14. 桜宴香

 

アレ!?
……リスだ。
薄ねずみ色をしたしなやかな毛並みの小動物が、体と同じくらい大きなしっぽをフワリと立てて、テーブルの下でキョロキョロしている。ヒクヒクとしきりに鼻先を動かし、ときどき小刻みに顔の向きを変えながら、ちょっとずつこちらへ近づいてきた。
ぼくは慌てないようにそっとカメラのスイッチを入れ、ファインダーをのぞき込む。彼はランチのおこぼれを狙っているに違いない。飯が間に合ったら、ちょっとあげるのになぁ。近くにはぼく以外に人はいないが、それにしても動じないヤツだ。ひょっとして、このあたりで飼われているのかしら?
と、思い耽っている間に、彼は収穫がないと判断したらしくまたフワフワとしっぽを揺らしながら木に飛び移って行ってしまった。
ちょうどすぐにカウンターの方から声がかかったので、注文した山菜ソバを取りに席を立つ。

「ここにはリスがいるみたいだけど、あれは飼育してるんですか?」
「野生です。」

店員の女性はやけにアッサリとそう答えて、足早に厨房へ去ってしまった。
野生、にしては人に慣れてる。明らかに餌を欲しそうな顔をして、手でゴマをする様な仕草まで見せてたもんな……。
熱い山菜ソバをすすりながら、まだどこかでこっちを見ているんじゃないかと林の方を眺め回す。けれどもしばらくすると登山姿をした中年の観光客が3人食堂へやってきて、賑やかなお喋りを始めてしてしまった。
ぼくは目を移し、四方遙かに広がる眺望を見やった。空は今日も真っ青で、チリチリと焼ける陽射しが存分に照りつけている。正午を過ぎて、まだ幾分気温も上がっているようだった。

 

岐阜大仏、県立資料館、そしてこの岐阜城とかなりのんびり回ってきたつもりだったが、まだ正午過ぎだ。
今日は旅を中断して、1日岐阜見物をすることにした。もともとそういう予定はなかったが、明日からいよいよ岐阜の父宅を離れるということもあって、朝起きて唐突に方針転換したのだ。我ながら落ち着きのない性分だが、行き当たりばったりには慣れている。それに、岐阜の街や名所も一度じっくり見ておきたいと思っていた。
とはいえ、目的地らしい目的地も特にあるわけではない。とりあえず自転車を借りて気ままに走っていれば、なんなりと興味深い場所に行き当たるだろう。町屋、土壁、桜、長良川、鵜飼い、屋形船……。斉藤道三、織田信長ゆかりの由緒ある城下町は、今もそこはかとなく古趣豊かな佇まいを随所に残している。自転車でぐるっと回るのにちょうどいい大きさの街でもあった。

中でもこの岐阜城だけは、以前から行ってみたいと思っていた場所だった。
ふもとの市街から見上げても、急峻に切り立った金華山の頂に忽然とそびえる城郭は、お伽話の風景のようでもある。何故あんな場所に城を建てられたのか、実際にどれほど城として機能していたのか、また水はどうやって確保したのかなど、ちょっと想像しただけでも無数に疑問や興味が湧いてくるのだ。
ふもとの岐阜公園からはロープウェイで一息に山頂まで登ることができる。時間があれば古道を歩いてみてもいいと思っていたが、ゴンドラから眺めるとそんな気も失せるほど本当に垂直壁のようだ。あっという間に市街が箱庭みたいに小さくなって、雄大な長良川が一望の下に広がった。

城の天守閣には様々な資料が展示してあり、中でも武具や忍者道具が豊富に揃えてある。黒胴着、脇差、手裏剣、鎖ガマ、水蜘蛛……。まるで漫画の世界のようだが、これだけ具体的に忍者の装備を見ていると、実際に彼らが暗躍していた様子をそれなりにリアルな世界として想像することができる。ちなみに信長は甲賀びいきだったらしい。
そして、天楼からの眺め!
西南に広がる広大な 濃尾平野はもちろん、東北一帯の丘陵地帯も優に見下ろして、金華山はまさに天上閣の如く屹立していた。文字通り天上人となって世界を一望できるのだ。市街にはちょうど、白い綿菓子のようにはじけた桜並木が点々と彩りを添えている。そして足元を流れる長良川、遠望の木曽・揖斐の大河が悠々と台地を縫って海へと向かっている……。川は風景の中で最も明確で、偉大な存在だった。

織田信長という武将は、戦国の世における稀代の名将というイメージや、「殺してしまえホトトギス」の例え通り極度に短気な性格、という人物像が先に立ってしまう。だが軍略とともに、それまでの城郭にはない商業機能を重視して安土に居城を移し、ルイス・フロイスの世界譚に耳を傾け先端の情勢を吸収したというエピソードからは、むしろ熱心な経済人・文化人という側面が非常に興味深く浮かび上がってくる。晩年朝鮮攻めに盲進した秀吉や、ある意味日本人らしい保守体質とも思える家康とは、まったく次元の異なる斬新な魅力を備えた人物だ。その信長が眺めた最初の「世界」は、まさしくこの岐阜城から眺めた濃尾平野の展望だったのではなかろうか?

人間にとって「世界」とは、必ずしも地球儀全体を指すものではない。生まれてから死ぬまで一度も行かない、縁もゆかりもない場所の方が圧倒的に広いのである。この濃尾平野に住む人々にとっても、今見える風景の端から端までが「全世界」であったとしても、別に不思議はないだろう。それは交通手段が発達したとはいえ、今も昔も本質的には変わらない気がする。テレビで世界のニュースを毎日見ているといっても、人間のサイズに変化はないのだ。極端に言えば、手の届く範囲の世界が「全世界」なのである。
だが、 信長はそれとは違う世界を見ていた。いや、信長だけではない。誰だってこの金華山の頂上に立てば、あの雄大な大河の向こうに更に大きな海が広がり、やがて広漠な大陸へと至り、果ては空の向こうにまで未知の世界が広がっているということを、ゾクゾクと感じずには入られない。自分の短い人生にとってそれらがまったく無関係なものだとしても、掻き立てられる衝動を抑え込むことは不可能だ。

展望台の鉄柵にある無数の落書きを見ていて、ふとある文字に視線が止まった。

「天下布武」

武力をもって天下統一の事業へ乗り出さんとした、信長のスローガンである。この天楼に立って、世界を前にして口にすると、また一段と腹の底に力が湧くような文言だ。
眼下にキラキラと光の粒を反射する長良川が、いっそう美しく輝いて見えた。

 

「板垣死すとも自由は死さず」の岐阜事件で有名な岐阜公園を通り抜け、長良川に向かって歩いていくと、満開の桜が頭上を埋め尽くす一帯に迷い込んだ。公園の一部だがまわりを中国の庭園風に造成してあり、あちらこちらに花見客が散策を楽しんでいる。桜の花弁が雪のように舞い、幻想的な芳香に包まれていた。
家族連れ、主婦の団体、恋人、休憩中?のタクシー運転手、露天商のおじさん、犬、猫、子供たち、お年寄り……。たくさんの人と生きものが、この淡い春香に誘われて集まってきた。いつの間にか笑みがこぼれている。楽しそうな人しかいない。
一年の中でわずか数日間の奇蹟が、今日のこの日に当たった偶然はとても不思議な気がする。神様が一日だけの寄り道に誘い出してくれたのか、あるいは明日からの旅路への「はなむけ」をくれたのか。
いずれにしても、何か空にいる大きなものに向かって、小さく感謝したいような弾んだ気分だった。

 

ふと、ぼくは買い物を思い立った。お土産の絵ハガキを買おう!
この間の雨の日には何も言葉が浮かばなかったけれど、今日なら手紙を書けそうな気がしたのだ。
早速古い城下町、夜鵜飼いが行われる河岸へと回ってみたけれど、ここはまだ観光客も疎らで店らしい店も開いていなかった。それでは、ということで自転車を駆って市街の方や岐阜駅にも行ってみたが、ここにもそれらしいものが見あたらない。いざ探してみると、意外に典型的な土産物屋という構えの店は少ないものだ。
仕方がないので最後にデパートの文具売場へ行ってみると、岐阜の観光絵ハガキはなかったものの、代わりに桜の絵が描かれた可愛らしいハガキを見つけた。よし、バッチリだ。それにあと郵便局で綺麗な模様の記念切手を買って、また自転車で長良川の方へ戻った。

芝に覆われた広い長良川の河川敷に腰を下ろすと、大気に霞んで赤くにじんだ夕陽とちょうど真正面 に向き合った。
河川敷のグランドでは陸上部らしい中学生が3人、肩で息をしながら何周も何周もトラックを走っている。先頭の選手から最後尾の選手までは、半周以上も差が開いていた。
気が付くと、風が急速に冷たくなっている。
ペンを持って文面を考えていると、この前書けなかったときの記憶が蘇ってきた。あのときは疲れもピークで頭が働かないのだと思っていたけれど、今考えてみるとそれとは別の理由からだった気がする。それは、現状の自分を見失っていたからだ。自分に自信が持てなくて、判断を曖昧にしたままの毎日。だから人に説明するのは余計に億劫だった。
旅の意味を見つけたわけではない。心地よい休日を過ごして、山頂から見事な展望を眺めたからといって、さまざまな悩みが瞬時に解決したわけでもない。しかし少なくとも今自分は何処にいて、何をしていて、そういう当たり前のことを当たり前に人に言うことへの抵抗感は消えていた。自分に納得がいかなくても、毎日の時間は確実に流れているし、それを空白にすることも、先延ばしにすることもできない。ただ淡々と「ここにいる」ということ、それを自分のこの足が一番よく感じていた。自分の大きさを、いま初めて実感している気がする。


前略
お元気ですか?
ぼくはいま、長良川河川敷でこれを書いています。
岐阜では桜がちょうど満開を迎えて、とても素晴らしい景色です……

 

もう、落日が赤く燃え尽きて地平線に消えようとしている。
気が付くと、さっき最後尾だった選手が空を仰いで苦しそうに息をしながら、必死に前との差を縮めてきていた。

 

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