Angel Sugar

「「唯我独尊な男―零―1」 第1章

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 向かいに座る恋人の視線に落ち着きがない。
 くすんだ緑の瞳。一般男子より明らかに大きな目。
 それは彼の童顔をさらに幼くさせて、恭夜の恋心をくすぐる。いつもはその瞳に自分の姿が映っているはずなのに、今日は違った。これに似た状況が記憶から浮かび、恭夜はいやな予感がした。
「……あのね、キョウ。僕たち別れたほうがいいと思う」
 客で混み合ったダイナーでは、やめて欲しい言葉だった。が、はっきりと耳にしてしまった手前、聞こえないふりはできなかった。
「どうしてそう思うんだよ」
「キョウはいい人だよ。優しいし、僕を大切にしてくれるし……でも……」
「何が問題なのか、はっきり言ってくれよ」
「うん。ごめん。キョウは恋人じゃないんだ。友達とか親友とか……そんな感じにしか思えなくて……。なんだろう……会うたびにときめきがなくなって、気がついたら……僕、キョウのこと全然考えてない自分に気づいたんだ。これって……別れた方がいいってことだよ」
 すでに恭夜を元彼にしか見ていないかつての恋人は、退屈そうにアイスコーヒーのグラスを指先で撫でた。視線はいまだ合わせず、気怠さすら漂わせている。まるで、長すぎた交際期間が徒となり、結ばれなかったカップルのような有様だ。
 だがまだ一ヶ月しか付き合っていない。恭夜は彼と会うと新鮮な気持ちになるし、いつだって一緒にいたいという欲求もある。どこへ一緒に行こうかと何時間も計画を練るくらい、心躍る気持ちをいつだって抑えてきた。
 この二人の温度差を縮めることは、できないだろう。
 過去、同じ理由で、恭夜は付き合っては一方的に別れを言い渡されてきたからだ。こうなると何をしようと相手の気持ちを引き戻すことはできない。
「……分かった」
「じゃあ、僕、行くね」
 もと恋人になった男は、安堵とともにここに来て初めて笑顔を浮かべた。恭夜が泣いて取りすがったり、いつまでも引き留めたりしなかったからだろう。
 経験からそれらは無駄なことだと、恭夜は学んでいたからだが。
 彼は席を立つと、軽やかな足取りで去って行く。そして出入り口付近で、身長百九十センチはあるだろう男と合流した。
 容姿こそ向けられている背だけでは分からない。だが筋肉質の立派な体型は、ボディビルダーを思わせる。短く刈られた髪に、太い首。シャツを引きつらせるほど張り詰めた筋肉は、一般的な日本人には得られない肉体だ。
 恭夜が付き合う相手は例外なく、ああいう男に奪われてしまう。ここまでくると何か怪しげな呪いでも掛けられているのかと疑いたくなる。
 恭夜はため息をつきつつ、立ち上がった。
 昼の休憩時間はもうあまり残されていなかった。





 恭夜が職場に戻ると、同僚のキャリーが近づいてきた。逆三角形の輪郭に、彫りの深い目鼻立ち。豊かなブロンドを後ろで一つにまとめた彼女は、恭夜より五センチ背が高い。
「ダイナーで楽しいランチを過ごせた?」
「……ふられた」
 ぶっきらぼうに恭夜が答えると、キャリーは驚きに目を見開き、次に破顔した。
「今年に入って何人目だったかしら」
「まだ二人目だ」
 どちらとも数ヶ月で終わっている。そしていつだってセックスまで至らない。強引さが足りないのか、それとも恭夜には受け入れがたい性格の欠陥でもあるというのだろうか。
 いや、問題は性格以前だろう。
 恋人を横取りした男を見れば明らかだったからだ。
「それって早すぎない? ねえ、キョウ。やっぱりあなたに問題があるのよ」
「キャリーに指摘されなくても分かってる」
「じゃあ、なおしなさいよ」
「なおせるもんじゃないんだよ」
「直せないものなの?」
 キャリーは恭夜を見て気づかないのか、首を傾げている。
「俺は『逞しい身体』にはほど遠い」
「え~。そんなんじゃないと思うわよ」
「そうなんだって。あと、性格に物足りなさがあるみたいだ。優しすぎるってなんだよ。普通、好きな相手には優しくするだろ。どこが変なんだよ」
 もともと恭夜は付き合う相手には気を遣う方なのだ。恋愛経験の浅さと指摘されることもあるが、違う。性格だ。
「あのねキョウ。これはあなたの体格とか性格が問題じゃないの。あなたの恋人選びの基準に問題があるのよ」
「なんだよそれ」
「キョウが好きになる相手って、みんな同じなのよね。顔が小さくて目が大きい。あごが細くて唇が小さい。小柄で痩せた可愛い子。そこまではいいのよ。でもみんな性格最悪なのよ」
 キャリーは嫌そうに顔をしかめているのに、口元には笑みを浮かべている。
「そんな言い方すんなよ。性格の悪い奴なんて好きにならないっての」
「だから、キョウは小悪魔的な性格に惹かれやすいって言ってるの。どうしてあんな……わがままで気分屋のちょっと性格に難ありの相手にばっかり引っかかるのかしら……不思議だわ」
「俺は引っかかってなんかない。交際の申し込みはいつも俺からだぜ」
「そう仕向けるのが小悪魔の手腕でしょ。キョウは自分が男らしいと思ってるけど、ぜんぜん違うわ。約束をすっぽかされても怒らないし、高価なプレゼントを要求されても、キョウってがんばっちゃうじゃない。そうやってプレゼントしても、なくしちゃった、ゴメンねって言われたらすぐ許しちゃうでしょ」
「誰だってうっかりなくすことあるだろ。そんなの責められないよ」
「いいえ。違うわ。私はイーベイでこっそり売りさばいてると睨んでるの。調べてみなさい。きっと履歴が出てくるから」
 思い返すと確かに、恭夜と付き合った相手は『うっかり置き忘れた』と言って苦労して手に入れた贈り物を無くしていた。中には甥っ子が~姪っ子が~欲しがってというのもあったが、過去は振り返らない方がいいだろう。
「キャリーは悪く考えすぎなんだよ」
「キョウは好みにも問題があるけど……最大の問題は強引さがないこと。普通、三度目のデートまでにセックスは終えていておかしくないわ。なのにキョウは相手が大切だ~とか、まだ早いとか、向こうはまだ決心がついてないみたいだ……とかなんとか、いろいろ言い訳して、相手を押し倒さないじゃない。女でもそういう男いやよ」
 同僚であろうと、セックスについて説教されたくはない。だいたい、いつそういう関係になるのかは、人それぞれだ。早ければいいというものではない。
 もちろん恭夜にも欲望はある。好きな相手なのだから、二人きりのときに、高まる気持を抑きれずに、押し倒してしまったこともある。
「おっ……俺だって多少は強引に……その……でも相手が泣いて、あの……。日本人は奥ゆかしいんだ」
「違うと思う。キョウは弄ばれているのよ。いい加減、気づきなさいよね」
 動揺してしどろもどろになる恭夜と違い、キャリーは冷静にそう告げると、背を向けた。が、立ち去る前に肩越しに振り返り「じゃ、またあとで」と言ってウインクを寄越した。
 気を取り直して仕事に集中しようとしていた恭夜のもとに、ボスのオランドがこちらの様子を窺いながらやってきた。
 ああいうときはあまりいい話ではない。
「キョウ、暇か?」
「そんなわけないですよ、ボス。追加の検査ですか?」
「いや。これに参加してくれないか」
 オランドは一枚の紙を取り出し、恭夜の前に置いた。恭夜はそれを手にとって、目を通した。最初の一行目に、FBI行動科学科主催の移動教室の文字がある。
「……俺に参加しろって言うんですか? 行動科学科だったら、もっと相応しい奴がいるんじゃ……」
「実は各部署一名ずつ参加を義務付けられているんだが……」
「参加希望者が足りないとか」
「逆だ。多すぎて困っている」
 オランドは腕組みをして、眉根に皺を寄せる。
「じゃあ、希望者が行けばいいでしょう。俺、興味ないです」
「そういうな。興味のない人間を参加させようとしているんだ。いや、興味があっても問題がない人物ならいい。だが……まあ、いろいろあってだな。希望者の中からも選別する必要があってだな……」
 歯切れの悪いオランドに、恭夜は首をひねる。
「参加者より講師が問題なんですか?」
「……いや、どっちもだが、とりあえず講師に一番問題があるな。死者が出ていないことが不思議なくらい、恐ろしい講師が講義をする」
「でも希望者が多いんですよね?」
「そうだ。ファンクラブもあるらしい。いや、そんなかわいらしいものではない。まるでカルトだぞ」
 問題の講師は何が恐ろしくて、どこが人を魅了するのだ。
 恭夜には相反する言葉の羅列に共通点を見つけられず、困惑するばかりだった。
「どういう講師なんですか」
「女性はすべからくその講師の美貌に腰砕けになる。職員がストーカーにでもなったら困るんだよ」
「俺だって分からないですよ。だって俺、ゲイなんだから」
「お前の好みとは真逆だ。だからお前が相応しい」
「そういう問題ですか!」
「そういう問題だ」
 なんだかよく分からないがオランドは困っているようだ。恭夜も講義に出るくらい構わない。
「特別手当とか出ます?」
「いいだろう」
「じゃあ、出席してもいいですよ。でも、仕事が入ったら……」
「不参加は絶対に許さない。急ぎの仕事が入ったら、他のラボに回せ。私の方から指示しておく」
 プライベートより仕事を優先しろと言うオランドに、恭夜は驚きを隠せない。講義に出るくらい構わないか……と、簡単に決めたが、安請け合いしすぎたかもしれない。
「……え~あの……」
「これで決まりだ。というわけで、CSIからはキョウを参加者にしておくからな。欠席は許されていないから、風邪を引こうが、事故に遭おうが、たとえ死んでも棺桶に入って、必ず出席するように」
「分かりました、ボス」
 恭夜はそう答えるしかなかった。
 ちょっと不安が残るものの、小難しい講義は適当に聞き流せばいいだろう。ただ座って終わるのを待てばいいのだ。
 これで、特別手当がでるのだから、それで美味いものでも食えばいい。
 だが恭夜はそのことを、講義の日まですっかり忘れていた。
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