18. 縦走

 

7:05大桑駅着。
ワンマン列車を降りると、途端にポツンと寂しく取り残された。
飲み終えたコーヒーの缶を捨て、無人の駅舎をくぐる。昨日までの雨がすっきりと上がって、薄い雲の切れ間から青空も小さく見え始めていた。
はぁっと吐く息が白い。今朝の気温はなんと0℃。木曽福島の宿を出たとき、遠望の峰がうっすらと雪化粧をしていて、さすがに驚いた。宵のうちに雨が雪に変わったのだろうか?改めて、テント泊でなくて良かったと思う。

同じ国道19号線でも、雨の中を歩くのと違って晴れた朝は気持ちがいい。まだ半乾きのアスファルトから、ひんやりと冷気が伝わってくる。山影で日が射さないので肌寒いが、歩いていれば次第に温まってくるだろう。むしろピリッと緊張した空気が、頭を冴えさせて爽快だった。
国道脇に消防車が停まっていて、そのまわりに消防服の男たちが数人屯している。これから消火に向かう、という出で立ちなのに、何故がみなのんびりと談笑などしている。ちょうどぼくが横を通りかかったとき、向こうからやって来た火消し法被姿の男たち数人と合流して、悠々とサイレンを鳴らしながら前方へ去っていった。
川原に近いところを歩くと、まだ流量は衰えていないものの、昨日の増水も徐々に退いて水が澄んできている。今日は身体もすこぶる調子がいい。出発も早いし、頑張れば一気に鳥居峠まで行けるかも知れない。
そして、ようやく東の山際から遅い朝日が真っ白に輝きながら顔を覗かせた。

 

木曽路の谷は、南木曾から木曽福島付近まで深い山脈を切れ込んでほぼ南北に走っている。この間「寝覚ノ床」や「木曽の桟」といった有名な景勝地に代表される、岩石剥き出しの険しい渓谷が続く。
往時の木曽福島は、その豊富な材木資源を下流の名古屋にまで流して潤ったというが、今見る限りこんなゴロゴロした川床を材木筏が通行できたとは到底思えない。だが実際には、昔は今に比べて水量がもっと豊かだったのである。
ニッポンのほとんどの河川は戦後、特に高度経済成長期にその姿を大きく変貌させた。鉄道と道路網の整備によって、かつては交通の主役であった川の役割が急速に廃れたことも一因ではある。だが最大の原因は、大量 に進められたダム建設に相違ない。次々と造られたダムは本流だけでなくほとんどの支流も堰き止めてしまい、わずか二、三十年程で川の水位を数メートルも下げてしまったのだ。
現在の景観からは一見想像もつかないかもしれないが、流域の岸をよく観察するとその名残と思しきものが散見される。剥き出しになった石の川原は、かつて川底であったかもしれない。当時はかなり上流域まで川船の通行があったろうし、水量の豊富な広い川には住む魚もたくさんいただろう。そう考えると、山の暮らしにおいても今の衰弱ぶりとはまったく異なる、豊穣な生活が営まれていた想像も広がってくる。
今目の前にある風景は自然そのものというよりも、ある意味では人間が作った景観だと考えられなくもない。

 


「放水準備完了!」
「第一放水!始めっ!」

遙か前方の出水ホースから、ドッと勢い良く水が噴き出した。
さっきの消防団は、消防訓練に向かう途中だったのだ。
須原宿には20人ほどの消防団員が集まっていた。早朝から、みなはっぴや消防服姿で規律正しく訓練を行っている。そうか、今日は日曜日だ。おそらく村の男全員が団員として集まっているに違いない。緊張感の中にも、よく見ると談笑してよもやま話を交わしているような長閑さも垣間見える。

須原宿は思った以上に保存状態がいい。民家の並ぶ道端には木曽路独特の水場である「水船」が点々と置かれ、今も清冽な水を満々と湛えている。掛けられた手ぬぐい、バケツに差してある柄杓、雑巾、野菜を洗うたわし……。野尻、大桑と、どことなく寂しい集落が続いていただけに、ここにある生活臭の瑞々しさが、いっそう明るく映った。
ふと気づくと、宿場を貫通する街道の道幅がこれまでより広い。ここまで見てきた宿場内の街道は、1〜1.5車線程度と狭いのがほとんどだったが、ここは自動車が悠々擦れ違える程の幅がある。……降雪量 の関係だろうか?北国の道路には、除雪した雪で道が埋まらないよう、道幅にかなりの余裕があるのを見たことがある。このあたりも既に積雪の多い地域だろうから、そういう可能性はある。
そしてしばらく行くと須原駅に着き、案内板の解説にもうひとつのヒントを見つけた。
かつて集落はもっと川原に近い低地にあったが、江戸時代中期の大洪水で集落ごと流され、享保2(1717)年現在の位 置に再建されたという。中山道の中でも、最も新しい宿場だそうだ。従ってあるいは道幅も時勢に合わせて近代的な設計になったのかも知れない。

中山道には今も街道の古趣がたっぷりと残っている。それを楽しむ意味でも、国道のトラックを避ける意味でも、旧道のルートを辿りながら歩くのは楽しい。
しかし歩いていると、街道と一口に言ってもすべてが遺跡のように古いものとは限らないことに気づく。場所によって開発された年代にもかなりの開きがあるし、補修工事を繰り返していたり、あるいはルート自体が付け替えられたものも少なくない。特に需要の高いルートほど、そういった変化が激しい。最初の状態から不変のものなどまずないだろう。
ロマンを壊すような見方だが、今残っている宿場風情というのも100年前からそのまま変わらない景観というのはほとんどないはずだ。旧道を歩き古に親しむといっても、せいぜい数十年前の古でしかない場合も少なくないのである。
だが一方で、「道」は骨董品ではないのも確かだ。道は今そこに必要だからあり、通る人がいるから補修されるのであり、逆に棄てられた道は草に埋もれて消えてしまう。
だだっ広いアスファルトの国道が旧道を分断して走り、トンネルや橋を駆使して自然に挑むように通されている様は、見ていて決して心地よいものではない。殊にこうして「歩く」という視点に立てば、尚更だ。とはいえ道としては明らかにそちらの方が若く、毎日たくさんの往来を支えて生き生きと脈動している。
道もまた生き物だ。古い道も、新しい道も、それぞれに味わいと意義がある。

 


9:15倉本駅、通過。
R19脇に小野ノ滝。滝も壮観だが、傍らの石垣を組んだ鉄道橋脚を造った土木屋はスゴイなぁ。
10:10寝覚ノ床。深い谷の遊歩道を下って裏寝覚まで見に行くも、岩場の景観はどこかで見たようなものと変わり映えなし。それよりも、往時は総延長540kmもあったという森林鉄道(林鉄)の残骸の方が興味深し。砂利の坂道をハイヒールで危なっかしく降りて来るカップル。崖を登って変な寺の境内に出てしまい、出るとき受付のばあちゃんに「ありがとうございました」と言われ恐縮。
国道沿いのドライブインはパスして、程なく11:40上松駅着。キオスクで訪ねると、食堂は駅前の一件のみ。牛乳飲んで、ついでに写真を頼むが断られた。教えてもらった食堂でチョット辛い玉ねぎと豚肉だけの素朴すぎる肉丼(600円也)。テーブル一杯にビール瓶を並べた中年ハイカーグループ、オレも飲みてぇなぁ……
12:40木曽の桟もさほどの印象ながら、国道のロックシェイド上に謎の望楼あり、怪し。
13:20木曽ダム通過。旧道の脇に煉瓦造りのトンネル口発見。現在はアスファルト道路だが、おそらくかつての中央本線跡。昔は単線?道祖神と草刈り鎌撮る。
13:50木曽福島駅着。
(旅ノートメモ)

予想より、かなり早いペースだ。投宿先の木曽福島まで、昼過ぎに戻って来られるとは思わなかった。
思わず嬉しくなって、一旦宿へ寄るついでに、向かいの和菓子屋へ寄ってみた。例によって、例のヤツを……。

「あの、さくら餅をひとつ。あ、それとそのそば饅頭と、柏餅も」
「毎度どうもありがとうございます。」
「ところであの、こちらではこのタイプのさくら餅だけでしょうか……?」
「アラ、道明寺がよろしいです?」
「え、ご存じですか!?京都風の、桜色に染めたおはぎのような……」
「ええ。ウチでは扱ってませんけど、福島でも扱っておられる和菓子屋さんが何軒かありますよ」

道中ずっと探索し続けてきた「さくら餅東西境界線」は、ついにその真相を明らかにしたのだ!
関西に生まれ育ったぼくとしては、さくら餅といえば桜色に染めたおはぎのようなものを塩漬けの桜葉で包んだ、いわゆる「道明寺」である。ところが、東京へ移ってからこのタイプはほとんど見なくなり、代わりに餡をワッフル生地ふうの薄皮で包んだ洋菓子みたいなものを「さくら餅」と呼んでいるので、非常に驚いたのだ。どうやらさくら餅には2タイプあって、その勢力圏は東西で分かれている。それではその境界線は何処なのか?という疑問を、通る道すがら実際にさくら餅を食べ続ける「実戦取材」で確かめていたというわけだ。

「そうですねぇ……。道明寺を扱ってるのは、この木曽福島が北限でしょうね。塩尻まで行くともうないですよ。逆に関東風は、たぶん南木曾までですね。だからここら一帯は、激戦区(笑)。というか。両方食べられるから贅沢ですよね。ナニ、あなたそれが目的で旅してるわけ?……タイヘンねぇ」

いや、そういうわけでは……。
ともかくぼくは謎が解けたヨロコビと、優しい店員さんに「頑張って下さいね」とエールをもらったのとで、さらに気分を良くして宿へ戻ったのであった。
宿で新しいお茶っ葉を頼むと、気を利かせた女将さんがさっき買ったのと同じ「さくら餅」を用意して出してくれた。思いもよらず豪華なおやつになったが、早朝から歩きづめだった身体はそれくらい軽々と吸収してしまう。
ふと洗面台で鏡を見ると、眼鏡の縁がくっきりと白く浮いている。知らない間にかなり日焼けしてしまった。
窓から覗く空は、限りなく真っ青に晴れわたっていた。

 

天下四大関所のひとつ、福島関の門前に立つと、その正面に真っ白な連峰の頂。
いよいよ、木曽路のクライマックスが近づいてきた。
日没までに鳥居峠を越えられるかどうかは微妙な時間になってきたが、いずれにしても今日はまだ15km以上歩きたい。先を急ぐというよりは、これだけ順調に歩けること自体が楽しくてしょうがないのだ。
身体の順応はもちろん、もう脚の故障もない。鬱血の痛みにも慣れた。気力も充実して、好奇心も昂揚している。
どんどん近づいてくる白峰も、不思議な引力のようなもので興奮を更に引きつけた。

途中、村はずれの神社に苔むした「土俵」を見つけて驚いたが、さらに行くと今度は吊り天井まで付いた本格的な土俵が現れた。このあたりは相撲どころなのだろうか?人気はまったくないが、きっと夏が来ればここで地元の相撲大会が開かれるに違いない。

16:30 宮ノ越宿。ここも須原と同様に宿場内の道幅が広い。だが今度は明らかに積雪対策のような印象である。家々の構えもこれまでの旅籠風情とは違い、長いひさしに赤いトタン屋根も多い。軒先には雪かき道具や融雪剤もチラホラ見える。全体的に、もう信州の山里といった感じであった。
前庭が耕されて野菜が植えられている本陣跡の前に、街道の距離を示す道標が立っている。「江戸より六十六里三十五丁、京より六十八里十五丁」。ようやく、中間点を越えたわけだ。

ふと見つけた標識に沿って、何気なく木曽義仲の菩提寺である徳音寺を訪れた。境内に宝物殿があるというので、正面の建物の戸を開けて入ってみると、

「……あの、何か御用ですか?」
「え、あ、いや、その……。宝物殿では?」
「あ、それは右の奥です。鍵は開いてますので、外にあるスイッチで電気を点けて入って下さい」

間違えて私宅に入ってしまった。
宝物殿は言われた通り鍵も掛けられておらず、電灯も自分で点けなければならない。あまりの不用心というか、のどかさに呆れつつも靴を脱いで入ってみた。建物は小さな蔵を改造してあるようだったが、ちゃんと中には古い武具などが陳列して展示してある。漆器、陶磁器など、生活用品の類も豊富に並べてあって、結構面白い。ただし板敷きの床が氷のように冷たく、長くじっと立ってはいられないほどだった。
それにしても木曽福島周辺を通るときずっと引っかかっていたことだが、このあたりでは「木曽義仲伝説」は一種特別な感情でもって、今も住民に支えられている気がする。町の意匠や、土産物の文句に唱われるのは勿論のこと、意識の根底で未だ往時の隆盛を夢見ているような、そんな気風がどことなく漂っている。
源平合戦においては逆賊のように描かれもするが、あわやニッポンを制するかというところまで威を奮った山国の覇王は、木曽の人々にとって今なお最強の英雄なのかも知れない。そしてかつては木曽の国という「独立国」が確固として存在していた、その末裔の記憶を連綿と継ぐ心の軸ともなっているのだろう。

ここへきて、急速に陽射しが弱まってきた。家並みの影が長くなり、気が付くと真冬のような冷たい風が吹き始めている。このままでは時間の問題より、気温の問題で鳥居峠は無理だ。
宮ノ越駅へ行って時刻表を確認すると、下り列車は17:19、19:11と寂しい。ここで切り上げて宿へ戻ってもいいが、できれば峠の麓の薮原までは行っておきたい。ぼくは無人駅舎のベンチに座ってしばらく迷ったものの、風を避けて徐々に体温が快復してくるとまた気力も戻ってきた。
……行くか。

 

みるみる陰影を失ってゆく山影を見ながら、できる限り足早に進む。
R19はバイパスになっているため、旧道はずっと荒涼とした野道が続く。
途中自転車に乗った怖ろしく髭の長い男に、いきなり「オーッ」と声をかけられて驚いた。
険しい岩場の渓谷に、一筋の可憐な滝が注ぎ込む「巴ヶ淵」。木曽義仲の伴侶、長刀の名手巴御前はこの淵で美しい白肌を露わに水浴したというが……、信じられん!こっちは着られる物を全部着てもなお、ブルブルと震えているのだ。ぼくは伝説の感傷もそこそこに、先を急いだ。

壁のように切り立っていた山容もいくらか緩やかになって、川の周囲に平坦な笹原が広がるようになってきた。木々の下にもあまり緑の雑草がなく、冬枯れの茶色い地面が続いている。とうとう川の上流域にまで着たのだ。
だが光が薄くなっていくにつれて、にわかに重い不安感が襲ってきた。思ったより次の駅が遠そうだが、果たして列車の時刻までに間に合うだろうか?
しかし、焦る気持ちに任せてショートカットのつもりで対岸へ渡ったのが間違いだった。一見道はまっすぐに国道へ繋がるように見えたが、歩き進むにつれてどんどん林の中へ反れてゆく。戻る時間はない。といって徐々に車の音もしなくなるし、道はますます暗くなってゆく。
……どうする?さすがにヤバイ感じだ。寒さと暗さは想像以上に焦燥を煽る。
今なら急いで戻れば迂回しても列車に間に合うかも知れないが……、!
ふと後ろを振り返り、ギョッとおののいた。
薄紫色の空に、高々と真っ白な満月。この世界に月と自分しか存在しないような、澄み切った冷気があたりを包んでいる。

(……オレ、丸腰だ。)

月と対峙して身を隠しきれないことが、何故か怯えとなって伝わってくる。静かな戦慄が、背筋をゆっくりと逆流した。
…… いや、これは冷えた汗だ。

立ち止まると、たちまち寒くなる。
ぼくは引き返すのはやめて、再び森の中へ続く道を歩き始めた。

 

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