13. 片々の雲
どうやら道を間違えたらしい。
川伝いの道だからいずれ本線に戻るだろうと思っていたら、民家の途切れるところで道もぱったり行き止まりになってしまった。薮へ少し踏み入ってみると、その先は支流の谷が深く切れ込んで崖になっている。
参ったなぁ……。山腹の桜並木に惹かれて、ちょっと道を逸れたのがいけなかった。あそこで県道を曲がってから一度も辻を通 らなかったから、引き返すとすれば相当なロスだ。
(……降りられないかな?)
なおも往生際悪く民家の裏をウロウロ捜していると、ふと一本の獣道が崖下の方へ向かって続いているのを見つけた。
いや、待てよ。これは三重の加佐登で道に迷った時とまったく同じパターンだ。川まで降りればなんとかなると思って竹藪の崖を降りたところ、結局見通しの利かない谷底で方角を見失ってしまったのだ。ここから引き返しても遠回りには違いないが、この先で更に行き止まりになったら尚更悪い……。
どうするか考えている間、山中ではしきりにウグイスが鳴いていた。朝からすっきりと晴れ渡っているものの、放射冷却で空気が冷たい。薮の中はさらに冷気が濃いような気配である。
(ええぃ、ままよ。引き返せるかっ)
意を決して薄暗い獣道へ突入する。崖道は思ったほど険しくないが、枝が覆いかぶさって視界が遮られており、果たしてこの先がどこに繋がるのかまったく不安が晴れない。しかし道があるということは、少なくとも何者かが通るということだ。果たしてそれが「まっとうな」人間であるかどうか……。
やがて時折朝の白い光が薮の中に差し込むようになり、崖を降りきったところで農業用の水路堤に行き当たった。少なくとも袋小路ということはなくなり、とりあえずホッと一息つく。なんだか、賭けに勝ったような満足感だ。
道は薮を抜けて田んぼのあぜ道となり、ようやく青空の下へ脱出できた。思っていたとおり、川沿いのルートまで戻れたらしい。ふと視線を感じて振り向くと、もう農作業に来ていたお爺さんが遠くから不審気にこちらを見ていた。おそらく、さっきの薮道はあのお爺さん専用の近道なのだろう。ぼくはスミマセンと軽く頭を下げる仕草をして、足早にそこから離れた。
春日井から多治見方面へのメインルートは国道19号線である。
だがトラックの多いバイパスで、やや遠回りな上に緩やかな峠道にもなるため、JRの通る土岐川沿いの渓谷ルートを選んだ。高蔵寺から定光寺、古虎渓を経て多治見に至る景勝の道である。紅葉で有名なところらしいが、この季節は山桜も見事だ。
しかし、やや誤算もあった。採石場に近いのか、バイパスが混雑するからか、何故か砂利運搬トラックが頻繁に通るのだ。渓谷の道は急峻な崖を切り込んだ幅狭い2車線路で、歩道も殆どない。トラックもまさか歩行者がいるなどと思わないらしく、曲がりくねった道を派手にギュンギュン飛ばしてくる。ガードレールすれすれを歩きながら、常に前後に気を付けていなければ危険だった。
巨岩がゴロゴロしている眼下の川は、昨日の雨で増水して激しい泥流と化している。
ふと、岩上に黒くて首の長い鳥が佇んでいるのが見えた。遠目でよく分からなかったが、見覚えのあるその姿はおそらく鵜だ。鵜は鵜飼いのために飼われる鳥とばかり思っていたので、野生の鵜がいるのは意外だった。鵜は一応ぼくの気配を感じ取っているらしく、歩き進むぼくと一定の距離を保ちながら、時折羽を広げて悠々と川下へ飛び立っていった。
さざれ石;
「石灰質の岩石性土壌が、川原などで砂利を絡め取って硬化してできた岩石。」(*項末に註釈)
水に溶けやすい石灰質の土壌が、長い年月をかけて砂利や石を取り込みながら、大きな岩へと成長していく。この一帯はそのさざれ石の産地らしく、銘石とその説明書きが置かれてあった。
君が代は/千代に八千代に
/さざれ石の/巌となりて/苔のむすまで
さざれ石、という石があるとは知らなかった。ということはこの歌の意味も、恥ずかしながら今まで具体的には解ってなかったのだ。気の遠くなるような長い長い時間を思った歌。魅力的な歌だと思う。義務づける必要などないけれど、もっと歌の真意を学ぶ機会があってもいいんじゃないかな?などと、いつになくおカタイことを考えてみたりする……。
多治見駅の食堂で味噌カツ定食を食べた後、再びR19に合流して東へと歩く。陽射しはあるものの、風がまだ冷たい。
そのままR19を行けばまたバイパスとなるが、ぼくは何気なく虎渓山へ寄り道してみることにした。
虎渓山、正式には「臨済宗南禅寺派虎渓山永保寺」という。虎渓山とはまわりの山川を含めた山号だが、永保寺という寺号よりも有名な名称だ。永保寺は鎌倉時代末期の国師(天皇から高徳の僧に贈られた称号)夢窓疎石による草創である。
断崖の迫った渓谷の景観が、中国江西省の魯山にある禅宗の名刹「虎渓」に似ているとしてこの名が付けられた。
ただし、これらの知識は例によって後で得たものだ。虎渓山に寄ってみたのは、別に歴史マニアな衝動でもなく、ましてや殊勝な仏教徒の信条でもなく、ただ単に煤けた自動車道を避けて静かな古道を歩きたいと思ったからに過ぎない。とはいえわざわざひと山登っていこうというのだから、体力的にもやや余裕が出てきた実感はあった。
それにしても芭蕉といい、山頭火といい、日本には行雲流水の旅を愛した人物がたくさんいて、不思議と彼らは後世にまで名を残し庶民からも人気がある。疎石も高僧ではあるが、本質的には同類のような気がする。また実際には彼らのように名を残さなかった放浪者も数え切れないほどいたはずだ。誰の心にもあるこの本能は、一体何なのだろう?
(片雲の風に誘われて、漂白の思いやまず……)
自分もまた、身を滅ぼすかも知れないと恐れながら、風に憑かれてしまった一人だ。後悔はない。そう、言い聞かせる。さりとて、未だ俗念も捨てきれず……。
そういう煩悶があるということ自体、草庵の先達とは雲泥の差か。それほどたいそうな覚悟があるわけでもなく、ただ今しばらくの我が儘に身を預けているだけなのかも知れない。しかし青空にぽつんと浮かんだはぐれ雲を見つけては、すべての不安を一瞬で忘れさせてしまう不思議な憧憬を掻き立てられるのも、また確かだった。
道はかなり傾斜の険しい坂で、急峻な山をぐねぐねと這うように方向を定めず登ってゆく。路傍に僅かな湿地帯があって、珍しい群生のヒメコブシが白い可憐な花をつけていた。
そして不意に桜の並木が見えて、頂上に至った。
(ナニ……、コレ!?)
虎渓山の頂上はありきたりな公園だった。しかも車で入れる道が別にあるらしく、青シートを広げた花見客が好き勝手に方々で宴会を開いている。いくつか露店なども出て、そこら中に見苦しいゴミが積み上げてあった。
さっきまでの流浪ロマンはナンだったの?
ぼくは腹が立つやら、ガッカリするやら……。やり切れない空しさに拍子抜けして、早々にその場を後にした。
土岐市駅到着、14:30。予定よりすこし早い。
土岐まで来るともうすっかり山あいの風情につつまれている。集落は両岸を山に挟まれた狭い平地にあり、細い下街道に沿って古風な看板の商店が並んでいた。くすり屋、荒物屋、米屋、酒屋、……はかり屋?
見上げると、晴々と澄み渡った空。
駅の待合所に荷物を置いてから、何気なくあたりを散策していると、ふとまた例の文字に目が止まった。
(お、さくら餅!)
さっそく菓子屋の戸を開けると、瞬時にこちらを振り向いた女性と目があった。ポニーテールで、目がクリッと大きく、 すこし浅黒い肌の小柄な女性。カウンター前のテーブルに座り、木箱に入った白い餅を両手で丸めている最中だった。
「いらっしゃいっ!」
彼女はハツラツとした声を上げ、慌ててエプロンで手を拭きながらカウンターの中へ駆け込んでゆく。そのとても弾んだ様子からして、よっぽど客が来ないのかな?と意地悪な想像をするも、歓待されて悪い気はしない。
「あの……、さくら餅、ひとつ」
「おひとつでよろしいですか?」
おひとつ、いやふたつ、うーん……、ほかにもナンか買おうか??
華やいだ笑顔でまじまじと見つめられながらそう言われると、沸き立つ気持ちとはウラハラに言葉が詰まって出ない。ソンな性分だなぁ!あーとか、うーとか、声にならない声を飲み込みながら、結局160円のさくら餅をひとつ買っただけで、そそくさと店を出てしまった。
駅に戻ると、しわくちゃの婆ちゃんとキオスクのおばちゃんが何かけたたましく笑っている。訛りがきつく言葉はあまり聞き取れないけれど、近所のうわさ話か何かで盛り上がっているらしい。時折語尾に「……だらぁ」「……ほだでぇ」など、独特のイントネーションが混じり、そのたびに2人はあたりはばからず派手に笑った。
ぼくはまた急速に庶民的な空気に引き戻されつつ、缶ジュースのお茶を買って小振りなさくら餅を頬張る。
……まだまだ俗念は振りはらえそうにない。
*「さざれ石」について;
「さざれ」とは漢字を当てると「細」であり、「小さい」「わずかな」という意味の接頭語である。従ってさざれ石の原義は「小さい石」という意味で、地質学的には「砂礫(されき)」のことを指す。またこの砂礫が団結してできたものを礫岩という。ただし礫岩が生成される過程は、通
常海底に堆積した砂礫が長い年月の間に圧力を受けて硬化するものを指し、古虎渓の解説にあるような石灰性土壌による団結とは種類が違う。
君が代に歌われている「さざれ石の巌となりて」が、このどちらの現象を指しているのかは正確には分からないが、いずれにしても非常に長い深遠な時間を表す例えであることには変わりない。
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