08. アウトロー
もう昼前なのに、部屋の中はどこも薄暗い。
たまたま外が雨だからなのか、あるいはいつもこのくらいしか日が射さないのか。
いずれにしても、これくらいはっきりと天気が崩れてくれた方がいい。一日中部屋に籠もっていても、過剰な罪悪感を覚えずに済む。ぼくは予報通り朝から降ってくれた雨に感謝した。
布団の上に身体を投げ出したまま、脚を伸ばしたり曲げたりしてみる。まだ膝裏の痛みが取れないものの、今日一日無理に歩かなければ、明日にはだいぶ良くなるかも知れない。いや、良くなってもらわなきゃ困る……。
とはいえ、部屋でじっとしているのも恐ろしく退屈だ。暇を持て余して、患部に気合でも挿入してやろうと精神統一の真似ごとを始めたとき、腹が鳴って唐突に空腹を覚えた。
( 歩いていない日でも、ハラだけはきちんと減るんだなぁ。)
椅子に手を伸ばしてようやく重い身体を起こし、冷蔵庫を開けてみる。父はきちんと自炊しているらしく、冷凍飯やタッパーに入れたおかずなど、簡単に食べられそうな食材がそれなりに用意してあった。
ぼくは冷凍飯を電子レンジに入れて、その後ふと考え込んでしまう。東京では電子レンジのない生活をしているので、そういえばここ数年使っていないのだ。アリャ、参ったナァ……。
なんだかいい加減にいじくり回していると、3分くらいかかってようやくどうにか言うことを聞いてくれたらしく、「ブォーン」とエラそうな音を立てて中の皿が回転しだした。
(歩いてなくっても、飯にありつくのは一苦労だヨ)
外は相変わらず霧のように静かな雨が降り続いている。 昼になってすこし肌寒さが和らいできたようだった。
飯を食ってしまうと、早速もう何もやることがなかった。
折角休養日と決めたのだから、傘をさして外へ出掛けたのでは意味がない。とはいえ、明日からの荷造りもとっくに終わってしまったし、日誌も昨日までの分はもう書き終えてしまった。
……
(そうだ、懸案だった距離の換算でもしておこうか。)
これまでは東京までの総延長距離や、ゴールまでの相対的な位置を推測することにまったく無頓着だった。どちらかというと、着の身着のまま、風に吹かれてフラリフラリ……の方が、旅らしくていい。
しかしそのことが、「一体いつになったら着くんだ?」という漠然とした不安を余計に増幅させてしまっている弊害も感じ始めていた。
そのうえ、名古屋から先はまだルートさえ決めていない。
何となく「中山道」というイメージに憧れを抱いていたから、できればその中部山岳地帯のルートを採りたかった。ただし気候に関しての心配がある。平野部が春めいていても、山の方はまだ冬から目覚めきっていない。寒くて天候も不安定なら歩くには不適だろうし、だとすれば海沿いの東海道ルートに切り替える心づもりもあった。
(せめてルートだけはそろそろ決めるか……)
ぼくは退屈凌ぎにノートを開き、ツーリングマップのページを手繰りながら中山道の経由地を順に書き出して、次にその距離を書き込んでいった。距離は主要幹線の国道などで換算してあるので、歩く場合は幾分水増しして考えた方がいいだろう。
(お、こんな高い峠が……。諏訪か、温泉だなぁ……。いよいよ甲府、と、)
地図上でどんどん東京へ向かって進んでいくと、何故かもうそこまで到達したかのような心地よい錯覚に陥ってしまう。これはこれでなんだか楽しい。
そしてすごろくのようなルート図が出来上がり、距離を総計してみると東京までは全部で578km、現在はまだその5分の1程度しか進んでいないことを改めて知った。
(遠いのなぁ……)
距離が数字で具体的に分かったところで、気が楽になるわけでも、逆に滅入ってしまうわけでもなかった。とにかく、まだまだ東京なんて想像できない遙か彼方にある。
ふと、4月中旬の週末に東京の友達が集まって花見をすると言っていたのを思い出した。このあたりはまだだけど、東京はもう桜が咲き始めているらしい。花見は無理としても、せめて東京の桜が散る前に戻れればなぁ……。
しかしさっきの試算によると、まだ早くても3週間は到達できそうにない。
窓の向こうは白っぽい光に染まっている。すこし雨足が弱まったようだった。
テレビを見ていると、変な気分だった。
昼間に寝転んでテレビを見ることなど、ここ数年なかったことだ。チャンネル数がわからないので、いい加減に回してみる。やっているのはワイドショーとローカル番組、それに西部劇だった。
「来ちゃダメだ、罠だよ!」
「クソッ、こうなったら豚どもを皆殺しにしろっ!」
「撃て!撃て!畜生、馬鹿、馬を狙え!」
ドドドドドドドド……バーンッバーン!!!
政府軍の罠にはまって、仲間を全員買収されたうえに皆殺しにされるクリント・イーストウッド。唯一助け出した若いカウボーイも、豪雨の野営テントの下で冷たくなってしまう。一切の表情を凍らせた彼は、尚も草木の疎らな荒野をボロボロになりながら逃げ続け……。
『アウトロー』は少し色褪せた古い映画だったが、若いクリント・イーストウッドはすでに苦悶の皺を無数に刻んでいる。硬派な映画自体も意外にも面白くて、ついつい自分も西部の荒野へトリップしてしまう。気が付けば手が勝手に拳銃の早撃ちの真似なんかをしていた。
それにしても、彼はホントにそこらじゅう何処でも野宿をしてしまう。落ち葉と枯れ木で簡単に焚き火をおこし、その側に寝そべってタバコをふかしながら、革のジャケットを被っただけで眠る。雨の日でもお構いなしに、カウボーイハットの広いツバで雨粒を凌ぎながら、カッコイイ顔でまた寝てしまうのだ。
(西部時代では過酷な野営生活が当たり前なのか……。覚悟が足りないのかなぁ)
困ったら近くに鉄道があって、宿泊もすべて旅館の類で、おまけにこうして父宅で完全休養日なんかも取っている自分が、なんだか急にヘタレに思えてきた。
別に過酷なサバイバル旅行がしたかったわけじゃないけれど、これまでのところはどうも締まりがない。故障のせいばかりでなく、沈滞しがちな気持ちにマイナス思考が連鎖して、余計に消極的になっている気がする。
(気合が足らん、気合が)
クリント・イーストウッドをイメージしながら顔に力を込めて、じっと宙空を見詰めてみた。
坂本竜馬は街道を旅するとき、「いつ何時頭上から岩が落ちてきて圧死するやも知れぬ 」と考え、常に死を覚悟して恐れない精神修養をしていたと、本で読んだことがある。死であれ何であれ、何かを恐れ何かを守ろうとする心を捨てきれないでいると、知らぬ間に身体は萎縮し視野も狭まる。同じように世界を眺めていても、きっと見えているものの広さや深さが全然違うのだろう。
ぼくは一体何を守ろうというのか?
何もないはずだ。会社を辞め、地元を離れ独り住まい、取り立てて大切な地位も名誉も何もない。形の上では自分も立派な(?)一人の放浪者だが、松尾芭蕉とは根本的な何かがまったく違う。維新の志士にしても、柳の家井月にしても、達観という点では自分は遙か遠く及ばない。
……ただでさえ白昼夢に迷走する悪い癖があるのに、じっと動かないでいると益々深みにはまってしまう。
イカンイカン、
何かやることはないかな?
ふと、知人に手紙を書くことを思いついた。旅行でしばらく留守にしていることをまだ知らない友人もいる。今の内に葉書でも出しておこう。
と、ペンを手に持ったまでは良かったが、そこからなかなか言葉が繋がらない。酔狂な旅道中を面白可笑しくレポートする気分でもないし、かといってジクジクと自分を見詰める煩悶を書き綴っても仕方がない。
人に何か話をする、という心境じゃないんだな……。
ウンウンと頭を抱えた挙げ句、結局匙を投げてしまった。
夕方になると、テレビは軒並み中日ドラゴンズの野球中継を始めた。まだ試合開始前だというのに、アナウンサーもレポーターも凄い盛り上がりだ。大阪では阪神の応援が異常に熱いけれど、中日ファンも相当なものである。まだ新しく綺麗な名古屋ドームは、既に満員の人混みだった。
(こういうの、熱心に応援できる人は幸せだな……)
……いや、そうでもないな。そんなことない。
もっと自分を応援してやらなきゃだめだ。まず自分を元気にしなきゃ、前に進めないじゃないか。
そう思い直して、また脚を伸ばしストレッチとマッサージを始めた。徐々にこの鈍い痛みにもだんだん慣れてきて、良く言えば付き合いの長い悪友のような感じもする。できれば今は早く別れたいんだけれど。
チャンネルを変えると、ちょうど天気予報をやっていた。前線が遠ざかって雲が晴れていく様子が天気図に表れている。良かった、明日はなんとか晴れそうだ。
「岐阜の桜も近々いよいよ開花です」と、キャスターが殊更嬉しそうな笑顔で言った。
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