2007.07.01改
基本的なもの、使用頻度が高いと考えられるものを優先的に並べてみました。
《お知らせ》
このサイトの内容をまとめた本が桐原書店から刊行されます。
8月1日頃から書店で販売される予定です。

タイトル:『気持ちが伝わる 敬語の使い方』
四六判、192頁/定価1100円+消費税
ISBN:978-4-342-78852-9

 西川さんはおられますか?
001「おられる」

○ 慣用として認めてよい表現だと思います。

「おられる」は尊敬の気持ちをこめた表現として、広く使われている表現です。「おる」はもともと「居る」で、じっと座っているという意味です。こちらが卑下するという意味をもつので謙譲語として用いて、相手の動作には使わないのが原則でした。その謙譲語「おる」に「られる」という尊敬語をつけた「おられる」は、

    1.「おる」の部分が謙譲語なので相手の動作に使えない
    2.「おら・れる」は、謙譲語と尊敬語を重ねて使っている

という2点で誤用だとする専門書が多く存在しています。ところが、関西地方では昔から「西川さんがいる」を「西川さんがおる」と丁寧な表現として使っているので、目上の人に「おられる」という表現を使っても違和感がなく、公的に使える尊敬表現として広く使われてきました。謙譲語ではない「おる」に「られる」という尊敬語をつけると考えるのならば、文法上の問題はなくなります。

「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」「おいでになる」なので、標準的な尊敬表現は「西川さんはいらっしゃいますか?」「西川さんはおいでですか?」となります。 「いらっしゃる」「おいでになる」がちょっと丁寧すぎる、と感じるときには「西川さんはおられますか?」と使ってもよいと思います。 「打ち消しのほうが丁寧になる原則」を使って「西川さんはおられませんか?」とすると、さらに丁寧になります。



 (私の)息子の雅彦はおりますか? 002「おる」

◎ 正しい。自分の身内に謙譲語「おる」をつかっています。

自分の身内のことをたずねている例です。相手よりも自分に近い存在である「息子」に対して謙譲語「おる」を使っているので、正しい表現です。「息子」「愚息」「せがれ」「長男」「子ども」は、自分側の身内を呼ぶ言葉です。相手の子どもは「お子様」とよぶのが一般的です。



 うちには犬が3匹おります。 003「おる」

◎ 正しい。自分に謙譲語「おる」をつかっています。

この文の基本形は「うちには→おります」です。「うち」というのは本来は「家・宅」のことですが、家に住んでいる家族や自分のことを広く指すこともあるので、この場合は自分に謙譲語「おる」を使っていることになります。「うちには犬が3匹います。」と表現してもよいと思いますが、「おります」の方がやわらかい表現なので、相手は丁寧さをより強く感じると思います。「うち」のことを謙遜する表現として「拙宅」「小宅」「当家」等の表現があります。



 中川さんのお宅に、犬はおりますか? 004「おる」

△ 主語が「犬」になっています。犬に敬語=謙譲語を使うかどうか?

日本語の場合、「主語に”は”をつける」ことが基本です。この文例では、「犬は・・」つまり犬が主語となっています。つまり、「犬」に謙譲語を使って下げることで、「中川さん」に敬意を表している形になりますね。形の上では間違いとは言えませんが、ひとつ問題になることがあります。それは「敬語は古くから人間や神格化されたものだけに使い、事物や動物には使わない」という原則があることです。犬に敬語を使っていることが問題になってしまいます。

今までは、動物や赤ちゃんに敬語を使うのは間違いであると言われてきました。確かに、犬の行動に「〜なさる」などの尊敬語を使うのは行き過ぎでしょうが、「ペットを家族同様にとても大切に思っている気持ち」からでてくる丁寧語や謙譲語であれば、よいのではないかという気もします。実際に、上の文例を「失礼だ」と感じる人はほとんどいないと思います。「うちのワンちゃんってと〜っても利口でございますのよ!」・・のように何かしらの嫌みが感じられる表現はよくないと思いますが、それは言葉の使い方というよりも、話している人の人格の問題だと思います。



 中川さんのお宅に、犬はいらっしゃいますか? 010「いらっしゃる」

▲ 主語が「犬」になっています。犬に尊敬語は使えません。

 話している人はきっと「中川さん」に尊敬語を使っているつもりです。これは、No004と同様に「助詞”は”を使うことで犬が主語になってしまう」ので、犬に尊敬語を使う形になっているのがおかしいのです。正確には「中川さんは、犬を飼っていらっしゃいますか?」です。これで、主語が中川さんになります。相手との間柄が堅苦しい関係でなければ「お宅には犬が何匹いるのですか?」というあっさりした表現でも失礼にはあたらないでしょう。

 余談になりますが、ペットに愛情を注いでいる方にとっては「犬」という表現はきついと感じることもあるようです。「ワンちゃんの方が丁寧ですよ」とペットショップの方より助言をいただきました。



 <来客に> 米田課長はまだいらっしゃってないんですが。 011「いらっしゃる」

× 客の前で身内に尊敬語「課長」「いらっしゃる」を使っています

姓の下に課長などをつけると敬称になりますので、社外の人に「米田課長」というのは身内に対する敬語になり、失礼にあたるとされています。「いらっしゃる」も同様で、身内に対する敬語となります。相手に対しても「〜ですが」という丁寧表現だけで敬語が使えていないことになります。 さらに、この投げかけだと、「待つか?出直すか?どうしたらいいのか判断できない」という状況になり、相手は困ってしまいます。

(課長の)米田は遅れております。大変申し訳ありません。○○頃来ると聞いておりますので、もうしばらくお待ちいただけますでしょうか。」という丁寧な対応が求められます。丁寧な対応ができたら、物事がプラスに転じることもあります。後から「きちんとした印象のいい社員さんですね」とお客さまにほめられると、課長も「遅れて良かったよ!」なんてことに・・・なるかも知れません(笑)。



 住まいは京都でいらっしゃいますか。 012「いらっしゃる」

× 住まい=人ではない物に尊敬語「いらっしゃる」を使っています

 日本語は、「〜は」が主語=話の主題になりますので、この場合は「お住まい」に「いらっしゃる」という「尊敬語」を使っているという構造になり、不適切な表現だといえるでしょう。原則としては「お住まいは京都ですか。」という表現で失礼にはあたらないということです。丁寧に表現したいなら「お住まいは京都でございますか。」となるでしょう。「住まい」についている「お」は、「あなたの〜」という意味ですので敬語の使い方として問題ありません。
 この場合「住まい」を主語に立てているので本来なら尊敬表現が使えません。でも、相手に対して敬意を表現したい場合は上の文のように表現しなければならなくなり、なんとなく不自然になってしまいます。

 改善のポイントは2つあります。ようするに相手に対して直接敬意を表現できればよいのですから、 

 ■1.主語を人間にする
 ■2.「住む」という人間の動作を述語にして表現する

ということです。具体的には「あなたは)京都にお住まいですか。」ならばきちんと敬意を表現できます。文末を「〜でしょうか。」「〜でございますか、。」としてもよいでしょう。



 客さまがいらしてます 013「いらして」

× 「いらして」は一般的に「いらっしゃって」の意味では使わない。

 古い用例を繙くと、

 「いろいろお世話になりました。どうぞいらしてください。」(出発してください)
 「さあ、いらしたことだし、旅立ちましょう。」(太陽がのぼったことだし)
 「ささ、ここにいらしてください」(お部屋に入ってください)

などがあり、意味は上の3つにほぼ限られています。どれも敬意が表現されている場面ですが、尊敬語というよりもどちらかといえば丁寧語のようなニュアンスがあります。問題の「いらしてます」という表現は私も何度か聞いたことのある表現で、確かに丁寧なニュアンスが感じられます。ただ伝統的には「来る」「いる」ということばに対する「尊敬語」としては使われてこなかったようですね。
 もちろん、今までは使われてこなかったということであって、将来的にこの用法が否定されるわけではありませんが、現時点では「おかしな表現だな」と感じる人が多いのではないでしょうか。違和感なく使う場面としては

 ●(相手に直接)「どうぞこちらにいらしてください」と宿泊する部屋を案内する。
 ●(夜通し遊んでいて明け方になって)「もう、おてんとさまがいらした」と語る。
 ●(相手が出発するときに)「どうぞお気をつけていらしてくださいね」と見送る。
 ●(自分の家=部屋に来ていただけるように)「またいらしてくださいね」と声をかける。

などが考えられます。2つめの太陽の例は別として、そこにいない第3者ではなく、「直接目の前の相手に呼びかけることば」として扱えば違和感がないでしょう。



 課長、今日はごくろうさまでした 016「ごくろうさま」

△ 不快に感じる人がいます。「ご苦労」は、ねぎらいの意味が強い言葉です。

 「ごくろうさま」は、「よくやったね」とほめる気持ちやねぎらう気持ちをこめて使います。ほめる、ねぎらうは基本的に目上からの動作ですので、年下からの言動の場合、不快に感じる人も多いようです。

 私は、高速道路の料金所で通行料金支払いの時に「ごくろうさま!!」と声をかけたことがあります。自分ではいい挨拶をしたつもりだったのに、横に乗っていた叔母から「あんた、えらそうやな〜」と言われて驚いたことがあります。人によっては「上から下へ」というニュアンスを強く感じる言葉のようです。みなさまからの意見をまとめてみると、「”ごくろうさま”は確かに目上の人からかける言葉だが、最近はだんだんその意識が薄れてきている」ということのようです。いくら薄れてきているとはいえ、年下から「ごくろうさん!」とは絶対に使えませんよね。一般的には「ごくろうさまでした。」と丁寧語をつけて使います。

 ただ、年下のものから言われると違和感がある人がいる以上、ベストの表現だとはいえないのかも知れません。それに変わる言葉としては「お疲れさま」があげられるわけですが、これもしっくりこない。では、さらに別の表現となると・・・「いい言葉がみつからない!?」のが現状のようです。

 私@じゃりの提案は、「癒しのお決まり挨拶」ではなく、「積極的な言葉」で気持ちを表現する方法です。「お帰りなさい」今日はいかがでしたか?」「では、○○の件どうぞよろしくお願いいたします」などのように、場にあわせた「まとめのひとこと」でうまく相手への気遣いができればとてもよいと思います。こうなると、単なる形式的な挨拶を超えた「会話」に近いものとなりますので、個性的な挨拶ができるようになります。
 しかし一方で、その人の言葉のセンスも真心も問われるようになり表現が難しくなりますし、日々繰り返される日常の挨拶には不向きです。敬語を指導する立場になったらやはりひとつの模範を示さなければなりませんから「臨機応変に話しましょう」では無責任になってしまいますので・・。



 先輩もがんばってくださいね 020「がんばる」

▲ 場面によっては不快に感じる人が多いようです

「がんばって!」という言葉を使う状況を考えてみると、声をかけられる人はなんらかの「苦しい立場」に追い込まれていることが多い。それをぜひ乗り越えて!という気持ちが大いに含まれている言葉です。運動会の親子競技で「おとうさん、おかあさん!がんばって〜!」と叫んだり、病院で「おじいちゃん、がんばって元気になってね。」などと使うのは、応援の意味です。これを不快に感じる人はいないと思います。

問題になるのは、「私も全力でがんばりますので、部長もがんばってください。」「私はいい夏休みになりました。先生もがんばっていい夏にしてください。」という類の表現です。これらは応援ではなく対等な立場からの励ましになります。どこかに「無責任さ」や「あわれむ」ニュアンスが含まれているのかも知れません。年下から言われると「別にあなたに励まされなくてもちゃんとやってるよ!」という反発心がでることもあります。もちろん使っている本人は対等な立場を意識しているわけでもないし、他人行儀で励まそうとしているわけではありません。

「部長もがんばってください。(・・期待しています)。」という「期待している」というニュアンスが感じられてしまうのがこの言葉の不快の原因ではないでしょうか。小さな子どもから「おじちゃん、がんばれ〜!」と言われた時に、心からうれしい時となんとも情けなくなる時がありますものね(苦笑)。

もちろん、「がんばってください」は人によって感じ方も違いますし、使っている人は全く悪意がないのですが、「なんか軽視されているようで気分が悪いなあ」と感じる人がいる以上、気遣う相手には使わないのがよいかもしれません。この表現の問題点は「年下なのに対等な立場で励ましているように感じる」ということだと思いますので、「部長も」「先生も」という「も」を使っているのがいけないということにもなると思います。

「がんばってください」のかわりの表現はありませんかという質問がよくありますが、「がんばれ」は他の言葉に置き換えても「がんばれ」の意味ですからかえようがありません。「どうしても”がんばってください”という表現でないとだめ!」という場面はほとんどないと思います。目上の人にわざわざ「がんばって」と呼びかけなくても「私もがんばります。これからもどうぞよろしくお願いいたします。」と言えば気持ちは伝わりますし、相手のことで終わるよりも自分のことで括るほうがよりよい表現と言えるのではないでしょうか。



 (お客さまに)うちの上司は、厳しい(かた)なんですよ。
025「方(かた)」

▲ 自分の側の人に、尊敬語を使っています

人間に使う「〜という方(かた)」は尊敬表現ですので、自分側の人間には使わないのが原則です。しかし、身内であれ立場が上の人には敬語を使いたくなるのは当然で、現実にはかなり使われている表現ではないかと思います。

他人に話すときは、身内を高めるような表現はしない、というのが今の日本語の「相対敬語」です。<絶対敬語 参照> と断言したいところですが、親しみを感じる相手と話す場合には、身内に尊敬語を使うことはむしろ自然な気もします。「うちの上司は厳しい人なんですよ」と言っておけば、全く問題はないのですが。



 <社外の人が>中川部長さんはいらっしゃいますか? 026「部長」

○ 他社の場合、部長という敬称に「さん」や「さま」をつけても過剰だとは言えません。

昭和27年に国語審議会がまとめた『これからの敬語』では

 <二 敬称 (五)>職場用語として、たとえば、先生・局長・課長・社長・専務などに「さん」をつけて呼ぶには及ばない(男女を通じて) 

とあります。つまり、先生・局長・・などはそれ自体が「敬称だ」と認識しているということです。これに従うとすると、他社の人に対しても「中川部長は・・」で十分だということになりますが、現在の実用では、他社の人に対しては「社長様」「課長さん」としている例が多く、またそれはクドさを感じるものではないので、確かに二重敬語かも知れないが、慣習として何ら問題はないと考えるべきでしょう。「お客さま」も”お”と”さま”が重なっていますが、誰も過剰だとは思わないでしょう。

対外的に社内の人間をいう場合には、役職に「さん」や「さま」をつけることはなく、「中川部長」や「部長の中川は」と表現するのが一般的です。



 これをもって、私のご挨拶とさせていただきます。 030「ご」

○ 正しい表現です。聞き手に敬意を表しています。

結婚式や式典来賓挨拶のお決まり文句です。自分の挨拶に対して「ご挨拶」と敬語を使っていいのだろうか?と考えてしまいます。しかし、この場合の挨拶はふつうの動詞とはちょっと違います。ちょっと考えてみましょう。

たとえば、「手紙」は差出人のものでしょうか?受取人のものでしょうか?書きあげたのは差出人ですが所有しているのは受取人。では、二人のもの?厳密にはいろいろな議論がありますが、最終的に手元にある受取人のもの、と考えるのが一般的でしょうか。

「挨拶」という言葉もこの例と同じように考えることができるのです。つまり、公的な場の発言はみなさんに捧げられたもので、「挨拶はすでに受取人(聞く人)のもの」という解釈が成り立つわけです。そういった点で挨拶の場合は、自分が話しているのですがもう相手に捧げられるものとして気遣いをして、「ご挨拶」としても間違いではありません。もちろん「ご」を使わない「私の挨拶とさせていただきます。」も、おかしくはないでしょう。
つまり、挨拶については、「ご」はあってもなくても正しい表現だといえます。

これは昔からそういう解釈をしているのです。例えば、かぐや姫で有名な「竹取物語」では、帝にお渡しする手紙は「御文」、帝から下の者への手紙は単に「文」と表現しています。逆に考えてしまいがちなので、ご注意を。



 近々、夫のご両親が来られるのですが。 031「ご」

△ 夫や義理の両親は身内扱いがよいでしょう。

義理の親だから少々丁寧に、と考える気遣いからうまれた「ご」ですが、他人に対しては身内扱いになるべき存在でしょう。すっきりと「夫の両親が来るのですが」と表現すればいいと思います。



 明日はお休みしたいのですが。 040「お」

× 自分だけに関わる行為には敬意表現は使いません。

「お」は相手の言動や所有物につけて敬意を表す接頭辞です。「松田さんはお休みに何をしていらっしゃるのですか。」などのように相手の行為に「お」をつけるのが基本です。また、「お電話いたします。」の「電話」などのように、自分の行為が結果的に相手にまで及ぶ場合にも「お」や「ご」をつけて、謙譲表現として敬意を表すことがあります。この例の「休む」は、完全に自分の行為ですから、こういう使い方をしないのが一般的です。「明日は休ませていただきたいのですが。」が正しい表現です。



 (私の)車でお迎えにあがります。 041「お」

× 自分の所有物には接頭辞「お」をつけない。

接頭辞「お」「ご」は、『敬語の基礎知識』のページでも触れているとおり、基本的には相手の所有物につけますが、その場合も基本的に双方の言動に深く関わる事象に限られます。(あなたの)「お名前」、(あなたの)「お宅」、(あなたの)「お手紙」などです。 この例の場合、車の所有は自分、もしくは第三者ですので「お」をつけずに「車で迎えにあがります。」と表現するのが正しくすっきりします。もし車が相手のものなら、「お車」と表現してよいと思います。

こちら側の動作が、相手に直接的に及ぶ場合には、たとえ自分の行為であっても「お」をつけて敬意を表してもよいでしょう。例えば「ご挨拶」や、「お手紙をさしあげる」「お電話いたします」などがそうです。



 本を預かりしてよろしいですか。 042「お」

× 基本的に漢語に「お」は使わない。

 大原則として人間以外には敬語を使いません。また、接頭辞「お」は基本的に和語につくものです。「おからだ」「お考え」などです。例えば「お出発」「お好意」などように漢語には使いません。ただ、『敬語の基礎知識』のページにもあるように、「お弁当」「お勉強」など家事・教育・育児・サービスに関する場合には例外的に使うこともありますが、ほとんどの場合「母親がよく使う言葉」=「女性語」の要素が強いようです。「本」はどこにでもある一般的なものですし特にこちらが気をつかわなければならないような高価なものでもありません。今までの習慣としても使われることが少なかったでしょうし不自然さを感じます。「お預かり〜」の部分で敬意を十分表現できているという点からも「お本」の「お」は不要でしょう。ただ、おとなが子どもとのやりとりで使う「幼児語」としての「お本」「ご本」などの表現は多少の不自然さがあっても許容されるべきで「正誤」の対象にはならないと考えます。

 一般的な敬語の使い方としては、相手にとって大切なものであっても安価なものには「お」や「ご」などの接頭語はつけないようです。もちろんつけてはならないというわけではなく、明らかに高価で貴重な本であったり特別に思い入れや思い出のある本などに、愛着などを込めて接頭語をつけたいときには、「本」は漢語なので「お本」ではなく「ご本」という表現が良いでしょう。



 うちのタマは、とてもお行儀がよくていい子です。 043「お」

△ 過剰表現だが間違いとは言えない。ペットに敬語を使ってはいけない?

学問的には、このようにペットに対して敬意表現を使うのは「過剰表現だ」ということになっています。「本来、対人関係で使われるべき敬語が物やペットに使われるのはおかしい」という原則が理由です。わざとおもしろ半分で使う場合もありますが、自分のペットの自慢話を、度が過ぎた丁寧さで語っているのを聞くと、確かに不愉快になることもあります。ましてや犬猫嫌いの人は、ペットの話題自体に興味がなく、苦痛を感じるかもしれません。

しかし、ペットを家族同様に飼っている人が、親しみの気持ちを含めて敬意表現を使ったとしたら、それを否定することはできないと思います。用法はあくまでも原則論です。時、場合、背景、関係によって変わってくるのが言葉の難しさであり、センスの問題です。柔らかい表現を心がけると自然に出てくる表現なのかもしれません。結局、相手に不快感を与えるかどうかは、敬語の用法が正しいかどうかよりも、話し手の人格や態度に大きく左右されるのです。



 足もとのゴミをお取りしてよろしいでしょうか? 044「お」

△ 形は間違いではないが、敬意を表している対象がわかりにくい

「お取りする」の「お〜する」は、自分があることをさせていただく、という意味で使われる正しい表現です。「お預かりする」「お届けする」「お持ちする」なども明らかに自分の行為ですが不自然ではありません。ですから、自分の行為に「お」を使っているのでおかしい、という論は成り立ちません。形の上では全く問題ありません。

この例文で問題になる点は3つあります。

1) 行為の対象が「ゴミ」であるということです。「お届けする」と使うときには、その対象は「相手の物」であり大切に扱わなければならないものです。ところが、ほこりやちりなどのゴミは、その出所は誰であろうが、一般的に相手の所有物でもなければ大切に扱うべきものでないでしょう。「お取りする」行為は自分であっても対象が「ゴミ」なので、敬語を使うには違和感が生まれるでしょう。

2) 「お〜する」「よろしい」「でしょう」と敬意が3つ重なっていますので、ちょっとくどく感じるかもしれません。基本形は「足もとのゴミをとっていいか?」ですので、どれか2つにしぼるとかなりすっきりします。

2) ゴミをとるのが目的ですが、背景には「相手によけてもらう」「手をとめてもらう」などの無理をお願いしていることがあるわけです。はっきりと「掃除するのでちょっとよけてくださいね。」とでも言えたらよいのですが、遠慮がちに許可を求める態度を示さなければならない点で、この表現はすっきりしないのです。いちいち「今から約1分間、このほうきとチリトリで、足もとにあるゴミを・・」と説明しなければ納得しないという人はいないでしょうから、遠回しに「ちょっと失礼してよろしいですか」だけでも十分でしょう。



 ここのところ、おわかりになりますでしょうか? 051「わかる」

× 誤りです。可能動詞では敬意がうまく伝わりません。

「お〜になる」という尊敬表現のパターンを使えているので、形の上では問題がないように思うかもしれませんが、なんとなく見下されているような印象にもとれませんか?これは文の形の問題ではなく、使っている可能動詞に問題があるのです。「わかる」などの可能の意味をあらわす動詞は、相手を評価するニュアンスが含まれているので、敬意を必要とする相手には使わないのが望ましいでしょう。とたえば「できる」も可能動詞ですが「おできになりますでしょうか?」という表現はなんか不自然に感じませんか?相手の意見を求めるような問いかけの形で、「いかがでしょうか?」と表現するのがよいと思います。



 さきほどもおっしゃられたように 055「おっしゃる」

△ 正しいが、少し過剰気味です。

「言う」の尊敬語「おっしゃる」に加えて、尊敬の「〜れる」をつけている二重敬語表現です。二重敬語はそれ自体は間違いではありません。ただ、昔は特別な人だけに二重敬語を使っていたという経緯もありますし、会話は簡潔明快に、という基準から言っても二重敬語は避けるのがよいでしょう。この場合はおっしゃったように」とするのがよいと思いますし「言われたようにでも敬意は十分伝わると思います。





プレゼンテーションや会議の場などでは、自分の言葉遣いがとても気になります。単に自分を名のる挨拶だけでも気をつかうのに、何か発言する場合などは、その内容をうまくまとめることに精一杯で、言葉遣いまで気がまわらない。ただ、丁寧に失礼がないようにうまくしゃべらなければ、と気を使うあまりに、つい不自然な敬語を使ってしまうこともよくある話です。特に、目上の人の発言の後に突然指名されて意見を求められたりしたら、焦ってしどろもどろに・・。

会議中に、ある人が緊張からかうまく舌が回らず、「今、おっしゃらいましたように・・」という発言になってしまったことがあります。それが、私には「今、おっ皿洗いましたように・・」と聞こえてしまったのです。いわゆる「壺にハマる」というやつで、我慢しようとすればするほど笑いが止まらなくなってしまったことがあります。体が揺れて大変でした。ほんとに失礼なことをしてしまいました。

「自分の使える敬語を使って、自然な敬意を伝える努力をする」ことが望ましいと思います。背伸びしたり、なんとなくの聴きまねで敬語を使ってしまうと不自然に感じられます。「です」「ます」「ございます」などの丁寧語をつければほとんどの場合失礼にはあたらないので、緊張する場では無理をしてまで使わないことが大切ですね。

 今、山下課長が申された提案内容に賛成です。 060「申す」

× 誤りです。「申す」は謙譲語なので相手の言動には使いません。

「申す」は謙譲語です。謙譲語に「れる」をつけて尊敬しているつもりの表現が多いようですが、「れる」という尊敬の意味を後ろにつけても、尊敬表現として扱わないのが原則です。ひとつの行為に謙譲語と尊敬語を同居させること自体、矛盾があります。「ただいまの、山下課長のご提案に賛成です。」という表現がすっきりしています。もっと丁寧に言いたいのなら「山下課長が言われた・・」「山下課長がおっしゃった・・」となります。

こういう誤りをきちんとなくそうと思えば、何が尊敬語で、何が謙譲語かしっかりと区別しなければいけません。覚えるコツは「おっしゃる&申す」「ごらんになる&拝見する」というように、同じ意味の語句をセットで覚えて、意識して使ってみることです。



 おかしなところがあればお申し出ください。 061「申す」

○ 正しい。敬語の消滅です。

「申す」は謙譲語なので、相手の動作に使うことはおかしいのですが、申すの複合語(2つ以上の語がひとつになったもの)の中には、熟語として敬意が消滅したものがあります。たとえば、「申し込む」「申し出る」などです。名詞になった「申し込み」「申し出」なども敬意が含まれていません。これらは使用頻度も高く、敬語性が完全に失われている慣用語なので、相手の動作に使ったとしても問題ありません。



 課長が社長に申されたように 062「申す」

○ 正しい。二人に敬意を表す場合の例です。

課長に謙譲語「申す」を使うのはおかしいことですが、その動作を受けている社長に敬意を示すために、課長の言動に「申す」という謙譲語を使っているので、間違いではありません。謙譲語だけだと「社長に申したように」となりますが、それでは社長だけに敬意を表して課長には敬意なしになるので尊敬の「れ」をつけて、二人に対して一度に敬意を示しています。このように、動作をする人、される人、両人ともに敬意を表す場合には、動作をする人に謙譲語を使うことがあります。

  ★整理★

    話をしたのは課長なので、直接社長に敬意を示せない
      ↓
    仕方ないので、課長に謙譲語を使うことで、まず社長を尊敬する
      ↓
    課長にも尊敬語を使ってふたりともに敬意を表する

     言っ・た → 申し(謙)・た → 申さ(謙)・れ(尊)・た



 有本さまでございますか 068「ございます」

× 誤りです。「ございます」は丁寧語なので敬意は含まれていません。

相手に敬意を表するならば、言葉の上では「尊敬語」か「謙譲語」を使うのが本筋。「有本さまでいらっしゃいますか?」というのが正しい使い方です。「ございます」の基本語は「ある」です。昔は「誰かある」などのように人間の存在に対しても使いましたが、今は人に対しては使いません。「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」です。 「ございます」というのは丁寧語で、本来の使い方からいえば尊敬の念は全く入っていません。例えば車内放送の「次の停車駅は日本橋でございます」には、日本橋という駅に対する敬意は含まれていません。「ございます」を使わずに「有本さまでしょうか?と丁寧に言えば十分でしょう。

相手の名を尋ねるときに、もっとも丁寧な表現として使われてきたのが「失礼ですが?」。遠回しな表現の最たるものです。確かに「気遣いにうるさい人」を満足させる表現ですが、日常ではやはり避けるべきでしょう。最近では「失礼ですが?」と電話の応対で使うと、「え?」「なんですか?」と聞き返されることがあるようです。



 森本部長は何時頃まいられる予定ですか 070「まいる」

× 「まいる」は謙譲語なので相手の言動には使いません。

「まいる」は謙譲語ですから上司には使えません。それに尊敬のことば(厳密には助動詞)「れる」をつけているので、さらに謙譲語と尊敬語が混ざっていておかしい、といえます。「何時頃いらっしゃいますか?」「何時頃お戻りになりますか?」が正しい表現です。



 こちらで用意します 075「ご〜する」

◎ 正しい。自分の行為に使う基本形です。

自分側の行為に「ご」をつけるのは間違いではないか、と思われる方もいると思いますが、「ご〜する」は、

  「〜する」というこちら側の言動 + 相手への気遣い「ご」を含めた表現=謙譲

です。さらに丁寧語の「ます」をつけた敬語の基本中の基本なのです。



 当日は上履きを用意してください 076「ご〜する」

× 誤り。相手の行為に謙譲の基本形「ご〜する」を使っています。

敬語の原則のところで述べたとおり、「お(ご)〜する」は「する」のですから、こちら側の言動に使う表現です。相手には「〜なさる」という尊敬表現が原則です。 正しくは「ご用意ください。」「用意なさってください。」「ご用意なさってください」です。特別に気をつかわないならば、単純に「用意してください。」で十分だと思いますし、「〜をお願いします。」でもよいと思います。

表現上は正しくても語調がきつければ強制しているように感じられるので注意しましょう。



 栗原さんは何をいただきますか? 080「いただく」

× 誤り。相手の行為に「食べる」の謙譲語「いただく」を使っています。

「食べる」の謙譲語が「いただく」です。正しく表現するなら「何を召し上がりますか?」となります。



 どうぞ冷めないうちにいただいてください。 081「いただく」

× 誤り。相手の行為に「食べる」の謙譲語「いただく」を使っています。

「いただく」は「もらう」「食べる」「飲む」という意味の謙譲語です。この例は食べるのは相手ですから謙譲語を使うのは誤りです。 「どうぞ冷めないうちに召しあがってください。」と表現すべきです。近い関係の人なら「冷めないうちに、どうぞ。」で十分です。



 資料はあちらでいただいてください。 082「いただく」

× 誤り。相手の行為に「受け取る」の謙譲語「いただく」を使っています。

「いただく」は謙譲語ですから、「いただく人」である接客相手の動作には使えません。相手に謙譲語使うということは、動作の対象である資料配布係を尊敬する形になってしまうので、正しい表現だとは言えません。 正しくは、「係のものからお受け取りください。」「あちらの係でお受け取りになってください。」です。「あちらの係で受け取ってください」は丁寧語だけですし、忙しい受付業務などでは、ついついキツい口調になってしまうので避けたほうがよいと思います。ホテルのフロント、結婚式の受付などでは「あちらの○○でお受け取りくださいませ。」という丁寧な表現を使っています。



 説明させていただきます。 083「いただく」

△ 正しい。広く使われるようになり定着した表現です。

自分の都合ですることなのに相手に許可を求めて媚びるような表現をする「〜せていただく」は、多くの人が不自然に感じる表現でしたが、最近目立って使われるようになってきたこともあり、逆に不自然だと感じる人が少なくなったようなので、定着した表現だと言えると思います。

    http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/keig/c01c22.htm

例文の「ご」はなくても十分敬意が感じられる表現です。「説明する」のは私ですが、相手に直接作用が及ぶ言葉※なので丁寧さを出すために「ご」をつけてもよいと思います。二重敬語の用法として認めてよいでしょう。

※「説明」「連絡」「手紙」「電話」「報告」「挨拶」などは、その状態(物)を相手と共有する言葉です。


 <電話で>岡本は、休みをいただいておりますが。 084「いただく」

△ 新しく生まれて、広く使われるようになり定着した表現です。

この場合のいただくは、何となく違和感がある、という人が多いかも知れません。もともとは使わない、明らかに違和感のある表現だったようです。詳しいことは<奥義の巻>で解説しています。

    http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/keig/c01c22.htm

電話の場合はとにかく「相手への気遣い」が第一になりますので、こちら側としては、休んでいるのが上司であろうが部下であろうが関係なくこの表現が使えるわけです。

別に相手に許しを得なければならないないようではないし、相手によっては「休みをいただくと言っても別に私が許可したわけではないのに・・・」と感じる人もいるでしょう。この場合は「せっかくお電話をいただいたのに希望に添えなくて申し訳ない」と点を重視して、それをこちらの都合だからと押し返すことなく、許可を求めるような表現にしているのです。相手に許可を求めるのは不自然な場面ですが、そうすることによって丁寧に感じてもらえる、つまり、「こちらが相手に対して負い目を感じているようなニュアンスをわざと作りだして」敬意を表現しているということです。

この場合、どうしても「いただく」を使う必要はないと思います。また「岡本さん」は身内なので、相手が岡本さんの身内でもない限り呼び捨てでよいと思います。「岡本は、本日休んでおります」「岡本は、本日休みです」で十分です。また、語尾につけた「〜が」は印象を悪くする語尾ですので電話ではやめた方がよいと思います。



 教えていただけますか? 085「いただく」

○ 正しい。広く使われるようになり定着した表現です。

もともとは「教えてもらえますか」という表現で十分な敬意が表現できていたのですが、敬語がたくさん使われる中で敬意がだんだん弱くなってきて【敬語低減】、もっと丁寧な表現として謙譲語のいただくを持ち込んで「〜ていただく」が使われるようになりました。「いただく」は物が相手から自分に移動してくる場合に使うのが原則ですので、依頼や命令に関する表現には使いやすかったのです。「教えていただけませんか」「教えていただけないでしょうか」「教えていただくことはできませんか」のように、否定や疑問を組み合わせるとより丁寧な表現になります。

「いただく」という謙譲語が、尊敬語の意味あいにまで広がり、丁寧語の「ます」(これも敬語です)と一緒になって使われることで、相手を尊敬する丁寧な謙譲表現となり、広く用いられるようになりました。名詞に直接接続して使われる「ご利用いただけます」という表現もあります。



 角谷さん、飲み物は何にいたしましょうか? 088「いたす」

○ 正しい。自分も含む行為に謙譲語「いたす」を使っています。

上の -081- の例 は、「相手が食べる」という行為に対する敬意表現でしたが、この例は自分も一緒に、という行為の場合です。「いたす」は「する」の謙譲語で、「何にしましょうか」というのは自分も含めての「一緒に〜する」という発言ですから、謙譲表現を使うのがよいのです。

日本人?は、お皿に残った最後のひとつを遠慮して他人に勧めます。しばらく、ポツンとひとつ唐揚げが残っている、というのはよく見かける光景です。みんな、ちらちら気にしながらも手を出さない。まだ食べはじめでお腹が空いているときにはとても不自然な時間です。いつ言い出そうか、と会話もうわのそらになったり・・・。 気のきく人が「これ、どうぞ」と切りだして「じゃ、いただきますよ」となれば一件落着。譲りあった末に決着がつかず「じゃんけんしよか?」となることもあります。冷静に考えると、唐揚げひとつにそんなに気を使わなくてもいいような気もしますが・・・、謙虚なわりにはじゃんけんに勝った者が食べてたりしますね(笑)。



 辻本ですが、久保さんをお願いいたします。 089「いたす」

△ 押しのある印象を受けます。

「辻本ですが」は、やや親しみを感じさせる表現です。知り合いならともかく、全く知らない人はちょっとなれなれしさを感じてしまうかもしれません。親しげに語ることは大切ですが、相手が失礼を感じてしまうようではいけません。 目の前で用件を聞いていくれている相手に対する気遣いもなく、「お願いします」では、押しのある印象を受けることもあるでしょう。ただし、口調にもよりますので、丁寧な態度であれば問題はないと思います。「こんにちは。大和鉄道の辻本と申します。根本さん、いらっしゃいますか?」など、わかりやすく気遣いのある表現がよいと思います。



 どういたしましたか? 090「いたす」

× 「いたす」は相手の言動には使いません。

「いたす」は、「食事をいたします」のように自分だけの動作丁寧語として用いる場合と、「ご迷惑をおかけいたしました」のように、自分の行為が相手に至るとき謙譲語として使う場合があります。例文の「いたす」は「相手の状態」をたずねているので、正しい使い方ではありません。正しくは、「どう(か)なさいましたか?」です。



 コーヒー、紅茶、どちらにいたしますか? 091「いたす」

× 誤り。相手の言動に謙譲語「いたす」を使っています。

「いたす」は「する」の謙譲語です。飲み物を選ぶのは相手ですから、尊敬表現を使わなければなりません。「する」の尊敬語は「なさる」です。「どちらにされますか?」「どちらになさいますか?」が正しい表現です。



 <話を聞いて>さようですか。 095「さようです」

△ 少し古風な表現になりつつあります。

「さよう(左様、または然様)」という語は「そのとおり」という確認、同意の語です。「さようです」「さようでございます」というように使われます。また、「そうですか!」という驚きの気持ちに敬意を込めて「さようでございますか!」と表現することもあります。今では、どちらかといえば年輩の方が、丁寧に接客しなければならないときなどに使う古風な言葉となっています。

相手の発言に対して、強く同意する意味で「さようでございますね」と返答するのは問題ないですが、単につなぎ言葉、相づちとしての「さようでございますね〜」には違和感を持つ人が多いようです。とても丁寧な表現ですが、その分、疎遠で形式的な返事として受け取られ、相手に冷たさを感じてさせてしまうこともあるので、日常で使う場合には気をつけなければなりません。



 高村(光男)さんをお願いします 100「お〜する」

△ きつく聞こえるかもしれません。

表現として間違いはないのですが、語調や声の質や相手の受け止め方によっては、きつく高圧的に感じることがあるかもしれません。「どういうご用件でしょうか?」と聞き返されることも多くなります。 正しくは、きちんと名のった後「高村(光男)さんはいらっしゃいますか?」と尋ねるべきです。明らかにいるとわかっている場合や応対している相手が「本人かな?」と思える場合でも、「いらっしゃる」を使ってもかまわないと思います。



 <店内放送>業務連絡をいたします。増井さん、至急3番までお越しください 101「お〜する」

△ 基本的には誤用。身内側の人に尊敬表現「お〜ください」を使っています。

「業務連絡をいたします」は、来客に呼びかけているなら謙譲語「いたす」でよいのですが、呼びかけの対象が身内の増井さんだと考えると敬語を使う必要はなく、言葉遣いが来客にとって不快でなければそれでよい、ということになります。業務放送では、社員に対して敬語は使わないのが原則です。使わなくてもいいのですが、敬意のない放送によって店の雰囲気が壊れてしまいそうならば、例文のような敬語を使った表現をしてもかまわないと思います。本来は店内放送ではなく内線で探したいところですが、しかたない放送だとすると、必要最小限にとどめるのが望ましいでしょう。「業務連絡です。田中さん、至急3番まで。」と、一度で聞き取れるように、柔らかくはっきり流せばよいと思います。最近、ある店舗のトイレで「ここは社員も使わせていただきます。ご挨拶はいたしません。ご了承ください。」という張り紙を見かけました。周りの人に尋ねてみるとどうも「大型店舗」のいくつかにあるようです。この意味があまりよくわからないのですが、「社員が客用のトイレを使っていたぞ」とか「トイレで客に挨拶もしないなんて」という苦情があるということなのでしょうか?・・・どなたか詳しい方、教えてください。



 私のお母さんは外出しています。 120「お母さん」

△ 「お母さん」は敬語です。

この表現に問題を感じない人もいるでしょう。自然に使う人もたくさんいます。自分の身内のことを他人に話すときは「父」「母」「姉」「兄」と使うのが原則です。しかし、このような原則で使うようになったのは最近の話。昔は自分の身内にも年上なら敬語を使っていました。将来、この使い方は自然な表現として受け入れられるようになるかも知れません。いくら原則だといっても、小さな子どもに話しかけるときに「私の父がね、」では、不自然ですよね。これは、年齢によって扱いが変わる表現です。呼びかけるときには「おとうさん、おかあさん」と使っても問題ありません。



 いま、お時間よろしいですか? 130「〜いです」

◎ 正しい。”形容詞+です”は歴史的には新しい表現です。

この表現が、正誤の話題になる理由がわからない方も多いと思います。この「形容詞」に「です」がつくという丁寧表現は、第2次世界大戦後になってようやく国語審議会に認められたという新しい表現なのです。別に、国語審議会が絶対的な権威というわけではありませんが、広く認められるようになったという基準になるものです。それまでは、公的な場では形容詞の丁寧語は「よろしゅうございます」というように、「ウ音便」+「ございます」しか用いられていませんでした。「お時間よろしいでしょうか」とするとさらに丁寧になります。

「メールをいただければうれしいです」や「その答えが正しいです」という丁寧表現には不自然さを感じたり、幼稚な表現に思えたり、違和感がある人もたくさんいるようです。「の」をはさんで「うれしいのです」と言うのもおかしいし、単に「うれしい」ではちょっと軽い感じがします。「うれしい限りです」「正しいと思います」というように「形容詞」と「です・ます」の間に何かをはさむと、大人びた表現になります。



 わが社に来たのははじめてでしょうか?  135「わが」

× 誤り。敬意がうまく表現できていない。

「わが」という表現は少々偉そうなイメージを与えます。会社の場合は「小社」「弊社」「この会社」「私どもの会社」が正確な表現です。「小社」は”商社”と同音ですし、「弊社」は謙譲語でありながらちょっとかっこよく聞こえすぎるきらいがあるので会話には向いていません。相手方の動作「来る」に敬意がありません。「でしょう」はちょっとくだけた表現です。 

きちんと敬語を使うと「私どもの会社にお越しになったのは始めてでいらっしゃいますか?」という表現になりますが、これでは「シンプルな表現」とはお世辞にも言えません。「こちらには、はじめてのお越しですか」という表現も考えられます。それ以前に、「はじめて来た」ということを尋ねる必要があるかどうか考えたほうがよいかも知れません。



 ちょっと、赤ちゃんにお乳あげてきます  140「あげる」

○ 従来の敬語であれば過剰表現だが、広く使われるようになり定着した表現です。

 「あげる」は「やる」の尊敬語です。新聞の読者投書欄で敬語の問題がでてくると、よく取り上げられる例です。「お乳」は自分の乳に対して尊敬している?し、「あげる」は敬語ですから、赤ちゃんを自分より高めている?から用法としては誤りだという指摘です。しかし、今では「これ、おまえにあげるよ」と使うように敬意は完全に薄れていますし、もうほとんどの人が普通に使っている表現です。むしろ基本語の「やる」がきつい言葉に感じられるほどです。

 「お乳」は美化語の類であり、お乳を尊敬しているわけではないでしょうし、「あげる」を尊敬語と認めたとしても、赤ちゃんに対するかわいらしさと大切に思う心から自然にでたやわらかい丁寧な表現だと考えれば、否定することはできないと思います。正しく使えば「娘に乳を与えてきます」「息子に乳をやってきます。」となりますが堅苦しく感じます。

 @じゃり流解釈。「かけがえのない大切な存在には、習慣として敬意表現を使うことがある」という原則でどうでしょうか。それ以前に「ちょっと失礼します・・」と言えば、「お乳をやるのだな」とわかってもらえるのが日本の社会ですが。



 花に水をあげましょう。  141「あげる」

○ 従来の敬語であれば過剰表現だが、広く使われるようになり定着した表現です。

植物に対して「あげる」という敬語が使えるかどうか、という問題です。「水やり」とはいいますが「水あげ」とは言いません。花を育てることはとても手がかかります。「水をやりましょう。」が基本表現ですが、話の中では言葉づかいが雑に感じられるかもしれません。上の140と同じ解釈でよいでしょう。不自然だと感じる人はあまりいないでしょうし、仮に「誤りだ」と指摘しても、みなさんの表現が変わるとは思えません。



 お客様が、まもなくこちらに見えられます 150「みえる」

× のぞましくない。 「見える」という尊敬語に、さらに「られる」をつけた二重敬語。

「見える」は尊敬語としても使われます。「いらっしゃる」や「おいでになる」よりも敬意が低いので、尊敬の「られる」を添えて使いたくなります。基本的には二重敬語はクドくなるので望ましくないと考えたほうがよいと思います。 「まもなくこちらにいらっしゃいます。」「まもなくこちらにおいでになります。」「まもなくこちらにお越しになります。」と表現したほうがよいでしょう。

お見えになる」という表現も「お〜なる」と「見える」の二重敬語となりますが、これは慣用として定着しているので、誤用とはいえないでしょう。



 こちらにご参集ください。 155「参集」

○ 正しい。 「参」の敬意が熟語になって消滅しています。

「参」という漢字を使った熟語を人の動作に関して使うときには、謙譲の意味を持つことが基本です。たとえば「参上」「参詣」「参勤」「参内」「参着」「参道」「参列」などです。この場合の「参集」もかつては謙譲語として自分の行為や、高貴な人に対する言葉として使われていましたが、今では敬意が消滅してしまいました。他にも「参加」「参会」「参政」など、敬語性が完全に消滅した使用法も多く、その言葉に敬意の接頭語「ご」をつけたとしても問題ないでしょう。
 


 <来客中に>部長、恐れ入りますが・・。 160「恐れ入る」

△ のぞましくない。 部長に謙譲語を使っている。

来客中に、何か用件を切り出すこと自体がとても失礼にあたりますので、よほどでない限り来客が帰ってからにすべきですが、重大な急用なら仕方がありません。「恐れ入ります」という表現が正しい使い方ではありません。謙譲語ですから「部長を高めている=来客を低めている」という構図になってしまうとも考えられるからです。いきなり部長に話しかけるのではなく、まず来客にお話し中まことに申し訳ございません。ちょっとよろしいでしょうか。」と了解をとるほうが望ましいと思います。次に部長に部長、・・ですが。」と用件を切り出しましょう。もし部長に別の場所へ席を立ってもらわなければならないときには、部長退出後に、来客にもう一度「まことに申し訳ございません、少々お待ちください。」と言う心遣いが必要になります。
 


 電話で>「 どうも。中村です。 」 165「どうも」

△ 不適切。 立場をはっきり伝えた方がよい。

ほとんどの場合、名のれば声と口調で「誰であるか」はわかってもらえるのですが、よくある姓の場合、どの中村さんかわからないことがあります。「奈良の・・」「大正建設の・・」などのように用件に関わる立場をはっきり伝える習慣を身につけた方が良いと思います。

「どうも」という言葉も、あくまでも省略された表現ですから、対面の時と同じようにきちんと挨拶をつけた方がいいでしょう。「こんにちは。田村商店の中村です。」と、ゆっくり言うのが良いでしょう。

私は「中村ですが」という電話を受けて、同級生の中村くんだと思って「おお」「うん」「えっ?」「へええ」と話していたら、途中で中村先輩だったことに気づき、「す、すみませ〜ん!」となったことがあります。今では笑い話ですが、その時は冷や汗タラタラ、必要以上の不自然な敬語ペラペラ・・ということになってしまったことがありますし、こちらから電話したときに電話に出たのが声が当人とそっくりな弟で、そのまましゃべり続けてしまった・・という情けない体験があります。親しい仲にも礼儀あり、ということの大切さを実感しました。
 


 <電話の取りつぎで>青山くん、高山製菓から電話だよ 200「だよ」

△ 注意。 待たされている側にとっていい気はしません。

 他社を呼び捨てにした上、取り次ぎにあたっての基本的な尊重の気持ちが感じられない発言です。受話器から耳口をはずしたとたんに口調やトーンを変えて渡す人がいますが、受話器の口を押さえていても声は漏れますので、漏れ聞こえたら待っている相手はいろいろなことを想像しますし、不愉快になることがあるかも知れません。「高山製菓さんからお電話です」とすれば問題ありません。不快な待ち受けの曲を聞かされたり受話器の口を押さえたガサガサ音よりも、そのまま声が聞こえてきちんとしたさわやかなやりとりが聞こえる方がずっと気持ちがいいものです。
 


 <電話の取りつぎで>田島さん、奥様からです 210「〜からです」
 
△ 不適切。 家族からの電話には気遣いが必要です。

 取り次ぐときには「誰からか」を告げることが原則です。相手によって対応を変えなければならないからです。しかし、家族からの電話というのは重大で他人には知られたくない用件の場合が多いはずです。「田島さん、お電話です。」と取り次ぎ、相手を尋ねられたら周囲に知られないような配慮をするかできるだけ自然に「お宅からです。」と伝えましょう。
 



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