箏の夢通信 10号



発行 2000年5月吉日



 ーその尺八吹きは「諾」を歌う
 「諾」の読みと字義から。
 読みは ダク。うべなう。
 字義は@うべなう。うなずく。よしと、ことばでひきうける。
Aこたえる。はいはいとゆっくり返事する。(以上は漢和辞典から)

 冬と春のはざかいにあたるその日は、冬さながらの冷たい風が止むことなく吹き続けた。
薄陽が射してきたと思う間もなく西風が運んできた重たい雲が空を灰色に覆う。
お客様の格好は冬の装いだった。借りた会場は歴史的に古い家屋で、通りに面する方から板間と二つの畳の部屋が奥へと並ぶ。
二つのストーブが唯一の暖房だった。

 彼の吹く尺八を今まで幾たびか聴いた。
ホールの椅子に座る客として、ときには裏方として。
この日裏方の私はとりたててすることがなく、聴衆の一人として土間の喫茶室の片隅に佇んでいた。

戸外の冷たさが凛とした静けさを作り出す畳の部屋に座るお客様は微動だにしない。
彼の演奏が始まると、その様子は一層顕著になった。
狭くはないが十数人座ると六.七割の空間を占め、ところが土間にいる私の目には一人一人の間に静寂の海が広がっているかのように見えた。

尺八の音は、その海へ降り注ぐ。
私の側にも届く。音が取り囲んでゆく。
とある瞬間から不思議な肌触りを覚えるとともに寒さは遠ざかっている。
空気を織り込んで音は変幻自在な外套となって私を包み、しかも私の体内からは音を迎えに行く触手が伸び、
無数の出会いが皮膚の上で繰り返されているという感覚。
気が付くとぽっと灯がともっったそこはかとない温もりにあたためられている。

音が人々の思いを引き受ける。聴衆の良い音楽を聴きたいという要望に応えるのとは少し違う。
会場に足を運ばれた人々は一人一人が異なった生活を営み、時間を過ごしてているのはもちろんのこと、
それゆえに邦楽の演奏を聴きたいという思いもまたすこしづつ異なるように思う。
思いは十人十色、千差万別。彼はそのことを承知している。
だから頭ごなしに音を注入するようなことはしない。
聴く者のかたわらに注ぎ、聴く者が彼の音の流れを取り入れる唯一無二の水路をつくり心の中に納めていくのに任せる。
そのような音のあり方を私は「諾」と思う。

もうひとつ「諾」は「抱く(だく)」に通じるのではないか。聴いていて思ったことだ。
抱くという行為。自分以外の者とこれ以上近づけないことを知る行為だから、熱を生み、時には哀しみをもたらす。
舞台から聴衆の異なる思いに諾(うべな)い、その上でひたすら尺八に息を送り、音の暖かみを届ける彼は、
岩稜に立つ孤高の音楽家のような姿でなく、彼は滔々(とうとう)と流れる河のような人々の中にいて人々と向き合っている。

日々を送るというのはそれほど多くの喜びに満ちていない。
様々な形の石の上を素足で歩くのに似ていて、傷つき。又自分自身がとがった石となって他者を傷つける。
抱くという姿勢をとると腕を広げると同時に胸を引いているのに気づく。
引いた胸の中に彼は傷つけ傷つけられた人々の思いを抱いていると思えてしかたがない。
彼の技量とは無関係に人々の思いの多大さに押しつぶされそうになったことは二度や三度なんかではないにちがいない。
それでも、なお、彼は音を放つ。
人のバイオリズムに影響する、それぞれが持つ固有のうねりを生じさせる根の音と共音(ともね)する音を。

♪寄稿  箏の音 文 鼻の低い幸福者 K・I さん
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 青山政雄 邦楽器による作品発表会  別室102号室へ

 細見由枝「箏の夢」ルネッサンス\ 

第5回 古典の会「邦楽行脚」演奏会  別室104号室へ

 

♪箏の豆知識
   箏は琴柱(ことじ)を動かし調子を合わせます。
   琴柱の頭部には溝があり、ここに糸をのせます。
   座って一番手前13本目の糸は「巾きん」といい巾には他の糸とは違う「巾柱(きんじ)」
   という琴柱の片側が二股になった柱が使われます。
   「巾柱」は京都の山口巌先生が発明されたもので、一の糸、巾の糸に使用され、「山口式蕗柱(ふち)」
   と言う発明名がついています。
   「蕗柱」の特徴は一と巾の真正の音色を出すこと。
   柱を動かしたり、押し手をした織りにも倒れないこと。
   箏の表面、側面に疵つけることがないことです。

箏曲の歴史クイズ

問い
  一般に使われている「箏の糸」は何の糸でしょうか?
  @ 凧糸
  A 滝の白糸
  B テトロン糸

解説
 「箏の音は美しい」と箏の音を聞いたことのある方、
無い方もそう認識しておられることと思います。
糸に興味を持たれた方もおありかと思います。

箏の音の美しさは絹糸の出す音色の美しさでした。
艶のあるまろやかな音で、特に余韻が美しく、「人の心の奥にある、感動した共鳴する心模様」
を意味する「琴線」と言う言葉の生まれた理由が納得できるような気がします。

絹糸の作成は、繭から紡いだ何百本もの細い糸を何度も寄り合わせて一本の絃にする事から始まります。
箏にかける絹糸は繭から紡いだ白糸を着色せずに使用します。
三味線では黄色に染めて使います。煮固めて乾燥させてから糊をかけると、絹とは思えないほど頑丈になります。
胡弓、琵琶にも絹糸が使われていますように、絹糸の音色に勝る糸はありません。
しかし高価な上に切れやすく、良質の糸を得られる期間が短いのが難点です。

そこで開発されたのがテトロン糸です。絹糸の音により近い音を求めて出来た糸です。
絹糸に比べ価格も廉価で、一概には言えませんがおおよそ三分の一ほどです。
強度においても繰り返し引き続けてもまず切れる心配はありません。
今では箏曲を学ぶほとんどの人達がテトロン糸をかけています。
凛とした少し硬い音を持ち、爪が絹糸より滑りやすいように思われます。
他にもナイロン製の糸があり、手にやさしい感触を与え、柔らかい音色が特色です。
          解答 B                       (作成 細見由枝)

後の祭り(編集後記)

4月半ばのある夜、身体が何となく硬いなと感じながら床に入ったものの、
寒けがして瞬く間に39度6分の熱が出た。
こんなばあいにそなえ冷凍庫にしまってあるアイスノンを山の神が取り出してきて
私の額の上から顎の回りをかため、脳ミソが破裂しませんように、
小バカが大バカになりませんようにと祈り続けたそうな。

甲斐あってか翌朝熱は37度まで下がった。
しかし後遺症が残ったようで、依頼私は遊びたい遊びたいと唱えることしきり
山の神は、「まあ元々あんまり役にもたってへんねんから、気にせんでええよ」
と端で笑っている。
皆さんも、くれぐれも身体は大切にしましょう。
次号は7月号です。


終わり
  別館 箏の夢の部屋