10. 通り過ぎる風景
堀端に面した公園通りには、何故かズラリと壮観な店構えの仏具屋が並んでいる。
まだ朝も早く、人通りは殆どない。すこし朝露を含んだ霞の中を朝日がキラキラと乱反射して、城下町をほのかな古趣に包んでいた。ゆっくりと、道の真ん中を歩いていく。一番気分のいい時間だ。
そしてようやく、道の行き止まりの高い塀越しに鳥居の頭が見えた。もっと大きな場所かと思っていたが、「七里の渡し」は申し訳程度に河岸跡の一部を残してあるだけだった。
しかし風景は悪くない。眼前に茫漠と広がった伊勢湾は、春の目覚めのやさしさとけだるさに包まれて、果てしなく静かに凪いでいる。ぼくはしばらく立ちつくしてその風景と対峙した。
ほのかな潮の匂いを胸一杯吸い込むように深呼吸する。ヨロコビが全身をじんわりと駆けめぐって、ほとんど聞こえない波の音と心臓の鼓動が重なってゆく。
やっと、海まで辿り着いた……。
かつての東海道では、この城下町桑名宿と名古屋熱田神宮の間とは、海路を船でゆくコースが本線であった。それを即ち「七里の渡し」と呼ぶ。歩かずに済むとはいえ、昔の海路は河川の氾濫や長雨の影響で簡単に荒れて航行に支障を来すので、ロマンチックなばかりの旅路ではなかったらしい。
桑名の河岸跡に屹立する鳥居は、伊勢神宮の玄関口を示す一宮だ。いわば国境税関である。江戸から伊勢参りに来た旅客は、熱田神宮を発して長い海路を越えてここから伊勢の国へ入り、いよいよ伊勢神宮の参道をのぼるという感慨を味わうのである。
実は、そんなこともこの現地へ辿り着いてから初めて知った。海を前にして、国境の街というのもお洒落でいい。
とはいえ、かつて海路であったルートも現在渡し船は航行しておらず、熱田までの七里(約28km)は国道1号線を歩かなければならない。それを考えると、正直ちょっと気持ちが萎える。昔の人は歩かなかったってのになぁ……。ま、そういう問題じゃないか。
揖斐、長良、木曽のいわゆる木曽三川は、ほとんど湖のような貫禄でもって尾張の国・愛知県との国境を分断している。揖斐川と長良川をいっぺんに跨ぐ伊勢大橋の鉄橋を渡ると、まるで海の上を歩いているような錯覚さえ覚えるほどだ。途中の中州で分かれる2本の大河は明瞭に水の色が違っていて、名にし負う清流長良川は揖斐川に比べると余計にその透明感が際立って見えた。
そして長良川の下流には、一面ののっぺりとした風景の中に唐突な建造物が佇んでいる。奇妙な丸みを帯びた塔が並び、その間を巨大な鉄の水門が繋ぐ、長良川河口堰だ。随分前からニュースでも大きく報じられて関心を持っていたが、その後問題はどうなったのだろう?無言の鉄壁はそんな騒ぎなど一切忘れてしまったかのように、人間の大きくて小さい力を誇示しながら、戸惑った表情のまま立ち尽くしていた。
河口堰がこの清流にどんな影響を及ぼしているのかは、一見何も掴めない。だがそれが一見して分かってしまうようだと、川はもう再起不能なまでに死滅してしまった証拠だろう。
川面はボンヤリと太陽の光を反射させて揺れているだけで、何も語りかけてはこない。
ここから熱田までは、南流する無数の河川によって堆積した広大な濃尾平野を、国道1号線に沿ってほぼ直線に横断する。直線といえば伊賀上野の国道25号線で憂き目を見たが、今度はその時とは比べものにならない長さの直線道だ。丸1日、まっすぐ歩き続けるのである。考えただけでも気が遠くなりそうだったけれど、一方で体調も万全に戻ってあの時より状況は好転している。都市域に入るので店も頻繁に見つかるし、今日一日天気も崩れる気配はない。トラックが多いのを除けばそれほど悪い道程でもないだろう。
時計はまだ11:00前。朝の出発も早かったので十分余裕がある。
続いて木曽川も長い鉄橋を歩いて渡り、広大な低湿地に広がる独特の輪中集落を眺めながら、のんびりと進んでいった。
11:30、思ったより早く弥富の駅前を過ぎてしまった。空腹を覚えて見渡してみると国道沿いのチェーン店しかそれらしいのが見あたらない。仕方なしに、というより別にそれほど抵抗もなく、どこにでもあるようなマクドナルドへと吸い込まれた。
マクドナルドが好きだなんて、旅人にあるまじき節操のなさ?という後ろめたさはあるものの、全国共通安心プライスと、食べた後しばらく地図を開いたり日誌を記したりすることのできる、気兼ねのいらない開放的空間も捨てがたいのだ。栄養面はまあ、一日のトータルとして辻褄を合わせればいい。とか言いながら、結局晩も駅の立ち食いできしめんを食べてたりするんだけど……。
チーズバーガーを頬張って一息ついたとき、ふと話し声が気になって顔を上げた。ちょうど正面の窓際席で、3人の高校生がダベっている。
「アタシぃー、カレシがいても他のオトコと遊ぶじゃん?」
何を言っとるんだ?と内心ジリジリしながらも、何喰わぬ顔で彼らを見てみる。非常にわかりやすい「不良」な感じに制服を着崩した女1人、男2人。彼女がどことなく愛嬌のある名古屋弁でしきりに喋っていて、男2人は互いにちぐはぐな方向を見ながら、わざと目に付くように大袈裟な手つきでタバコをいじくり回している。なりこそ不良だが、どことなく幼さの残る子供たちだ。
しかしその光景が特に異様に見えたのは、彼女が椅子の上にあぐらをかいて、片方のルーズソックスの中をボリボリと掻きむしっていたからだ。なんだろうな……。下品という枠を越えて、妙な蛮族か何かの生態を見ているようで、強いて言えば滑稽な光景だった。
折しも昨日名古屋で、高校生による総額5千万円にも及ぶ前代未聞の恐喝事件が発覚したばかりである。偶然にも、事件の現場はまさにこの近くだ。
昨日一斉に口火を切ったニュースでは、無様な対応をした警察や、子供の実体を把握しきれずブレーキも掛けられなかった親に対して鉾先を集中させていたが、そんなことは別
に不思議でもなんでもない。社会の怠慢と腐敗はもうすっかり日常茶飯事で、警察であろうが何であろうが、どんな不正や非常識もあり得ないことではないし、想像を絶することでもない。個人個人の見えない虚無が生活の退廃を止められない毎日の中で、哀しい現実が表面化しただけのことだ。もちろん肯定も是認もするつもりはないが、かといってことさら絶望するわけでも悲観するわけでもなく、やっぱりか、という諦念が先に立ってしまう。
それにしても5千万、という金額。正直どれほどの金額かまるで実感がない。それを他人から実に安直な方法で奪い取り、ほとんど湯水のように使い果たしたという高校生の金銭感覚は、いや金銭感覚だけでなく、おそらく他のいろんな神経においても凄まじい崩壊が起こっているとしか思えない。ただし外見上はまったく狂人めいてもおらず、親の前では普通の顔をしていたという。
ニュースというものは、知らない内に取捨選択される。報道する側においてはもちろんだし、それを見る我々自身の中でも同様に、だ。
例えば恐喝事件の金額が「わずか」数千円程度だとしたら、これほどのニュースにはならなかっただろう。高校生の素行が荒れていると言っても、いま目の前で椅子にあぐらをかいている少女などは取り立ててニュースにもならない。以前東京で飛び降り自殺の現場に偶然通
りかかったことがあったが、気になってその晩のニュースや翌日の朝刊を捜してみたものの、結局どこにも事件の記事は見あたらなかった。つまりすべての事件がニュースなのではなく、報道によって取り上げられたエキセントリックな事柄、極端に言えば「興味深いイベント」だけがニュースたり得るのだ。
すべて相対的な問題である。人はどんな衝撃的な事件でも時間とともに慣れていってしまうし、同様の事件が2度起こってもあまり関心を示さなくなる。
そしてぼくもまた同じだ。
長良川河口堰にしても、高校生恐喝事件にしても、止めどなく流れている日常の中で「比較的」衝撃度の大きなニュースに対して反応を示しているだけに過ぎない。
だが、普通なら新幹線で3時間程度の道のりをわざわざ1ヶ月近くもかけて歩くという行為は、決してニュース番組や新聞には取り上げられないような些末な出来事を、意味のあるなしに関わらず、いちいち拾い集めていくという行為に似ている気がする。それはやっぱり馬鹿げたことだし、些末な出来事は結局些末な出来事でしかないとも思う。ただ、では「何が些末でないのか」と言われると、……それも上手く答えられない。
「20世紀の重大事件ベスト100!」も、取るに足らない私的な出来事も、同じように一歩一歩後ろへと過ぎ去っていく。すべてはただ流れ去ってゆくだけだ。
直射日光と排ガスの熱風に晒されながら、ひたすらまっすぐの道を歩いていく。
水位の高い大小さまざまな川をいくつも渡り、国道沿いの風景も徐々に建物の高さが伸びてきて、いつの間にか名古屋市の外郭地域に入っていた。さっきまで頭の上にあった太陽が、気付けば背中をじりじりと焼いている。
都市域に入ると、そこらじゅうどこでも座って休むというわけにいかなくなるのが難点だ。休憩を我慢しながら歩き続け、ようやくなんとかマンションの前に設置された小さなベンチを見つけて思わず寝転んだ。
昨日から1日の歩行距離も約30kmくらいにまで伸ばし、歩速もすこし速めている。歩くスピードは時速5km程度、1時間おきに約10分の休憩をとるので、平均速度はおよそ4kmちょっとだ。だいぶ理想的なペースで行程を見通せるようになってきた。
まだ膝サポーターは着けているものの、痛みはほぼ消えた。最初きつかった靴擦れももうほとんど気にならない。身体の疲労感も今は適度に心地よく感じていた。
やがて更に大きなマンションやビルの建ち並ぶ都心部へと至り、人も車も急速に増え始めた。
流行のキックボードに乗った小さな姉妹、黒い制服で見るからに暑苦しそうな男子学生の一団、肌着のまま自転車でさまよっている老人、歩きにくそうなハイヒールで足早に急いでいる女性……。一瞬のすれ違いを写真に収めようと思っても、たいていカメラを構える間もなく彼らは過ぎ去っていった。
側道で行き交う人の顔もどことなく都会的な雰囲気を帯びてくる。何が都会的なのかと具体的に問われると説明に困るが、とにかくどこか違うのだ。
田舎の人はすれ違うときいきなり目を合わせてくることはないが、心の中ではこちらをちゃんと意識していて、簡単なきっかけで軽く挨拶を交わせば、二言三言の雑談から堰を切ったように話し始める人もいる。田舎ならではの閉鎖性もあるにはあるのだろうが、単にシャイなだけの場合も多い。人当たりはみな一様におだやかだ。
それに比べると都市部の人は最初から、行き交う人を単なる障害物くらいにしか感じていない。決してそれが冷たいというのではなく、いちいち他人に関心を払っていたら歩いてられないくらい人が多いというだけだ。それはそれでこちらとしては気が楽な面もある。交差する人と目が合わなくなって、自分が「見られている」という感触がなくなったとき、いよいよ都心部へ入ったのだなと実感した。
16:20、遂に熱田神宮へ到着。かつての海路を締めくくる尾張の玄関口は、今や河岸の面影は何処にもなく、国道1号線と19号線の接続点である巨大な交差点に止めどなく車が行き交うだけの場所だった。ここでいよいよ東海道ともオサラバだ。
そこから一歩入ると、頭上を密林に覆われた熱田神宮の広大な聖域が広がっている。参道は鳥の鳴き声だけが粛々と染みわたる閑寂に包まれ、夕刻の薄明さえ吸い込んでひっそりと息を潜めていた。
やがて緑青の屋根を戴いた奥深い本殿へ至る。ここでも人気はほとんどない。背の高い外国人旅行者が2人、七五三のような格好をした若い家族連れ4人、そしておみくじを枝に結んでいる高校生カップルが1組。静かな境内で願い事をする人々は、いずれもどこか優しくて尊い笑みを浮かべているように見えた。
近づいて写真を撮ろうとして、ふと思いとどまる。白髪のくたびれた警備員がこちらを見ていたからではなく、なんとなくそれぞれの聖域を安易に侵してはならない気がしたからだ。それに、もう写真を撮るには暗すぎた。
暑かった一日もまた涼しい風が吹き始めて、やわらかい時間へと移っていた。
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