11. 休日繁華街
岐阜から新快速に乗って、名古屋で降りずにそのまま行くと次が金山である。駅に着いたのは朝8:50。
昨日金山へ着いたときはもう日も暮れきった時間だったが、金曜日ということもあって駅周辺の飲屋街にはサラリーマンが芋を洗うように溢れ返っていた。
その喧騒が幻のように今朝は人通りも閑散として、道路に飛び散ったゴミ屑だけが白々と陽にさらされている。
駅前のマクドナルドに入ってブレックファーストのホットケーキを食べていると、突然また直下型の激震が襲ってきた。たまらず荷物もそのままにトイレへ駆け込む。もう今朝から3度目だ。……どうも腹の調子が良くない。
普段から便通は全然良い方なのだが、極くたまにストレスを強く感じると下し気味になることがある。 だがここ数日は歩調も安定してきて、気持ちの上では疲労感はあまりないはずだ。
あるいはザックの腰ベルトのせいかもしれない。ザックを安定させるために腰に回して支えているベルトは、できるだけきつく締めた方が肩への負担が軽くて済むのだが、長時間絞めっぱなしなのはやはり良くないようだ。
朝から予想外のトラブルを被ったものの、その後は日記をつけたりして悠々と過ごす。
10:15、ようやく万歩計をリセットしてこの日の旅程をスタート。今日は午後から奈良の実家へ帰る父に同行するため、約5km程度の短い半日予定なのだ。ぼくはいつものように急ぐことなく、散歩のような歩調で商業ビルの立ち並ぶ都心の幹線をぶらぶらと歩き始めた。
名古屋は城下町らしく各所に歴史散策ルートなどの看板が立ち、寺社や町屋の類、そして咲きほころんだ桜が辻や塀の上を彩っている。名古屋も今日あたりは結構な見頃だ。
時間も十分にあるのでちょこちょこと寄り道しながら進んでいったが、あっという間に市街の中心部に着いてしまった。
名古屋では駅から東に伸びる大通りに沿って一番の繁華街があり、中でも栄というエリアがその中心である。
ここには大阪や東京で見られるのと同じ百貨店やファッションビルがズラリと建ち並び、週末ということもあってカラフルにお洒落をした買い物客がたくさんあふれ出していた。女のコは早くも春の陽気に誘われて、半袖のシャツを着た人もいる。かたやニット帽と、汚れの目立たない濃緑色の長袖上着、それにジーパン、トレッキングブーツという出で立ちのぼくは、気恥ずかしさで急速に気分が滅入ってきた。
旅程に大都市があるのは仕方のないことだし、大切な装備品の補給もできるからありがたいものだ。とはいえ、都会には何故か旅装の人間は似合わない。こんな格好をしているといかにも「たった今山から下りてきました」と、不名誉な名札をぶら下げているような気後れを感じてしまう。別にそんなことは恥ずかしくも何ともないのだと、頭では解っているのだけれど……。
都会では自分が思っているほど他人は自分を意識してはいないのに、勝手に自意識過剰に陥ってしまうことがある。逆に田舎では開放感があって、自分の格好にはそれほど意識を傾けないけれど、気づかないところで縁側のお婆ちゃんどうしが、
「アレどこさ行くね?」
「若けぇのはエエの。ケケケケッ」
と、不気味な噂話をしていたりする。
正面に赤い門を構えたアーケード街に入ると、昔ながらの庶民的な商店も増えてようやく気分も馴染んできた。雑貨屋や大きなドラッグストアもあり、ここなら必要な買い物をだいたい済ませられそうだ。
旅に出てからこんな都会に入ったのは初めてだし、おそらく東京に着くまでもこんなところはここが最後になるだろう。都市を離れたらまず買えそうにないものはもちろん、まとめて安く買えるものも十分に吟味して補給しておく必要がある。
まずドラッグストアを覗き、真っ先にテーピングテープを探し当てた。これは万が一また脚の具合が悪くなったときの為の応急処置用だ。これから先の道程では助けてくれるものの補償は何もない。
それからカロリーメイトの10箱セットを見つけた。まとめ買いなので安いことは安いが、これだけの量になるとさすがに重い。しかしこれを毎朝食にすれば朝飯を買っておく手間が省けるし、栄養バランスも一応信用して大丈夫だろう。結局、これは残りの行程の非常食全量分として買っておくことにした。
あとは100円ショップのガムテープ(途中で荷物を郵送して軽量化するための梱包用)、単3電池、そしてカメラ屋でカメラの替え電池を買う。電気屋の並ぶ一角はさながら小さな秋葉原か日本橋といった賑わいで、電気店街というのは全国どこでも同じような装飾と同じような客層に支えられているのだなぁと、妙なところに感心してしまう。
ちょうど商店街の中心あたりに提灯をぶら下げた社があって、その前のスペースで開局したばかりという地元FM局がイベントを行っていた。アルバイトらしい若い男女が青いTシャツを着て呼び込みをやっている。ぼくはその奥の社の方が気になったので、人垣を避けて地下に潜る感じの細い参道を抜けていった。
果たして、御堂の奥にはひっそりと格式高い墓石が祀ってあった。説明書きには織田秀信の墓、とある。表の喧騒とはうってかわって静かな佇まいで、今朝も早くから掃除をして花を生けなおした痕跡があった。
都心を縫って走る高速道路、その高架下に身を寄せ合っている青シートのテント村、無数に書き殴られたスプレーの落書き、溢れ返ったゴミ箱、それらをすべて空気のように意識せずに通り過ぎる人々……。
そんな中を先を急ぐでもなくぶらぶらと歩いていると、ふと自分が旅行中であることを忘れてしまう。一瞬自分が東京の生活へ戻ったかのような錯覚さえある。街を歩き、目新しいものを捜し、綺麗な女のコに目移りして、お洒落な店を見つけ、楽しい話題を思い出して……。
休日の繁華街は特にそうだ。人がみんなして休んでいると自分も何故か安心するような、一体感ではないけれど居心地の良い平穏な空気に包まれている。さっきまで野暮ったい格好をした自分に過剰な疎外感を感じていたのに、気が付くとそんなことも忘れてすっかり人混みに溶け込んでいた。
東京までしばらくはまた、こういうおだやかなお昼時ともオサラバだ。何でもすぐに手に入って、食べるにも移動するにも困らない、ただそこにいるだけでそれほど退屈もせずに淡々と時間が流れてゆく……。そういう場所には愛着と未練を感じると同時に、早くそこから飛び出してみたい反発心のようなものも心の隅に抱いている。安心と安定に飽ききってしまう前に、自分が自由に動けることを実感したいと思うからなのかも知れない。
ちょうど昼飯どき、そろそろ今日は切り上げようかという頃合いに、飲食店街で適当な中華飯店を見つけて入った。
表の構えは本格的な中華風の装飾で、わりと立派な感じのする店だ。入ってみると中は2階まで客が一杯で、失敗したかなと思ったが、すでに奥のテーブルに通されてお茶まで出されている。ちょっと待つのは仕方ないかな、と諦めてテーブルのメニューを手に取った。
(ん?チャーラー?あ、なるほどチャーハンとラーメンのセットね。680円か……、よしコレで)
「すみませーん。あ、こっちこっち。えっと、チャーラーをひとつ」
「ちゃーらー?」
「え、いや、その……(何故だ……?)。チャーハンとラーメンのセットのやつを……」
「あ、チャーハンとラーメンね。はーい」
何故?チャーラーって書いとるやんけ!
たまたま運悪く新人ウェイトレスだったのか、ちゃんとメニューに書いてあるはずのそのセット名が通じず、理不尽にも自分の方が恥ずかしい思いをしてしまった。しかも、ちゃんとセットで通じたのかしら?あの様子だとチャーハンとラーメンを別々に持ってきて、割安なセット料金のとは別になっちゃうんじゃないのか??そんな非道なことがあってたまるか!ちょっと、頼むよ、ホントにもう……。
するとぼくが無様にソワソワしているのが分かったのか、隣の席でビールを飲んでいた2人連れのオッサンが、こっちを見てニンマリと笑顔を作った。もう昼間っから相当いい気分らしい赤ら顔。
(心配すんな。ちゃんと来るよ、セットで。)
(しかし、さっきの様子だと別々に注文したかのような受け取られ方だったんじゃ……)
(大丈夫サ。セットはセットだ。そんなアコギな真似しやしねぇヨ)
果たして、しばらくしてやって来たモンダイの「チャーラー」は、やはりセットメニューだったらしく、きちんと「680円也」の伝票も載せてあった。ホッとひと安心するとともに、一瞬店員さんを疑った自分の浅ましさを反省。
それにしても妙に人恋しくなってきたのか、悪い癖で勝手に知らないオッサンとヴァーチャルトークをしてしまった。気になってもう一度チラッと目をやると、オッサンはますます赤い顔をして辺りはばからず大笑いの真っ最中だった。
|