21. 一軒宿

 


「東京までですね?はい、770円になります」

荷物を受け取った女性は、明るく歯切れのいい声で爽やかに笑った。ちょっと瓜実顔で、とても愛嬌のある綺麗な人だ。
荷物の中身はちょっとした土産と、書き終わったノート類、旅先で使った案内パンフ、それに撮影済みのフィルムなど。下諏訪で東京の友人から送ってもらった新しいフィルムを受け取り、同じ箱に荷を詰め替えて東京へ送り返す。少しはザックが軽くなるかなと思ったが、持ち上げてみた感触はそれほどでもなかった。まあ、減らさないよりはマシかな……。
もっと早くに出してしまいたかったが、郵便局はようやくさっき開いたばかりだった。ちょうど9:00過ぎ、もうハラが減ってきている。茅野駅は割合大きな駅ビルに隣接しているものの、まだこの時間は駅の立ち食いか、マクドナルドくらいしか営業していない。昨日の晩も食べたけどなぁと反省しつつ、またも安易なジャンクフードに引き寄せられる。

 

中山道と比べると、甲州街道はどことなく物足りない。上諏訪から茅野までは旧道がはっきりと残っていたので、国道を避けて静かな道を歩けたが、一言でいえば「フツーの道」なのである。
歴史案内板や、道標、石碑、石垣、史跡、一里塚……。これまでは旧道にその名残を残す様々な目印が点々とあった。そうでなくとも、幹線道路として息づいてきた老舗の面影みたいなものが、処々に漂っていたものだ。
しかし甲州街道に入ってからというもの、ごく平凡な田舎道を淡々と辿っているような気がする。なんだろう?人々に守られ、生き生きと活用されてきた、街道独特の気配はどこにもない。通りに面した民家の構えもいまひとつで、どことなく裏通りを歩いているような感じさえした。

そしてもうひとつ、自分の中で変化してきたことがある。それは、あまり写真を撮らなくなってきたことだ。
もともと歩くのに必死だったので、写真を撮るのにいちいち細かい気を配ってはいられず、とにかくガムシャラにシャッターを押しまくっていた。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる……式である。ことさら高尚な写真を撮ろうなどと、もとより大それたことは考えていない。気になったものを気になったときに撮って、結果的に何割かでも気に入った写真が撮れていればいいと思っていた。
ところがここへきて、そもそもカメラを向けようとする好奇心自体が希薄になっている。カメラはいつも手に持っていたが、それを持ち上げる機会がぐっと少なくなっていた。
単に疲れのせいだろうか?甲州街道が殺風景に見えるのも、身体パワーが減退していることの表れなのか?
確かに、岐阜の瑞浪を出て以来、ここまで1日も休まずに歩いている。しかし疲れているとはいっても、以前に比べれば持久力は格段に増しているのだ。精神的な疲労はともかくとして、歩き続けること自体は無意識にでも続けられる。いつの間にか、自分でも驚くほど体力が増強していた。
幸い、今日は朝から薄日が射す程度の明るい曇天だ。こういう天気は、無心に歩くのにはちょうどいい。ぼくは煩悶を脇へ反らせたまま、黙々と歩くことに集中していた。

 

茅野を過ぎると、景観はいっそう殺伐として荒野の一本道になった。
このあたりは両側を緩やかな高原上の山に挟まれている。向かって左、北東側に屹立するのは秀麗な八ヶ岳だ。
だが景色が美しい反面、山麓は火山岩や火山灰の多いパサパサの土壌で、川が伏流する箇所も多い。当然農業にもあまり適さず、あるのはもっぱら大規模な牧場か野菜畑である。しかしそれも近代以降の新しい産業であり、江戸時代までは大部分が荒れ地のままだったのではなかろうか。
浅い谷筋に沿って走るR20は、相変わらずトラックが絶え間なく往来している。平坦なようで緩やかな起伏を繰り返す地形なので、登り坂に差し掛かったトラックは、これでもかと言わんばかりにアクセルを噴かせて黒煙をまき散らす。しばらくエスケープもなく、渋々我慢して国道の脇を歩いたが、咽はガラガラ、鼻はズブズブ、唇はカサカサ……、気持ちまで荒む一方だ。

途中、青柳駅へ立ち寄る。しかし駅に近い集落は僅かに数件民家が寄せ集まっているだけで、町らしい面影はない。降りる人もほとんどないはずだ。おそらく、鉄道の規定で一定の距離内に必ず駅を設けなければならないために、無理矢理設置したような駅なのではなかろうか?
実際小さな待合所へ入ると、券売所にはベニヤ板が打ち付けられており、随分前から無人化している様子だ。壁にもスプレーの落書きが散乱している。ホームは一本だけで、石油タンクの貨物列車が引き込み線に停まっていた。
誰もいないと思っていたら、しばらくしてどこからともなく駅員が1人現れた。彼は寂れた改札口にポツンと立っている自動整理券発券機に近づき、ネジを外して中身をいじっている。どうやらいつも同じ故障を起こすらしく、彼が慣れた手つきでガチャンと力強く蓋を閉めると、それだけで一応修理は完了だった。

「ずっと歩いてるのかね?」
「ええ、まあ。かれこれ2、3週間ほど……」
「へぇー……。頑張ってね。……宿泊は?」
「一応、ちゃんとした宿へ……」
「そう。気を付けて」

ひょっとしたらこの駅で野宿をされると思ったのかも知れない。
彼は仕事を終えると、鍵束のようなものを指で振り回しながら、停めてあった単車に乗って悠々と去っていった。

 


「ええ、すみません。じゃ、14:00に富士見駅で」
「分かりました。白いバンですからね」

電話を切って、時計を見るとちょうど13:30。予定より随分早く着きそうだったが、宿の女将は迷惑がるでもなく、即座に迎えに来てくれると言った。
宿は昨日の内に予約を入れておいた、長野と山梨の県境にある人里離れた鉱泉宿である。地図を見ていて、ふと「文人の投宿多い一軒宿。串田孫一、井伏鱒二他」と書いてあるのが目に留まったのだ。鄙びた一軒宿、川魚料理、山の出湯……。ロマンチックな響きはもとより、上諏訪の宿があまりにあまりだっただけに、かなり心が傾いた。早速電話帳で調べて電話してみると、品のいい女将さんが親切に応対してくれる。2食付き8000円と聞いて一瞬躊躇したが、宿の他には本当に何もない山奥だというのだから、それも仕方がない。それに食事代込みで文人の隠れ宿を味わえるなら、むしろ安いくらいだと思い直した。

富士見駅でノートを記しながら待っていると、ほどなく白いスポーツワゴンが駅前に横付けした。荷物を持って近づくと、向こうも分かってくれたらしく(ほかに人は誰もいなかったのだが)、運転席から会釈している。てっきり迎えには誰か従業員でも来るのかと思っていたが、現れたのはエプロン姿の若い女性、電話に出た女将さん本人だった。


「エーッ、歩いてんですか!? 1日何kmくらい? 30km!?(ちょっとサバ読んだ)……私は3kmも歩かないよ(笑)。だからちょっと太っちゃって。中山道? あ、私この前ここから東京まで、車運転して軽井沢経由で帰ったわ。あれが中山道でしょ?500kmはあったわよ!(いや、そんなにはないはず……) 大阪からだと700kmくらい?(ですから、そんなには……)私、生まれは東京だからね。1年前に越して来たばかりなの。放置してあった温泉宿を買い取ってね。え?そうそう。山奥の文人宿って、有名だったみたいね。でも私はそのこと全然知らなかったのよ。お客さんに教えられて(笑)。でも今じゃそういう一軒宿の鄙びた感じじゃ流行らないから、古い建物とかは全部取り壊しちゃったのよねぇ(……な、ナニ!?)。ねー、太宰治とか(井伏鱒二も……)、でも私知らないのよ。名前も以前は「鉱泉」って言ったけど、今は法律も改正されて「温泉」って呼んでもいいことになってるから、私今風にそう変えてるのよ。源泉は10℃くらいしかないから、ボイラーで湧かしてるしね。建物も今風に綺麗にしてね。ね、その方がいいでしょ? そうそう、甲州街道はトラックが多くてね。この先に採石場があるのよ。私たまたま日曜に下見に来ちゃったもんだから、分かんなくて。困ったモンねー。話変わっちゃうけど、私先週中国へ行って来たんですよ。万里の長城。あれ、1800km、日本の長さって言うじゃない!でも私すぐに音を上げちゃって、帰りはこう、バックで歩かなくちゃいけないくらい(笑)。もーねー……。ハイ、着きましたよー」

まあ、期待した文人の隠れ宿とはほど遠い趣だったけれど、危惧したほど俗っぽくもなく、確かに小綺麗ではあるもののやはり山奥の一軒宿には違いなかった。しかも新しい離れには十畳の大部屋が2つあるだけで、今日はその棟ごとぼくに貸し切りだという。客はほかに長期の職人さんが4人いるが、晩飯前に帰ってきて朝も早いので、風呂も何もほぼ独占状態。
さっぱり洗い上げた浴衣に着替え、丹前も羽織って、気分はすっかりお忍びの文人である。それに今まで泊まったどの宿よりも、清潔でいい香りのする部屋だ。ぼくは大の字になって寝転び、顔を畳に押し当てて真新しい藺草の匂いを思いっきり吸い込んだ。昼間っから温泉宿でゴロゴロしているのも、何とも言えず贅沢な気がする。

( 来て良かったなぁ……)

うーんっ、と手足をいっぱいに伸ばすと、関節がコクコクと小気味いい音を立てた。

 

何はともあれ、まずは風呂だ。
脱衣所に入ると、いきなりヌードのポスターが貼ってあってドキッとしたが、これは多分職人さんの仕業だろう。どこで脱いでいても不思議と目があってしまう、巧妙な位 置に貼り付けてある。
貸し切りの浴場はことさら広々と感じる。女将さんの言うように、ボイラーで沸かし直している湯はサラサラの透明だが、ほんのりと僅かな鉱物の匂いはあった。
山梨周辺には今も昔ながらの鉱泉宿が数多く残っている。確かに「鉱泉」といえば、余程の旅好きしか訪れないマニアックな響きがあるのかも知れない。とはいえやはり鉱泉には鉱泉の独特な雰囲気があるし、第一こんな山奥の一軒宿なら「温泉」と見栄を張る必要もないだろう。女将さんとしてはタイヘンだが、人がどしどし訪れないからこそイイ宿ってのもあるんじゃないかなぁ……。などと、ぬるめの湯に首まで浸かりながら勝手な思いを巡らせる。

十分に暖まって、ほってりとした幸せな気分で廊下を歩いていると、台所から女将さんの声が聞こえてきた。どうやら電話をしているらしい。他に誰も居ないし、物音ひとつしないので、聞く気がなくとも声が耳に届いてしまう。

「……そーなのよー……。でね、……え、あら、ホント?……ハハハハ……。……ねぇ……うん……うん……」

女将さんは日に何時間、ああやって受話器に向かって喋っているんだろう?
隣家ひとつない山奥で、毎日一人で過ごす気分ってどんなだろうか。まだここへ移って1年ちょっとだと言っていたけれど、退屈で精神的にダウンしてしまうことはないのかな?「そろそろ落ち着きたい」と決めた人の選んだ道なのだから、きっと彼女なりの充実感があるに違いないだろうけれど……。
部屋へ戻るまでの短い間、ぼくは自分が鄙びた鉱泉宿の主人となって、淡々と日々を送る生活の白昼夢を見ていた。

 

晩餐は女将さん自慢の手料理。旬のカツオたたき(香草和え)、ヒラメ塩焼き、ゴマ豆腐、味噌なす、野菜浅漬け、舞茸とゼンマイの天ぷら、味噌汁、御飯。(例によって進められると断れないので、御飯は二膳。)
職人さんのひとりが「関西ではカツオのたたきにマヨネーズをかけて喰う」という荒技を主張し、奈良出身であることがバレると大いに賛同を求められたが、ビールを飲んでいないこっちとしては間が持たない。終始笑いながら、間隙を縫って必死で食べた。
食堂のテレビはちょうど天気予報で、明日は終日雨の予報…… 。よりによって、こんな山奥で降られるなんてタイミングが悪い。でも、身体も疲れが溜まってるし……。いっそここで連泊してのんびり養生しようか?

一度精神の緊張が弛むと、堤防が決壊したようにどっと疲労が溢れ出すような気がする。
確かに、どこかでちょっと休憩を挟みたいという気持ちはあったけれど、ここで身体を伸ばしてしまうと元に戻せるかどうか正直不安だ。限界を超えそうな身体に毎日鞭打って支えているのは、紛れもなくこの精神力。それが弛んでしまえば、想像以上に歩く意欲が減退してしまうだろう。
それに、もうひとつ気になることがある。ここ数日、特に塩尻峠を越えるあたりから、鼻の調子がさらに悪化しているのだ。朝起きたときの怠さや、関節の痛みもなかなか快復せず、日々少しずつ蓄積している。そして尿がまた出発直後のときのように濃くなっているのも、目に見えて余計に疲労感を助長した。
休養が必要なことは分かっている。が、かといって完全に寝込んでしまのは……。やはり経済的にもここで長逗留するわけにはいかないし、多少きつくても歩きながら自力で治癒させられればそれに越したことは……。

 

雨は夜半から降り始めた。
夕方から周囲の山は濃い霞に包まれていたが、冷たい夜気が立ちこめるとやがてさあさあと白い霧雨になった。
御飯を済ませると、これといってすることもない。とりあえず爪を切ったが、それも3分で終わった。
雨は明日の朝まで降り続くだろうから、まだ荷造りをする気力もない。
ノートをつけ終え、手持ちぶさたに郵便書簡を出してみた。しかし、ちっとも言葉が浮かんでこない。
すぐにゴロンと横になって、天井の木目をボンヤリ眺めた。

(……春の天気は三寒四温。一週間くらいの周期で雨と晴れを繰り返す。この前雨の中を歩いたのは……、南木曾から大桑まで、だ。あれは……、アレ?まだたったの4日前か!?……長いなぁ、一日……。てことは、今度雨が上がったら、次の雨までには東京へ帰れるかもしれない。そうか、もう東京か……。
早く帰りたい?いや、別に……。折角こんな素敵な宿に泊まって、身体も慣れてきたし……。帰ったって、すぐに何かあるわけじゃない。……あ、家賃払わなくちゃ……。路銀もそろそろヤバイよな……。金、か……。いや、別にそんなこと……。
なんか鼻詰まるな……、くそ、どうだっていいや……)


……こういうときに考え事をしたらダメだ。じっとしていると、ロクなことを考えない。
迷ったってしょうがないのだ。答えなんかいらない。せいぜい、明日の朝起きたときの天気と相談しよう……。
灯りを消すと、窓の外も何も見えない真っ暗闇になった。距離感のない雨音に、どこからともなく包囲されている。夜の圧力を、肌に直接感じるような闇だ。
じっと心を静かにする……。こうすれば、すぐに眠りが……
体内の鼓動が、やけに大きく頭に響いていた。

 

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