15. 満州里
(オッ、誰だこのコ?かわいいな……)
テーブルに置き捨ててあった漫画雑誌のグラビアに、思わず眼と足が止まってしまった。
ちょうど休憩したかったところだし、さっきフィルムも1本撮り終えたから交換しなきゃならないし……。といろいろ理由を見つけながら、石のベンチに腰掛けて荷物を降ろす。ふだん漫画雑誌は読まないのに、こんな山奥で出会うと妙に懐かしさを覚えるから不思議だ。ぼくは靴と靴下を脱いで、改めてまだ新しいその雑誌をめくる。巻頭のグラビアは南の島で浜辺を駈けているアイドルの水着写真だった。そこだけもうすっかり夏バクハツだ。
「どこから?」
ハッとして振り向くと、黒い法衣姿の背筋の伸びたお爺さんが立っていた。タイミングがタイミングなだけに、慌ててしまって一瞬言葉が出ない。
「え、あ、その……、ならです。奈良県から」
「どこまで?」
「東京まで」
「そうか……」
お爺さんは特に驚きもせず、そのまま同じベンチに腰を掛けてしまった。ぼくもそっとさりげなくグラビアを閉じて隅へ押しやる。すると間髪を入れずに、今度は小型トラックに乗った作業着のおじさんが通りかかった。
「おい、この若者、東京まで歩いて行くんだってさ」
「ナニ?東京?どっから?」
「奈良からだって」
「名古屋?」
おじさんまで車を降りて来てしまう。彼は背は低いがガッチリとした恰幅で、しかも車のバンパーにナントカ会という暴力団?のようなステッカーを貼っている。なんだか唐突に囚われの身となってしまった。
話をしてみると、おじさんはこの村の有力者であるという。さてはいよいよ……と思ったら、別にコワイ人ではなく、なんと代々の先祖がこの土地の統治者だったとの由。それを岐阜県史のコピーまで出して説明し始めたから驚いた。
「ほれ、ここに書いてある。」
見ると、史料を写したページの一部に自分で罫線を引いてある。「馬場三郎左右衛門様利尚公当地御屋敷御越、明暦二年申ノ年、明ル酉ノ春江戸火事ニ付、酉ノ春江戸ヘ早々御帰リ被遊候……」
「この三郎左右衛門ちゅうのが、ワシの祖先じゃ」
「御武家さまだったんだな、この人の家は」
法衣のお爺さんまで、見てきたように祖先の話に相づちを打つ。おじさんは名刺まで出してくれたが、どうやら有力者というのは本当らしい。名刺は作業着ではなく堂々たる背広姿のカラー写真入りで、なんだかいろんな漢字の肩書きが名前の横にズラッと並んでいる。さっきのナントカ会もその中にあったが、どうやらそれは農業組合か何かの名称のようだった。
しかし話はそのまま途切れず、今度は暦年表まで懐から取り出して、延々と地元の歴史講話が続いた。
「ここの地名はな、この後ろにある岩場から来た名前なんじゃ。大きな釜炊き場みたいな格好じゃろ?だから釜戸ちゅう」
「この人が、この休憩所(石のベンチとテーブル)を作ったんだ。なあ」
「ほじゃ。今度また下流の方にも作らにゃならんで」
「おーい、婆さん。この若者は歩いて東京まで行きおるそうだよ」
「あれまあ!?ハハハハ」
何がハハハハなのか、とにかくここに座っているとどんどん人が集まってきてしまう。ただの田舎道に作られたベンチなのに、巧妙に生活の交差点に設置してあるということなのかしら?ぼくは必死で相づちを打ったり、愛想良く受け答えしたりしながら、なおこの後しばらく集落の由来などを教授されるはめになった。
「婆さん、こんど18日に地域の(歴史の)話をするよ。是非来なさい」
「あれまあ、ハハハハ(こればっかし)」
「若者は来られないか?残念だな。まあ、頑張れよ。この道はな、昔トロッコ線だったんだ。今は農道だけど、昔は列車が通 って材木をたくさん運び出してたんだよ……」
朝から旧道だと思って歩いていたのは、実は以前のトロッコ線路跡だった。確かに言われてみると、道端に鉄道用の標識らしいものがあったり、民家の柵木にくすんだ枕木が使われていたり、その名残が垣間見られる。
村の休憩所で思わず長居してしまったけれど、再び歩き始めてから10分もしない内に、また荷物が肩に食い込んでズキズキし始めた。今日からまたすべての荷物を持って歩かなければならないので、久しぶりの重さにちょっといきなりバテ気味だ。おまけに朝から陽射しが厳しく、この旅で初めてTシャツ一枚になって歩いている。道は低い山に囲まれた細長い谷筋を、緩やかにカーブしながら徐々に登っている感じだった。
このあたりは国道19号線とJR中央本線が併走しているものの、一歩脇へ逸れるとすっかり山村の野道で、駅と駅の間隔も長いため食事などには不自由する。11:30過ぎにちょうど釜戸の駅に着いたが、鄙びた小さな温泉町の駅前はカラカラと陽射しを照り返すばかりだ。タクシーの運転手がドアを開けたまま居眠りしているほかは、人気もまったくない。通りの向こうで、食品から荒物まで生活用品を揃えた田舎によくある小店が一軒開いているだけだった。
再び野道になって、道に迷いかけたので草原で荷物を降ろして休む。何もない代わりに、天気が良ければどこでも寝転んで休めるのが田舎のいいところだ。そして、ルートはこの先でいよいよ中山道に接続する。
肩の痛みが気になったので、ふと思いついてザックの腰ベルトの位置を変えてみた。肩紐の長さは簡単に調整できるが、腰ベルトの位 置は面倒なので今まで手つかずだったのだ。荷物の重心がすこし高くて、疲れてくると姿勢が前のめりになるような気がしたので、思い切って腰ベルトの位置を下げてみた。すると、さっきまでの苦痛がウソのようになくなって、荷重が適度に分散した感じのちょうどいいバランスになった。なんだ、こんなことならもっと早く調整すればよかったな。
地図で見ると次の駅はもうすぐだと分かった。見るからに何もなさそうな寂しいエリアだけど、とにかく駅前なら何か飲食関係の店があるだろう。最悪の場合また非常食を食べればいいが、できるだけそれは避けたいところだ。
果たして、駅は予想以上に小さな佇まいだったが、辛うじて喫茶店のような洒落た構えの店が一軒だけぽつんと建っている。捨てる神あれば拾う神あり……。ぼくはもうヘトヘトになりながらも、希望を込めて最後の坂を足早に登った。
「あの、日替わりランチ、13:30までって書いてありましたけど、まだ大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。ナポリタンとカルボナーラ、どちらになさいます?」
カルボ……?こんな山村の一軒茶店で、予想外の献立。でも、店内は八角形の清潔感ある洋風喫茶にリフォームされているし、店も若い夫婦が二人で新しく意気込んで始めた、というかんじだった。ぼくの他にも地元客らしいおじさんが3人、工事現場の職人さんが4人と、結構繁盛している。
しばらくしてやってきたカルボナーラに間髪を入れず突撃。味も悪くない。スパゲティに御飯とサラダ、という妙なランチだが、とにかくハラが減っていたので気にならない。お箸しか出てこなかったので、うどんのようにパスタを食べたが、それも別に問題ない。しかし、突然のオドロキに思わず箸がピタッと止まった。
(オー……、リアル・インセクト!)
何か見たことのない西洋野菜か?いや、残念ながら間違いなくコレは幼虫……
食べられるときに、食べられるだけ食べろ……。ぼくは「原則」を頭の中で唱え直して、厳かにその「異物」を盆の外へ排除すると、何事もなかったようにまた食事を続けた。できるだけ他のことを考えようとすると、余計にその残像が強く脳裏に蘇ってくる。味なんか覚えてないや。
「なあ、ヨシコさん、今年の信用組合の忘年会はこの店でやろう。一人1万円でどうだ?」
「まあそんな!5000円で飲み放題も付けますよっ」
「そんなんで大丈夫かい?ま、ウチも経費だけど(笑)」
「アラ?だったらもすこし戴こうかしら?(笑)」
ぼくは650円払って、トイレを済ませてから店を出た。
15:30恵那駅に着いたところで駅前の観光案内所へ寄って、値段だけを見て一番安い「満寿喜」に直行する。
基本的には寝られたらナンでもいいんだからと割り切ったものの、宿に着いてみるまではちょっと不安なものだ。三重の関町以来の宿泊で、久々に緊張気味でもあった。
しかし着いてみると、そこは特に可もなく不可もなくといった2階建てのビジネス旅館で、部屋も綺麗だし気兼ねのいらないカラッポ感にまずはひと安心した。荷物を降ろして靴下を脱ぎ、お茶を入れてふうっと一息つく。
(さて、これからまだ歩こうか?)
時間的には日没までまだ2時間ほどある。道を間違えなければあと8kmは進める計算だが、次の中津川まではおよそ10km、そしてR19を避ければ地図では分かりづらい野道のルートだ。
だが、その先の行程を考えると明日中津川からスタートの方が楽になる……。
よし、行くか。
16:00、乾いた靴下を履いて、カメラと地図だけ持って宿を出た。風がすこし冷たくなり、早くも夕暮れの気配が背中に迫っている。恵那を過ぎてすぐの中山道大井宿をそこそこに眺めながら、緩やかな坂道を急いだ。
(ああ、日が沈む……)
焦る気持ちとは裏腹に、ぽっかりと盛り上がった山際に沈む夕陽をしばし見届けて、すぐにまた歩き出した。
思いの外、このあたりは道に迷う。本線が細い田舎道な上に、同じ様な農道が交差しても標識などが見あたらない。そのうえ小さなアップダウンを繰り返して、まっすぐに進んでいる感じがしないのだ。
それでもなんとか方角だけは失わずに来たが、ついに心強い太陽も消えた。見通しの利かない薮に入ってしまえば、完全に孤立無援だ。ぼくはできるだけ歩速を早めたが、今いったいどのあたりまで来ているのか分からないのが不安だった。
ようやく開けた田園の道に出たものの、もう辺りはすっかり闇だ。民家もほとんどなく、軒の灯りが寂しく道の続く方角を指し示している。さっきから延々と登りが続いているが、本当に中津川へ向かっているのかさえだんだん怪しくなってきた。
そのとき、不意に道路が何かに行き当たって遮断された。盛り土をした向こうに、オレンジ色の大きな外灯が数本立っている。……高速道路だ!
できるだけ外灯の下へ近づいて地図を開いてみると、ここは中央道の中津川ICらしいことが分かった。中津川ICということは……、中津川駅までまだ4kmもある!?
道に迷っていなかったのはホッとしたが、予想よりも1時間近く遅いペースだ。細々と道を間違えたり立ち止まったりしている内に、かなりロスしてしまっていたらしい。もう19:30過ぎ。まともに歩いても駅に着くのは20:30過ぎ……
(あ、あれはメシ屋か……?)
ガックリと肩を落として歩いていると、前方に小さな看板の灯りが見えた。このあたりはすっかり人気のない山道だと諦めていたが、どうやらICから降りる車客を目当てにした飲食店らしい。どうだろう?ここで喰っておかなければ、次は駅まで何もない可能性は高い。それに駅に着いても、21:00近くで開いている店がないことも考えられる……。
ぼくはさらに時間をロスするものの、ここで晩飯を食べておくことに決めた。前まで行ってみると、「満州里」と書かれた店はコンテナ風の味気ない中華食堂だったが、駐車場には結構たくさん車が停まっている。ラーメンじゃものたりないな、と思いつつ暖簾をくぐった。
(失敗したかな……)
これはかなり待つぞ。
くの字型のカウンターがあるだけの狭い店だったが、客がズラリと座ってすでに満員だ。しかも男ばかり。ぼくはその角席についたものの、見るとカウンターの客はほとんどまだ何も食べておらず、じっと思い思いの姿勢で食事を待っている状態だった。
カウンターに囲まれた中の厨房には、一人で調理している白い割烹着のオヤジと、何故かほとんど動かない関取のような恰幅のおばさん、それに極めて場違いな美人ウエイターが働いている。
彼女はどうやら中国人のようだったが、ただの従業員というよりは店主夫婦の息子の嫁といった感じだ。嫁さんは異国で寂しさも見せず甲斐甲斐しく旦那の両親を手伝っているのに、放蕩息子は稼業も継がずに町へ行ったきり……。
あんまり暇なので、ついくだらない想像を膨らませてしまう。
やがて、ようやく隣の席の若い3人組に待望のメシが届いた。驚いたのは、その味噌ラーメン。これでもか!とばかりのテンコ盛りで、具だの麺だのが嫌というほど溢れ返っていた。
入口で食券を買うとき、販売機に「大盛りはできません、あしからず。」とわざわざ断り書きがしてあったので、てっきり早合点してしまったのだ。ぼくは極端にハラが減っていて、迷ったあげく奮発して一番高い「肉玉野菜炒め(1000円也)」を選んだ。しかも席についてその券をくだんの美人ウエイターに手渡すと、「ゴハン、イラナイノ?」と真顔で聞くではないか……!フツーその値段なら定食だろッ@?"<*+#$!!!!!
怒りを抑えつつ、さらに「ライス(200円也)」をプッシュ。メシに1200円なんて、普段の2倍だ、トホホ……。
でも、ま、ハラ減ってんだし、一軒しかなかったし、と自分をなだめすかしていたのに、隣のラーメンは呆気にとられるほどの「バカ盛り」なのである。
しかも、それから徐々に出来上がってくるメニューはどれもこれも同じくバカ盛り。だいたい600円くらいのラーメン類やチャーハンが、どれもこれも特大サイズだ。どうりで、この店はワークマンが御用達にするわけだ……。
気づいたときは既に遅し。まあ、いずれにしてもハラは減ってんだし、2食分喰い貯めるつもりで……。空しい胸算用をしながら、汗を拭いてとにかく順番が来るのを待つ。……ところが、本当に恐ろしい悪夢はこれからであった。
「え!?3人じゃないのか?肉玉」
「1人よ。」
「どーするよ……。おい、アイツ(奥に座っていた常連客ふうを指して)注文なんだっけか?」
「ラーメン」
「じゃ、いいや。ヨオ、兄さん、肉玉美味いよ。替えない?」
どうやら、ぼくの肉玉野菜炒めは注文を間違えて作りすぎてしまったようなのだ。声をかけられた気の弱そうな兄さんは、アー、とかウーとか言ってる内に、すばやく注文を肉玉野菜炒めにすり替えられてしまった。しかもオヤジはまだぼくの方を見ようとせずに、次の獲物を物色している。
「ダメだよ、もういないよ」
「仕方ねえなぁ……。じゃ、アレ持ってこい」
関取おばさんが言われて出してきたのは、巨大な円盤型の器。4人前のにぎり寿司を入れるくらいの器だ。
(マサカ……)
息を呑んで後ろから見守っていると、やはりそのマサカの通り、オヤジは大量の肉玉野菜炒めをそこへ投入した。美人ウエイターが冷静を装ってそれを運んでくるのだが、口元がすでに半笑いだ。
その凄まじいバカ盛りに改めて眺め入って、もう何も文句を言う気になれなかった。それより、何故か猛然とその挑戦を受けて立たんとする闘志がわき上がってくる。箸を割る指にも力が入った。よし、そっちがその気なら、こっちだって!
ぼくは猛然とわき目もふらず、肉と玉子、人参、キャベツ、タマネギ、椎茸、その他モロモロの大海へ猛然と飛び込んでいった。
「ヒマだな、、春は。夏の次にヒマだよ」
「……(フツー逆じゃないの?)」
「兄ちゃん、多いか(笑)」
「え、まあ……(見りゃ分かるだろー!)」
「まだあるよ(笑)」
「いや、もう(笑)(喰えるか!!!)」
オヤジはようやく客が退いたころ、厨房から出てきてカウンターに座り、美味そうに一服やり始めた。さっきまで仇のようだったが、こっちもさすがに腹がパンパンで抵抗力もなくなってきたのか、オヤジの意外に穏やかな語り口調にだんだん馴染んでいく。さっきまで一人で大きな中華鍋を振るっていた左腕を、タバコを持ったままグルッと2、3度回した。
ふと気が付くと、オヤジの足元でむっすりとしたトラ猫が肉玉野菜炒めをガツガツと食べている……。それ、オレのオゴリだからな。分かってんのか?
「オレも昔はよく働いたよ。大晦日の日は朝の4:00まで。で、元旦は10:00から。今はやんないよ。歳だし、この店来てからはな」
「はあ……」
「最近はなんでも大売りやからな。見てみ、この塩。何kgやろな……?30袋はあるで。でっかいのはエエこっちゃ。ナンでもでっかいのが好きなんや(笑)」
ん?なんか、つまりオヤジは肉玉野菜炒めを作りすぎたことに対して、遠回しにフォローしているのである。わざわざまとめ買いした塩の袋を持ち出してきて、要するに豪儀な性格だから勘弁しろと、そういうことか。
なんだか戦意もすっかり喪失してしまった。完勝したとはいえ、ぼくはベルトもはずして、チャックまで危うい醜態をさらしている。
オヤジも憎めない人だ。それに客も事の一部始終を密かに観戦していたらしく、ぼくが遂に3人前近い肉玉野菜炒めを撃破すると、口元に笑みを浮かべてこちらをのぞき見たりしていた。美人ウエイターは「ニホン人ワカラナイネ」といった顔をして、呆れながら巨大皿を撤収していく。
「よう頑張ったナ」
ビックリして振り向くと、関取おばさんが親方のような貫禄のある笑みで肩を叩いていた。
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