07. 予定
8:42、特急ホームライナーは予定より1分遅れで名古屋駅に到着した。
列車がホームに滑り込んでいる数秒間、扉が開くのをもどかしく待つ。プシュッという音と同時に、乗車しようと押し寄せてきたサラリーマンたちの群を掻き分けて駆け出した。13番?どっちだ、13番ホーム……。あ、間に合う!
電光表示には、8:41発亀山行き普通列車の案内がまだ出ている。よりによって降りたホームと13番ホームは駅の両端、しかし考える間もなくとにかく走るしかない。地下通
路の人混みを縫うようにくぐり抜けて、階段を一気に駆け上がる。故障した左膝にギシギシと嫌な感触があったが、自分でも不思議なほど足が前に出る。正に火事場のナントカだ!と興奮気味にほくそ笑んだ瞬間、パッと視界にまぶしい光が開けた。
「……そんな殺生な」
ホームはガランと白けていた。乗車待ちの客もいない。
ひょっとして到着が遅れているだけなんじゃないのか?
自分に都合良く疑ってみたものの、ホームの案内板にはもう次の列車の時刻が空しく表示されていた。
(待つしかない、か……)
しばらくは往生際悪く考えを巡らせたものの、やっぱりそれより他に方法はない。
急に体の力が抜ける。なんだ、走って損したな……。ぼくはなんとなく痛む膝をさすって「申し訳ない」の意を表明し、それからキオスクで朝刊と缶コーヒーを買った。
岐阜には単身赴任の父がいる。今朝はそこから列車に乗って出てきた。
最初は父宅に居候する気はあまりなかったが、旅程が思いの外遅れてきているのと、一向に良くならない脚の故障のために、結局謹んでお世話になることにした。おかげで名古屋周辺を通過する間は宿の心配をせずにすむし、その分歩く時間も延長できる。不要な荷物は置かせてもらい身軽に歩けるので、この機会に何としても脚を治すのだ。上手い具合に父が膝用のサポーターを持っていたので、明日からそれを借りて脚にはめてみることにした。
それにしても朝からいきなり1時間もの列車待ち。このロスは痛い。折角特急にまで乗ってきたのに……。 昨日亀山駅では連絡列車が遅延した到着列車を待ってくれていたのに、やっぱり名古屋駅ではそういうわけにいかないんだなぁ。
待合室は通勤ラッシュが過ぎた途端に、閑散として人も疎らだ。 朝から天気も良く、列車の去ったレールに白い強烈な光がギラギラ反射している。こんなところでじっとしてる暇はないんだよ……。
空しい気持ちで中日新聞に目を通すと、一面に小渕首相危篤のニュースが報じられていた。
ようやくスタート地点の関町に着くと、もう昼前になっていた。早速少し急ぎ足で歩き始める。
宿場風情の残る関町は、昨日夕方に到着したときよりも賑やかな感じがするものの、道行く人はやっぱりほとんど老人だ。それでも時折、若い大工がカンナを巧みに操って旅籠屋の格子戸を直していたり、神社の境内で植木の手入れをする職人さんを、下から神主さんがぼんやり眺めていたり、淡々とのどかな空気に包まれた風景が垣間見えた。
宿場町にはそこを歩くだけで旅情を掻き立てる不思議な風が吹いている。旅籠屋や格子戸、白壁、鬼瓦、琺瑯看板、細々とした生活用具……。思わず足を止めてそれらの情景の中に佇んでみたり、写真を撮ったりしていると、知らず知らず自分も広重の絵の中を歩いているような錯覚さえ催す。
とはいえ、一方で自分はそんなにのんびりと情趣に浸っている余裕がなかった。連日思っていたほど距離は稼げないし、脚の故障もなかなか回復しない。早く東京へ帰らなければならない理由など別にないのだけれど、かといって無計画に旅程を延ばす気にもなれない。
どうしてだ? 折角こんな気ままな旅に出たのに、もっとのんびり行けばいいじゃないか?
平穏な風景の中で、時折ケチ臭い自分を諫めて問いかけるような声が聞こえる。もはや会社も辞めて自分を制限するものなど何もないはずなのに、何故先を急ぐ気持ちを捨てきれないの?
旅程が延びて困るのは旅費がかさむからというのが一番の理由だと思っていたけれど、今はそれよりももっと精神的な理由がある気がした。ただ、それが何なのかは具体的には分からない。とにかく、立ち止まって物思いに耽っているよりも、足が痛くてもどんどん歩いている実感の方が心地よいのは確かだった。
それにしても、国道1号線はトラックがひっきりなしに往来している。道幅もつねにほぼ4車線以上あって、歩道はそれなりに繋がっているものの、排ガスと騒音であまり楽しい道ではない。
しかし国道はそのすべてが旧東海道を拡幅したものではないらしく、むしろ旧道から少し離れた田畑や丘陵を開発して新しく敷設し直したルートが多いようだ。従って、うまく脇に逸れて旧道を見つければ、一転してのどかな街道を歩くことが出来る。
地図にはあまり具体的に書いていない場合も多いけれど、だんだん慣れてくると、その旧道を見つける嗅覚のようなものが身に付いてきた。街道の歴史案内板や道祖神があればわかりやすいが、それらがなくても幹線道路にはそれなりの風格というか、どんな田舎道でもかつて多くの人が歩いたであろう「気配」のようなものが染みついているのだ。ぼくはもちろん、極力その旧道を探して歩くことにしていた。
ただし旧道は自動車に悩まされないとはいえ、必ずしも歩きやすいルートとは限らない。トンネルや橋を各所に設けて目的地を出来るだけ最短ルートで結ぶ国道と違い、昔の道は地形により多くの制約をうけている。特に水を確保する必要からか、かならずといっていいほど川に沿って道が敷かれていることが多い。そのために道が川筋に沿って大きく迂回したりするので、結果的には国道より長い距離を歩かなければならないようだった。
河岸段丘の地形を利用した城塞都市である亀山へ差し掛かり、ちょうど昼飯の時間だなと、敢えて坂道を上って段丘上の宿場を抜ける道を選んだ。ところがこれはまったくの裏目だった。
宿場は今も住宅地として開けていて、街道沿いに小さなアーケード街もあるにはあったが、肝心の食堂がなかなか見つからないのだ。商店はどこも閑古鳥で、シャッターを閉じたままの店も多い。当たり前のことかも知れないが、飲食店というのは人通りのないところではやっていけない。街が衰退して往来が減り始めると、まず店をたたむのは飲食店からだ。逆に新しく人が集まり始めた街に、まっ先にできるのもまた飲食店だろう。
そんなことをつらつら考えつつ、とうとう亀山の街を抜けてしまった。もう14:30過ぎだ。空腹は一時のピークを越えると不思議と収まって我慢できるのだが、歩き続けていると頭がすこしフラついてくるし、気持ちが苛つき始めるのが分かる。このまま集落を抜けきるとまた何もない野原の道だ。また今日も非常食なんだろうか……。
と、暗澹たる気持ちで段丘を降りながら寂しくなってゆく前景を見ると、ふと視界に大きな文字が飛び込んできた。
(ラーメン!!!)
再び国道のバイパスに合流する交差点に、オレンジに白抜き文字の巨大な看板。どこにでもありそうな国道沿いのラーメン屋だったが、この時ばかりは何だかとても力強く立派なたたずまいに見えた。もちろん迷わず突撃。「白熊ラーメン(550円也)」をむさぼるように掻き込んで、ハラの虫もどうにか事なきを得た。
ようやく落ち着いてあたりを見渡してみると、国道のバイパス沿いにはまだ何店か大きな看板を掲げた店が見える。道路沿いに大きな駐車場を完備した、いわゆるチェーン系の飲食店だ。
つまり、やっぱり飲食店は人通りの多いところにあるのだ。荒野を切り裂いているとはいえ、バイパスには車がひっきりなしに往来している。単純に街だからといっても、忘れ去られたような宿場町よりは、バイパスを歩いている方が飯にありつける確率は高いのかも知れない。とはいえ、あの排ガスは嫌だしなぁ……。
予定より3時間近く遅れた昼飯を終えると、天気予報通り空が怪しく曇り始めていた。
サポーターが良かったのか、脚の具合は決して万全ではないものの、歩き続けることはできる状態だ。だがやはりペースは上がらない。それに亀山を出てから見通しの利かない平坦な田舎道と集落が続いて、思いのほか道に迷うことが多かった。どんなに急いでも時速4km以上では進めないので、平均時速5kmくらいで見積もっていた予定を、またも繰り下げて考えなければならない。夕暮れが近づくとともに、焦りが徐々に気持ちを掻き立てた。
ようやくJR加佐登駅に着いたのは18:20。もうあたりはうっすらと青いシルエットに包まれ始めていた。
どうする?今日も最後は岐阜へ戻るだけだから、時間的にはもう少し歩いても大丈夫だ。しかし一旦この駅を出れば、必ず次の駅までは歩かなければならなくなる。ところが鉄道はここから東海道を離れて走るため、国道に沿って歩けば約8kmは駅がないことになる。順調ならあと2時間……、
よし、歩くか。明日は雨になりそうだし、脚の具合も我慢できる範囲だ。
ぼくはどうしても距離を稼ぎたい一心で、再び荷物を背負って歩き始めた。加佐登を過ぎるといきなりの坂道、足元を見ながら黙々と登る。
坂を登りきったところで、突然旧道は山を掘り裂いて通る新しい車道に分断されていた。何故か橋も横断歩道もない。仕方なしに車の来ない間隙を縫って小走りに横断し、分断された道の続きを探した。
(この道かな……?)
徐々に暗くなってきた景色の中で、その道は不安げに暗い竹林の方へと伸びていた。しかしこれ以外に目指す方向へ繋がる道はなさそうだし……。
竹林の道は足元もおぼつかないほど薄暗く、さらに奇妙なことに道はだんだん崖を下る急坂になった。これはしまった、道を間違えたな……、と思いつつも、今降りてきたこの急崖をまた登るのは困難だ。それに、たとえ一部道を間違えたとしても、方角さえあっていればまたいずれ本道に接続するはず、そう言い聞かせながら尚前へ進む方を選んだ。
やがて崖も下りきり、竹林を抜け出てみると、愕然として声にならない声が漏れた。
(谷だ……)
あたり一面を低い山に囲まれた谷底。外灯もなにもなく、日はすっかり落ちて森林のシルエットが青から黒に変わっている。車の音も一切聞こえず、ただ不気味な鳥獣の鳴き声が何処からともなく反響していた。さっきまで街道筋は集落が続いていたので、油断していたかも知れない。あまりに唐突な迷い道だった。
……だが、まだ方角までを見失ったわけじゃない。地図を見ると、正確な現在地は分からないものの、このあたりは伊勢湾に向かって地形が東に傾斜しているため、山間部と平野部の境界では川筋がほぼ東に向かって流れている。だとすれば、このまま川を渡って北東方向へ歩けばいずれまた東海道に接続する可能性があるし、最悪でも川に沿って下れば必ず街に出るのだ。ぼくは強気に尚も山の道を選んだ。
やがて一件の民家の灯りを見つけ、その方角へ一心に進んで行くと、なんとかアスファルト道に出ることはできた。
しかし外灯も何もない山道は、日没とともに完全な闇へと急速にその姿を変えてゆく。晴れていればそれでもまだ夜目が利くのに、今日に限って非情な雲が空を覆っている。予想に反して道は一向に本線に接続する気配もなく、ぐねぐねと何度も曲がるので、とうとう方角さえ分からなくなってきてしまった。
マズイ……。ひょっとすると、東へ下っているというより、逆に西の山の方へ分け入っているのかもしれない。だとすれば、早く引き返さないと。でも、もう道に迷ってからだいぶ進んだから……。
この期に及んで、まだ引き返す決断がつかない。刻々と濃くなる闇夜に益々焦りが募るものの、気持ちとは裏腹に奇妙な意地が前へ前へと足を運ばせ続けるのだ。迫りくる山や木々の黒い影に、怯えながらも吸い込まれていく、木霊の引力なのか……。
と、不可思議な感覚に襲われていたとき、突然目の前に大きな鳥居が現れた!
思わずぎょっとして立ち止まる。あまりのタイミングに、心臓がバクバクと音を立てて高鳴った。まさか……。
あたりには人の気配ではない、何か神聖な精霊が佇んでいるような、殺気ともいえる緊張が満ちている。
( ……結界?)
そんな言葉を思い出してしまうと、全身の毛が逆立って余計に息苦しさを覚えた。
ようやく駅のベンチに腰を下ろして時計を見ると、なんとさっき駅を出てからまだ20分ほどしか歩いていなかったことが分かった。ぼくは道に迷って、山間の道をぐるっと一周した挙げ句、結局元の加佐登駅まで戻ってきてしまったのだ。
鳥居に辿り着いた後、冷静に地図を開いて見ると、そこは加佐登神社であることが分かった。どこをどう間違えたのか、とにかく街道とはまったく逆の方角へ迷い込んでいたのだ。
木霊が山へ誘い込んだのか、あるいは逆に危険を警告して助けてくれたのか。とにかく無事でホッとしたものの、勇み足が徒労に終わったとあって、気持ちはぐったりと沈んでしまった。
思わず、溜息がもれる。
次の列車が来るまでにはまだ1時間くらい待たなければならない。結果的には更に大きく時間をロスしてしまったことになる。
靴と靴下を脱ぎ、じっとベンチに座って中空を眺めていると、くたびれ果てた頭に悲観的な考えばかりが浮かんできた。
東京までの道程を考えると、まだ5分の1も進んでいないし、全然先が見えない。路銀は大丈夫か、本格的な山間部に入ったら宿は上手く見つかるだろうか、脚はいつ完治するのか、そしてさらに自分が今失業者であることへの不安……。
だめだだめだだめだだめだ!
体が疲れているせいだ。「予定を達成できない」という焦りが神経を締めつけて、延々と余計な邪推を生む悪循環に陥るんだ。
これが限界のペースかどうかはまだ分からないけれど、とにかく進むしかないのだ。せめて気持ちをしっかり保てないでどうする!
焦るのはやめろ。そもそも、時刻表やスケジュール帳のように先々の予定を想定してしまうからいけないのだ。今は脚の故障もあるし、知らない道を探しながらでもあり、当然思い通りには進まないのだから……。
夜はまだ寒い。体が冷えてくると、また脚の痛みが逆戻りしてくる。ぼくは列車を待つ間、何も考えず、ただひたすら足の筋肉を揉みほぐし続けた。
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