05. 新しい生活
あぁ……、あつい。
酒焼けで、咽から胃に至る部分がザラリとただれているのが分かる。
さらに身体の表皮までじんじんと暑い。そうか、昨日の日焼けのせいだ。
おまけに、なんだかムワリと熱い空気があたりに充満してる。なんだ?ストーブが点いたままじゃないか……。
酔いの抜けきらない身体をやっとの思いで起こして、床に横たわる人間を何体かまたぎ、ようやく部屋の隅の石油ストーブまで辿り着いた。カチ、カチ、……あれ?
取っ手を回しても、緊急消火用のスイッチを押しても、ストーブの火は消えずにガンとして燃え続けている。おかしいな、他にスイッチはないのに……
寝ぼけているせいか、訳が分からないとなると途端に鈍重な疲労感に襲われた。
あつい、あつい、……たまらん、
仕方なく戸を開けて隣の部屋へ脱出すると、そこは見覚えのない台所だった。あまり使っている感じのしない綺麗なステンレスの洗い場で、水を張ったバケツにたくさんの花束が立ててある。
……そうか、結婚式の披露パーティーだったんだ。ここはその友人の家だ……。
顔を洗って、ようやく意識が覚醒してくる。昨日のことを前から順番に思い出し始め、三次会の後あたりからモヤモヤと怪しくなってきて、結局諦めた。
どうやら外はもう明るくなっているようだった。
昨日の夕方、列車を乗り継いで岐阜までやって来た。大学時代の同級生の結婚披露パーティに参加するため、旅を一時中断したのだ。
だんだん頭が正常に戻ってくるに従い、昨日までの旅の現実が蘇ってきた。ここまで来るのは必死だったけれど、この次のことは考えてなかったな……。
いずれにしても、旅は昨日中断した三重県西端の伊賀町、新堂駅にまで戻って再開しなければならない。新堂から先は次の関町まで約20kmの峠道だから、歩き始めるなら早い時間に戻らないと、山中で日が暮れてしまう恐れがある。とはいえ、二日酔いと身体の疲労、それに旅の先行きに対する徒労感が重なって、朝から出発する気になんか全然ならない。でも昼になったらもう出発できないし……。
優柔不断にグジグジ悩んでいる内に、時間は刻々と過ぎていく。
そのうち、同じ部屋に泊まっていた友人がぱらぱらと起き始めて、 東京から駆けつけた大学の同級生2人が、ボンヤリした目線のまま玄関前へ出てきた。
「……ラジオ体操しよっか?」
建築の仕事をしている彼は、毎朝この日課からでないと一日が始まらないと言い、前に立って音頭を取り始めた。
「ターンタータタンタンタンタン、ターンタータタンタンタンタン……」
「まずは腕を前から上げて、大きく背伸びの運動ぉ!」
「……チャーンチャーンチャンチャン、」
何故かみんなきっちりと口で音楽まで付けて、一斉に深呼吸の運動から淀みなく揃っている。毎日やっている建築屋だけでなく、ぼくらまで体操の音楽や順番が身体に染みついているのが可笑しかった。
もう昼にも近いというのに、大のオトナが3人、堂々と酔狂な声を上げてラジオ体操に興じる様は、近所の人が見たらちょっと異様に映ったかも知れない。でも、とにかく身体を思いっきり伸ばしてやると、鉛のようだった関節が徐々に軽くなってきて、てきめんに気持ち良くなってきた。ラジオ体操って、すごい。
「安全第一、今日もしっかり頑張りましょう!」
「おー」
「オー」
最後の深呼吸に差し掛かったあたりから、髪を直しつつその様子を見ていた新婦が目を丸くして呟いた。
「……このヒトたち、おかしい……」
時間があれば岐阜城を見て帰りたいと言っていた建築屋だったが、頭が醒めきらない内に昼になってしまったので、とりあえず昼飯を食べつつ岐阜の市街を散策することにした。泊めてくれた友人にお礼を言って別れ、バスに乗って新婦の実家まで移動する。
岐阜市街のほぼ真ん中にある彼女の実家は、やけに古そうな情趣ある日本家屋だった。広い土間に荷物を降ろしながら、昔は旅館もやっていたと聞いてナルホドと納得する。
黒光りする板敷きの階段を登って彼女の部屋へ案内されると、そこは意外にガランとした殺風景な和室。そうか、もう荷物は現住所の新居の方へ移しているんだな、などと考えながら見回していると、急に彼女が結婚をしたのだという現実がリアルに感じられてきた。
昨日まではみんなで飲んでカラオケで盛り上がっている最中も、新郎新婦とも学生時代の雰囲気そのままなので「結婚しました」と言われても何にも違いは感じなかった。それがこうしてガランと主人の去った部屋を眺めていると、唐突に自分の知らない世界を垣間見ているような気がしてきたのだ。新郎が慣れた身振りで畳に腰を下ろす様も、ここで生まれ育った彼女や、初めての訪問客である我々とはまた異なる、不思議な存在感でそこに馴染んでいるように見えた。
「コレなに?見ていい?」
建築屋が手にしたのは、 円卓の上にあったアルバムだった。
白い大きな正方形の分厚いカバーを開くと、結婚式の様子が次々と現れる。挙式は神式で、2人とも慣れない和装だ。白無垢の新婦は家族や親戚 と一緒に笑顔で何枚も写っているが、紋付き袴の新郎は緊張のせいか心持ち笑顔が固まっているように見えて可笑しかった。
コーヒーとお茶菓子を戴きながら、みんなでアレコレ勝手なことを言いながらページをたぐる。写真は新婦の父親が撮り、それをアルバムにまとめたのが母親とのこと。
面白いのは、各ページごとに雑誌や結婚式場のチラシから切り抜いたらしい「新しい門出を祝う、今日のこの祝賀に……」とか、「そしてひとつとなった二人の前途には、困難と輝く未来が……」とか、なんだか写真にマッチしているような、そうでもないような、仰々しい台詞を丁寧に張り付けてコラージュしてあることだ。「お母さんの趣味なの」と、彼女は可笑しいような困ったような顔をして説明してくれたが、そのマメさといい、時折飛躍するセンスといい、かなり不思議なお母さんのようである。
おかげでぼくらは、1ページ1ページもれなく笑いながら見ていかなければならなかった。
結婚式は今までに友人のもので2件しか見たことがない。思い出してみると、式場は儀式や飾りのせいで祝賀ムードに包まれているものの、様々な準備や挨拶で新郎新婦は慌ただしく忙殺されていた。式の途中に声をかけると、「タイヘンなだけだよ」と笑いながら蝶ネクタイをすこし弛める新郎はきっと多いだろう。
いま結婚式も終えて、披露パーティも済んで、2人はラフな普段着でくつろいでいる。挙式のアルバムを一緒に見ながら、 たぶんもう何度も見たには違いないけれど、照れたような微笑が自然と顔を覆っている。決してあからさまではなく、何か無意識のうちにこぼれ落ちて隠しきれないような、そんな浮ついた空気がある。
幸せ、っていうのかな?
ボンヤリとそんな言葉が浮かんできたのが、自分でも意外だった。ふと気がつくと、この瞬間だけ今朝の倦怠をすっかり忘れていた。
昼飯にみんなで名物の味噌カツを食べに行き、食後に何故かプリクラを撮ることになった。
できるだけ空白の大きなフレームを選んで、新郎新婦とぼくら東京組3人、併せて5人がギュウギュウに顔を寄せ合う。それでも出来上がったプリクラを見ると、みんな顔の何処かがはみ出してしまっていた。それを鋏で切って分ける。ぼくはお守りのつもりで日誌のノートに貼っておいた。
建築屋が昼過ぎには新幹線で東京へ戻るというので、その足で岐阜駅まで見送ることにした。
ところが、昼飯を食べに出たあたりからまた左足の膝裏に激痛が走り始めたぼくは、みんなの歩調についてゆけず、遂に駅まであと3分くらいのところで追いつけなくなってしまった。仕方なく、一緒に歩いていた友達に先に行ってもらうように告げて、ここで戻るのを待つことにした。
交差点の植え込みに腰を下ろし、痛む左足を手で揉んでマッサージする。太股からふくらはぎにかけての足裏の筋が硬直して、足を伸ばすと膝裏がビンと激痛を伴って張り詰めた。
(……くそ、完全に壊れちゃってる……)
昨日までの筋肉痛の感じとは明らかに違う。筋肉を触るとゴリゴリと異様なしこりがあって、その部分には黒く澱んだ粘りのある血が流れている感じがした。
とにかく筋肉を揉んだり、叩いたり、ストレッチの要領で痛みをこらえながらゆっくり伸ばしたり、必死で出来る限りの治療を繰り返す。もうそうするしかない絶望的な気持ちの中で、不思議なことに「きっとあの瞬間に壊れてしまったんだな」というデッドラインのような場面
を思い出していた。それは昨日列車に乗るために、休憩をとらずに少し急いで歩き続けた、あの国道25号の直線だ。あのとき脚が悲鳴を上げているのは感じながらも、目的のために先を急ぐ高揚感がそれを我慢させて、「もうひと頑張り」してしまったのだ。限界を超えた後の代償は、あまりにも重い。いわゆる「疲労」とはまったく違う「故障」を抱えてしまったことは、萎えかけた気持ちに更に追い打ちをかけるショックだった。
みんなと再び合流した後は、やはりあまり動き回るのは苦痛なので、友達も付き合わせてお茶を飲みながらよもやま話に耽っていた。
ぼくは心の中でこの時間がもっと長く続けばいいと願っていたが、それは学生時代の思い出話やそういう関係でしか通 じない冗談が名残惜しかったからだけではない。ここを出れば再びあの過酷な旅へ戻るしかないと思うと、情けなくも途方に暮れてしまうからだった。
しかし、そうもばかりは言ってられない。
今夜のうちに大阪へ戻る新婚夫婦も、明日からはまた普段通り仕事に行かなければならない。新居では未だ荷物を片づけきっていないらしいが、2人はもう新しい生活を歩き始めているのだ。こうしてみんなで顔を合わせると、時間が止まったようなまったりとした甘い安らぎがあるものの、それぞれ生活の場へ戻ればまだヨユウもなく、毎日を一生懸命生きている現実があるのだろう。
ましてや2人で生きるという生活に未だリアリティを持てなかった自分から見れば、彼らにはむしろ困難ばかりが待ち受けているような気さえする。でも実際に目の前で話していて、彼らはそれ以上に今のこの「幸せ」を胸一杯に感じながら、明日の方を向いているように思えた。
ぼくは自分だけの意志で仕事を辞めて、好き勝手に酔狂な旅に出た、独身の自分を振り返る。一体、何が困難だというのだろう?嫌なら今すぐ止めればいいではないか。だけど、自分に挑戦してるんじゃないのか?甘えてるだけなんじゃないのか?
情けなさを自覚したと同時に、何かが吹っ切れて、スッと肩の力が抜けるような気がした。
(歩くしかないんだ。歩けばいいんだ……)
旅に出てから初めて、「歩こう」という自分の意志をはっきりと感じた。それを途中で自覚するというのもなんだか変な気分だけど、とにかく気持ちが前に向いたのだ。
このタイミングを逃しちゃいけない。ぼくは携帯電話を借りて番号案内をダイヤルし、簡単に見つけた関町の町営宿泊施設に素泊まりの予約を入れた。そして早々に荷物をまとめ、三重まで戻るため列車の時刻を調べて、すぐに岐阜駅を発つことにした。
駅までは新婦のお父さんが親切に車で送ってくれ、ぼくは挨拶を済ませるとそのまま急いで切符売場へ向かった。あまりここで休んでいると、余計に身体が重くなる。脚の痛みは引いてなかったけれど、とにかくどこかへ向かって進んでいたい気分だった。
列車の窓から見える夜景は、名古屋を過ぎると急速に外灯の数が減って、やがて乗客も次々と降りていった。
21:17、5分遅れで亀山駅に到着。跨線橋を渡って、連絡待ちをしていた関西本線のワンマン列車に飛び乗る。発車直後に乗り遅れた3人の女性客がホームに駆け込み、慌てて列車が急停車する一幕もあった。
荒野の単線は外灯もなく、列車は自分のライトだけで僅かな足元を照らしながら、ゆっくりと暗闇を進む。先頭に立って運転席越しに窓の向こうを見ていると、突然列車の接近に驚いたトンビが飛び出し、あわやというところで翻って、再び闇に消えていった。
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