Angel Sugar

「苦悩だって愛のうち」 第1章

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 まずいな……
 戸浪は仕事中に膝を撫でながらそうごちた。
 暖かくなってきたとはいえ、祐馬と色々あり、暫くの間一人住まいをした。その時何をすることも考えられず、毛布一枚でフローリングで寝起きするという生活をしていた。そのつけが膝にきていた。
 戸浪は膝が弱かった。一度膝が痛いと言って病院で検査をして分かったのだが、元々膝の皿が奇形だった。女性には多いらしいが、そう言う訳で、膝に負担をかけすぎると、皿の内側を自分の骨が傷つけるのだ。
 だが空手をする分には気をつけておれば支障は無いはずだったのだが、あることで完全に膝を壊したのだ。それで父親の後を継ぐのを諦めた。空手もそこで止めた。
 そう言う事情で秋口から春になるまでは、毎年膝にサポートを巻くようにしていたのだが、ここ数年調子が良かったのもあって、そういう配慮を忘れていた。
 いたた……
 立ち上がるとズキズキと膝が痛んだ。
 これじゃあ当分祐馬とどうこう出来ないな……
 苦笑して戸浪はそう思った。
 この間、ようやく抱き合えると思ったのだが、祐馬が最中に寝てしまったことで腹が立ち、それ以来祐馬がそぶりを見せても全く請け合わなかったのだ。
 誰が先に寝たんだっ!
 その話が蒸し返されるたびに祐馬は決まってこちらが先に寝たと言い張るのだ。だが先に寝たのは祐馬だ!と戸浪は思っているのだからそこは譲れない。
 そんなことを考えながら、必要なディスクを取りに書庫へ来たは良いが、膝はずっと痛みっぱなしだ。医者に行かないとこれはまずいと思うのだが、当分仕事が混んでいてその時間が取れそうにない。
 大型物件を取った為、今度はその図面の直しが毎日のように現場から来る。それを片っ端から直しているのだが、直せば次と来るものだから、毎日のように残業になっている。その上今週も土日は出社しなければならない。
 又祐馬の機嫌が悪くなるな……
 戸浪が仕事で残業が続いたり、土日が潰れると、機嫌が悪くなるのだ。悪くなると言っても戸浪のような機嫌の傾き方ではなく、どちらかというと拗ねているといった方が良い
 そろそろ許してやろうかと思ったが、膝がこんな調子であるので、もう暫く寝たことで怒っている態度をとり続けていても良いだろう。
 もう暫く拗ねていて貰うとするか……
 戸浪はそう思い、必要なディスクを持って自分の席に戻った。
 
 十一時近くに家に着くと、既に祐馬は帰っており居間でテレビを見ていた。
「あ、お帰りっ!」
 こちらの顔を認めるとパッと顔を喜ばせてそう言う祐馬が本当に可愛い。
「ああ、ただいま……」
「戸浪ちゃん毎日残業はいいけどさあ、身体壊しちゃぞ……」
 心配そうにそう言った祐馬の言葉が本当にありがたかった。
「そうなんだが……どうにもならなくてね。週末も出社だよ……」
 上着を脱いでネクタイを解くと祐馬はこちらに抱きついてくる。とたんにその重みで膝から痛みが走った。
「……っ……おい、離れろっ!覆い被さってくるなっ!」
「んも~そろそろ許してくれよ……」
 事情を知らない祐馬はそう言って猫なで声で益々体重をかけてくる。 
「違うっ、そうじゃない……っ、あ、頼むから離れてくれ……膝が痛いんだ」
「膝?」
 そう言って祐馬はようやく離れてくれた。
「ああ、昔壊したんだ……それが今頃また痛み出して……」
 祐馬はじいっとそれを見て何故か不審気に言った。
「……新手の拒否か……」
 信じていない。
「全く……そう思いたければ思えっ!私は風呂に入る」
 溜息をつきつつ戸浪はバスルームに向かった。早く足を温めたいのだ。膝は温めると楽になる。
 ようやく熱い湯に浸かって足を延ばすと痛みが引いた。
 そう言えばサポートは何処に持ってきていただろうか?
 随分使っていなかったため、ここに来たときに持ってきたかどうか、それを何処に仕舞ったのかも戸浪は思い出せなかった。
「ああ、帰りに買って帰るにしても、毎日こう遅いと店も閉まってるな……」
 はあと大きな溜息をついて戸浪はそう独り言のように言った。
 膝を壊した当初、弱い部分を補うために筋力を付けようとしたが、元々筋肉が付くタイプではなかったために、それも諦めた。
 一番上の早樹が家を継ぐ気があまりなかったのもあって、戸浪が継ごうと思っていたのだが、空手自体が続けられなくなった為やはり諦めた。
 私は本当に色々諦めてきたな……
 フッとそんなことを考えて、首を振った。
 まあ、今は幸せだから良いか……
 と、自分でそう思って、誰もいないのに戸浪は照れた。
 祐馬と送る生活はとても優しく暖かい。
 時には驚くような事をするのがたまに傷なのだが、それもまあ最近は楽しませて貰っていた。
「と・な・み・ちゃ~ん」
 げっ!
 振り返るといつの間にか祐馬も裸になって風呂場に立っていた。
「一緒にはいろ~」
 といって湯船に無理矢理入ってきた。
 こう言うところが驚くことなのだ。
「ば、馬鹿っ!狭いんだからよせっ!」
 バシャバシャと湯を引っかけてやるのだが、祐馬は全然堪えていない。
「だってさ~言ってもぜってー、うんって言ってくれないだろ?だから自分で入って来ちゃった」
 へへへと笑いながら祐馬はそう言って、狭い湯船に浸かっている。こっちは膝を伸ばしておきたかったのだが、仕方なく膝を折り、二人は向かい合ったまま見合いでもしているような感じになった。
「……お前は……馬鹿か?」
「新婚はやっぱりこうでなくっちゃ」
「何が新婚だっ……」
 良いながらも湯の熱さではない熱さで頬が赤くなった。
「好きな者同士一緒に暮らして、寝食共にしてさ~これって新婚じゃんか」
 嬉しそうに祐馬がそう言って笑った。
「ま、初夜はまだだけど……」
 次にそう言って、こちらをちらりと見た。
「馬鹿ばっかり言ってるとのぼせるぞ。……こんな狭いところに二人で入っても面白くとも何ともないだろう……さっさと出るんだ」
 何が初夜だ!と戸浪は思いながらもそう言った。
「面白いとか面白くないとかじゃなくて……」
 言って祐馬はこちらに覆い被さってくる。
「おい、こんなところで……っ……」
 と言い終わらないうちに祐馬は戸浪に口付けた。ゆるゆると口内で動く祐馬の舌は心地良い。キスがこんなに気持ち良いことを知ったのも、この祐馬としてからだった。
 祐馬はキスが好きなのか、じっくりとこちらの中を味わうように舌を動かしてくるのだ。こちらの舌を絡め取っては離し、隅々まで舌で愛撫する。
 そんな舌の動きに酔っていると、祐馬は口元を離した。
「ん~もさ、許してよ……。俺が先に寝たでもいいからさ~俺戸浪ちゃんとやりたい~」
 身体をゆさゆさ揺らして祐馬は言った。が、その動きで湯がどんどん外に零れていく。
「揺れるなっ!湯が零れるだろうがっ!」
「じゃ、ベットでなら揺れて良い?」
 ニイッと笑った祐馬の顔面に風呂を洗うたわしを思いっきりぶつけてやった。
 この男は本当にムードが無い。  
「いでえっ!!」
「出ていけっ!私は今足が調子悪いんだっ。そんなこと出来ないっ!」
「嘘つくな~それ、逃げるための嘘だ~!」
 と、本当に信用していない。
「じゃあそうして置けっ!さっさと風呂から出ろ!」
 そう言って拳を上げると、祐馬は慌てて湯船から出ると、ちらりと情けない顔をこちらに見せて出ていった。
 戸浪はようやくホッとして、減った分の湯を足すためにコックをひねった。
 気持ちも分かるが、本当に今は無理だった。痛みが取れるまで暫くそっとしておかないと、酷くなると治るのに時間がかかることを知っているからだ。
 初期の状態なら一週間か二週間で何とかなるだろう。
 風呂から上がるとパジャマを着て、サポートを探したが、やはり見つけられなかった。困ったと思うのだが、どうしようもない。代用に出来るようなものはタオルしか無い。
 だが冷やすと余計に悪くなるために、窮屈ではあったが、夜は薄手のタオルを巻くしかないだろう。
 戸浪は薄手のタオルを膝に巻き、寝室に向かった。
「……戸浪ちゃん~……」
 毛布に入るとすぐに祐馬がひっついてきた。
「……だから駄目だといってるだろう」
 肘でグイグイと祐馬の顎を押しやると、その肘に噛みついてきた。
「あいたっ!何をするんだっ!」
「それ俺の台詞だよ」
 むうっとした顔で祐馬が言った。
「あと二週間ほど我慢しろ」
 溜息をつきつつそう言った。
「何その期限……」
「本当に膝が調子悪いんだ。ずっとフローリングの上で寝ていたから、膝が冷えたんだ。それで今かなり痛みが出ている。何時もの事だから、冷やさないように温めてそっとしておけば二週間くらいで治るよ」
 戸浪がそう言うと、祐馬は手をごそごそ伸ばして戸浪の膝を触ってきた。
「何このごわごわしたの……」
「サポートを探したんだが見つけられなくてな。仕方無しにタオルを巻いた。温めると良いんだ」
「本当に悪いんだ……」
 ようやく分かったのか祐馬はびっくりした顔でそう言った。
「嘘を付くはず無いだろうが……全く……」
「じゃあ二週間後?絶対?」
 祐馬が目をキラキラさせてそう言った。その顔が可笑しくて思わず笑いながら戸浪は言った。
「約束するよ……その頃には仕事も一段落付くだろうしな……」
「……うう~辛いけど……我慢するしかないか~。足悪いもんな~」
 本当に泣きそうな顔をして祐馬は戸浪を自分の胸に引き寄せた。
「済まないな……」
 祐馬の体温と、伝わる鼓動が心地よく、目を細めてそう戸浪は言った。
「でもさ、膝痛いとか、冷やしたら駄目とか……ははは、戸浪ちゃんじじいみたい……」
 と言った瞬間に戸浪はドスッと祐馬の鳩尾を殴った。
「ぐはっ!」
 誰がじじいだっ!
 こんな男は、永遠にお預けしてやろうかと思いながら戸浪は祐馬に背を向けるとそのまま目を閉じた。後ろから痛みに唸る祐馬の声が暫く聞こえていた。  



 土曜の朝、戸浪は出勤の為パンを食べていると、祐馬が起きて来た。祐馬は本日休みなのだ。
「戸浪ちゃん、俺今晩遅くなるんだ。悪いんだけど、夕食一人で食べてくれる?」
 言いながら祐馬はキッチンテーブルの上に手を伸ばして「ごめん」と言った。
「分かった。何処か行くのか?」
「じじいの誕生日でさ。そんで、家族とか親戚とか集まってパーティするんだ。これ毎年恒例なんだけど、戸浪ちゃんが仕事じゃなかったら一緒に行こうと思ってたんだ。でも戸浪ちゃん仕事みたいだし……」
 ぶつぶつと祐馬は不服そうに言った。
 祐馬はこう見えて東都グループの会長の孫だ。普段おちゃらけているため、馬鹿っぽく見えるが、同僚が言うには仕事はなかなか出来るらしい。
 頭も良いようなのだが、本人からそんな姿を想像できるような態度や言動など全く無いため気が付くと戸浪はその事を忘れてしまうのだ。
「私が行ってどうするんだっ。全く……」
「俺の恋人って紹介するためだろ~全く」 
 思わずコーヒーを吹き出しそうになった戸浪であったが、寸前のところでそれを止めた。
「お前はっ!一体何を考えて居るんだっ……そんなこと出来るわけが無いだろうがっ!」
 ダンッとテーブルにコーヒーカップを置くと祐馬が不思議そうな顔で言った。
「なんで?俺、ばーちゃんには言ったぞ。ばーちゃん喜んでた」
 おいおい、それは惚けてるんじゃないのか?
「……会社に行く」
 そう言って立ち上がると、皿を持って流しにつけた。
「そいでさ、足、どう?俺の買ってきたのあってる?」
 サポートが無かったために、祐馬が買ってきてくれたのだ。ウサギの毛で作られたものだが、とても暖かく、その上特有の締め付けが無い。
 何処で探してきたのかは分からないが、こればかりは祐馬に感謝していた。
「ああ、たまにはお前も役に立つんだな。暖かくて、だいぶ膝はましだよ」
 ニコリと笑って戸浪が言うと、祐馬も笑顔になった。
 この祐馬のそこぬけの笑顔が本当に戸浪は好きだった。
 だがそれは言ってやらない。
「へへへ、ったりまえじゃんか。早く治ってもらって初夜しなきゃな~」
 と、またくだらないことを言う頭を叩いた。
「いでっ……んも~すぐ殴るんだから……」
「……お前がすぐそう言うことを言うからだっ。褒めてやってもこれだからな……」
 呆れた風にそう言って眼鏡をかけようとする手を祐馬が止めた。
「また~もう伊達はしないって約束だろ……」
「そうだったな……つい習慣で……」
 ついこの間奪われ、そう約束させられたのだ。 
「戸浪ちゃん奇麗な目してるんだからさ、隠すこと無いよ。目が悪いんだったら仕方ないけど……早く慣れて、笑顔でいろよ~」
 ニコニコ笑って祐馬はそう言った。
「……ああ」
 祐馬は以前の男の為に付いた習慣などを嫌っていた。だから伊達眼鏡も嫌うのだ。
 以前つき合っていた男はこの顔が可愛いと言ったから、その印象を変えたくて戸浪は伊達眼鏡をかけるようになった。
 笑顔が良いと言うから笑わなくなった。
 そんな戸浪を祐馬が嫌っているのは、こういう時に良く分かる。だから戸浪も出来るだけ祐馬の望むような自分になりたいと努力しているのだ。
 そんなことを考えて思わず口元に笑みが浮かんだ。
「……ん?何今考えてた?何かうれしそうじゃん……」
 祐馬がそう言ってスーツを羽織った身体に抱きついてくる。この男はうちにいると、何処でも抱きついてくるのだ。
「おい……」
「ん~だって~恋人同士なんだから、いちゃついてもいいじゃんか……そいでなくても欲求不満なんだから……せめてこの位は許してよ」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめながら祐馬はそう言った。
「……まあ……そうだな……」
 いくら殴ってもこの男はめげないのだ。
「あれえ、戸浪ちゃんがそう言うの珍しいな。やっぱ戸浪ちゃんもべたべた、ラブラブしたいだろ?そんなの隠すこと無いんだぜ~俺と戸浪ちゃん二人ッきりなんだし、誰も見てないんだからさあ」
 べたべた……ラブラブ……
 そんな言葉を頭の中で反復した戸浪は、かあっと顔が赤らんだ。
「……よくもまあお前はそうポンポンと恥ずかしい台詞が出てくるもんだな」
「いいのいいの、これが俺……でもって、こんな俺に落とされたのは戸浪ちゃん」
 と言ってチュッと軽く口元に口づけされた。
「おおお、お前っ!」
「行ってらっしゃいのキスじゃん。別に照れること無いだろ」
 おたおたする戸浪とは逆に祐馬は平然とそう言った。
 留学生活が長いと聞いたことがあったので、もしかしたら、あちらの習慣をそのまま持って帰ってきたのかもしれない。
 だからこいつは、好きだと何処ででも言い、べたべたと何処ででも抱きついてくるのだ。とどめは行ってらっしゃいのキス……習慣として身に付いた男には全く恥ずかしくないのだ。だがこっちは奥ゆかしい日本人だぞっと言いそうになったが、戸浪は言わなかった。言ったところでこの性格が治るとは思わない。
 何より心の何処かで、こんな祐馬が好きだなあ~可愛いなあ~なあんて思っている自分がこっそり隠れているのだ。
 その事は祐馬に絶対言わないが……。
「……も、いい」
 ドンッと祐馬を突き放して戸浪は玄関に急いだ。顔が真っ赤になってどうしようもなく恥ずかしいのだ。
「行ってらっしゃい~」
「……あ、ああ……」
 靴を履いて戸浪は顔を見られるのが恥ずかしく、逃げるようにマンションを飛び出した。
 


「はあ……戸浪ちゃんやっぱり連れてくるんだった……」
 パーティ会場で祐馬は一人ごちた。
 みんなそれぞれ恋人を連れてきているものだからこっちは浮いたように独りぼっちだ。来てすぐに、パーティの主役である祖父に挨拶してからこっち、する事が無い。後は祖父に群がる金食い虫達が、必死におべんちゃらを使っている。
 そんなことに気付かない祖父では無いのだが、笑顔を絶やさないのが狸と呼ばれる所以だ。
 も、かえろっかなあ……
「祐馬っ!」
 祐馬の姉の舞が会場の隅でぼんやりしている祐馬に声をかけた。
 舞は長い髪を上でアップし、肩を出した黒のドレスはとてもよく似合う。
「姉ちゃん……あれえ、帰ってきてたの?兄さんは?」
「旦那は帰られなかったわ。私だけ帰ってきたの。おじいさまが五月蠅いから……そうそう、邦彦さんは帰ってきてるわよ」
 言って舞はニッコリ笑った。
「え、そうなの?如月さん帰ってきてるんだ」
 と、言っているとその如月がこっちに向かって手を振っていた。
「あ~如月さんだ~!」
「やあ祐馬、久しぶりだな」
 言って如月は笑顔を見せた。
 如月は祐馬より少しばかり背は高い。クオーターらしく、髪は真っ黒なのだが、瞳は青い。祖母がドイツ人だったそうだ。
 人よりやや濃い肌は、逆に白い歯を引き立てており、笑うと精悍な顔立ちが子供っぽいものに見える。それが彼の魅力だ。
 如月は姉の結婚相手の弟だった。三年前、姉が結婚した時からまるで兄のように祐馬の面倒を見てくれたのだ。
 現在は東都のアメリカ支社の方で働いていた。
「今まで来るのすげー嫌だったけど、如月さんに会えて、来てよかったと思った」
 えへへと笑って祐馬はそう言った。
「私もだよ。元気だったか?」
 言いながら何時もしてくれていたように頭を撫でてくれる。
「無茶苦茶元気だよ!」
「そうそう、祐馬、おばあさまに聞いたけど、貴方男の人と一緒に住んでるって本当なの?」
 舞が困ったような顔でそう言った。
「そだよ。なんで?」
「なんでって……おばあさまは、そう言う時代だからねえ……っておっしゃって納得されてたけど……」
 益々困ったような顔で舞が言った。
「別に悪いことしてないからいいじゃんか。俺大事にしてるしさ、アメリカの友達だって堂々とつき合ってたぞ。国が変わったから駄目なものなのかよ」
 ムッとした顔で祐馬は言った。
 本人お国柄など全く気にも留めていないのだ。
「まあまあお姉さん。祐馬も若いから色々あるんですよ」
 如月が喧嘩になりそうなのを見越して間に入ってきた。
「……そうだけど……」
「祐馬、そうか、じゃあ色々話し聞かせてくれないか?」
「え、あ、いいよ。やっぱり如月の兄ちゃんは話が分かるな~」
 姉ちゃんは頭が固い~と思いながら、如月に促されるままに、屋敷の外へと二人で出た。如月はその途中で、ワイン二本とグラスを掴んで「外で酒盛りしようか」と言いながら、階段の中程に腰を下ろした。
「じゃ、再会を祝って~乾杯~」
 祐馬がそう言ってグラスを上げた。
「ふふ、再会と言っても、お前今年三月に別れたばっかりだぞ」
 如月が笑いを堪えてそう言った。
「う~ん。そうなんだけどね……」
「お前が日本に帰るとは思わなかったね。あのままアメリカで東都を手伝うものだと思ってたよ」
「俺、やっぱ日本が好きだし、別に東都に居て出世したいとかおもわねえもん。気楽に人生いきてけたらそんでいいからさ~如月さんみたいに格好良くスマートに生きられそうだったら考えたけどね」
 言って祐馬は笑った。
 そうなのだ、如月は祐馬にとって尊敬できる人間だった。何事もスマートでそして仕事をサラリとこなす。自分にはそんな風に自然には出来ないと思って、日本に帰ってきたのだ。何より生き方の違いが大きすぎるのだ。人生に対する比重も如月と祐馬とでは全く違う。仕事に縛られず、自分が思うとおりに生きたいとそう考えたから、エリートコースと呼ばれる道から自ら外れた。
「そうか、お前らしいかもしれんな……」
 意味ありげにそう言って如月は空を仰いだ。
「だろ、俺の生き方に誰も文句いわねえよ。みんなしってっから、そういう俺の事さ」
 ははっと笑って祐馬はもう一杯ワインを飲んだ。気分が酷く良い。
「そうだ、お前のつき合ってる相手、本当に男か?」
「そうだよ。如月さんも反対とか言わないよな」
「いや、私は好きならどっちでも良い派だからな。アメリカじゃ珍しい光景じゃないしね」
「やっぱり如月さんは出来てるよなあ~人間が。姉貴は駄目だ」
「どういうタイプなんだ?」
 興味津々と言う顔で如月が聞いてきた。
「……う~ん……年上」
「年上か……なんだかお前らしいなそれは……」
 はははと笑って如月が言うのだが、どうお前らしいのか分からない。
「何で年上が俺らしいわけ?」
「お前のことだ、甘やかしてくれそうなのを捕まえたんだろう?」
「戸浪ちゃんって俺のこと、全然甘やかしてくれなんかしないぞ。あいつ……あ、名前言っちゃったなあ」
 照れ照れと頭をかいて祐馬が言った。
「戸浪と言うのか……」
「そう、すげえ奇麗な顔してるんだ。俺の一目惚れ。んでも顔と性格が全然違うの。それもいいんだよな~」
「そうか……」
 言いながら如月は何処か遠くを見て、ワインを飲んでいる。
「……でもさあ、どうも昔の彼氏を引きずってるんだよな……」
「……そうなのか?」
「うん。でもまあ俺の事やっと好きって言ってくれるようになったし、それにさ、色々もめたときも、戸浪ちゃんから俺んちに来てくれて……すげえ嬉しかった。だからもちょっとしたら本当に俺の事だけ見てくれるようになると思う。でもさ、ここまでこぎ着けるの長かったよ」
「一緒に住んでいると言ったな……」
「そうだよ。なんで?」
 祐馬がそう聞くと如月が笑っていった。
「弟みたいなお前の面倒を見てくれている、可哀相な男に礼くらい言ってやらんとな」
「……何かそれ腹立つ……」
「それよりもっと飲め、久しぶりなんだから……」
 如月は祐馬のグラスにワインを注いだ。
「え~俺車で来てるし……」
「送っていってやるから……」
 如月はそう言って「たまにはつき合え」と言った。
「そか、うん。俺も久しぶりに如月さんに会って良いお酒飲めて嬉しいよ」
 と、祐馬は嬉しそうにグラスを傾けた。



 遅いな……
 もうすぐ十二時になるのを確認して戸浪はそう呟いた。
 待っているのもなんだか気恥ずかしくなって、戸浪はもう寝ようかと思ったそのとき、マンションの鍵が開けられる音がした。
 全く、やっと帰ってきたのか……
 戸浪はソファーから立ち上がって玄関に向かうと祐馬がベロベロになって、玄関に座り込んでいるのがまず目に入った。
「お前なあ……」
「戸浪……」
 祐馬とは違う声に呼ばれて顔を上げると、もう二度と会いたくないと思っていた人物が玄関から顔を見せた。
「……き……如月?」
「ああ……」
 どうなって居るんだこの状況は?
 戸浪は思考が止まる寸前だった。だが、祐馬がこちらに手を掛けたことで我に返った。
「戸浪ちゃん~眠い~」  
 言いながらこちらに擦り寄ってくるのを、グイグイと押しやりながら視線は如月から離れなかった。
「……上がらせて貰って良いか?」
「……え……それは……」
「この男を寝かせてやらんとな……」
 言って如月は靴を脱いで玄関を上がると、次に祐馬の首根っこを掴み、ズルズルと廊下を引っ張り出した。
「寝室は?」
「……そこの……左の扉だ……」
「そうか……」
 如月は祐馬を連れて寝室に入ってしまった。戸浪はキッチンまで逃げるように走り、後ろを振り返る。
 どうなってるんだ?
 どうしてあいつがここに……
 いや、祐馬とどういう関係なんだ?
 聞くにも祐馬はベロベロで意志の疎通など出来ない。
 では……如月に聞くしかないのか?
 それは戸浪はどうしても嫌だった。とにかく話したく等なかった。いや、顔も見たくなかったのだ。
 違う、二度と会いたくなかったのだ。
「戸浪……」
 祐馬を寝かせてきたのか、そう言って如月はキッチンの入り口に立った。
「……な、何故ここに居るんだ……」
 声が震えて手足が冷たくなってくる。
「戸浪っ」
 言って如月はこちらを抱きしめた。
「止せ……止してくれっ!」
 戸浪は如月の腕の中で必死にもがくのだがその腕は緩まなかった。
「どうして……来てくれなかったんだ……。私はあれからお前にエアメールを出した。なのに返事は来なかった……。だがずっと忘れられなかった。ようやく忘れかけたときに……祐馬からお前のことを聞いた……。まだ私を忘れていないと聞いて……どうしても会いたかったんだ……」
 何?祐馬と何を話したんだ?一体どういうことなんだ?
「ずっとお前を試していた。別れて暮らしてお前が辛くなって追いかけてくれるのを待った。お前に別れ話をして……嫌だという言葉を聞きたかった。私は自分が愛されているという自信が無かったから……。でもお前からは何も期待した言葉は聞かされなかった。私は愛されていないと分かった。だからもう忘れることにしたんだ。だが、あっちに渡って、もうどうしようもなくて……お前に手紙を書いて……待った……待ち続けた……だがお前から返事は来なかった……」
 如月は声を絞り出すようにそう言った。
「手紙……?そんなもの……知らない……」
 如月からの手紙など一通も貰っていない。
「確かに送った。あの時お前が住んでいた住所に……」
 如月がこちらの瞳を覗き込んでそう言った。昔好きだと本当に思った瞳だ。真っ青な海の色だ。
「わ、私はすぐに……あそこを引き払って……別の所に……」
 だから届かなかったのか?
 では今まで苦しんだのは一体何だったのだ?
「戸浪……私はあれからもお前だけを想ってきた……やり直せないか?」
 真摯な瞳だった。
 この男が好きだった。
 ずっと好きだった……。
 手紙のことなど知らない。
 もし届いていたらどうなっていた?
「嘘だ……っ!嘘だっ嘘だあっ!止めてくれーーっ!」
 戸浪は如月の腕の中でそう泣き叫んだ。
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