前へ 次へ 目次へ

PTAまとめ(2)


中学で役員体験

“学級会的民主主義”について

 ここで、私の民主主義のイメージについて書いて見ようと思う。基本的にPTAは、保護者一人一人と、先生方一人一人がそれぞれ全く同等の発言権を持って話し合いながらイベントを企画したり(個人的にはイベントはいらないと思うのだが、それはまた別の話だ)、問題を解決して行くためのシステムだと思っていた。全員が平等の発言権を持つ、民主的な会合と言えば、私のイメージは小・中・高校で散々行っていた学級会のイメージだ。

議長:今日は○○について話し合いたいと思います。何か意見のある人?
A:はい。
議長:Aさん、
A:私はa案が良いと思います。理由は○○だからです。
議長:他に意見はありますか?
B:はい。
議長:B君、
B:ボクはb案が良いと思います。理由は○○だからです。
C:はい。
議長:Cさん、
C:私はAさんの意見に大体賛成なのですがB君の意見の△△の部分を取り入れてa+αの案が良いと思います。
――メンバの中から賛成の声がいくつか上がる。――
議長:他に意見はありますか?無いようなので、決を採りたいと思います。a案がいい人、b案がいい人、a+α案がいい人
a+α案に賛成する人が多いようなのでこれに決めたいと思います。

というようなシンプルな民主主義の形だ。一見幼稚なようだが、基本はやはりここだと思う。というより、浅学な私には他にイメージが無い。a+α案がa案、b案よりも良いものであるかどうかは、やってみないことには分からない。或いは、話し合った結果がAさん一人の意見よりも劣ったものになるかもしれない。しかし、a案・b案の数倍良い案に練られて行くことも有るだろう。これが私のイメージする、平等な立場の人々が集まった時の会議のイメージの原点なのだ。ここにツールとして例えば製造業の現場で使われるQC7つ道具を利用することなどを検討しても良いと思う。また、議題を広く募るためにアンケート用紙を配布したりすることも有効かもしれない。
取敢えず、このシンプルな民主主義のイメージをここで“学級会的民主主義”と名付けて話を進めたい。

 “学級会的”とわざわざ冠したのには理由が有る。最近、よく拝見しているBlogで、『強制参加(メンバが止める権利を持たない)組織での多数決は本当の民主主義では無いのではないか?』という趣旨の文章を読んで“はっ”とさせられたのだ。確かに小・中・高校のクラスは職員会議により決められ、原則としてメンバ自身には選択権はほぼ無い。
 中学校PTA卒業の年になって、初めて気付かされた、“学級会的民主主義”の外側に有る“本物の民主主義”だ。だが、この問題は一旦置いて、ここでは“学級会的民主主義”について考えて行きたい。

2大問題その1:言論の自由を封じられた役員の存在

 子供が中学校に入る一ヶ月半も前、私は未だ小学校のPTAに属しているにもかかわらず、「中学校PTAの次年度の役員にならないか?」とのオファーを受けた。ここから、実際に役員を引き受けて一年間の任期を務めている間にやむにやまれずWeb日記に書いた内容は『PTA日記』にまとめてある。
 さて、本題の“学級会的民主主義”の話なのだが、この学校のPTA規約によれば、役員は役員会と代表委員会に属し、また、数人ずつ専門委員会にオブザーバーとして出席する決まりだ。その他、何故か発足会と反省会くらいしかない、学年委員会というのにも属している。これは、委員・役員を学年に割って集まるグループである。そして、当然学級会にも、一会員として属している。

 役員になりたての頃、代表委員会で、“親子清掃の時期”についての議題が副会長によって提出された。役員会を途中で抜けて学年委員会に参加していた所為なのかもしれないが、この議題については寝耳に水の状態だった。“親子清掃をすること”自体は決定事項で、「何月にやるのが良いか?」と代表委員会に問うているようだった。しかし、途中で副会長が単に言い間違えたのか、「親子清掃を行ってもいいですよね?」という問いかけが聴こえた時にすかさず挙手して、「幼稚園・小学校なら兎も角、どうして中学校に親子清掃が必要なのか?中学3年生の男の子達など、母親たちより背が高いし力も強いと思う。自分が子供の頃も親子清掃なんか無かったし、子供達だけでやるべきではないか?」と意見を述べた。そうしたら、会長がいきなり立ち上がり、まぁ『抑えて抑えて』というようなジェスチャーをしつつ、「そういう少数意見も大切にしながら」と言って、私の意見を無視して議事を進めて行った。挙手して、議長に指名されて正式に発言した意見に対して、「あなたの意見は確認するまでも無く少数意見に決まっているから、無視して話を進めますよ。」ということがなされたという事が確定したのは、およそ一年後のことだ。何故かというと、中学校での親子清掃の是非について、任期中に一度も議論されなかったからである。私はゆっくり観察した後、結論を出す主義だ……ゆっくりし過ぎて相手が忘れるころに蒸し返すということは、良く、有る(笑)。もっと分かりやすく率直に話してくれたらこちらも助かるのだが。

 さて、議題はたかが“年に一度の親子清掃の事”に過ぎないのだが、この“正式な手続きを経ての発言を無視するという姿勢”は、“学級会的民主主義”という観点から問題では無いだろうか?そこには校長・教頭を含めて30人くらいの大人が居たにも係わらず、誰も異議を申し立てることは無かった。もしも今の中学校の学級会で、こんな議事進行が許されているとしたら、日本の将来が心配だ…と私は思うのだ。

 更に、後日、副会長から、「先日のあなたの発言に関してなんだけど…」ということで受けた注意は次のようなものであった。
 「役員はそれぞれ役割分担が決まっているんです。代表委員会では役員会で決定したことを提出するという形式なので、あなたは、会長の意見に反対意見を述べる役割ではありません。意見があれば、役員会でゆっくり話し合いましょう。」
 一見、辻褄が合っているような言葉に聴こえる。しかし、その後一年間の役員会で、“学級会的民主主義”を遵守した理路整然とした話し合いは無かったことによって、私はこの問題について深く考えざるを得ない状態に至った。

 会長・副会長が民主的な考え方を持っていたら確かに役員は、気分良く一年間を過ごすことができるだろう。近視的には両者の差は雲泥の差の様に見える。しかし、これは単に民主的な会長に隷属する役員になるか、非民主的な会長に隷属する役員になるかの違いだけなのだ。この、役割分担という名前の不文律がある限り、会長・副会長以外の役員は、任期中に議事録に残るようなオフィシャルな会議で独自の意見を述べる権利が無いということなのだ。仮に、会長・副会長が役員会で他の役員の話を丁寧に考慮して行くような方法を採っていたら、多分私はこの問題点に気付かなかっただろう。

 この不文律がいつ作られたものかを私は直接的には知らないのだが、役割分担という言葉が出たときの副会長・会長のやり取りや、私よりもPTAの経験が深い方に伺ったことによれば、以前、代表委員会で役員同士の意見が対立した時に、代表委員の一人から「役員会での意見統一がなされていない」という批判があったらしい。何にでも歴史は有るものだ。誰が、いつ言った意見かは知らないが、全くナンセンスな意見だと思う。
役員が2〜3人なら意見の統一も簡単かもしれないが、役員は10人弱も居る。『意見の統一をしてから代表委員会に議題を挙げよ』と言う事は、毎月毎月、役員会は“12人の怒れる男達”をしなければならない、と言うことなのだろうか?

 規約で、代表委員会のメンバとして役員全員の役職が書かれている限り、役員全員が同じ権限で発言が出来なければ“学級会的民主主義”にすらも、もとるのである。私が役員経験中に感じた大きな二つの問題点の内の一つは、会長・副会長に他の役員を隷属させるこの不文律の存在だった。

2大問題その2:PTAは強制ロシアンルーレット?

 私が役員経験中に感じた大きな二つの問題点の内のもう一つは何か?先ずは、次の4つの文章を読んでみていただきたい。
  1. 子ども一人に付き、一つの委員・役員をしていただきます。
  2. 仕事は委員・役員を断わる理由にはなりません。
  3. 特別の理由がある人は、当日出席して出来ない理由を説明するか、あらかじめ先生に申し出てください。当日教室で判断します。
  4. 委員がなかなか決まらないときは、欠席者も含めてくじ引きになります。くじ引きで当たった場合で、どうしても出来ない人は自分で代わりの人を見つけてください。

どうだろう?これは、とある中学校のPTAで“魔の4月懇談会”前に保護者に配布される文章を一部抜粋して少し書き換えたものだ。ここで、「そうでもしないとなかなか決まらないからしょうがないよ」と容認できる人と、「PTAってこんなに人を束縛できるものなの?」と容認できない人とに別れると思う。或いは、「中学校って3年間だから、小学校よりも年数が少ない分、委員・役員の数も半分くらいでいいはず、子供一人につき一役なんて大げさじゃない?」と思う人もいらっしゃるかもしれないが、この中学校では委員・役員の数を世帯数で割ると3年間で7割の人が何らかの委員・役員を引き受けなければならない様な比率になっているので、子供一人につき一役はそれ程現実から離れた数値では無いのだ。

 私は、この文章を見るたびに気分が悪くなる。この、委員・役員の押し付け合いが、私がPTAアンチにならざるを得なかった二つ目の問題点だ。

 容認派の方にちょっと考えてみて欲しいのだが、例えば自分の娘が、数十年後に母親としてPTA会員になった時、病気、家族の介護、あるいはとてもやり甲斐の有る職業に付いていてPTAに通年的な参加がし難い状況になっていたとしよう。欠席裁判でくじ引きを引かされる立場になったらどうするのだろうか?「病気でも、多少自分の健康や家庭を犠牲にしても、PTAの委員を引き受けなさい」とあなたは自分の娘に言えるのだろうか?「子供を産んだ以上、PTAに参加する義務があるのだから、仕事を変えなさい」と言えるのだろうか?私は役員をやっている間、「母の世代がしっかりしていなかったから私がこんな目に遭うのだ」と思ったし、放っておけばこの“魔の4月懇談会”は確実に子供の時代に負の遺産として引き継がれてしまうと思うのだ。

 それにもう一点、特に“学級代表”についてだが、この人は本来、一般会員と代表委員会をつなぐパイプ役で、とても重要な位置に在る。ところが、この役を立候補者でなく欠席裁判のくじ引きで引き当てた人がしている場合、そのクラスの一般会員は自分の意見を代表委員会の議題に挙げてもらうことにためらいを感じないだろうか?私は、申し訳ないような気がして、お願いする気持ちにはなれない。学級代表をくじ引きで決めるくらいならいっそのこと月当番にしてしまって、全員に一回は代表委員会に出席できる機会を与える方がマシでは無いかとすら思える。事実、高学年になるにつれて代表委員会の欠席者はどんどん増える傾向に在る。

 私が、病身であるのに役員選考会から沢山の約束(守るつもりのない)と、脅迫(病気だって言って断わったら、外を出歩いていると悪口言われるよ)に屈して役員を引き受けた過程は既に、『PTA役員になりたくない理由』や、『PTA日記』に書いた。そして、役員をしている間に繰返し役員会で主張し、「二度とそういうことが起きない様に対策を考える」という会長の言質をいただいいた(当PTAには「PTAはボランティアだから約束を守る必要が無い」という、不文律が有るので、約束が果たされないまま忘れ去られる危険性は残っている)。

 しかし、『仕事は理由になりません』…については、未だ手付かずのままである。
 例えば、学校の先生を職業にしている人が自分の子供の通う学校のPTA委員になったとしたら?その先生は、教え子のための授業を休んで自分の子供の学校へ行けるだろうか?多分、それはとても困難なことだろうと思うのだ。それなら、子供を産んだ女性は学校の先生を辞めなければいけないのだろうか?
 先程、『会長・副会長に隷属する役員がいる。』と書いたが、実は“PTA会員全員”が“PTAという訳の分からない存在”に隷属している状態なのではないかと思えるのだ。


PTAの任意加入制について考えてみませんか?

“PTAは任意加入団体である”と言うと「委員・役員をやりたくないからそんなことを言うのでしょう?」という反応を返されることが多い。しかし、私が言いたいのはそういう単純な問題では無いのだ。
私は、すべての人達が“PTAは任意加入団体である”という認識を持つことにより2つのメリットが有ると考えている。
 一つは、PTAでのトラブルからの緊急避難路を確保することにより、PTAへの隷属から抜け出し、自立した一個人としてPTA活動が出来るというメリット。もう一つは、PTAの活動範囲をもう一度洗い直す事が出来るというメリットだ。

メリット1:緊急避難路の確保

 「出来る範囲でご協力を」という言葉を良く聞くのだが、実際にその言葉が反故にされる瞬間を体験してしまうと、やはり緊急避難路が必要だと考えるようになってしまう。PTAでトラブルが起きても、現状では何処かへ訴え出て助けてもらうというシステムは存在していない。辛い思いをしていても個人で対処しなければならない場合が多く、その内容によっては、その人が体調を崩してしまうようなレベルに達してしまうことが有る。そんな時、PTAを一時(子供の卒業まででも良いが)脱会して休養が取れるように出来ると良いと思う。また、お互いに、いつでも脱会できる者同士だと思えば、自然に互いの立場を尊重し合うようになって、トラブルが起きる率も減るのではないか?「出来る範囲でのご協力」は元々疑いようの無い当たり前のことなのだ。

メリット2:PTAの活動範囲をもう一度洗い直す

 現在子供が通っている学校では保護者全員がPTA会員であるので、保護者が学校で行う全ての活動はPTA活動と呼ばれることになっている。しかし敢えてここでは、例えば保護者の9割程度がPTA会員で残の1割は非会員の場合を考えてみよう。この場合、PTAが主催するイベントの企画実行は当然会員のみの仕事となる。しかし、学校行事の手伝いなどは会員・非会員を含めた保護者から広く人を集めることが必要となる。今現在PTAが行っている様々な作業・仕事を一つ一つ、PTA行事と学校行事に寄り分けることによりPTAの輪郭が見えてくることだろう。

 私が思うに、私がPTA役員をしていた時に強制された、保護者の名札管理、運動会の受付や来賓の接待などは恐らく学校行事の手伝いであってPTAの範疇からは外れるのではないか。また、法令で学校内に置かなければならない組織、“保健・安全委員会”等も、PTAでは無く保護者全体での募集になるだろう。どうだろう、保護者が行う雑用の殆どに参加しなければならなかったPTA役員は、随分といろいろなものから解き放たれる事になるのではないか。(学校によって、PTA役員の役割は違うと思われるが、私が参加したPTA役員会は、専門委員会に割振り難い雑用を殆ど自分たちでこなそうとする傾向にあった。長年そういう方式でやっていたので、全員が一年間フル回転であって、誰かが誰かをフォローする余裕は無かった。そんな方式を取っているのに、どうして『病気だから』と断わった人間を敢えて入れようとしたのか、理解に苦しむのだが。元気な人同士で楽しくやった方がお互いに気分が良いのではないか?)

 このように学校の雑用手伝いなどはPTA外に外してしまった後、本当に会員が求めているものを冷静に取捨選択できれば皆が会員になりたいようなPTAが実現するのではないか。1〜2年では難しいと思うので、例えば10年くらいを目処に代々のPTA会員でリレーしていくことはできないだろうか?

緊急避難路が確保され会員同士が互いの人権を尊重し合うようになることと、PTAのスリム化、或いは雑用の分離が同時に実現するとしたら?私個人にはPTAを嫌悪する理由が思い当たらないのだ。

疑問:任意加入になった場合の先生方のメリットは?

 ところで、PTAが任意加入団体となった場合、保護者側にはメリットが有ると感じるのだが先生方についてはどうなのだろうか。当PTAの組織図に先生方の立ち位置は実は明記されていない。総会の構成員で有ることは間違いないのだが、専門委員会や学級会などにおける先生の役割は、オブザーバーなのか、会員としての参加なのかは少し曖昧な気がする。そして、PTAは自動参加(=強制参加)では無くなった場合、先生方にとってPTAが業務なのか、ボランティアなのか?という違いは明らかに大きいだろう。ボランティアということになれば、先生方が任意加入でPTA会員名簿に名前を記入し、会費を払って行くことに何かメリットが有るのだろうか?
 任意加入団体であることが当然と認知されると良いと思う一方で、任意加入PTAのイメージのこういう細かい部分が自分の中では未だ確定していない。経験者や、これから任意加入化を計画する方々のご意見も伺ってみたいところである。


総会へ行こう

PTAに疑義を持つ人ほど総会へ出席しよう

 PTAに疑義を持つ人の総会への出席率は低く、PTAに問題を感じていない人の出席率は高いと思われるのだが、私がここで提案したいのは、「日頃PTAの委員・役員として活動が出来ない人も、遠慮することは無いので出席してみては?」ということである。

 例えば、300人の保護者の中で100人が出席、200人が委任状を提出した場合を考えてみよう。出席者の過半数は51人である。つまりたった51人の意志でPTA全体300人の今後を決定できることになる。欠席者200人が全てPTAの現状に不満を持っていて、実際には賛成:反対の比率が51人:249人であったとしても、議長に委任した時点で自分の意思表示の権利を放棄することになり、欠席者の意見は出席者の意見の比率で慨想され計算上は156人:144人とみなされて可決されてしまうのだ。
PTAに疑問を持つ人ほど、あえて総会へ出席しよう。そして体育館の真ん中で、「PTAのここが嫌だ」と叫んでみよう(??)

最初のターゲットは、不合理と思える不文律(≒裏ルール)の削除はいかが?

 私は役員任期(子供が1年生の春から2年生の春まで)終了時の総会の次の総会(子供が3年になった春)の一般質疑応答の時、一人挙手して発言してきた。総会当日まで発言するかしないかじたばたと葛藤する過程は『PTA日記その後』に残している。

 そのターゲットの一つは、あの、“会長・副会長以外の役員は代表委員会で発言するべからず”という不文律を削除することだった。

不文律を削除するにはどうしたら良いのか?明文化すれば良いのだ。規約で、『代表委員会の構成は役員・クラス委員・専門委員会部長…』などと列挙している項目に、『ただし会長・副会長以外の役員は、独自の意見を述べる権利を有しないオブザーバーとしての出席とする』と明記し、また役員選考会が役員候補を挙げる時には“任期を挟む2つの総会とその間はオフィシャルな場での発言権が一切認められていない”点をきちんと説明する。それを明記しないなら、この“不文律”が再発する危険を避けるために、『代表委員会の構成員は全て平等に発言権を有する』と明記する。この二者択一を代表委員会で検討していただき来年の総会で採決して欲しいという要望を提出した。
 この要望に対する反応は次の3つが考えられる。
  1. 不文律がそのまま明文化される。
  2. 会長・副会長以外の役員の発言権が明記される。
  3. 無視される。
 もちろん二番目の回答が理想なのだが、一番目でも構わないのだ。役員に推薦された人が、会長の家来になるのは嫌だと思えば予め断ることが出来るようになるからである。三番目は少し辛いが、議事録には残るだろうし、これをもって当PTAが“学級会的民主主義”ですら守られない団体であることの証明になるだろう。
いずれにしろ、その時には私は会員を卒業していることになるので、出席することは無い。


本当に民主的なPTAへ

 PTAは多くの人にとって自分の子供の通う学校単独のPTAの事と思われるだろうが、市P連などを通して互いに関係し合っている(らしい)。自分の属しているPTAは民主的で問題なく運営されていると思う方は、もう一度PTAに隷属させられている会員がどこかにいないか検討してみて欲しい。そして、良い具合に会員全員が納得づくで活動している状態にあるなら、更に一歩進んで任意加入団体としての体裁を整え、“学級会的民主主義”の外側の“本当の民主主義”を実現して欲しい。具体的には規約に“任意加入団体”と明記、“入会届け”“退会届け”用紙の完備、退会後のメリット・デメリットを整備して、PTA行事外の学校行事ではPTA加入者と非加入者の間がギクシャクせずに連携を取って活動できるようにすることなどが必要だろう。

 もしも任意加入団体としてあたりまえに活動出来ているPTAが有ったら、どんどんアピールして“遅れているPTA”に気づくチャンスを与えて欲しい。良いモデルケースが存在すれば、その体勢が広がって行く可能性も高くなって行くと思うのだ。“学級会的民主主義”ですら危ういようなPTAを変革するのには大変な労力を伴うので、“良い状態のPTA”が先に変わってお手本を見せることによって助力して欲しいのだ。今の子供達が大人になるころには日本中の誰もが自分の意志でPTA参加・不参加を選べるような環境を目指して、少しずつでも前進したいものだ。今、良い状態のPTAの有る学校の子供だって、大人になってそうでない地域に引っ越す可能性もあるのだから。


あとがき・謝辞

 書きたいことを成るべく余さず盛り込もうと思うと知らず知らずに文章が長くなってしまいました。最初から通しで読んで戴いた方には本当に感謝申し上げます。以上の文は、私の実際のPTA体験を元に考察したものであり、別のPTAには別の問題が在ると思います。(もちろん、何も問題が無いPTAも在るかも知れませんね。)
ご意見や感想、間違いのご指摘などはメールフォームや掲示板に戴けたら幸いです。書き込みは匿名でもありがたく読ませていただきます。メールアドレスも書いていただければ返信させていただきます。

 尚、この文章を書くに当たって、いろいろな方々の意見も参考にさせていただきました。特に、PTAの任意加入問題については、川端裕人氏のBlog『リヴァイアさん、日々のわざ』を拝見したのを切っ掛けに考え始めたばかりであって、管理人の川端裕人氏と、コメントを書き込んでいらっしゃる皆様の意見を拝読したのは良い勉強になりました。ありがとうございました。また、メールを頂いたF氏、M氏にも感謝申し上げます。こに書いた文章は、あくまでも私が私なりに理解したことを書いたものであって、川端氏や、そこにコメントを寄せていらっしゃる方々のお考えと一致している訳ではありません。未読の方は是非、あちらでのハイレベルな議論をお読みください。

 それから川端裕人氏は、現在『婦人公論2007.4.22〜』に『みんなのPTAを探して』を連載されています。こちらでは、PTAについての体験談などを募集中なので、任意加入で上手くいっているPTAの方や、私のようにPTAに違和感を持つ方は、多くの方々の参考の為にも応募していただければよいと思います。

2007.6.6 byとまて

前へ 次へ 目次へ [メールフォーム]