,一人ひとりの生徒の人格の価値を尊重し,個性の伸張を図りながら,社会的素質や行動力を高めるように指導,援助するものである.」とされている様に,世間のイメージよりももっと幅広い教育活動を指していると私は考える.学校教育の中の国語や数学と言う様な教科の学習以外の指導を生徒指導と呼び,教科等の授業の基盤となる環境づくり等にも関わる活動である,と言ってもよいと思う.
 生徒指導に於いて重要となってくるポイントを端的に3つにまとめると,
1. 「心の居場所」づくり(つながり・安心・感動)の推進
2. 生徒理解(関わり・本気・共感)の深化
3. 教育相談(寄り添い・信頼・支援)の充実
であると私は考える.
 生徒指導は,生徒が自己理解を深め,自立を図れる様に社会生活に必要な能力を高める事を促進援助する取組みとして,あらゆる教育活動に於いて展開されるもので,その中心的課題は,生徒達の「いのち」の尊厳を基盤に,一人ひとりの発達の可能性を最大限に開花させ,自ら考え,判断し行動できる自己指導能力を培う事を目指すであると考える.その中でもとりわけ,学校生活に自己の価値や存在感を見い出す事が出来ず,いじめ等の様々な問題行動を繰返す生徒や,不登校の克服に向けての多様な対応の在り方を共通理解し,生徒の立場に立って取組みを推進しなければならないと考える.
 生徒指導をする際に,生徒達が,自分に自信を持つ事が出来る「自己肯定感」を大切にし,かけがえのない一人ひとりとしての存在を認め合う事,誰かに理解され,見守られていると感じられる「安心感」を基盤に,チャレンジする気持ちを持ち,自ら決定し,成就感を味わう事が出来る事,そして,自分と向き合い,自分の心に耳を傾け,自分の感情を言葉で表現できる事,等を中核に据えた「生徒指導観」への変革が,教職員には迫られていると考える.その為,教職員は,生徒の揺れ動く「自分探し(自律・自立)」への本気のかかわりを示し,生徒の心に届くメッセージを発信出来る様に,温かく且つ毅然とした対応に向けての意識改革を常に図る必要があると考える.
 時代が変わり社会が変わるにつれ,学校に出来る事や出来ない事,学校がすべき事やすべきでない事,が問い直される様になっていると思う.いじめや不登校といった,所謂「問題行動」の増加は,そうした混乱の反映であると見る事も出来ると思う.これからの生徒指導がそうした「問題行動」に正面から向き合う為には,「対症療法」中心の取組みから,「相談」と「支援」と言う視点からなされる「予防教育」中心の取組みへと変わって行く必要があると考える.この「相談」には,専門家によるカウンセリングから,ちょっとしたアドバイスを受ける事,ただ話を聞いてもらうだけ,迄の幅広い意味合いが含まれる.また,「支援」と言う語には,選択・決定していく主体は飽く迄も生徒自身であると言う意味を含んでいる.
 生徒指導の本来の狙いは,問題行動を起こした生徒の矯正ではないと私は考える.問題行動の矯正は生徒指導の一面にしか過ぎないと言う事を教職員は理解しなければならない.生徒指導は生徒の心の解放を目指さなければならない.基本的生活習慣を徹底する為に,規律を前面に押し出し,生徒たちを指導する事で生徒たちは閉塞感を感じ,それを発散しようとしていじめに向かう事もあると考える.頭から押さえ込もうとせずに,ゆとりを持って問題行動を指摘する様にするのが望ましいと考える.全ての生徒の人格のより良き発達を目指す生徒指導を展開する事が望ましいと私は考える.


 生徒指導の範疇から若干外れるので本論では述べなかったが,生徒の学力の尺度も,偏差値ではなく,米国で一般的に行われ,近年我が国の一部大学でも導入され始めているGPA(Grade Point Average)を小中高大にわたり広く採用すべきであると考える.

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