Angel Sugar

「暴力封印の日」 (70万ヒットキリ番リクエスト)

タイトル
 今日は朝からぽかぽかとした陽気に恵まれた。
 こんな日は掃除に洗濯だ……と、考えた戸浪は久しぶりに祐馬と分担し掃除をしたり洗濯したりと忙しかった。
 だが、真面目に掃除をしているかと思うと、祐馬は掃除機を持ってユウマを追いかけ回し、それが終わると今度は逆にユウマに追いかけられていたりとせわしない。
 イライラする……
 人がシャツにアイロンを掛けている回りをぐるぐると一人と一匹が走り回っているのだから腹も立つ。
 私は保護者じゃない……
 ぐううっと怒りを抑えながらアイロンを掛けるのに集中しようとしていたが、折角畳んだシャツを祐馬がけりとばしたものだから怒りは頂点だ。
「いい加減にしろっ!何処のガキだっ!」
 お約束の如く、思い切り戸浪は祐馬の頭を殴った。
「あいってえええ……何するんだよっ!」
「人が真面目にアイロンを掛けているのに、お前のその態度はなんだっ!」
「んだってさあ、ユウマ寂しがってるんだよ……。朝からずっと戸浪ちゃんの後ろくっついて歩いてたんだよ。最後には後ろから手を出して、戸浪ちゃんの背中叩いてたの気が付かなかったのか?」
 え?
 戸浪がチラリと祐馬の隣りに立っているユウマを見ると何やら悲しげな表情をする。
「そ……そうか?」
「そりゃもちろん、今日は週末で戸浪ちゃんが忙しいの分かってるし、俺だって洗濯物干したりって忙しいけどさあ……俺らサラリーマンだからどうしても休みに用事をかためてしちゃうけど、ユウマは逆に俺達が休みになるの待ってるんだから、ちょっとくら遊んでやらないとストレスだって溜まるよ」
 ストレス……
 ストレスな……
 戸浪は部屋の壁につり下げられているクマのぬいぐるみに視線を移した。クマのぬいぐるみはユウマが飛びつく所為で、表面の布がボロボロになっており、あちこち綿がはみ出している。更に目が一つ取れ、鼻などは取れてから久しい。その上、壁に首の紐を引っかけてつり下げているために、なんだか首吊り人形を彷彿とさせる恐ろしいクマと化していた。
 可愛いクマだったんだが……
 しかも……
 折角の合図が……
 用意したのは祐馬だ。恥ずかしがりの二人は自分の口からお互いに「今晩エッチしよう」等と言えない。その所為でエッチが遠のく二人であったから、何か合図を決めようと言うことになった。
 その目印にこのクマのぬいぐるみを祐馬は買ってきたのだった。クマのぬいぐるみの手は、旗を突き刺せるようになっており、今晩したいなあ……と思った方が、そっと旗を立てる。嫌なら刺された旗を誘われた方が外す。
 最初の目的はそうだったはず。
 だが今ではユウマの格好のストレス解消クマに成り下がってしまった。
 ……
 クマ……
 ぼろぼろ……
 悲しい。
「戸浪ちゃん?」
「え、ああ……クマ……な」
 急に我に返った戸浪は自分が何を言ったのか気が付かなかった。
「んも~クマじゃなくてユウマだろう。何を言ってるんだよ……」
「あっ!そうだったな……ユウマ……おいでユウマ」
 にこやかに戸浪が言うと、嬉しそうにユウマは戸浪の膝に乗り、ゴロゴロと身体に擦り寄ってきた。
「寂しかったのか……うん。悪かったな……」
 目を細め、ユウマの仕草に魅入っていると、もう一人の祐馬が今度は言った。
「俺だって……寂しい」
「お前は馬鹿か」
 ユウマの身体を撫でながら戸浪は呆れたように言った。
「んなあ~戸浪ちゃん~俺も撫で撫でして~」
 戸浪の膝に顎を乗せて祐馬が寝っ転がると、先に膝を確保したユウマの爪が顔面にヒットした。
「いでええ!んだよっ!お前のじゃないぞ。戸浪ちゃんは俺のだからな。猫の分際で主張するなっ!」
 ぼかっ!
「いだあっ!戸浪ちゃん!!」
「猫と真剣に喧嘩をするな。情けない……自分でも思わないのか?」
 戸浪が言うと祐馬は拗ねたような目つきになった。大の大人が拗ねても可愛いことなど無い。
「情けなくなんかないよ」
 頭を撫でながら祐馬は不満げに言った。
「同じレベルで喧嘩をするな」
「にゃおにゃお」
 同時にユウマも声を上げる。
「だいたいな……」
「大体なんだ?」
「戸浪ちゃんは俺をぼかすか殴ってそれでストレス発散するだろ?ユウマだって俺に爪立てたり噛んだりしてストレス発散するだろう?じゃあ俺は二人のストレス処理人間か?」
 ……
 いや……
 そう言うことは考えたことはないんだが……
 何て言うか……
 殴りやすいって言うか……
「お前がくだらないことばっかり言うからだろう?私だって殴りたくない」
 すると祐馬は戸浪の方をじいいっと見つめてくる。
「なんだ?文句がまだあるのか?」
「俺のストレスはどうなるんだよ……なあっ!」
「お前の何処にストレスが溜まるんだ……」
 このどこから見てもストレスとは無縁の男にどうストレスがあるというのだ?
「お……俺の股間だっ!」
 頬をポッと赤らめながら祐馬は叫ぶ。
「馬鹿者ーーー!」
 バキッとまた祐馬を殴り、戸浪は息を吐いた。
「股間にストレスなど溜まるかっ!」
 かあっと顔を赤らめて戸浪が言う。
「欲求不満っていうストレスが溜まるんだよっ!だってさあ、なんだよここ最近の……もにょもにょ……」
 尻窄みになり何を言ったか戸浪には分からなかった。
「……もにょもにょって……」
「もにょもにょだよ……うう……。撫で撫でしてくれよ~」
 再度膝に祐馬は頭を無理矢理乗せてそう言う。ここは一つ年上が折れてやらなければ駄目だろうと、珍しく戸浪は思った。
「……し……仕方ないな……」
 やや頬を赤くさせ、戸浪はユウマの前足を掴むと、肉球で祐馬の頭を撫でてやった。
「わ~い……戸浪ちゃん。気持ち良い~じゃないっ!」
 ガバッと顔を上げて祐馬は怒り出した。
「はは。結構嬉しそうだったじゃないか……」
 少々からかってみたかったのだ。
「こいつ、手が俺の頭に乗った瞬間、にゅって爪出すんだっ!」
「まさか」
 戸浪がユウマに視線を落とすと、にゃあと鳴く。それはとても祐馬のいうような嫌がらせをしているような顔には見えない。
「嘘を付くな」
「……んなあ、ちょっといい?」
 祐馬はあぐらをかいて戸浪の前に座った。
「ああ……なんだ」
「暴力反対」
「意味不明なことを言うな」
「大体二人とも俺を玩具にしすぎだよっ!」
 結構真面目に祐馬は怒っていた。
「してない」
「にゃあ」
 同時にユウマまで鳴く。
「してるっ!じゃあ、戸浪ちゃん。今日一日俺のこと殴るなよ。もちろんユウマ、お前も爪を立てるなよっ!」
 何故かユウマまで巻き込んでいた。
「そんな約束ができるか」
 猫に分かるわけ無いだろうとつっこみたかったのだが、意外に祐馬は真剣に言っていた。
「あーっ!それってやっぱ俺のことストレス解消人間だと思ってる証拠じゃんか!」
「違う。お前がくだらないことばかり言うからむかついて手が出るんだ」
 そうなんだ。
 何故かこう……
 手が出るんだ……
 その理由がはっきりと戸浪には分からないのだが、祐馬の頭が殴りやすいのは確かだ。
「……じゃあ、俺のほうはくだらないこと言わない。その変わり戸浪ちゃん達は暴力を振るわない。そんでいいよな?」
「……分かった」
 戸浪は頷くしかなかった。

 暴力を振るわない。という約束は、よくよく考えると変だ。戸浪は別に家庭内暴力を起こしている訳ではない。祐馬がくだらないことばかり言う為、戸浪はむかついて思わず手が出るだけだった。
 元々戸浪に暴力を振るうという習慣は無い。それが祐馬と話をしていると戸浪は、こう……むらむらっとするのだから仕方がなのだ。
 変だな……
 何故殴りたくなるんだろうか?
 祐馬を殴る時どう思っているか、自分でもよく分からない。
 もしかするとサド的な要素が自分の中にあるのだろうかと考え込んでしまうことだってある。
 それでは祐馬はマゾか?
 だがそうするとこの場合、割れ鍋に綴じ蓋じゃないのか?
 ……あ
 なんだか違うか……?
 一人でそんなことを考えながら戸浪は思わず笑いが漏れた。
 自分の考えていることがあまりにも馬鹿馬鹿しかったからだ。
「戸浪ちゃん……なに?」
 お昼のスパゲティをゆでながら祐馬が視線に気が付いて戸浪を窺う。
「いや……なんでもない……」
 ユウマを膝に乗せ、喉元を撫でてやりながら戸浪は祐馬から視線をそらせた。
 穏やかな休日。
 そんな言葉が頭に浮かぶ。
 朝から掃除と洗濯を終え、昼からはゴロゴロできるだろう。
 ちょっと期待しても良いんだろうか?
 ここしばらくまた何も無しの日々が続いていたのだ。せっかくの合図となるはずのぬいぐるみは、今では恨みの籠もった首吊りクマでしかない。
 もう少し押しがあれば……
 何度も思うのだが、祐馬は根が優しいために強引と言う言葉に少し欠ける。だったら自分が行動すれば良いのだ。と、考えるのだが、誘い下手な戸浪にはとても無理なことだった。
 これが戸浪の性格だ。
「明太子のスパゲッティで良いかなあ?」
「ああ……明太子は好きだよ……」
「そういえば……」
 祐馬は明太子を取りだしこちらに見せた。
「なんだか勃ってないあれみたいだよなあ……」
 ……またそんなくだらないことを……
 な……
 殴りたい……
 駄目だ……
 耐えなければ……
 テーブルクロスの隠れた場所で拳を作りながら戸浪は耐えた。
「あ、……そうか?く……くだらないなあ……」
 顔を引きつらせ戸浪が言うと、祐馬は慌てて言った。
「わあっ……ごめん。俺はくだらないことを言わないって約束だった」
「……いや……いい。もうお~……言うな」
 顔を引きつらせながらなんとか笑い顔を作るのだが、それでも歯ぎしりしている戸浪の表情が祐馬には見えているはずだ。
「ごめんごめん……さって~ささっと作ってしまうね」
 祐馬は戸浪に背を向けると、オリーブオイルで炒めたスパゲッティの中に生の明太子を薄皮一枚取り去り合わせると手早く混ぜ合わせた。
 こういうところがくだらないんだ……
 もう少しで手が出そうになった戸浪であったが、その衝動も一瞬で落ち着いた。
 はあ……
 何とか押さえられたぞ……
「はい戸浪ちゃんの分。スープは即席に野菜をちょっと入れて煮たよ」
 祐馬は言って戸浪の座っている前に手際よくスパゲティの入った皿とスープ、そして軽く焼いたパンが入った籠を置いた。
「美味しそうだな……」
「……え?」
 戸浪の言葉に意味ありげな顔を祐馬は見せた。それはまさに、

 戸浪ちゃんって味覚音痴なのに……

 と、思っている顔だった。

 いらっ……
 殴って良いか?
 殴りたい……
「頂きます~」
 こちらの雰囲気を察した祐馬は慌てて自分のスパゲティを食べだした。
 耐えろ……
 私が大人にならなくては誰が大人になるんだ……!
「にぎゃっ!」
 いきなりユウマの声が聞こえ、驚いて膝を見ると、事もあろうか戸浪は祐馬の背中をギュッと握っていた。
「す……済まないユウマ……」
 戸浪が手を離すと、ユウマは膝から下りてテーブルの下に移動していった。
「どしたの?」
 こちらの苦労など知らない顔で祐馬は聞いてくるが、殴りたいのを我慢しているとは言えない。
 ああ……
 イライラする……
「あいてっ……いていてっ!こらあ……ユウマ何するんだよっ!」
 祐馬は言って、テーブルの下を覗いている。戸浪の変わりに爪を立ててくれているのだ。
 何て良い子なんだ……
 それにひきかえこのぼんくらは……
 人を逆撫でする天才だと言わせて貰うぞ。       
「やっぱ猫には分からなかったんだろうなあ……」
 と言ってチラリとこちらを見る。
 それは……

 戸浪ちゃんは人間だからちゃんと分かってるよな?

 と、言いたいのか?
 くそ~
 ムカムカしてきたぞ。
「祐馬」
「なに?」
「さっきからお前はくだらないことばかり言ってるぞ」
「……そ、そうかな?」
 分かっているような表情をしてるじゃないか!
「イライラする」
「……分かった。黙ってる」
 と、祐馬が言ったことで戸浪はほっとした。

 お昼が終わると戸浪が洗い物をし、祐馬は先にリビングでくつろぐ。これはお互いの分担だった。
 戸浪が洗い物をしている足元にユウマは丸くなり、時折手元からこぼれ落ちる水滴にユウマは耳をブルブル、ピクピクとさせていた。
 久しぶりに二人でゆっくりするんだな……
 昼間から……というのは無いだろうが……
 夜は期待して良いんだろうか?
 祐馬は溜まっているような事を言っていたから……
 誘いが来るかも……
 良いぞ……私は……
 うん。
 何でも良いぞ。
 一人でニコニコしているとユウマが「にゃ」と、鳴いた。
「ん?どうしたユウマ」
「にゃ……にゃにゃ……にゃあお」
 いつの間にか身体を起こしたユウマは小さな頭を戸浪の足首にゴリゴリと押しつけてくる。
「にゃああ……」
 ユウマが鳴くので、洗い物を終えた手をタオルで拭きながら戸浪はリビングに向かった。すると祐馬が例のクマを壁から外そうとしていた。
「祐馬……それをどうするんだ?」
 怪訝な表情で聞くと、同時にユウマもにゃあにゃあと鳴く。
「……別に……」
 こちらを見ずに祐馬は言った。
「捨てるのか?」
 ちっとも本来の目的を果たしていないクマだが、それでもここにあって欲しいと戸浪は考えていた。
 既にボロボロで見たら呪われそうな有様だが、お互いがやりたいという気持があるから、ここにぶら下がっていると思えば、このクマの存在も捨てたものではない。
 ただ少々、見た目に問題があるだけだ。だがもともとは可愛らしいクマのぬいぐるみだったのだ。
「ううん。ぼろぼろで綿が出てるからちょっと縫おうかなって……」
 言いながら祐馬は指を穴につっこんで「ほらね」と、笑う。
「……そ、そうか……」
 捨てるのかと思った……。
 良かった。
「うにゃ……にゃうにゃう……」
 ソファーで必死に慣れない縫い物にチャレンジしている祐馬の回りを、ユウマはうろうろ歩き回り、時折動く糸に手を伸ばしては体勢を低くし、腰をあげて尻尾を振っていた。
 楽しそうだな……ユウマ……
 そんな光景を見ながら戸浪は、祐馬が座るソファーの前に自分も腰をかけ、途中まで読んでいた単行本を取り、読み出した。
 お互い会話がなくても穏やかに進む時間が戸浪を心地よくさせる。こうやって同じ空間に二人でいるだけで戸浪は嬉しい。
「にっぎゃああああーー!」
 突然、ユウマの絶叫?が聞こえた戸浪はあまりの鳴き声に本を床に落として立ち上がってしまった。
「なんだっ!どうしたんだ?」
「戸浪ちゃん……?」
 祐馬の方が驚いた顔をしていた。
「い、今……ユウマの声が……」
 見回すとユウマはリビングの出入り口にいて、怯えた顔だけをこちらに向けていた。しかも身体中の毛を逆立てている。
 ……
 どうしたんだ?
「おい、どうしてユウマがあんなに怯えてるんだ?」
 ユウマと祐馬を交互に見ながら戸浪が言うと問題の祐馬が意味ありげに笑っていた。
「えっへっへっへっ」 
「なんだ?」
「これに驚いたみたい」
 と言って、先程から縫っているクマをこちらに見せたが、かつて目と鼻のあった部分が光り輝いている。
「……なあっ?」
 しかも青に光ったり赤に光ったりとせわしない。呪いのクマが、さらに不気味にパワーアップしていた。
「クリスマスツリーの電球取ってくっつけてみたんだ。手元のスイッチで光らせたり、消せたり出きるよ。結構上手くいったんじゃん」
 祐馬はご満悦だが、はっきり言って戸浪には不気味なぬいぐるみにしか見えない。最初あった可愛さが消え、光る二つの瞳と鼻が気持ちが悪い。
「……こ……恐いぞ祐馬……」
「なんで?これだとユウマも手を出せないみたいだよ。旗だとはたき落とされるから、今度からこれの電気付けて合図にしようよ……」
 祐馬にはこのクマの不気味さが分からないのか、嬉しそうに言った。
「……嫌だ」
 こんなものが……
 真っ暗な中で光っていたら恐いぞ。
 いや……
 疲れて帰ってきて薄暗がりのリビングで光ってるのはぞっとする!
「ええっ!」
「さっさと電球を外せ。元通りにしろ。どうしてお前はそんなことをするんだ……」
 気持ち悪いんだっ!
 本気で嫌な顔で祐馬に言うと、ムッとしたようだった。
「……俺のやることなすこと戸浪ちゃんには気に入らないんだよな」
 言って、祐馬は持っていたクマをゴミ箱に押し込むと、裁縫道具の入っている籠を片づけだした。
「気に入らないんじゃない。そのクマはちょっと……なあ」
 宥めるように言ったが、ゴミ箱に捨てられたクマを自分の手で取り、祐馬に渡すことは出来なかった。
 触るのも気持悪いのだ。
「いいよもう……。いっつも俺からばっか。戸浪ちゃんってそういうことどうでもいいんだよな?」
 そうか?
 そうだったか?
 私だって……色々……
 努力してるぞ。
 まあ……結果は散々だが……
「私だってちゃんと努力しているだろう。私が言いたいのはその……」
 クマが気持ち悪いと言いたかったのだが、祐馬の声で止められた。
「もういいよ。なんかむかついた」
 拗ねた祐馬は裁縫箱をもってリビングを出ていった。
 ……もういい?
 むかついた?
 む・か・つ・い・た?
 それは……
 私だっ!
 またむらむらと殴ってやりたい気分に駆られたが、戸浪はなんとかその衝動を抑えた。
 大人になるんだ……
 大人だ……
 拗ねてるだけだ。
 まったく……
「はああ……」
 再度ソファーに座り、今度は身体を横にするのだがユウマは来ない。ゴミ箱の中で例のクマがまだ光っているからだ。
 電源を抜いて行け。
 まったく……
 そこにようやくユウマがやってきた。だがまだ毛が立っている。
「ユウマ。恐くないよ。ほら、クリスマスの時に付けていた電球がクマの顔についているだけなんだから……」
 戸浪の言葉にユウマはチラチラとゴミ箱の中を覗いていた。暫くすると慣れたのか手を伸ばしてゴミ箱に入っているクマの頭を叩いている。
 微笑ましいなあ……ユウマは……
 なのにもう一人の祐馬は……
 全く…… 
 拗ねてるんだろうな……
 仕方ない……
 戸浪は身体を起こし、多分寝室で拗ねているであろう祐馬の様子を窺いに立ち上がった。こんな真っ昼間から拗ねられるとあと半日気分が悪くて仕方ないのだ。
 
 寝室に入ると、カーテンがひかれて薄暗かった。祐馬が拗ねて寝たふりをしているのであろうクイーンサイズのベッドは真ん中だけ毛布が盛り上がっている。
 泣いているわけではないのだろうが、大抵本気で拗ねると祐馬は毛布にもぐって出てこなくなるのだ。
 普段明るくへらへらしている男が、こんな風に拗ねると扱いに困る。
「祐馬……」
 寝室に入り、ベッドに腰をかけて戸浪は言った。だが祐馬はピクリとも動かない。
 全く……
「おい、祐馬……」
「なにやってんの?」
 寝室の入り口から祐馬の声が聞こえ、振り返るとベッドに寝ている筈の祐馬が戸口に立っていた。
 ……じゃあ……
 これは?
 祐馬を見ていた顔をもう一度ベッドに向け、手を伸ばして触ると、盛り上がっていた毛布がぺこりと凹んだ。
 ……
 私は……
 誰も居ないのに……
 声を掛けていたんだな……
 は……
 恥ずかしいぞ。
 半分顔を赤らめている後ろから祐馬は更に声を掛けてくる。
「ねえ。なにやってんの?」
 こういう場合は知らない顔をしてやるのが優しさじゃないのか?
 ううう……
 な……
 殴りたい……
 はっ!
 そうだ……
 これは私が恥ずかしいからとか、何か誤魔化したいときに手が出るんだ。
「と……戸浪ちゃん……」
「ん?わあっ……」
 いきなりベッドに押し倒された戸浪は目を見開いていたが、たまにはこういうのも良いんだ……と、一人で納得していた。
「……ね……いい?」
 いつも……
 いつもいつも
 聞くなと言っているのに、何故学習しないんだ祐馬は……
「ねえ……ねえねえって……」
 こちらの身体をベッドに押しつけたまま、祐馬は迫ってくる。だが普通、ここまで来たら何も言わずに、服を脱がすとか、キスをするとか色々あるだろう?と戸浪は毎度思うのだが、いつだって祐馬はいちいち了解を求めてくる。
 とにかく戸浪はこういうことを聞かれるのが嫌だった。
 黙ってるか?
 いつもなら戸浪は、聞くなと言って殴るのだが、本日は手を出さないと約束したのだ。だからといって、可愛く「抱いて~」など言える筈など無い。
 無視無視。
 沈黙も同意と同じだということを分かれ!
 そう思っていると、祐馬がじーっとこちらを覗き込み、様子を窺っているのが分かるのだが、行動に出ない。
 イラ……
 イライラ……
 これで本当に東都系列の人間なのか?
 我慢だ……
 殴り飛ばしてやりたいが……
 年下だと諦めろ……
 そう、私は祐馬より年上なんだから……
 ぐっと堪えていると、祐馬が言った。
「……えと……ごめん」
 は?
 はあああ?
 ごめんってなんだ?
「……祐馬」
「だって……戸浪ちゃん。すっごい嫌な顔してるし……」
 祐馬はごそごそと戸浪の身体から離れようとするので、その腕を掴んだ。
「なんだ……やるんだろうが?」
「……え?」
 ……
 あ!
 じ……
 自分で言ってしまった……。
 かああっと顔を赤らめていると、祐馬がにこりと笑った。
「なあんだ……えへへへへ」
 嬉しそうだった。
 だから……
 さっさとやれっ!
「戸浪ちゃん……」
「……あ……ああ……」
 更に顔が赤くなるのが分かる。だが自分ではどんな顔をしているか分からない。
「戸浪ちゃんって……可愛い……」
 ……
 ううう……
 は……
 恥ずかしい……
 言葉を失っていいると、祐馬の唇がようやく戸浪の頬に触れた。そこでようやく戸浪の口元からホッと息が漏れた。
 ああ……
 祐馬……
 目を細めて戸浪は祐馬の体温と、心地よい愛撫に酔っていると目線に寝室の扉が薄く開いているのが見えた。
 閉めるの……
 忘れたか……
 まあいい……
 目をそのまま閉じて、祐馬に身体を任そうとしたが、うっすらと開いていた瞳があるものを視線に移した。

 電球の光るくまのぬいぐるみがこちらをみていたのだ。
 それは身体を半分こちらに向けて、目を鼻を光らせている。しかも立って歩いている。
 
 ひ……
 ひっ!
「ぎゃああああああっ!」
 どかあああっ!
「ぐはっ!」
 組み敷いていた戸浪からいきなり膝蹴りされた祐馬はベッドから転げ落ちた。
「あて……あいいいいいったああっ!な……なんだよ……なんでだよ!今日は殴らないって言ったんじゃんか!」
「五月蠅いっ!そんなことはどうでもいい!いま……今……クマのぬいぐるみが廊下を歩いてたっ!」
 寝室の入り口を指さして戸浪は叫んだ。
「は?あたたた。何言ってるんだよ……なんにもいないよ……ああいってええ……」
 腹を撫でながら祐馬はよろよろと立ち上がる。
「でも……いま……本当に……」
 だが先程までいたはずのクマのぬいぐるみはもうそこにはいなかった。
「夢でも見てたんじゃないの?」
 むっすりとした顔になっている祐馬の頭を思い切り戸浪は叩いた。
「お前があんな事をするからクマが呪ってるんだろう!」
 自分が言っていることが滅茶苦茶なのは戸浪も分かっていたが、どう考えても理解できないものを見てしまったのだから仕方ないのだ。
「ははっ……あてて……なんでクマが呪うんだよ……」
 祐馬は全く信用しない。
「お前が見てこい。わ……私は嫌だ」
 はっきり言って戸浪は幽霊というのが嫌いだった。いや、理解できないものが怖いのだ。
「……いいけど……」
 といい、寝室の入り口に向かおうとするのを戸浪がベッドの上からじっと見ていると、また薄く開いた扉からクマが覗き込んでいた。
「ぎゃーーーーーっ!」
「ひいいいいいいっ!」
 二人が同時に叫ぶと、のそっとクマは寝室に入ってくる。祐馬は入り口付近のフローリングで転び、戸浪はベッドの端まで後退した。
「にゃ……」
 ぽとんとクマのぬいぐるみを落とし、ユウマが鳴いた。
「ユウマ……」
 どうもユウマがクマの背中を銜え、二人を捜していたようだった。
「……は……はははは。なあんだ……ユウマだったんだ~ねえ、戸浪ちゃん」
 振り返った祐馬はユウマを抱き上げて、笑っていた。
 そ……そうか……
 それはいいが……
 この場にあった甘いムードなど既に何処かに消し飛んでいた。
 ……よ……
 ようやく盛り上がったムードが……
 ぶちこわし?
 ここまで……
 ひっぱるのに……
「どれだけかかったと思ってるんだああっ!」
「……と……戸浪ちゃん……」
「ん……にゃ……」
 祐馬と、その祐馬に抱き上げられているユウマがどうして怒っているんだという顔を同時にしたために、戸浪の怒りは限界を超えていた。
「でっ……出ていけ二人ともーーーー!反省しろ!」
 戸浪の剣幕の原因を結局理解しなかった一人と一匹を追い出し、戸浪は寝室の扉を閉めた。
 はあ……
 はあああ……
 がっくりと肩を落としながら戸浪はベッドに座り直した。
 駄目だ……
 ストレスが堪りすぎる……
 ああ……
 そうか……
 だから私は祐馬を殴ってストレスを解消しているんだ。  戸浪はようやく自分の行動の理由をみつけた。この原因は祐馬にあるのだからこれは仕方のないことなのだろう。結局の所、戸浪が祐馬とつきあっている限り、殴ることはやめられない。
 そうしないと数分で胃に穴が開いているはずだ。
「……祐馬が悪いんだ。私じゃない」
 とりあえず戸浪はそう思うことで納得した。
 納得していないのは身体だけだった。

―完―
タイトル

鷹山さまキリ番リクエストの暴力封印の日はいかがでしたか? 文章量が2.5章分にもなってしまったという……すさまじい長さの短編作品となりました(笑)。アマアマというのを希望されていたはずが……アマアマなど何処に? 一瞬だけ? というのはお許しください。どうしてもこのカップルはいつだってこんな感じになってしまって。ああ……お楽しみいただけるとありがたいのですけど……(汗)。
なお、読まれましたら掲示板もしくはメールにてまた感想などいただけるととっても嬉しいです! お粗末でした~。

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