帰国の朝 2000年11月17日(金)
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昨夜は、程よいお酒の酔いも手伝い、ベッドのきしむ音も それほど気にならず、よく眠れた。 8時半に起き、ゆっくり用意をして、9時過ぎに朝食を取る。 朝9時のレストランは、人でいっぱいだった。 日本人は、少ししかいない。 昨日、8時に来た時は、日本人は結構いたのだが。 日本人は、きっと、早起きなのだ。 イスタンブール最後の食事を、ゆっくり楽しんで、 部屋に戻る。 11時過ぎにチェックアウトしようという事になり、部屋で だらだら過ごす。 朝の、アニメを見る。 『トムとジェリー』がやっていた。トルコ語は分からないが、 面白い。ひゃーひゃー笑いながら、しばらく見ていた。 <夫>「そろそろ用意するか。」 <嫁>「うん。」 このホテルとも今日でお別れである。 荷物を持って、1階に下りる。 エレベータの前で、2日間お世話になったエレベーターボーイの ヒョロヒョロっとしたお兄ちゃんと写真を撮る。 お兄ちゃんは、頭がいつも少し、右に傾いていた。 この後、このお兄ちゃんに2人の写真を撮ってもらうのだが、 予想通り、・・・・・・・写真は右に傾いていた。 (修正したが。) |
ガラタ塔 2000年11月17日(金)
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ホテルを出る。 入口に立っているホテルの人に、 <ホテルの人>「タクシー使う?どうやって行くの?」 と"英語で"聞かれ、 <嫁>「いえ、歩いて行きます。私達」 と”英語で”答える嫁・・・・ <嫁>「今、英語で、話しかけられて、自然に 答えたよね?私!」 <夫>「おお。やるなぁ。次回の旅行からはいろいろ 任せられるなぁ。」 あと1ヶ月もここにいれば、べらべらになるかも知れない。 ・・・そのくらい、今まで、英語がダメだったのである。 かつて旅行したオーストラリアでは、話しかけられれば逃げ(友人任せ)、 前回の台湾では、日本語を話せる人とだけ日本語で話し(夫任せ)、 情けないとは思うが、そういう劣悪な状態だったのである。 だからすごい進歩なのである。 地図を見ながら、ホテル近くのガラタ塔を目指す。 地図で見ると、とても近いのだが、なんせ、イスタンブールの街は 坂が多い。しかもハンパな坂ではないのだ。 45度、いや、60度はあるだろうと思われる坂。 スリッパやつっかけのような、かかとのない靴なら間違いなく 歩く度に、脱げるだろう。 ガラタ塔に確かに近づいているはずなのだが、場所がわからない。 近くにいたオシャレな紳士に道を聞く。 嫁が、ぜぇぜぇ言ってると、紳士がそれを見て笑い、 <紳士>「外股にして上れば楽だよ。」 と(たぶんトルコ語なので分からない)、お手本を見せてくれた。 <夫・嫁>「サーオル(ありがとう)!!」 ガラタ塔の真下に着いた。 喉がカラカラなのと、疲れたのもあって、 ガラタ塔下のカフェに入る。オジサンは、英語が話せない。 嫁は、英語が少し分かるようになっただけでなく、積極的に 会話を楽しもうとする。 とにかく、喉が乾いて、死にそうなのと、暑いのを訴えると、 何か分からないが、オジサンがこれを飲め、これを飲めというので、 それを頼む。 夫が、タバコを買いに、どこかへ消える。 前は、一人になるととても不安だったが、今は、平気。 オジサンが話しかけてきた。 <カフェのオジサン>「日本から来たの?」(たぶん) <嫁>「Evet(はい)」 <カフェのオジサン>「イスタンブールは初めて?」(たぶん) <嫁>「Evet(はい)」 <カフェのオジサン>「ここは、いいところでしょう??」(たぶん) <嫁>「Evet!!!」 「はい」としか答えてへんやん、そんなん会話とは言わんわい! と、言われそうであるが、間違いなく、オジサンと確実に コミュニケーションが取れた・・・・と思う。 <カフェのオジサン>「お嬢サンは、本当は、男なんでしょ?」 <嫁>「Evet(はい)」 <カフェのオジサン>「ぶっさいくな顔してるね〜」 <嫁>「Evet(はい)」 <カフェのオジサン>「二度と来るなよ!この辺には。ははは。」 <嫁>「Evet!!!」 ・・・・とは言ってない、・・・・はずである。 夫が帰って来ると、夫が買った煙草の銘柄を見に オジサンが寄って来た。 『Winston』というのを見ると、「ナイス!」というようなジェスチャーをした。 しばらくして、私達のもとに、オジサンがアップルティーを二つ、 持ってきた。 暑いのに、なんで??と思っていたが、飲んでいると、汗が、 すーっと消えていった。 私達が、アップルティーを楽しんでいる横で、オジサンが、 如雨露で打ち水を始めた。 私達が、暑い、暑いと言っていたからだ。 この心遣いは、日本の心、そのものだなぁ、と関心した。 やっぱり、トルコと日本は似てるんだ。 オジサンにお礼を行って、一人750,000TL(120円)を払って店を出た。 ガラタ塔は、一階からエレベーターで最上階まで上がる。 最上階は、カフェテラスになっており、いかにもここで休んでいけー、 という雰囲気に少し、がっかりした。 私達が、バルコニーに出て、外を眺めていると、昨日、 ウスキュダルへ行く定期船の切符売り場で出会った日本の若者に また出会った。 <若者>「こんにちわ〜。あのぉ〜、ここどうやって行くんでしょうか?」 <夫>「・・・・・・・・・・・・」 <嫁>「あ、はいはい。あのホテルが、コレですわ。だからあれを 目印にして、行ってみたらどうですか?・・・・お一人ですか?」 <若者>「はい・・・、日本人を見つけてはいろいろ教えてもらいながら なんとかやってるんですけどね。」 彼は、23歳の早稲田の院生であると言っていた。 夫が言うには、この時期、院生は、研究発表があって 鬼のように忙しいらしい。 君、ホンマに、院生かぁ・・・? <夫>「しかし、こういう事は、僕らーに聞かず、その辺歩いてる 人に聞きながら行ったほうがええんちゃうの?」 <嫁>「(なんでそんな言い方するん!)はは・・・ははは・・ で、カッパドキアは行ったん?」 ・・・話を聞くと、どうも、彼は、トルコ直行便が取れず、 成田からドバイ経由でトルコに来たのだが、ドバイで、荷物を 全部開けられ、入れてあったお金を盗まれてしまったらしく、 しょっぱなから、落ち込んでいたようだった。 夫は、彼に、きっつい言い方でアドバイスをした。 嫁は、そんな夫の態度がいやだった。 <若者>「まだ、トルコ料理を食べてないんですよ〜。 1人だとどうしても店に入る気になれないんですよね〜。」 <夫>「・・・・・・・・」 <嫁>「じゃ、私達は日本へ帰ります。よい旅を! 頑張ってね〜!」 早稲田の若者と別れた。それから、路面電車の駅まで歩きながら、 <嫁>「なんで、あんな言い方するん?かわいそうに、1人で 心細かったやろうに・・・」 <夫>「アホか。何、寝たボケたこと言うてんねん。男のクセに 自分でなんとかせぇ、ちゅうんじゃ!」 ・・・・・そういうもんかぁ。確かにそうやなぁ・・・ 彼は、甘えてる気もするなぁ。 男同志というのは、厳しいもんなのねぇ〜 |
マクドナルド 2000年11月17日(金) |
路面電車に乗り、タクシム広場まで行き、そこから ハバシュ(空港行きのリムジンバス)に乗る。 ハバシュ乗り場を確認してから、毎回恒例の、 『ご当地バーガー』を食べにマクドナルドに入る。 メニューを見渡し、日本にはないバーガーを探し注文する。 他が安いからか、少し高い気がする。 2人で約1,200円。日本と変わらない。 ハンバーガーは、取りたてて、トルコらしいものではなかったが、 ポテトの代わりに付いて来たギョーザのような点心のようなものが 初めての食感で、不思議な感じがした。 |
ハバシュ 2000年11月17日(金) |
タクシム広場からハバシュに乗る。 疲れがたまっているのか、2人とも、イライラしている。 些細なことで、軽い言い合いになり、一触即発の状態。 バスが動き出し、 「もう、こんな事でケンカするのん、やめようや。」 「うん。」 トルコの交通事情はものすごい。 これでよく人が死なないもんだ、と思うほど、 人と車が入り混じっている。信号はあるがあるというだけだ。 信号が青になるのを待てない大阪人もビックリだ。 ハヤットが、トルコの国は、機械や車の運転は男性の仕事、 農作業や家事、細かい作業は女性の仕事、と言っていたが、 この国で、女性が運転するには、かなり向こうっ気が強くないと 無理そうだ。 ハバシュは、1人1,750,000TL(約300円)で、約20分で空港に到着した。 |