イズミール・夜 2000年11月11日(土) |
グランメルキュールは、期待していた程ではなく、少しがっかり。 何故なら、窓を開けると、そこにはエーゲ海が・・・・・ というのを楽しみにしていたからだ。 どうやら、チェックイン時に、フロントで「smoke」と夫が答えたおかげで、 あまり良い部屋ではなかったらしい。 2Fの219。 くそー。禁煙せーい! ここのホテルは、結構楽しみにしてたホテルなのにーーーーー! ばかたれーーーー! 景色も眺めも悪いぞーーーーー! どうしてくれるーーーー! |
イズミールの朝 2000年11月12日(日) |
AM7:30起床。 飛行機の移動が長かったせいか、2時間毎に目が覚める。 ホテルの中は異常に暑い。 1Fのカフェへ行き、朝食を取る。夜は暗くて分からなかったが、 すぐそばにエーゲ海が見えた。 朝食が終わって、少し散歩することにした。 初めて見るエーゲ海。 朝日が反射してとてもきれい。 カモメがたくさん飛んでいる。とても、かわいい顔をしていた。 |
エフェススへ! 2000年11月12日(日) ※オトガル |
ホテルの近くの、バス会社で、エフェスス行きのチケットを買う。 1人 1,900,000TL( 約320円 )。2人分3,800,000TLを払うのに、 4,000,000TL出したが、お釣り帰らず。 どうも細かいお金は、切り捨てするのが、常識のようだ。 だんだん分かってきた。 オトガル(バスターミナル)へは、ミニバスで行き、そこから |
セルチュクでの苦闘 2000年11月12日(日)
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イズミールから一緒だったアルゼンチンの青年が、一緒に行動しよう、 というようなニュアンスの事を言ってきたが、その時は分からず、 「バイ、バイ」と笑顔で答えてしまった。悪い事をした。 彼と別れた後、1人のオジサンに声をかけられる。 どうも旅行会社の人らしく、少し奥まった場所にあるオフィスへ 連れていかれる。そこには、日本語が話せるスタッフが1人と社長 らしき体格のいいトルコ人がいた。社長は、私(嫁)が以前働いていた 大阪の広告代理店の部長にソックリだった。 私達の間で、彼のあだ名が「部長」になったのは言うまでもない。 聖母マリアの家、エフェスス遺跡、をぐるっと見たい、と言うと、 「その後は、どうするの?」 「その後は?」「その後は?」 畳み掛けるように聞かれ、すべて答えると、 「パムッカレまでの交通費、デニズリ空港までの交通費、 エフェスス、パムッカレのガイド代、昼食込みで、330US$だよ、どう??」 と言われた。 高っ!!! するとさっきのアルゼンチンの青年が入ってきた。 やぁ、また会ったね、という挨拶を交わし、彼も交渉を始める。 <店の人>「じゃあ、220US$で、どう?」日本円にして、20,000円とちょっと。 <夫>「アホかー!高すぎるわー!Sorry,Bye!」 店を出ると、アルゼンチンの青年も出てきた。 彼の交渉もどうやら決裂したらしい。 彼が、ドルムシュ(ミニバス)を探そうと言い出した。 バス乗り場へ行き、また値段交渉が始まる。 <夫>「聖母マリアの家、エフェスス遺跡、をぐるっと見たい」と言うと、 <店の人>「ガイドをつけると○○TL、その後のホテルは?食事は? それから後の予定は?すべてを入れると、○○TLになるよ、どう?」 ・・・・・・まるで、マクドナルド状態。 トルコ人は、商売っ気がありすぎて、過剰営業になりがちだ。 夫が怒鳴っている。 <夫>「時間がないんや!エフェススと聖母マリアの家へ連れて行けー!」 切れてる(笑)。その声で、黒山の人だかり。 強いニッポン人、ばんざーい! やったれ、やったれー! 夫の苦闘の末、エフェススと聖母マリアの家まで、タクシーが手配でき、 しかも1人11US$になった。 どうなっとるんや、この国は! |