Angel Sugar

「夢と語る」 (90万ヒット)

タイトル
 本日はうちの中の掃除。
 そう決めて珍しくも一日休みが取れたトシは、やはり同じように休暇を取っている幾浦と一緒に朝から掃除に励んでいた。最初、幾浦は掃除をするのを渋っていたのだが、トシが無理矢理重い腰を上げさせた。
 要するに幾浦にすると、二人が同時に休みが取れることが無いので、こういう機会に遠出をしたかったらしい。しかし幾浦は普段からこまめに掃除をしているものの、年末の大掃除も仕事が忙しくて出来なかったそうだ。
 トシには耐えられないことだった。
 そうして、朝から二人でああだこうだと言いながら掃除をしていたが、さすがに男二人の手があると昼にはすべての部屋の大まかな掃除は済んだ。
「後はフローリングのワックスがけかな……」
 うっすらと額に汗を滲ませてトシは独り言のようにつぶやいて幾浦を目線で探すと、バルコニーでタバコを吸っているのが見えた。
 ……
 もううううう……
 タバコすってる場合じゃないだろう~
「恭眞~!モップ何処?」
 タバコを吸うなとは言えないのがトシだった。もちろん身体に悪いのは分かる。それでもトシは止めろと今まで言ったことがない。幾浦の健康が気にはなるが、本人がストレスをタバコで紛らわせているのだからあまり強く言えないのだ。
 ただ習慣性があるため、ストレスとは関係のない時も吸っているのが問題なのだが、だからといって個人が楽しんでいることに口を挟むことは出来ないだろう。当然、こちらに向かって煙を吹き付けられたらいくらトシでも怒るだろうが、ここ最近高まった嫌煙ムードに幾浦も随分と気を遣っているようなのだ。
 そこまでして吸いたいんだもんなあ……
 僕には分からないけど……
 リーチが学生の頃、暫く吸っていた時期があったが、それも一時的なもので今ではもう吸うことはない。本人曰く「ガキがポーズを付けたかっただけだ」と言うくらいだから、これからも吸うことはないだろう。
「モップは無いんだ……」
 幾浦はタバコを手に持っていた灰皿に入れてこちらにやってきた。
「無いって?どうして?」
 と、トシが不思議な表情を幾浦に向けている真横でアルが小さな声で唸っている。突然唸るアルに驚きながらもトシは更に言った。
「無かったら僕……買ってくるけど……」
「いや……ほら、以前話したが、アルがモップ自体も嫌いなんだ。その所為で今までにモップを二本駄目にしてるんだよ。よほど気に入らないようで、仕方がないからモップはうちに置いていないんだ」
 苦笑しながら幾浦は言って、持っていた灰皿をテーブルに置いた。
「アル……モップって言われるのが嫌なだけじゃなくて、そのものがあるのも嫌いなの?」
 隣に腰を落ち着けているアルにトシが聞くと「ワンワン」と鳴く。その鳴き方は「そうだ」と言っているようだ。
 以前幾浦によって切られたしまった頭にようやく生えそろってきた毛が、なんとなくトシにはモップに見えた。その上、アルの足は丁度モップのような形に毛が生えており、末広がりになっている。
 言えないけど……
 やっぱり似てるよね。
 多分、アル自身もモップと自分が似ているような気がして嫌なのだろう。トシはそう結論づけたが口には出さなかった。アルは人の言葉を理解している節があるため、本当にモップが自分と似ているために嫌だと思っているなら、更に嫌な思いをさせるだろうとトシは考えたのだ。
「じゃあ……床は普通に磨くしかないか……」
「先に少し休憩をしないか?」
 言った幾浦はソファーに座ってくつろいでいた。
「う~ん……そうだね。朝から動きっぱなしだったから僕もちょっと疲れたかな?」
 持っていた雑巾をバケツに掛けて、トシはう~んとのびをひとつする。
「トシをねぎらって、温かいコーヒーでも入れるか……」
 幾浦は腰を上げてこちらを見るので、トシは笑顔で頷いた。すると幾浦は照れくさいような表情をやや鼻の頭に浮かべて、キッチンに向かって行く。その後を幾浦が視界から消えるまで追いかけたトシは、ソファーにではなく、フローリングの上に敷かれた柔らかい絨毯の方に寝転がった。
 このリビングはフローリングの上に丁度全面を覆うほどではない真四角の絨毯を敷いている。その上にソファーと机が置かれているのだ。もちろん、絨毯部分はそれでも余っていてバルコニー側の窓際近くは寝転がることが出来る空間となっていた。
 そこでごろごろと横になるのがトシはことのほか好きだ。全開放型の窓から見えるバルコニーにはトシが世話をしている植物の鉢と小さな花壇が見える。最初鉢を並べて小さな花壇を作ったときはガーデニングらしきものだったのが、今では随分と立派な庭になってきていた。
 和む~
 緑色の葉っぱを眺めているとトシは目が霞んでくるのが分かった。
 あ、なんか眠くなってきた……
 バルコニーへの窓が少し開いていることで外からの風がゆるゆると室内に入り、トシの頬を撫でる。その感触がとても気持ちいいのだ。
 眠い……
「トシ……なんだ眠いのか?」
 頭上から幾浦の声を聞き、トシはしょぼしょぼさせていた目をそちらに向けた。
「……うん……ちょっと眠い……」
 言うと幾浦がトシと同じように絨毯の上に身体を伸ばす。
「私も今日みたいな日は昼寝でもしたい気分だな……」
「……あれ。コーヒーは?」
「豆を挽いてセットしてきたところだからもう少しかかる。旨いコーヒーをトシに入れてやろうと思ったんだが……時間がかかりすぎるか?」
「ん~いいよ……。僕も美味しいコーヒーが飲みたい……」
 とはいえ、睡魔がだんだん自分を誘惑するのが分かり、目を開けているのも辛くなってきた。
「少し昼寝でもするか?」
 幾浦がトシの身体を引き寄せて、己の腕に頭を置かせてくれた。腕枕だ……と、感激しながらもトシはどんどん眠りに引き込まれ、とうとう幾浦に言葉を返せなくなった。

 小一時間ほど眠った幾浦であったが、トシの声を聞いて目が覚めた。いや、覚まされたと言った方が正確だ。
「……トシ?」
 腕枕で眠っているトシは何故か瞳から涙を落としている。その涙の理由が分からない。
「……どうしよう……」
 眠りの中、トシはそう呟いた。
「どうしたんだ?」
 幾浦は思わず聞き返す。
「……僕……好きな人がいるんだ……」
 ……
 はああああ?
 爆弾発言か?
「……そ……それは……誰なんだろうなあ~」
 動揺を隠せない幾浦は、奇妙な口調でそう聞いていた。 
「……放浪していて……出会ったんだ……とても綺麗な毛で……僕は……」
 後は聞き取れない程小さな声でトシはもにゃもにゃと言う。だが幾浦はその放浪と言われて意味が分からなかった。もしかすると夢の中で現実とは違う自分にトシはなっているのかもしれない。
「放浪?」
「……うん。僕……ご主人様はいないから……」
 ……
 ご……
 ご主人様……
 幾浦は果てしなく誤解をしそうな言葉を聞き、思わずつばを飲み込んでいた。
「ご……ご主人様……そうか、いないのか……」
「……僕……生まれたときから一人で生きてきたんだ……」
 ぼそぼそと言うトシが夢の中でどんな人物になっているのか幾浦は興味がわく。このまま聞くと答えてくれるのだろうか?起きたときにどういう反応を示すだろうかと幾浦は笑いを堪えながら更に聞いた。
「一人で……可哀想に……」
「うん。でも野良でもちっとも寂しくないよ。時々怖い人間が追いかけてくるけど……」
 ……
 野良?
 野良って……
 もしかしてトシは今……
 犬かネコになっている?
「怖い人間というのは保健所の人間か?」
「それもあるけど……もっと怖いのは僕を食べたがる人間。ん……僕って美味しいんだって……」
 美味しい……
 美味しいってなんだ?
「美味しいのか?」
「うん。赤犬って美味しいんだって」
 赤犬って……
 時代は……どうなってる?
 違う……
 国が違うのか?
 アジアの国で犬を食す文化を持っていたところがあったが……いや、日本でもそんな話がまことしやかに囁かれた時代があったな?
 あまり幾浦も詳しく覚えていないのだが、今トシは犬を食べるのもおかしくない時代に生きている夢を見ているのだろうか?
 しかも犬になって。
「そうか……じゃあ気を付けないとな……」
 間抜けな返答を自分でもしていることに幾浦は気が付いていたが、他に言いようが無いのだから仕方がない。
「あっ!」
 トシはいきなりそう叫んで身体を震わせる。何か尋常では無いことが夢の中で起こっていることが幾浦には想像がついた。
「どうした?」
「追いかけてくる……僕のこと捕まえようとしてる人間が……どうしよう……」
 両手足をばたつかせているところを見ると、犬になりきったトシが地面を駆けているようだ。
「逃げないと……何処か隠れる場所はないのか?」
 トシに暫くつき合ってやろうと思いながら幾浦は言った。
「無い……無いんだ……どうしよう……あいつら猟銃を持ってる……怖いよ……」
 周囲を見回すようにトシの頭が左右に振られる。
「しっかり探すんだ……ほら……何処か家の下に隠れるとか……」
「うん……でも……ああっ……!もう駄目だ……っ!見つかった!助けてアルっ!」
 ……
 何故……
 何故アルなんだ?
 いや……
 アルは犬だから出てきても不思議ではないのだろうが……
 納得がいかないんだが……
 トシの寝言に反応したアルが嬉しそうに尻尾を振っている。犬相手に嫉妬しても仕方が無いのだろうが、幾浦は腹が立った。
 色々あるだろう?
 私も犬として登場させるとか……
 こう、頼りがいのあるすごい犬が幾浦という名前でも良かったんじゃないのか?
 色々思うことはあったが、トシが見ている夢なのだから文句を付けるわけにもいかないのだ。多分、本人も分かっていないだろうから。
 ではどうやってトシの夢に自分を登場させるといいのだろうかと幾浦は考えた。
「あっ……あそこに……いい人がいる」
 自分で言って意味不明だ。  
「……どこ……どこ?僕……もう駄目だよ……」
 またトシは顔を左右に振る。これで起きないのだから不思議だ。
「君の後ろにご主人様になってくれそうな人が立ってるぞ」
 犬として登場したくなかった幾浦はそう言った。
「え……あ……本当だ……」
 よし……
 私も登場したぞ。
 人の夢であるのだが、幾浦はとても満足していた。
「彼のところに行くんだ。そうすれば君を守ってくれるよ」
 ほくほくとしながら幾浦は笑みを浮かべる。
「うん。あっ!」
「どうした?」
「その人、撃ち殺されちゃった……」
 って……
 どうしていきなり私は死ぬんだ?
 トシの今見ている夢の中では人間が人間を撃つのか?
 それともトシは私を撃ってみたいのか?
 いや……よそう。
「死んでないぞ。ほうら立ち上がった……」
 馬鹿馬鹿しいのだが幾浦はとりあえず自分を生き返らせることにした。
「本当だっ!僕、守ってもらうんだ……」
 生き返った。
 なんて簡単な夢なんだ……
「いい人だろう?」
「……血まみれ」
 ……
 笑えないんだが、笑いたいな。
 幾浦は複雑な気持ちで、眠っているトシを眺めた。トシは目は閉じているのだが必死の表情を浮かべている。しかも額にはうっすらと汗を滲ませているのだから、夢を見ている本人は真剣なのだろう。
「名前は幾浦というんだそうだ……大事にしてもらえよ」
「……幾浦……うん。でも……」
「でも?」
「さっき追いかけてきた人間が僕たちを取り囲んでる……怖い……」
 トシは身体を小さく竦ませた。
「大丈夫。幾浦は強い人間だ」
 自分で言って恥ずかしい台詞だ。
「でも……ぼこぼこにされてるよ……」
 ……
 トシ……
 トシは私をそんな風に見ているのか?
「あ、死んじゃった……」
 また死んだのかーーーー!
「あ、また立ち上がったぞ!」
 生き返れ!幾浦!
 ……
 ……これは……
 どう考えても情けないぞ。
「ほんとだっ!立ち上がったよ!」
 ……トシ……
 そんな簡単に生き返るのか?
 それより……
 本当に寝ているのか?
 そろりとトシの額にかかる髪を撫で上げたが、目を開ける様子はない。やはり眠っているのだろう。
「……でも……」
「なんだ?」
「幾浦怖いよ……」
「どうして?」
「血まみれだもん。変だよ……普通死んじゃうよ……もしかして……お化け?」
 がーん……
 私はどうしてそんな役回りをしているんだ?
「不死身なんだ。君を守るためなら死の淵からもよみがえるんだろう」
 ……
 かなり……
 くさい台詞だな。
 まあいい……
「あっ!」
「今度は何だ?」
「みんな、幾浦を撃ちまくってる。もう死ぬよ」
 ……
 トシ……
 何故私を殺したいんだ?
「ひっ!」
 トシの身体が今までになく大きく震えた。
「どうした?」
「僕も撃たれちゃった……死んじゃうんだね……僕……そしてあいつらに食べられるんだ……」
 小さな声でトシはそう言って涙をまたにじませる。
「幾浦はどうしたんだ?」
「腕がもげてるけど歩いてる……」
 ゾンビか私は……
 殺せないからゾンビ化させているのか?
 いや……
 もういい……
「君は死なないよ……」
 話題を変えようと幾浦は言った。
「いいんだ……どうせ僕はアルと幸せになれないんだから……ただの野良は死ぬしかないんだ……さようなら……」
 そう言ってトシは今まで震わせていた身体をくったりと弛緩させた。夢の中でトシは死んだのだろう。犬として。
「……なんだか……嬉しくない夢だな……」
 ぽつりと呟く幾浦に、眠っているトシはもう答えない。いや夢の中で死んだのだから答えないのかもしれない。
「しかも……最後までアルだ。夢とはいえ腹が立つ」
 ぶつぶつと言っているとトシがようやく目を覚ませせた。  

幾浦がなにやら耳元でぼそぼそと話している声でトシは目を覚ませたのだが、なんだか様子が妙で、幾浦が不機嫌な表情をしている。しかも理由は分からないが、自分の頬には涙が落ちた後が残っていた。
「あれ、僕……?」
 目を擦りながら身体を起こすと、同じように幾浦も身体を起こす。だがやはり不機嫌な表情は戻らなかった。
「どうしたの?僕……何かうなされてた?」
「……まあな……夢……覚えてないのか?」
「え?見てたかな……覚えてないけど……何?変なこと言ってた?」
「……」
 無言でチラリとこちらを見た幾浦は、今度は寂しげな瞳を向けてくる。それとは逆にアルが妙にトシにすり寄ってくるのだ。
 変なの……
「アル……アルもどうしたの?何?お腹でも空いた?」
 アルの頭を撫でながらトシが言うと、キュウンキュウンと鳴くだけでどうもお腹が空いている訳ではないようだ。では何だろう?
 色々考えてみるもののトシには思い当たらない。
「トシ……お前は……いや……良いんだ……。コーヒーを入れてくる……」
 肩を落としたような幾浦を眺めているとリーチが言った。
 本日リーチは起きているのだ。理由は、掃除のやり方を覚えるためだった。リーチはとにかく掃除が嫌いで、トシがいくら手伝わそうとしていても元々身体が一つしか無いのだから、結局どちらかが担当しなければならない。当然、いつもトシがその役目を任されていたのだが、今度名執のうちを掃除するにあたって、やり方が分からないとはじめて聞いてきたのだ。だから今日は掃除の仕方を学ばせるために起こしていた。
 もちろん怪しい雰囲気に二人がなったら速攻スリープするという約束であったが。
『なあ、トシも笑えるけど、幾浦も面白いな』
「?」
 その言葉の意味がトシには全く分からなかった。

―完―
タイトル

こやまさまより幾浦兄を笑いのネタに……というご依頼でしたので、このようなほのぼのな笑いを求めてみました。笑ってください。幾浦はとってもお馬鹿になってます。おやじ脱却できるかな? 駄目かもしれないですけど。う~む……。とりあえず幾浦を笑えるような形にしてみました。あわわ。変な話(汗)。
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