Angel Sugar

「悪夢のバースディ3」 (250万ヒット)

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 リーチは不機嫌だった。だが、トシも腹をたてていたのだからお互い様だ。誕生日の祝いを先に譲ったのはトシの方だった。いや、無理矢理リーチによって奪われたと言った方がいいのだろう。本当はトシが先に幾浦と、楽しく夜を過ごすはずだったのだ。それなのに、リーチの策略に引っかかり、主導権を奪われたトシは諦めるしかない。トシが無理矢理リーチが持つ利一の主導権を奪えた試しはないのだから。
 散々な夜を過ごしたと、リーチから怒りが籠もった愚痴を聞かされてもトシはそういった事情で少しも胸が痛まなかった。
 とはいえ、今日はトシの番だ。今朝、幾浦に昨晩の説明を書いたメールを送っておいたトシだったが、誤解は解けているのだろうか。メールの返信がまだこないトシは、そちらの方が気になっていた。
 恭眞……
 怒ってるかなあ。
 ふうとため息をついて、誕生日を祝ってくれると言った幾浦のうちにトシは足早に向かっていた。現在リーチはスリープ中だ。いつもなら、トシをからかうために起きているのだが、昨日のことで腹を立てているのか、うんともすんとも言わずに、リーチは寝ていた。
 いいよ……べつにさ。
 だって、僕は悪くないもん。
 リーチが悪いんだっ!
 幾浦に妙な電話をかけ、誤解させたこともそうだが、散々トシをからかっておきながら、自分が悪いはずのリーチがトシに怒ることがまず間違っている。昨日はトシのプライベートであってリーチのプライベートではない。今まで、流されるように、頼まれたら渡していた主導権だが、これからは少し考えようとトシはようやく考えるようになった。
 ただ、主導権の受け渡しがどうなっているのか自分達にも分からないが、無理矢理相手から奪うことができるのはリーチだけで、トシにはできない。
 意志の強さがものをいうのなら、トシには永遠にそんな芸当などできないだろう。もちろんトシの意志が弱いとは思わないが、リーチと比べるとなにかが違うのだ。
 もういいけどね……。
 はあと深いため息をついて、トシは百貨店の地下にある食料品売り場に向かった。ケーキは幾浦が買ってきてくれると話していたから、トシが料理担当だった。とはいえ、一応主役がトシだから幾浦は「料理は作らなくて良い、百貨店の下にあるホテル御用達の食材でも買ってきてくれるとありがたい」と、言ってくれたのだ。最初はホテルからコースでも頼もうかということも案としては出ていたが、やはり男同士で誕生日を祝う姿を見られたくないトシが渋ったのだ。
 ま、もう嫌なことは忘れて、美味しそうな料理を買っていこう~!
 トシは両手を思いきり振りながら、足取り軽く地下街を歩いた。沢山の主婦で溢れているフロアは、男性であるトシからすると少々居心地が悪いのだが、気にしなければ良いのだと心に言い聞かせて、いくつかあるホテル直営の販売店を覗いた。
 さすがにホテルの直営店ともなると、その店で出されている料理がパックにされていて温めて並べるだけといった包装になっている。ビーフシチューからチキン料理。肉料理もあれば、付け合わせセットというものもあった。ただ、とても金額が高いのが気になった。
 美味しそうだけど……。
 これ一つで一万からするの?
 ガラスケースの前で必死に眺めている怪しい男性に、店員が訝しげな目を送りながらも、表情は笑顔で「いらっしゃいませ」と、言った。
「あの……済みません。なにか特別な日に使う料理のセットがあれば嬉しいんですが……。肉や魚料理がバラバラに置かれているのでどれを選んで良いのか分からないんです」
 トシが言うと、店員はにっこりと笑った。
「奥様と特別な夜をお過ごしですか?お誕生日かなにかで?」
 奥様じゃないんだけど……
 かあっと顔を赤らめて、とりあえずトシは「そうです」と、言う。いくらトシでも「男性の恋人と誕生日のお祝いをするんです」などとは言わない。ここは、常識に従って嘘を付くのが一番なのだ。
「それでは……そうですね。フルコースになっているセットがございます。カタログにもございますが、一番簡単な方法では、メインを鳥か肉かを選択していただけますと、あとはこちらでご用意いたしますよ」
 ホテルの従業員のような服を着ている店員は、カタログを取り出してトシに見せる。だが、やはり情報量の多いカタログを見ただけではどれを選んで良いのかトシには分からない。 
 カタログから顔を上げて、トシは言った。
「あの。お任せします。肉をメインにしてください」
「お値段はいかほどでセットを作りましょうか?」
「え、あ、一万5千円前後でお願いします……」
 本当は二万と言いたかったが、二万は高いと思ったトシは妙に半端な数字を言ってしまった。実はお金は幾浦から五万預かっているのだが、トシからすると大金だ。いくらお金があるからといって、全部使うことなどできない。できるだけ安く上げたいと思うのがトシだった。
「分かりました。ご用意させていただきます。暫くお待ち下さいね」
 店員がそう言ってごそごそとケースから色々取り出すのを横目で眺めていたが、もう任せてしまったという安心感から、視線をフロアの方に向ける。沢山の人達が夕食の支度にここを訪れている姿は、本当に不景気なのかと疑ってしまうほどだ。なにより百貨店の地下でなどでトシは普段買い物などしない。安売りをしていたとしても、やはり近所のスーパーの低価格には負けるのだ。
 日々、財布と相談しながら暮らしているトシからすると、毎日ここで買い物などできるわけなどない。
 そういえば……
 昇級試験が近かったんだ。
 警部補の試験がまたやってくる。
 年齢は足りなかったが推薦はいつだってもらっているのだ。後は学科だけなのだが、大抵事件の渦中にあって受けることができない。今年こそは試験を受けて昇進するぞとトシは本気で考えていた。どう考えても今の経済状況では隠岐利一の生活を支えるには、収入不足だった。
 だってさあ……
 リーチってなにも考えずに買い物するんだもん……
 一応、月の小遣いを決めているのだが、リーチは時々恐ろしい買い物をするのだ。しかも請求書を見てびっくりするようなものを買っているときがある。頻繁ではないが、ときおり怪しい、しかも値段の高い領収書がポケットから出てくるのだから、トシはやりくりに困る。
 食費は切りつめられるが趣味のものを切りつめられないお互いがぶつかるのだ。とはいえいつも泣き寝入りするのはトシの方だった。
 僕って……
 立場が弱いよね……
 はあと、ため息をついていると店員の声が響いた。
「お客様。お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
 既に紙袋に入れられてケースの上に乗せられている。中身を確認したいのだが、店員は冊子をトシに手渡してきた。
「こちらでご用意いたしました、内容のものに丸をつけてあります」
「え、はい。済みません」
 冊子を見ながらトシは答えた。
 丸がつけられているのは、前菜、スープ、魚料理、肉料理、サラダ、パン、デザートだ。全て解凍方法が書かれているのはありがたいが、金額がどこにも書かれていない。
 あれ?と、思いつつトシが顔を上げると店員が相変わらずにこやかに言った。
「三万五千円になります」
 ……
 え……
 えっと~
 僕、一万五千円前後って言ったんだけど……。
 もしかして……一人分と間違えたのかな……。
「あの……」
「お支払いはカードになさいますか?現金で精算されますか?」
「……あ、現金でお願いします」
 結局、間違っていることを言い出せず、トシは幾浦から預かっていたお金で精算を終えた。最初に間違ったトシが悪いのだろう。既に包装されてしまった紙袋を解いて、詰め替えてくれとはとても言えなかったのだ。
 トシは精算を終え、紙袋を持ったまま一階に上がった。時計を見ると幾浦が帰ってくる時間にはまだ早かったので、滅多に来ない百貨店をブラブラとするのも良いだろうと思ったのだ。
 まず、紳士売り場に向かい、スーツやネクタイの値段を見て、心の中だけで「たか~!」と、叫ぶ。靴を見て皮のものが欲しいと手にとって眺めてみたり、オーダー制のスーツを遠目で見ては、いいなあと思ったりと、ウインドウショッピングもなかなか楽しい。
 そんな中、ふと目に留まったものがあった。
 あのパジャマ……
 昨日、雪久さんが着ていたのと似てる。
 寝具売り場で見つけたシルクのパジャマが店頭に飾られていたのだ。透け感のある薄いベージュのパジャマは、触れるとさらりとしていて気持ちいい。総シルクとタグに書かれていたが、値段の方に驚いた。
 こ……
 これで四万もするの?
 なにそれーーーー!
 誰がこんなの買うんだよ~!
 汚れは目立つし、簡単に洗濯だってできないし、寒さだってしのげないぺらんぺらんのパジャマじゃないか~!色の付いた下着なんて履いたら透けちゃうよっ!と、もちろん心の中でトシは叫んだが、名執はこんな感じのパジャマを着て、リーチを誘っていたのだ。
 あれが……
 誘うって言うんだよね。
 雪久さんの努力なんだよね。
 ……
 もし、リーチがこれを着て誘われたら嬉しいとトシに聞かせたとしても不審に思うだけだが、名執が着ていたのだ。と言うことは、あれが誘う方法なのだろう。リーチも確かに喜んでいた。
 でも……
 すけすけだし……
 う……映っちゃうよね?
 でも……でもさあ……
 恭眞も喜ぶのかなあ……
 ……う~ん……
 頭の中で今月の収入と、小遣いの配分を計算してみるものの、とても四万など余分なお金は出てこない。しかもこれはトシの買い物でリーチの買い物ではないのだ。互いに必要なものに対して高額な支払いは許されても、トシだけの買い物なのだから、四万などと言うお金を余分に捻出できない。
 何よりパジャマだ。
 うちで着るパジャマに払うお金は最高2980円だ。
 四万もするパジャマなど買ったことなど当然無い。
 ……でもさあ……
 欲しいかもしれない。
 店頭でじ~っと考え込むトシに、店員が寄ってきて、先程の店員と同じような微笑みを浮かべた。
「こちら、お値段は少々張りますが、シルクでも最高級のものを使っていまして、これでも仲介マージンを省いたお値段になっているんですよ。もちろん、安価な外国製のものではありません。国内のものです」
「……」
 えっと……
 なんで僕にそんなこと言うんだよ……。
 僕は見てるだけなのに……。
 そりゃ……欲しいけどさ。
 トシは有名ホテルの紙袋を持っていることで店員が近寄ってきたとは思いも寄らなかったのだ。
「いかがでしょう?お支払いですが、冬のボーナス払いにも間に合いますよ」
「え~あの……」
 どうしようかなあ……
 ボーナス払いだったらこれくらいいいかなあ。
 どうしよう。
 うんうん唸りながらも断り切れないのだ。これを着たら幾浦が喜んでくれると本気で考えたから余計だった。
 そうだ……
 二人のものにしたらいいんだよね?
 リーチと二人で着ることにして、二人の出費にしちゃえばいいんだ。
 ようやく決めたトシは「じゃあ、買います。冬のボーナス払いでお願いします」と言った。特殊手当も付く職業であるからボーナスは少し人様よりトシたちは多い。四万ならなんとか余分に支払えるとトシは考えた。
 精算を終え、包装されたシルクのパジャマを受け取ると、店員が恐ろしいことを言った。
「これを着られるのは素敵な奥様なんでしょうね。ありがとうございました」
 ……?
 もしかして……
 お、女物~?
 ……フリーサイズって書いてあったから、い……いっか。
 男性ものに変えてくださいとも言えず、トシは顔を引きつらせながら次にローソクを買いに向かった。やはり昨日、名執が用意していたのを思い出したのだ。
 ムードを作るのが本当に上手いんだなあ……雪久さんって……
 羨ましいなあ~。
 雑貨屋で大きめのローソクを数本購入し、トシの準備は整った。



 トシがマンションに到着すると、先に帰っていたのか、玄関にアルとともに迎えてくれた。
「遅かったな」
「色々買い込んできたんだ。それとあの……夕食の料理なんだけど、ちょっとした手違いで結構金額使っちゃったんだけど……」
「ん?オーバーしたのか?そのくらい構わないぞ。足りなかったのなら余分に出すが」
 幾浦の言葉にトシは顔を左右に振った。
「違うよ。オーバーはしなかったんだけど、三万五千円もかかっちゃったんだ。一応フルコースなんだけど……高かったよね?」
「フルコースなら、二人分でその金額とすると、安いと思うが……」
 苦笑しつつそういう幾浦に、トシは目を丸くさせたが、生活水準が違うのだから説明しても無駄なのだろう。
「そ、そうなの?恭眞がいいって言ってくれるのなら……あ、おつりは後で返すね」
 玄関を上がり、トシと幾浦はキッチンに向かう。後ろをアルが追いかける。
「夕食の準備をするよ……あ~すごいケーキだっ!」
 キッチンテーブルに幾浦が買ってきてくれたケーキが置かれていて、ワインも数本並んでいる。取り皿は既に用意され、輝くナイフやフォークが真新しい。
 ケーキは二人では食べきれない大きさではあったが、イチゴやオレンジ、ブドウなど沢山周囲に飾られ、生クリームの装飾がとてもこっていた。側面をうねるように生クリームが飾り、くるりと巻いた渦巻き状の山があちこちについている。
 ハッピーバースデイと書かれたチョコのプレートもなんだか恥ずかしいのだが、やはり祝って貰えるのが嬉しい。
「じゃあ、僕、支度するから恭眞はリビングでくつろいでくれる?僕、できたら呼びに行くから……」
「分かった」
 幾浦がキッチンから出ていくのを見送り、トシは大急ぎで買ってきたフルコースを解凍し、冊子に書かれているように飾り付けた。それらが済むと、問題のパジャマを着ることにした。
 そろりとバスルームに向かい、トシは入ってこようとするアルを追い出して、シルクのパジャマの包みを開けた。
 蛍光灯に反射して、キラキラと輝くシルクはやはり綺麗だ。ペラペラしているのだが肌触りが普通の綿とはやはり違う。
 どうしようかな……
 どうしよう。
 トシが悩んでいるのは名執のように裸で着るか、それとも下着はつけて着るのかどうかということだ。色々悩んだ末、必死の決意を持ってトシは、下着をつけずにシルクのパジャマを着た。
 洗面台の鏡に映して自分の姿を眺めてみるものの光源の関係か、肌が透けるというほど透けてはいない。きっと、名執が買ってきたパジャマとは少し厚みが違うのかもしれない。
 あ、こっちにろうそく入れてたんだっけ。
 荷物になると思ったトシは、パジャマの包みを入れていた紙袋に後で買ったろうそくも入れていたのだ。
 トシはろうそくを包む紙も剥がして、手に持つとわくわくした足取りでリビングに向かった。リーチはシルクのパジャマを着た名執を見て本当に嬉しそうにしていたのだ。きっと幾浦も同じような反応を示してくれるだろう。それを想像するだけで、トシは嬉しい。
 リビングに入ると、幾浦はテレビを見ていたが、トシの姿をみて、口を開けたまま固まってしまった。
「……え~っと。これ、シルクのパジャマなんだ」
 照れを隠すように、手に持っていたろうそくを振りつつ、トシは顔を赤らめる。だが幾浦はなにも言わずに目を大きく見開いたまま、しかも口まで開き、硬直している。喜びすぎて言葉が出ないのだろうかと、トシは首を傾げながらも幾浦の隣に腰を下ろした。
「あの……あのさあ、に、似合わないかな……」
 トシは幾浦の腕を突いたが、両手にろうそくを持っていたので、それで突くことになった。
「ねえ。ねえって……」
「……こ、今度はなんだ?」
 赤い顔から青い顔に変わった幾浦は、額に汗を滲ませている。
「……え?」
「大体、お前はリーチがからかっているのを分かってないぞ。また上手い具合にお前は踊らされたんだろうっ!」
 いきなり怒り出した幾浦の言うことがトシには分からなかった。普通に喜んでくれると思っていたために余計だ。
「別に……騙されてないけど……。これ、雪久さんのアイデア。似合わない?」
「……あ、あいつまでぐるになったのか?そうなのか?」
 両肩を掴まれて上下に振られたトシは、ろうそくを持った手を振り回し、先端を幾浦の方に向ける。
「僕は真面目なの」
「……トシ……」
「僕、せっかくムードを作ろうとしてるのにさ。ただでさえ、マグロのことを気にしてるのに……。努力してるってどうして褒めてくれないんだよ」
 普通なら絶対に出せない筈の金額を出して買ったパジャマだ。ここまで来たら嫌だと言われても、無理矢理似合うとトシは言わせたい。
「トシ……っ!」
 ギュウッと抱きしめられて今度はトシが目を丸くする番だった。
「変な本でも読んだな?私は何度も言ってるが、お前は今のままでいいんだ。私は今のトシが好きなんだからな。変な知識は入れなくて良いっ!」
 どこか切実に聞こえるのだが、トシは払った分くらいはどうしても幾浦に喜んでもらいたかったのだ。これはもう、似合う似合わないの問題ではなくて、払った金額の額が問題だった。
 ぼこっ!
 トシは幾浦の頭をろうそくで叩き、ムッとしたように言った。
「似合うって言って」
「トシ……」
「言ってよっ!」
 トシには珍しく、幾浦を睨みつつそう言った。四万円という金額がトシには大きくのしかかっていて、普段とは勢いが違うのだ。
「……に……似合う」
 ぽつりと幾浦は言った。
「すけすけも色っぽいだろっ!」
 声を張り上げると、幾浦は頷いた。
「……も……もういいよっ!」
 左手に持っていたろうそくをテーブルで叩き付けて折ると、トシは幾浦の手から離れ、バスルームに閉じこもってべそべそと泣いた。暫く放心状態だった幾浦は、すぐにはトシを宥めるためにバスルームに向かうことができなかったのは言うまでもない。

―完―
前頁タイトル

なんだかまだまだ続くのか~という感じですが。これ、ラブラブエッチがラストに来ます。またリクなしの時にこの続きをやりたいと思っていますのでよろしくお願いします。それにしても幾浦、せっかくのトシの誘いをすべてリーチの企みだと思ってしまうところが……。なんだか最近幾浦が可哀想になってますが、こういう役回りだと思ってやってください(笑)。
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