動物が進化していくように、前方後円墳も進化した。
その形の変遷を畿内35基の古墳を7つのグループに分けて
解説する。
図:前方後円墳の型式変遷 |
---|
I群、箸墓タイプ |
---|
箸墓タイプは、最も古く位置づけられるタイプであって、箸墓古墳が指標となっている。 前方部がばち型に開く、特異な形状をもつ箸墓古墳であるが、まず、築成段数においては、前方部4段、後円部5段とみる説と後円部3段の三段築成とみる説がある。 さらに前方部側面が無段で築成されているのも変則的である。一方、くびれ部谷線は明らかに非直線型であり、類例はあるものの、これも少数派である。 本ホームページの編年観では4世紀前半末としている。 | |
このタイプの代表的な古墳
|
II群、桜井茶臼山タイプ 〜古墳の発展〜 |
---|
箸墓タイプの次に古く位置づけられるII群は、桜井茶臼山古墳を指標とするグループである。 箸墓タイプよりいくぶん増大気味ではあるが、後円部に対してくびれ部幅が細く、前方部高が低いことが特徴である。 | |
このタイプの代表的な古墳
|
III群、垂仁陵タイプ 〜古墳の定型化〜 |
---|
築造企画を平面と立体で総合すれば、一つのグループとしてのまとまりをみせた桜井茶臼山タイプも。 平面形のみで観察すれば、比較的前方部の狭い、いわゆる柄鏡形をした桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳から、前方部が大きく開いた西殿塚古墳までも差異があり、定形化の不完全さが残っている。 これに対して、さらに定形化が進化したとみられるグループが垂仁陵タイプで、指標となる垂仁陵、および景行陵の2基から構成されている。 桜井茶臼山タイプにくらべ、くびれ部がふとくなったが前方部高については特徴を継承している。 段築の状況をも含めて、いわゆる中期型の古墳に移行する直前の、確立された前期古墳の一型式と考えられる。 | |
このタイプの代表的な古墳
|
IV群、日葉酢媛陵タイプ 〜古墳の変異1〜 |
---|
桜井茶臼山タイプや、垂仁陵タイプに比べると、かなり胴の短い、独特なスタイルを特徴とするグループがある。 日葉酢媛陵を指標とする日葉酢媛陵タイプで、前出の五色塚古墳、および成務陵の3基によって構成される。 垂仁陵タイプから派生した短縮型あるいは変異型と考えるべき徴候がみられる。 | |
このタイプの代表的な古墳
|
V群、応神陵タイプ 〜古墳の最盛期〜 |
---|
垂仁陵タイプの墳形の発達の自然な延長線上に応神陵タイプが出現する。 このタイプの古墳は圧倒的な大集団によって構成される。 古墳時代を名実ともに象徴する前方後円墳の代表格といってもよく、前方後円墳を特徴づける諸様相を豊かに体現する完成度の高い型式である。 しかし、細かく墳形を観察すれば、応神陵タイプ内部でも微妙な差異が存在することも事実であって、わずかながらも形態変化の進行していることをうかがわせる。 応神陵タイプを構成する古墳は、指標となる応神陵、履中陵、馬見新木山古墳のほか、築山古墳などがある。 応神陵タイプ全体にわたって普遍的にみられる特徴として、周濠がいわゆる馬蹄形をなすことや、造出を付帯することがある。 | |
このタイプの代表的な古墳 |
VI群、仁徳陵タイプ 〜古墳の変異2〜 |
---|
応神陵タイプの成熟期における古墳より、やや胴長の古墳がある。 この古墳群を仁徳陵タイプと命名している。 このタイプの出現について、一つの説明を与えるとすれば、やはり「本流」からの変異型とみるのが無理のないところであろう。 ここでいう「本流」とは、応神陵タイプであって、とくにその成熟期の墳形から派生した変異型と考える。 ただし、垂仁陵タイプから日葉酢媛陵タイプに向けての変異は、胴の短縮という形をとったが、今度は逆の変異、すなわち胴の伸長である。 仁徳陵タイプの出現は応神陵タイプからの変異ではあるが、単なる一過性の意匠ではなく、その後の築造企画に影響を及ぼした点で、日葉酢媛陵タイプとは異なったニュアンスを含むものである。 | |
このタイプの代表的な古墳
|
VII群、土師ニサンザイタイプ 〜古墳の最終型式〜 |
---|
応神陵タイプが、盛行のきわみであったとすれば、このタイプは前方後円墳の形態変遷における最終段階に位置づけられる型式である。 築造企画の大枠として、定形化が確立した応神陵タイプの諸様相を継承することは当然としても、墳形のデザインという点でみれば、既存の要素が集大成された華麗な墳形を体現している。 墳形は平均的な応神陵タイプよりやや胴長に設定されている。 これは、仁徳陵タイプを特徴づけた意匠上の新しい変化を反映したものと考えられる。 このタイプの出現は考古学上の知見を総合すれば、およそ5世紀末〜6世紀前半と考えられる。 | |
このタイプの代表的な古墳
|