Angel Sugar

「暴力だって愛のうち」 第3章

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 朝、眩しくて目を覚ました。
「……あのまま寝てしまったのか……」
 机に突っ伏した格好で眠った所為で身体のあちこちが痛い。
 広げてしまった書類を集めて袋に直すと、戸浪は立ち上がった。くしゃくしゃになっている髪を手ぐしで直し扉を開けると、左の壁に祐馬がもたれかかるように眠っていた。その足下には不格好なおにぎりが皿に幾つか入れられラップが被せてあった。
 ラップの上に小さなメモも乗っている。
 メモには「お腹空いたらこれ食べて」と、何とか読める字で書かれていた。
 このおにぎりを祐馬はどうやって左で握ったのだろうか?形は随分不格好だが、一応おにぎりの形になっている。
「……」
 メモを持ち、何度もその言葉を読みながら戸浪は胸が急に苦しくなって来た。
「あ……戸浪ちゃん……おはよ……。ちゃんとベットに寝なきゃ駄目だよ」
 こちらに気が付いた祐馬は目を擦ってそう言った。
「……」
「あれ?戸浪ちゃんどうしたの?」
 祐馬の延ばされた手がこちらの頬を撫でた。温かい大きな手は忘れてしまった何かを思い出させる。
「私に優しくするな……」
 もう止めてくれ……
 誰も構わないでくれ……
 嫌なんだ。こう言うことは……
「……泣いてるの?」
「頼むから……もうこういうのは止めてくれ……」
 思いだしてしまうのだ……
 優しくされると、ようやく塞がった傷が又疼く。
「俺、なんか又戸浪ちゃんを困らせるようなことしたか?」
 困ったような祐馬の声だった。
「こんな事しないでくれ……」
「誰にもじゃないぞ。戸浪ちゃんだからしてあげたかったんだよ」
 祐馬はそう言って戸浪を引き寄せギュッと抱きしめた。
「止めろ……」
 言葉とは裏腹に戸浪はその温もりが今手放せなかった。
「戸浪ちゃん身体嫌がってないよ」
 笑いを含んだ声で祐馬は言った。
「……済まない……」
 今、自分は祐馬を身代わりにしているのだ。
 昔そうしてくれた男とだぶらせているのだ。
 だから戸浪は済まないと思った。
「何謝ってんの?謝るの俺だろ?俺余計なこと言って戸浪ちゃん怒らせちゃったんだからさ。ごめん」
 祐馬は戸浪の背中を撫でさすりながらそう言った。その手が心地良い。
「な、このままベットに行こうか?」
 こちらの耳元で囁く様にそう言った祐馬に、戸浪はようやく自分を取り戻して、その頭を殴った。
「なっ、何するんだよ!朝から殴るなよ!」
「……全く……」
 ドンッと祐馬を突き飛ばして戸浪は立ち上がった。
「も~何で不機嫌になるんだよ~。俺なんも悪いことしてねえじゃんか」
 ぶつぶつ言いながら祐馬も立ち上がる。
「お、お前がっ!くだらないことを言うからだっ!」
 何がベットだ!
「っはっは!ようやくいつもの戸浪ちゃんに戻った」
 かはははっと祐馬はそう言って笑った。もしかして気を使ってくれていたのだろうか?このどこから見てもがさつな男が?
「……五月蠅い」
「なあなあ……今週の休みさ、映画とか一緒に行っちゃったりなんかしない?」
 後ろからまとわりつくように、こちらの肩に腕を廻して祐馬は言った。戸浪はそれを引き剥がした。
「あのな、土日までお前に振りまわされないといけないのか?」
「だって、俺なんも出来ねえんだぜ。退屈を紛らわしてくれるのも戸浪ちゃんの仕事だろ?俺こんなだし、車だって運転出来ねえ。遊びにもいけねえじゃんか」
「映画なら一人で行ってこい」
「ええ~一人で行ったって面白くないじゃん。なーなー……行こうぜ~」
 振り払った筈の腕がまたこちらの肩に廻ってくる。今度はその手を思いっきりつねった。
「んぎゃーーーーっ!」
 朝から本当に五月蠅い男だ。
「勝手にパンでも焼いて会社に行け!」
「ええっ……焼いてくれねーの?」
 先程つねった所をさすりながら祐馬が言った。
「そのくらい出来るだろうが。何でもかんでも私を頼るな!」
「ついでじゃんか……」
 今度はブスくれた顔で祐馬は言う。
「私は……これを食べるからパンはいらないんだ」
 そう言って戸浪が床に置かれたおにぎりの皿を持つと、祐馬は満面の笑みを浮かべた。


■  ■  ■



 共同生活が二週間程になる頃、最初違和感があった生活も落ち着いて、戸浪はもう祐馬のことを鬱陶しくは思っていないことに気が付いた。
 確かに機関銃の様に話すのは相変わらずなのだが、祐馬はあれ以来、戸浪が怒った事に付いて、ありがたいことに詮索など全くしてこなかった。それよりも慣れとは恐ろしいもので、その祐馬に対して五月蠅いという言葉が減った。
 休日になると祐馬に引きずられるように連れ出される街中も、祐馬といると時間を忘れられる。
「なあ、お前最近柔らかくなったな」
 営業の川田がそう言って書類を下に置いた。
「そうか?」
「みんなそう言ってるぞ。何か良いことあったのか?」
「……別に……ああ、そうそう、五千下がったの聞いたか?」
「おお、それそれ、ああ、部長から聞いたよ。これでやっとホッと出来るよ」
 川田は嬉しそうにそう言った。
「これでうちに決まりは間違いないな」
「だが相当大きな物件だろう。結局JVになるんじゃないのか?」
 戸浪はそう言って眼鏡を直す仕草をした。
「多分な、そうなるともう一度仕切直しになるが、こっちが頭を取れたらそれで良いんだよ。頭とらなきゃ話にならない」
「確かにな……」
「それで、入札日は来週。でもってその前に向こうの営業マンがこっちに話し合いに来るそうだ」
「何をしに来るんだ?」
「まあ、JVになったときの話だよ。まだどっちが取るかは決まって無いのにな。うちに決まってるんだろうけど……。要するに話し合いは形だけで、腹のさぐり合いだよ」
「金の話はするなよ」
 戸浪が釘を差すように言った。もし相手にばれてもっと下げろと言われても、これ以上はどうにもならないのだ。
「適当に流すに決まってるだろ。あの金額だってレートかなり厳しいんだ。知ってるか?あれ社長承認だぜ」
 川田はそう言ってニンマリ笑った。
「そんなことはどうでもいいがね。ようやく見積が上がってこっちはホッとしてるんだ。随分その物件に縛られて他がストップしてたからな」
 戸浪が憮然とそう言うと川田はこちらの肩を揉んで言った。
「この物件取れたら食事おごるから、許せよ」
「分かった分かった」
「でもな、金額は俺と営業部長と設計部長とお前、他各部署の部長しか知らないんだから、ばらすなよ」
「私が誰にばらすと言うんだ……」
 呆れた風に戸浪は言った。
「ねんにはねんをだ」
 ポンポンと今度は肩を叩いて川田は去っていった。
 何でもいい、この件が終わってくれてこっちはホッとしているのだ。これで暫く残業も減るだろう。
 そう思って戸浪は驚いた。
 今までは別に残業など何とも思わなかった。
 だが今は早く帰られることを嬉しいと思っている。それもあの手間のかかる男のいる家に帰ることを楽しみにすらしているのだ。
 馬鹿な……
 しかし川田は最近柔らかくなったと言ったのだ。では以前の私はどうだったのだろう?戸浪自身何も変わっていないと思うからだ。
 だが定時に帰ることが出来たその日、気が付くと笑みを浮かべて買い物をしていた自分に気が付いて唖然とした。
  
「あ~戸浪ちゃんが先に帰ってる~」  
 玄関口からそういう声が聞こえた。次にバタバタと走ってキッチンにやってきた。
「ああ、帰ったのか……」
「あれ、久しぶりに機嫌悪いじゃん」
 スーツを脱ぎながら祐馬は言った。
「おい、ギブスが外れたのか?」
 両手でスーツを脱いだ祐馬に戸浪はそう言った。
「あ、これ?今日夕方病院に行ったら外してくれた。んで、取り替えてくれたんだよ。短いギブスにさ。手全体だったのが、部分的なのに変わっただけ。ちょっと指が動かせる様になったみたいだ」
 手首だけのギブスをこちらに見せて祐馬は言った。だが指はまだ動かしにくそうだ。
「……そろそろ、私もお役後免になるな」
 ホッとするのと、残念な気持ちが不思議だった。
「え~……何言ってんだよ。完全に治るのまだあと二週間かかるんだぜ。指はちょっと動かせるけど、無茶できねえんだぞ。なのにさ、そんな簡単に俺がお役後免にすると思ってるのか?」
 椅子に座っていつものように足をぶらぶらさせながら祐馬は言った。確かにまだ生活をこなすのは無理そうだ。
「責任はちゃんと取らせて貰う」
「でさ~今晩は何?」
「カレーだ」
 戸浪がそう言うと祐馬は真っ青な顔になった。
「戸浪ちゃん……それ止めた方がいいんじゃ……」
「馬鹿者。ちゃんと本に書いてある分量しか調味料は使ってない」
 自分で味付けをするから駄目なのだ。こうやって本に書いてある通りに作れば何の問題もない。
「……俺これですんげー味だったら戸浪ちゃん褒めてやるよ」
 祐馬はそう言った。
 カレーをよそった御飯にかけ、祐馬の前に置いてやる。すると祐馬はスプーンを持ってじっとカレーを眺めた。
「何だ、文句あるのか?」
「え、いや、はは。頂きます~」
 そう言って祐馬はやや引きつった顔でカレーを一口食べた。その姿をじーっと戸浪は見ていると、祐馬はスプーンを置いた。
「あんた天才……」
「美味いだろ?」
「げえっ……!何で本通りに作ってこんな不味くなるんだよ!」
 コップに入れた水をガブガブと飲みながら祐馬は言った。
「……はあ~」
 もう溜息しかでない。
「でもさ、ははっ……マジおもしれえ!こ、ここまで来たら戸浪ちゃん天才!」
「笑うな!こ、これでも真剣にだな……」
「いや、いいんだって。分かってたもんな。戸浪ちゃんの作る料理は食えないって」
 こちらは味見をしても美味いとか不味いとか分からないのだ。もうここまでくると仕方ない。
「……」
「じゃあさ、今日は近くのラーメン屋でも行こう!俺美味いラーメン屋知ってるんだ。ほらこのマンションの前にある公園を抜けたところにあるんだ。そこで今日は飯食おうぜ。ラーメン食えるよな?」
 祐馬は立ち上がってそう言った。
「あ、ああ」 
 戸浪は仕方ないしに上着を羽織った。
 外に出ると二人で公園を抜け祐馬の言うラーメン屋に着いた。赤提灯の灯る屋台のラーメン屋だった。
「おい、ここか?」
 驚いて戸浪が聞くと祐馬は頷いた。
「きったねーとこだけど、ここ美味いんだよ。あ、絶対醤油な。こいつが一番旨いんだ。あとさ、おでんが又旨いんだよ~」
 祐馬は嬉しそうにそう言って、さっさと屋台の前の椅子に座った。
「醤油ね……」
 戸浪も祐馬の隣に促されるまま座った。
「おっちゃん、醤油二つ。それと適当におでん盛って」
 と、祐馬は勝手に注文した。
「おい」
「良いから良いから……」
 場所が場所なだけに殴ることも出来ず戸浪は握った拳を下に下ろした。
「祐馬ちゃん久しぶりだなあ」
 五十代くらいに見える男はそう言って笑った。
「なんだ、良く来てるのか?」
 戸浪がそう聞くと祐馬は頷いた。
「俺、自炊がめんどくさい日は何時もここに来てたんだ。そしたらなんか常連になっちゃってさ~」
「最近来ないもんだから彼女でも出来たと思ったよ。で、そちらの人は?」
 麺をさばきながら男は聞いた。
「あ、こいつ俺の彼女……」
 と祐馬が言ったところで、後ろから戸浪が殴った。
「がはっ……思い切り首の急所に入ったぞ」
 痛そうに首の後ろを撫でている祐馬を無視して戸浪は言った。
「私は澤村戸浪と申します。ちょと色々事情がありまして、今三崎さんの家で彼の世話をしているんですよ」
「世話?なんだ、どうしたんだい?」 
「戸浪ちゃんに痴漢と間違われて、俺、手を折られたんだよ」
 げっ!どうしてそう言うことを言うんだ!確かにそうなのだが、ものは言いようだろうと戸浪は思ったのだ。
「おい!」
 この男は一体、何度殴ったら、まともになるんだ?戸浪は呆れて次の手が出なかった。
「だって本当の事だろ。ま~俺はもうけちゃったけど」
「……手を折るねえ……まあ、それも縁だろうなあ」
 男はそう言って何故か納得している。
 そうやって話しているうちにラーメンが出来上がった。
「んじゃ戸浪ちゃん、これ割って」
 言って祐馬は割り箸をこちらに差し出してきた。仕方無しにそれを割って祐馬に渡した。だが祐馬は割り箸を左手で持っている。
「右は使えないのか?全然?」
「え、あ、まだ痛いんだ。それにものはつかめるけど、箸を持ったりするのは駄目みたいなんだ」
 そう言って持ちにくそうに左手で何とか割り箸を持った。
「……そうか……」
 祐馬は生活だけでなく仕事上でもきっと不自由しているはずだ。普段からふざけてばかりいるので、気にはならなかった。だが、右手が使えないということは、会社でもいくら営業とはいえ大変だろう。それを考えると本当に申し訳ないと戸浪は思った。
「あ、別に俺、戸浪ちゃんのこと恨んだりしてねえからな。俺、結構今の状況楽しんでるし、こう言うことなかったら戸浪ちゃんともこうやって話せなかったんだし。そんなこと良いから早く食おうぜ。伸びちまうよ」
「ああ」
 祐馬はよく話し、良く食べた。たどたどしい左手ではあったが、左ばかり使っているので、多少慣れてきている様だった。
 結局そこに九時頃までいたのだが、他に客が入れ替わり立ち替わりやってきたので戸浪達は帰ることにした。
「な、美味かっただろ?」
 うきうきと祐馬は言った。だがこっちは味が良く分からないのだ。結局自分が作っているのと同じような味だとしか思わなかった。だが本当の事を言う等戸浪は無粋では無いつもりであった。
「まあな……美味しかったと思う」
「とか何とかいってるけど、絶対戸浪ちゃん味分かってないだろ。ま、良いけどな。そう言う人間もいるよな~」
「お前は……人が気を使っているというのに、どうしてそんな風に言うんだろうな……」
 はあ~と溜息をついて戸浪は言った。
「な、ちょっとベンチに座ってかない?」
「は?」
 と、言ってるうちに祐馬は既に公園のベンチに腰を下ろしていた。まあ、別に帰ってからすることもないし、ベンチに座ることくらい構わないか……と、戸浪は思い、祐馬の隣に腰をかけた。
「なあ、戸浪ちゃんさ。もし戸浪ちゃんが良かったら、俺んち広いし、怪我治ってからも一緒に住まない?」
 突然の申し出に戸浪は答えに窮した。
「え?」
「あそこ広いしさ、うち部屋余ってるし、俺も一人って寂しいし。戸浪ちゃんも余分な家賃が浮いて絶対お得だぜ」
「全く何を言い出すかと思えば……。寂しいのなら恋人をさっさと作るんだな」
「俺、戸浪ちゃんがいい」
「おい、そう言う冗談は止めろと言ったはずだぞ」
 ムッとして戸浪は言った。
「あのさ、冗談で言えると思う?」
 冗談じゃなかったら何だと言うのだろうか?
「……まさか本気で言ってるのか?」
「本気だから言ってるんだろ。なんか戸浪ちゃんってさ、分かっててはぐらかしてるのか?それとも無茶苦茶鈍感なのか?」
 ムッとして祐馬がそう言った。
「本気ならやめておいた方がいいぞ……」
 あまりにも祐馬が子供じみた顔でむくれているのが戸浪には可笑しかった。
「人が真剣に言ってるのに普通笑うか?」
「……いや、まあ、若いと色々間違ってしまうこともあるだろうと思ってな」
「三つしか違わねえのに、一人爺臭い言い方すんなよな」
「三つ年を取ったら分かる」
 そう言って戸浪は空を見た。星が意外に出ている。気まぐれな都会の夜空だ。
「俺……戸浪ちゃんのこと好きだ」
「そうか……」
 男が男相手に言うその言葉は、この世で一番信じられないものだ。
「そうかって……それだけ?」
「それ以上に何を言えばいいんだ?男同士で……」
「私も祐馬ちゃんのこと好きだよ……とかっ色々あるじゃんか」
 自分の言葉で照れるのなら言わなければ良いのだと、戸浪は真っ赤になった祐馬の顔を見て思った。
「馬鹿だな……」
「何だよ!俺、真剣に言ってるんだぜ。さっきから言ってるだろ!俺、真剣だって」
「あのな、男同士つき合ってもそこから何も生まれないんだぞ。なのに一緒に居て何が楽しい?」
「たりまえだろ!間違って子供でも出来たら、こええよ!」
「馬鹿者!そう言うことを言ってるんじゃない!」
「……もしかして戸浪ちゃん……昔やっぱり手ひどい目に合ったんだ……それでそんな風にしか言えないんだろ?じゃ、伊達眼鏡もその所為?」
 伊達だと何時気が付いたのだろうか?
「……そうだな……。そう言うことだ」
 否定するのも煩わしくて戸浪はそう認めた。
「俺は違うぞ!絶対戸浪ちゃんのこと大事にするぞ!優しくしてやる!」
 そんな台詞は聞き飽きた。
 聞き飽きるほど言われたのだ。
 それでも今、自分の傍らには、あれ程望んだ相手はもういない。それを信じろと言う方が間違いだ。
「五月蠅い!こっちはそんな台詞など聞き飽きているんだっ!血迷うな!」
 そう言うと祐馬は困ったような表情でこちらを見た。
「戸浪ちゃんって……そうやって怒鳴る時、すげー辛そうな顔してるの知ってる?」
 こちらの腕を掴んで祐馬は言った。
「なっ……」
「好きだよ……戸浪ちゃん……」
 祐馬は力強くこちらを引き寄せると、以前したようにギュウッと抱きしめた。
「……おい…こういうのは……」
「嫌いじゃないだろ?」
 言って祐馬はこちらの唇に触れてきた。
「……よ……」
 止せと言いたかったのだがその唇が祐馬の唇で塞がれた。
「……っ……」
 滑り込んできた祐馬の舌は甘く優しかった。その心地よさに殴ってやろうと思って上がった手が下がる。そのままその手は祐馬の背に回された。
「ほら、嫌がってない」
 へへっと笑って祐馬が言った。それは無邪気な子供の笑みだ。
「……」       
「戸浪ちゃんは俺が好きなんだよ……」
 唇は離れたが、祐馬は戸浪の腕を放さなかった。
 この向かい合ったままの会話が戸浪には苦しかった。それを避けるように視線を横に向く。だが、その横を向いた顔を祐馬の手で、又向かい合うように戻された。
「……違う」
「認めろよ」
「しらんっ……」
「そうやって素直じゃない所もすげえ可愛いぞ」
「可愛いなどと言うな!」
 そう怒鳴ると今度は眼鏡を祐馬は戸浪から奪った。
「おいっ!」
「俺の前では外して……眼鏡なんかいらないよ……伊達だし」
 クスッと笑って祐馬は言った。
「……」
「いい加減素直になろ……いいじゃんか……別に好きな相手が男でもさ」
「帰るぞ……身体が冷えた」
 見つめる祐馬の瞳が苦しくて戸浪は掴まれている腕を振り払った。
「……ま、確かに、ちょっとここ寒いよな。かえろっか戸浪ちゃん」
 祐馬はそう言って今度は戸浪と手を繋ぐと、歩き出した。戸浪はそれを振り払おうと何度手を振っても祐馬ががっしりと掴んでいる所為で手は離れなかった。
 しかし、祐馬の温かい手は心地良いと不覚にも戸浪は思ってしまった。
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