19. 春まだ遅き白峰遙か

 

腕時計のアラームは鳴らなかったが、ふと自然に目が開いた。
……7:30か。
寒いのをこらえ、布団を出てストーブを点け、TVのスイッチも入れる。
……アレ?NHKは5チャンネルやったかな……。もうこの時間はニュースやってるはずやけど……
あ゛っ!?
まだ5:20や!……7:30って、アラームのセット画面をそのまま表示してたのか……くそっ!
もう一回寝るぞ……
あぁ……、一度完全に目が覚めてしもうたから、寝付かれへん。最悪や……

 

薮原の駅前を出てからしばらくは「お六櫛」の看板が並び、宿場の風情も垣間見えたが、やがてすぐに集落が途切れて急な坂道になった。途中に昔の鷹匠場跡があり、開けた前庭に立つと西に御嶽、北に鉢盛山の威容が迫る。雲ひとつない快晴の空に、北アルプスの白い稜線がいっそう鮮やかに映えていた。ここから北西に飛騨街道を上れば上高地だ。そして中山道は木曽川に別 れを告げて、いよいよ鳥居越えに至る。
鳥居峠は標高約1200m。薮原宿(京寄り)と奈良井宿(江戸寄り)の間隔はおよそ4.5kmと短いが、急激な坂を上り下りする、文字通 りの登山道である。かつては中山道一の難所と言われた。おまけに標高が高いので、一帯はまだ葉を落としたままの唐松林が広がっている。。林床も冬枯れの茶色い落葉に埋め尽くされ、乾いた寒風に時折カラカラと寂しい音を立てていた。
頭上を覆う枝が隙間だらけなため、足元は陽射しがたっぷり降り注いでいて明るい。坂道を一歩一歩登り始めて、すぐに全身が蒸した熱気を帯びたが、露出した肌だけは冷気にさらされて張り詰めている。乾燥のせいか、日焼けのせいか、顔をこするとガサガサしてすこし痛かった。

(「山中熊に注意。鈴を鳴らしたり大声を出したりせよ」……!?)

熊!?
道に立てられた看板には、注意書きの横に豆腐屋が使うようなの大きな鈴が吊ってある。鳴らしてみると、キーン!キーン!と澄み切った金属音が、付近一帯にこだまするくらい響きわたった。
これは冗談じゃない。
そういわれてみれば、確かに野趣豊かすぎる峠道。林床の雪も融けて、そろそろ冬眠から醒めた熊が穴蔵を這い出してもおかしくはない。しかも彼らは一年で一番ハラを空かせている時期じゃないか……
考え始めると、急速に恐怖を覚えて、さっきまでの登り坂の苦しみはすっかり忘れてしまったほどだ。
背に腹は代えられない。鈴を持っていない以上、あとは歌を歌うくらいしか対策のとりようがない……。どうせ付近に人はいないのだ。ぼくは大声で歌を歌いながら、また歩き始めた。
熊よけ鈴は約200m間隔で立て札に吊されており、それを見つけると心強くて思いっきりガランゴロンと鳴らしまくる。しかし、逆にそれだけ頻繁に鈴が吊ってあるということは、本当に熊の出没する可能性が高いという証拠だ。だからといって、道はこの一本しかない……。山中でひとり、熊に怯える恐怖は、並大抵のものではなかった。

(えっと……、熊が出たらまず逃げる?棒を持っておこうか?武器といえば、ザックのポケットに十徳ナイフがあるけど、こんな小さなナイフじゃなぁ……。あ、いつか東北のどっかで、農夫が巴投げで撃退したって聞いたことあるな!……っていっても、そんなの上手い具合に出来るか?)

それでも、谷筋に投げ飛ばすにはこっちからこっちへエイヤーッ!……、などと、空しいイメージトレーニングを繰り返す。イザとなれば武器にするつもりで、途中で手頃な松の枝を拾い、杖代わりに持つ。そして歌が続かなくなると、ハァハァと切れる息もわざと声に出して、「アー」とか「オー」とか唸りながら歩いた。他に見ている人はいないはずだが、我ながら熊も恥ずかしくなるような滑稽ぶり……
しかし、とにかく無事峠を突破してしまえば問題ないのだ。自然とピッチも上がり、これまでになく集中して必死で登り続けた。

 

10:20鳥居峠制覇。
どうやら無事に、ほぼ予想通りの時刻に分水嶺の頂に到達できた。
峠にはその名のとおり鳥居があり、奥には小さな社がある。戦国時代、木曽義元が松本の小笠原氏に戦勝した折に建立されたとの由。入ってみると、軒先の影にはまだ残雪が融けずに残っていた。ここは昼前でもまだ0℃近い。
社の戸は閉ざされたままだったが、両翼の裏に回ると、それぞれ六畳程の区画に所狭しと石像が並べられてある。強面 の毘沙門天、不動明王があるかと思えば、隣には穏やかな顔をした僧侶や観音、そして官職姿の立像、文字を掘った石柱に至るまで、実に雑多だ。まったく信仰や宗派をごちゃ混ぜにした、神様のちゃんぽん状態である。
だが、一見無節操に見えるそれらも、社の裏に立って遙かな遠望を眺めるとき、その心情に共感できるような気がする。
眼前には北アルプスの見事な白峰が堂々と横たわり、澄み切った群青の空がどこまでも底なしに広がっていた。キンと冴えた空気は遠くの山も霞ませることなく、一本一本の木々が雪面 に落とす影まで、微細に見分けることができる。人は勿論、あらゆる動物もまだ侵入を許されていない、黙然と息をひそめた雪山の威厳。それはまるで、ニッポンの風景ではないような神秘的な光景だった。
顔を刺す冷たい風にさらされつつも、しばし感無量で立ちつくす。きっと、あの山の力には何者も敵わない。人界を逸れてしまったようなこの過酷な峠道で、人々は無心に万邦の神を奉じ、無事を祈ったのではなかろうか?街道沿いでは各地に様々な信仰の神を祀ってあるが、これだけ一カ所に混然と集められているのは珍しい。まるで、この山と天空の前には、ありとあらゆる人間の神が、優劣もなく同等に平伏しているかのようだ。
やがて夏が来れば、ここも穏やかな緑につつまれた優しい風景に変わるのかも知れない。しかし、今はただ風の音だけが、生き物のように空を駆けめぐるだけであった。

 


「どれがオススメですかね?」
「そりゃやっぱり『ざる』よ。そば食べたなぁ、って思うのはやっぱりコレ!」

出てきた本格手打ちそばは、二段に重ねた朱色の漆器に盛られ、瑞々しく輝いていた。噛むと、そば粉の密度があってスーパーで買うのより重くて硬い。確かに、「そば食べたなぁ」と実感する貫禄だ。ぼくはアッという間に一ざる目を平らげて、下のざると入れ替えた。

奈良井宿もまた、妻籠、須原と並んで宿場の保存状態がいい。立ち並ぶ黒板張りの旅籠屋も隅々まで古趣に溢れ、軒先にはユニークな木彫りの看板が賑やかに踊っている。往時も鳥居峠を前にして投宿する旅人が多かったことから、“奈良井千軒”と唱われたほど随一の賑わいを見せたらしい。
ここではまず土産物屋に入った。ここらで友人に配る土産をまとめて買って、荷物を一括にして東京に送っておけば都合がいい。奈良井は木曽五木をはじめとした木工品の名産地で、ほかに薮原のお六櫛や、次の平沢宿名産の漆器なども豊富に並べていた。
それに、店内に入っただけで木の芳香に包まれて、爽やかな気分になる。調子に乗って見事な木工品を次々に手にとってみたが、さすがに質のいい物は結構な値段だ。結局半時間も悩んだ挙げ句、椀や箸、茶筒、一合升、それにバターナイフと割安なものばかり見繕って、ぜんぶひとまとめに箱詰めしてもらった。レジのおばちゃんが愛想良く電卓を叩いてくれるのは良かったが、数と種類が多くて何度も計算をやり直すはめになってしまった。

宿場を出ると、旧道のつもりが、山沿いの細道を迷いこんだ。しばらく行くと神社の境内に入り、奥の窪地に小さな地蔵が並んでいて、野良着の婆さんが腰を曲げながらそれらの一体一体に風車を刺していた。「こんにちわ」と声を掛けると、「はい、こんにちわ」と腰を伸ばして会釈してくれたが、すぐにまた腰を折り曲げる。なにかとても一生懸命で、それ以上は声を掛けられなかった。
国道へ戻ろうと崖の道を下ると、途中に「人馬とも行き止まり」の看板。人馬?いつの時代の……
しかし深く考えずにそのまま進むと、本当に道がなくなって、崖上の細長い畑に出てしまった。どうやら真下に走っているのが国道だ。なんとか降りられないものかと見渡すと、畑の脇に小さな獣道があって、それが崖下の農家の裏に続いている。仕方無しにそれを辿って降りてみたら、案の定その民家の敷地内に入ってしまった。ドキドキしながら、窓から見えないよう身をかがめて農家の庭を通 り抜ける。どうにか無事事なきを得たものの、道標には素直に従うべきだとやや反省。
最難関と言われる鳥居峠を越えたことで、気分が浮かれていたのかもしれない。それにしても、さっきまでの過酷な山道に比べれば、普通 のアスファルト道はまったく平和に思える。しかも、基本的に登り詰めだった木曽路もついにピークを越え、これから先は塩尻まで下りのルートだ。そして、いよいよ諏訪も射程距離内。
ぼくはまだつぼみの桜並木を眺めながら、悠々と歩を進めた。

 

平沢宿に差し掛かったとき、ふとある表札に目が止まった。

(「ご自由にお入り下さい」、か……)

それを呼んだ瞬間、特に何も深く考えずに、もうガラガラと戸を開けていた。

「あの、御免下さい」
「……はい、あ、……何か御用で?」
「いえ、その、表に「ご自由に」とあったものですから……」
「ああ、ええ、まあ(笑)。じゃ、どうぞ」

後で考えてみれば、いくらご自由にといっても、そこに少しは用事か興味のある人間でなければ、うかつに入ったりすべきではなかったのかもしれない。とはいえ、ぼくは単純に宿場の民家を覗いてみたいと思っていたのだ。その機会に遭遇して、思わず反応してしまっただけである。
而して偶然入り込んだここの家主は、歴とした漆器職人であった。まず通された玄関の土間脇には、畳の部屋に見事な漆器の作品がズラリと並べられている。値札はなかったが、聞けば相当な金額だろう。ただし、到底買うことはできないので、気安く聞くこともできなかった。
それにしても、大きなザックを背負って真っ黒に日焼けしたこの汚い風体の男を、応対してくれた奥さんとその息子さんはそれほど驚かずに歓待してくれた。そして漆器を見ていても決して買う客じゃないと分かると、不快な顔もせずに今度は奥の工房を見ないかと誘ってくれる。ぼくは二つ返事で勿論その厚意に甘えた。

「今、上で父が制作していますから……。ちょっとここで待ってて下さい」

工房は古い蔵を改造したものだった。小さな梯子段を登って、息子さんが二階へ消える。さすがに制作中にお邪魔するのは不躾過ぎると何度か辞退したが、彼は「大丈夫大丈夫」と言って聞いてくれない。そのうち、二階から声が掛かった。

「どうぞ。梯子が狭いので気を付けて」

二階に上がると、窓ひとつない八畳ほどの部屋を、オレンジ色の灯りが煌々と照らしている。汗ばむほどではないが、ほんのり熱がこもってい温かい。声の主は、たくさんの椀や器に囲まれた作業場で、俯いたまましきりに刷毛を動かしている。どことなく、榊莫山のような横顔だ。しばらくは、作業の手を休めるまで息を呑んでじっと眺めていた。

「……これは、椀です。こうして何度も、漆を塗り重ねます」
「何回塗り重ねるんですか?」
「物によって違いますが……、これの場合は20回程度。多い物では30回以上です」
「はぁー……。この部屋には窓がないですね?」
「もともと蔵ですからね。漆は20℃以上ないと乾かないんです。この辺は特に寒い地域なので、蔵のように壁の厚い場所に工房を設ける。他の地域にはない珍しい作業場ですよ」
「こちらの台に乗せてある分は?」
「それは乾燥中です。荒削りのあと、約1ヶ月は乾かして木の狂いを直すんです。表の水に漬けてあったのは、楕円形の盆にするやつです」
「この床の模様は?」
「それは……、漆をこぼしたんですよ(笑)」

その後も、木を削り出す木工室にも案内してもらい、いろいろと漆器について教わることが出来た。一片の木ぎれから、だんだんと椀の形が現れてくる様子を、段階的に見られてとても面 白い。完成した漆器は流れるような美しい木目を誇っているが、最初に掘り終えた後の木目を読んで切り出すのには、熟練の技と経験がモノを言う。そして木や水、火、温度、湿度など、様々な事象に逐一繊細な神経を注ぐその有様は、まさに職人の世界だった。
親切に案内してもらった挙げ句、「気を付けて頑張って下さい」と励ましてもらい、重ね重ね礼を言って出る。おかげで随分道草をくったが、そんなことはもうどうでも良かった。

 


「荷物はオレが見ておいてやるから安心だよ」
「……はぁ、」

まさかあの大きなザックを持ち逃げすることはないだろうし、もし盗られても走ればすぐに追いつける。けど……
何となく不安なまま、ぼくは足早に駅前の電話ボックスで用事を済ませ、そのくせ平静を装ってまた待合所に戻った。
果たして荷物は無事にそこにあった。おじさんは相変わらずニコニコと笑っている。一瞬、また疑心暗鬼に陥った自分が情けない。
彼はさっきこの平沢駅へ向かっていたとき、何となく後を付けてきたのだ。風体はドカタ風の作業着だが、別 に汚れた感じはない。よく日に焼けた肌にはたくさん皺が刻まれていたが、話しぶりも明るくてそれほど歳には見えなかった。

「エー、兄ちゃん何処から来たの?ナニ、奈良!?ヒャーッ……。オレ、奈良に知り合いいるよ。昔一緒に仕事したんだ。オレ、トンネル掘りでよ。だからいろんなとこ行ってるよ。奈良もある。和歌山とかの方はねぇな……。だから全国に友達いるよ。奈良はホラ、名古屋から近鉄だろ?あれ、近鉄ってどこまで行くの?大阪?フーン……。兄ちゃんは若いからいくらでも仕事見つかるよ。何してんの?写 真?フーン……。まあ、若いからいいよ。東京まで!?電車で行きなよー!オレ、松本の方まで行くんだ。……ちょっとパン食べるよ。ホントはおにぎりか何かが良かったんだけども、この辺売ってねぇんだ。でも食べなきゃ倒れるしな。朝から何にも喰ってねぇの。そーかー……。オレの家は松本のちょっと先でよ。松本行ったことある?オレは松本城、何べんも登ったよ。パチンコや麻雀行くよりずーっといいよ。あんなのは絶対勝てっこねぇんだ。そんなのよりずーっと面 白いよ。あの辺も寒くってな。でも夏はいいよ。来た人みんな言うんだ。もう帰りたくないーって。クーラー点けて寝たら風邪引いちゃうくらいだよ。家が松本みたいに密集してないからさ、風が通 り抜けるんだね。密集してねぇったって、山奥じゃないよ。駅も近いし、便利なとこなんだ。オレ親父に相談してね、オレ日本中いろいろ見て回ってるけど、家建てるんならやっぱりココが一番だと思うんだがどうだ?って。そしたら親父も、あーそーだなーって。だから、折角家建てるんだからって、選んでね。アルプスの山はそりゃもう綺麗だよ。便利なとこだし、ああ、でも兄ちゃんがいるから退屈しないよ。アッという間だ。ナニ、もう行っちゃうの?なぁんだ、まだ列車来るまで1時間もあるよ。一緒に次のに乗って塩尻まで行っちゃいなよ。ダメか?まあ、若いから何したっていいんだよ。オレはとても出来ないけどな。え、写 真?こんなオレでいいのかぁ?……じゃあ、はい。……うん。ま、頑張りなよ。気を付けて。なあ、オイ!この兄ちゃん奈良から東京まで歩いて行くんだってよ。オレにはとても出来ないけどなぁ……」

最後に思い切って撮らせてもらったが、あんなに生き生きと目を見開いて喋っていたおじさんが、急に照れて伏し目になってかしこまってしまったのが印象的だった。

 

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