25. 最難関
「こちらで傘は売っとりませんかの?」
「傘?……お婆ちゃん、ここは駅だからないよ」
「そーかね、困ったねぇ……」
「このあたりだったら、向こう出たとこにセブンイレブンがあるから、そこだったらあるかもよ」
「セブン……?」
「婆さん、セブンならこっちだぁ。ワシが案内してやる」
10:05、甲斐大和の駅を降りると、突然雨が降り出した。
朝の俄雨なんて、珍しい。 今日はいい天気だと予報では言ってたけど……。
坂の上にある小学校から、エレキギターの音が聞こえてくる。あたりを見渡してみると、道に沿って「勝頼公まつり」と書いたピンク色の提灯飾り。村の春祭りといったところか。よく聞くと、曲はやけにノリノリな「禁じられた遊び」だった。
しばらくは駅で様子を見ていたが、空は割合明るく、雲もどんどん流れてゆく。
(これなら、長くはないな……。)
雨を予想していなかったので面倒臭かったけれど、とにかくここで待っていてもしょうがない。ぼくはザックに雨よけカバーを付け、傘を差して駅を出た。
山の上は白く煙って見えるが、それほど強い降りではない。
ただ湿度がやけに高く、たちまち肌がベタベタして蒸し暑かった。
昨日歩いた道を少し戻り、R20を横断して日川の深い谷を渡る。R20ならこの先は一気にトンネルを抜けるため大月までは僅かな距離だが、歩行者はここから旧道に逸れて標高約1100mの笹子峠を越えなければならない。地図を見た限りでは、国道から大きく南に迂回しているだけでなく、腸のようにグネグネと蛇行する登坂路なので、実際の距離感がよく掴めない。しかもそれだけ蛇行するということは、相当に急峻な傾斜であることを暗示している。
果たして旧道は国道と分かれてから、すぐに急崖の蛇行路に変わった。一応アスファルト舗装がされているものの、車は一台も通らない。いや、車どころか人もまったくいない。
坂を登り始めたところで気まぐれな雨がサァッっと上がり、たちまち真っ青な空が現れた。と同時に、一気に汗が噴き出してくる。
眼下を見やると、早くもさっきの駅が模型のように小さくなっていた。
(あれ!?……行き止まり……?)
……そんなはずはない! 確かに、さっき通った集落(駒飼宿)にあった案内板によれば、この旧道は沢づたいに上流の峠まで繋がっているはずだ。歩いてきた道も旧甲州街道を示す石畳だったし、少なくともただの農道ではないのだが……。
しかし薮の奥へと細い獣道を入ってみても、それらしい道が繋がっている様子はない。梅の木が植えられている小さな畑がいくつか見つかるものの、その先は暗い杉林に行く手を阻まれてしまう。
どうやらこの道は、何年前からかは分からないが、既に棄てられてしまっていたようだ。案内板はそれ以前のもので、まだ修正されていなかったのだろう。
そうと分かれば、こんな暗い森の中にいつまでもいられない。また、昨日のように蛇に出くわす可能性だって大いにある! ぼくはまたもや徒労に終わった脱力感をこらえながら、足早に元来た道を戻った。
後で分かったことだが、沢づたいの道はあの先に砂防ダムがあって、そのために遮断されていたのだった。
笹子峠を通る道は、すべてアスファルトで舗装された綺麗な道である。というのも、笹子トンネルが掘られるまでは、こちらのルートが国道20号線として使われていたからだ。そしてこの車道が整備されたことにより、古い沢づたいの急坂道は廃れ、川の土砂でアッという間に埋まってしまったに違いない。
そんなこととは露知らずまたもミスコースをしてしまい、本道へ戻って来るともう11:20。ガックリきたせいか、極端な空腹にも襲われた。仕方なしに、ザックを降ろして非常食のカロリーメイトとバランスクッキーを出す。
(今朝と同じだなぁ……)
漠然とした見積もりでは、せいぜい正午には峠の頂上部へ至るつもりだった。そこで昼食代わりに非常食を摂り、きちんとした食事は大月側の笹子へ降りてから食べる。午後過ぎにはもう峠を越えてしまう予定でいた。
しかし、その正午はもうすぐだ。峠をどの程度まで登ったのかは分からないが、せいぜいまだ半分も来ていないだろう。
(これは思いの外遅れそうだ……)
乾いた食事を終え、干しておいた傘を畳んでしまうと、あまり休憩せずにまたザックを背負った。どのみちこんな山影に座っていたって、大して休んだ気がしない。とにかく早く、峠の頂上が見えるところにまで行ってしまいたかった。
(何時間登ったかな?
さっきから、ずっと同じような景色を見ているけど……。
道はあってる?……って、一本道だよなぁ……。
ハァハァハァ…………
あのカーブを曲がったら……!
ああ……、またおんなじだ……)
とにかく、長い。
実際には身体で感じているほど長時間歩き続けているわけではなかったが、わずか15分の距離でも1時間近く登っている気さえしてくる。
おそらく同じ様な蛇行を繰り返す登坂路で、すぐ手前のカーブまでしか先が見えないために、何度も何度も期待しては裏切られて、精神的に参ってしまったのだろう。もうあの先が峠だ、あそこまで行けば頂上が見えると、そうでないことを薄々分かってはいても、毎度期待してしまう。そしてカーブを曲がるたびに、まるで結界に迷い込んだのではないかと絶望するほど、まったく同様な景色が再び現れるのである。目標点が具体的に定められないため休憩のタイミングも掴み損ない、歩くリズムまで狂い始めていた。
……ここまで、どんな峠を越えてきた?
最初は、伊賀の加太峠。あのときは脚が壊れて最悪だったな……。その後越えてきた峠に比べたら、峠とは呼べないほど緩やかな山だったけど、故障のおかげでかなり苦労した。
次が、馬籠峠か。分水嶺ではないけれど、何度も起伏を繰り返すイヤミなルートだった。やっぱり軍事目的だろうな。
そして鳥居峠。今思えば、中山道最難関といっても距離は短かったし、熊は怖かったけど情趣もタップリで楽しい道だったな。どちらかというと次の塩尻峠の方が難関だった。距離が長くて、ダラダラで、景色もなくて……。でもよく考えると、あのときから既に風邪を引き始めていたのかもしれない。
峠は……。この笹子峠と、更に相模湖の向こう、高尾山にあとひとつ。高尾山は国道20号線なら大垂水峠だが、旧道はおそらく中央道の小仏トンネルに近い小仏峠を通過するルートだろう。どっちを選ぶかは、麓まで行ってから詳しく調べて決めればいい……。
奈良から東京まで、峠が6つ。
道中、宿泊先に荷物を預けるなどして軽装で歩いた区間もあったが、峠道では何故かいつも全装備を背負って歩いていた。一番キツイところを、一番キツイ状態で行かなければならなかった訳だ。我ながら間が悪い。
だがそれだけに、今思い出してみても峠道はどれもこれもそれぞれ違った趣で強く印象に残っている。どんな道だったかだけでなく、そのときにどんなことを考えていたかということまで、リアルな情景として思い出せる。
それに、矛盾するようだが、不思議と坂道は歩きやすかった。体力的には確かにしんどい。しかし平坦でまっすぐな道の方が、ダラダラとどこまでも続くような気がして精神的にくたびれてしまう。その点坂道を登っているときは、とにかくキツイということもあって、一心不乱だった。歩くことに集中しているというか、歩いていること自体を忘れているというか……。
登山家は「そこに山があるから登る」などと言うけれど、それもそうかもしれない。平坦な道は一見気楽に歩けそうだが、実際に高いモチベーションを保ち続けるのは困難だ。
そして、峠はいつも「国境」を成している。
峠を越えるたび、新しいクニへ至る。その変化も歩いていると如実に肌で感じられた。
人の顔、建物、田畑、農作物、樹木、山、川、土、風物、食べ物……。それらは道に沿って徐々に変わるのではなく、分水嶺を越えたところでいわば劇的に変わるのである。無論それは微細な変化ではあるが、歩くスピードと目線からはハッキリと捕らえることができる。峠には、その先に知らないクニが待っているという、旅における好奇心のエッセンスが詰まっていた。
……さて、いよいよ東京が目の前。かな? いや、まだか……。
いずれにしても、あと2つ。でも今までは順に峠道が厳しくなってきている気がするな……。てことはこの笹子峠よりも、小仏・大垂水の峠は更にきついのかしら?
考え事をしている間に、だいぶ高度を上げてきた。いつの間にか、樹木も高山の針葉樹林に変わっている。
しばらくしてようやく道端に東屋を見つけ、ザックを降ろす。人間の痕跡に出会うのも久しぶりだ。
今だいたい標高何mくらいだろう?止まってしばらく座っていると、途端に背中の汗がヒヤッと冷たくなってくる。風も強く、じっとしていると結構寒い。
ふと道路脇の煤けた人工物に目が止まった。
( こんな山奥にまで宣伝しに来るなんて……)
それは何故かマクドナルドの幟だった。ガードレールに縛り付けられたまま、随分くたびれて汚れている。
底意地というか、みっともない世俗を見るような気もするが、どことなく懐かしさを催すのも確かだ。
この山を越えれば、再び町へ出られる。美味しいものも食べられる。もうすぐ東京、東京なんだなぁ……。
不思議な感慨だった。旅のゴールが近いという、達成のヨロコビは当然ある。一方同時に、「東京へ帰る」という懐かしさもフツフツと湧いてくるのである。
東京暮らしは丸三年。生まれ育った奈良や大阪に比べるとどこかアクがないというか、雰囲気は独特のものがあるのだが、顔らしい顔の定まらない街。そんな輪郭の曖昧な都市が、しかも根無し草のように暮らしてきた自分にとって、いつの間にか故郷のように懐かしく思える存在になっていることはとても意外で不思議な気分だった。
東京へ「行く」のではなく、確かに今自分は東京へ「帰っている」のだ。
ついに、トンネルが現れた。
旧国道は山頂付近の一部だけが、わずか100m足らずのトンネルによって貫通している。やっと、あの向こうは大月だ。
しかしぼくの足は、トンネルを前にしてパタと立ち止まった。
ここまでさんざん息を切らしながら、足を引きずって登ってきたのに……。いや、だからこそ、最後の最後でトンネルを抜けるというのは、なんだか悔しい気がする。疲れもあるし、時間も遅れているけれど、ここまで来たら横着はしたくない。昔の旅人と同じ道を歩いてみたい……。
フウッと大きく息を吐いて、顔を数回パシパシと叩いた。よし、行こう!
旧街道はトンネルの手前でアスファルト道から分かれて、細い獣道のような登山道になっている。このあたりは足元もまだ冬枯れの落ち葉で一杯だ。足を踏み出すたび、ガサガサと乾いた音がする。でも、その感触が心地いい。どんなに困難な道でも、敢えて選択した道は奥へ先へとどんどん誘い込まれる引力を感じるから不思議だ。
すこし分け入ったところで、人の気配がする。久しぶりの同業者は、中高年の山岳パーティだった。
「こんにちは」
「こんにちは」
「どちらへ?」
「ええ、このまま笹子峠を越えて大月へ。あなた方は?」
「腹摺山の縦走です。今日は尾根線の風がきついですよ。気をつけて」
「どうもありがとう。そちらもお気をつけて」
(人に会ってしまった以上、もう引き返せないな……)
途中、枯れ葉に埋もれた社の脇を過ぎる。なんとその先はほとんど垂直の壁で、木々の間に作業ロープが1本ひょろりとぶら下がっているだけのルートが現れた。
ぼくは自分のマゾヒスティックな選択に改めて苦笑しながら、黒と黄の縞に編まれた命綱を掴む。それをグッと引きつけ、木の根に足をかけて身体を持ち上げなければならない。手ぶらならどうということもない崖だったが、大きなザックを背負っている分、重心が後ろに引っ張られてしまう。しかも時折吹く気まぐれな強風のせいで、思いの外バランスを取りづらく危険だ。
(……まてよ、昔の人もホントにこんな崖道を通ったのか?)
後で分かったことだが、この時のルートは現在登山用として使われているもので、かつての街道は別に尾根を切った箇所に拓かれていたらしい。実際に通ったルートの数メートル南寄りにそれらしき痕跡もあったが、土砂に埋もれて荒道になっていたようだ。
仕方なく、予想もしなかった険しい崖道を、まるで這うように一歩一歩進んでいった。
13:30、とうとう笹子峠を制覇!
ここまでで、間違いなく最も辛かった。
頂上部はまだ葉を付けていない褐色の木々に囲まれ、眺望はほとんどない。しかも、トラックが走ってくるのかと思うような轟音が、四方からゴワンゴワンと響きわたってくる。登山者が言っていたとおり、尾根には凄まじい強風が吹き荒れていた。
(あとひとつ、峠はあとひとつだ……)
樹木をなぎ倒さんばかりに巻き上げる風。まるで、山全体が不気味に揺れ動いているかのようだ。
何かもうすこし、折角の感慨を噛み締めようとしてみたが、じっとしていると急速に冷え込んでくる。それにまだ下りもさっきと同じ様な崖道だ。ぼくはまた命綱のロープを手に取った。
ふと気づくと、頂上へ着いてからザックを降ろすのも忘れていた。
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