「苦悩だって愛のうち」 第4章
祐馬は戸浪にサンドイッチと、デザートに欲しがっていたプリンを用意した。本人が、寝室でずっと寝るのは嫌だと言ったので、リビングに連れてくると、もたれることの出来る椅子に座らせ、やはり丸めたバスタオルを膝に下に引いてやった。
「祐馬……ウサギのサポートは……」
戸浪は自分の膝を見て思いだしたように言った。
「あ、あれ。邪魔だと思ったから、病院で外したとき、鞄に入れて持って帰ってきたよ」
「……返せ。あれは私のだ……」
ムッとしたように戸浪はそう言った。
「……いいけど、どうすんの?」
言いながらも、鞄からウサギのサポートを取り出した。
「膝につけるんだ……」
こちらの手から奪って、戸浪はいそいそと膝にウサギのサポートをつけだした。だが、左は良いのだが、ギブスをはめた右足は膝が曲がらず苦労しているようだった。
「俺やってやるから……」
ギブスのはめた膝にどうしてつけたがるのか分からないのだが、戸浪の代わりに祐馬はサポートをつけてあげた。だが、ギブスの為に普通より膝回りが太くなっているため、ウサギのサポートはピチピチになった。
だが戸浪は嬉しそうだった。
「ピチピチだけど……いいの?」
「いいんだ。これは初めてお前に貰ったものだから大事にしたいんだ」
戸浪は小さな声で、それも視線を逸らせていった。
なんだかもう普段とは違い、戸浪の言動も行動も可愛すぎる。
「可愛いなあもう~俺戸浪ちゃんずっと足悪くてもいいや。まあ、えっちい事できないのは嫌だけどさ……」
ニヤニヤと言うと戸浪は無言でサンドイッチを食べている。
「あ、会社に持っていく診断書だけど……俺持っていっていいの?俺は良いんだけど、ほら俺と戸浪ちゃん同業だし……そんで、問題になったら戸浪ちゃん困るだろうから……」
「……そうだな。仕方ない。大地に持っていって貰うよ。大はまだお前の会社の警備に来ているのか?」
「それは知らない。あの時会った一回きりだし……」
そう言えばあれから見ない。
「もしかしたらもう担当が代わっているかもしれないな……」
戸浪は言って携帯をかけだした。
「ああ、大……私だ……元気にしてるよ。ちょっと頼みがあるんだが……今うちにいるのか……。ちょっと兄ちゃん、会社を休むことになってな。それでうちの会社に持っていって貰いたいものがあるんだ。悪いが頼めないか?」
そう言って話をする戸浪は、兄の顔になっている。その上、弟にしか見せないような笑みを表情に浮かべていた。
「来週日勤か……じゃあ、三崎が良い日に持っていって貰うよ。お前はそれを受付に渡して置いてくれないか?渡すだけで良い。兄ちゃん会社に電話入れて置くから中身は見なくて良い。悪いが頼んだよ」
携帯を終え戸浪は言った。
「来週お前が良い日に診断書を大地のうちまで持っていってくれないか?暫く日勤だそうだから……」
「いいけど、俺弟さんち知らないから教えてよ」
そう言うと戸浪は紙に住所を書いてこちらに渡した。
「んじゃ俺、早帰りできる水曜にでも行ってくる。あんま遅くなったら弟さんに悪いから」
「祐馬、弟に余計なことは言うなよ。膝のことは言わなくていい。聞かれたら、ちょっと体調が悪くて休むと言ってくれたらいい。聞かれなかったら何も言うな」
「分かってる」
多分、戸浪は弟の大地に心配をかけたくないのだろう。もしかしたら大地の方も戸浪の膝のことでずっと罪悪感を持っているのかもしれない。
「当分私はうちにいることになるが、こんな状態だし、郵便が来ようが、宅急便が来ようが出られないぞ」
「それは構わないよ。ほっといていい。でもお昼どうする?一人でできる?」
「ガキじゃないんだからそのくらい出来る。寝たきりにする気か」
ムッとした顔で戸浪は言った。いつの間にか口元がおろそかになって、折角作ったサンドイッチも手が止まったまま食べていない。
「それよか、サンドイッチもプリンも俺が金出したんだから全部食べてよ」
そう言うと戸浪は柔らかい笑みをこちらに見せた。
水曜直帰にして夕方向かった大地の住むコーポは1Kの狭い所だった。中に案内されると何故か部屋の壁に扉が付いている。なんだろうなあと思うのだが、聞こうとすると「御茶……」と言って大地が出してくれたために聞くタイミングを逃した。
「じゃあ、これお願いして良いかな……」
祐馬がそう言って診断書を渡すと大地はニッコリと笑って言った。
「いいよ。兄ちゃん又膝悪くしたんだろう?」
戸浪の笑顔とは違い、大地の笑顔はそこぬけに明るく、可愛い。それにどう見ても幼い女の子のような顔だ。目が大きく、背も低いのがそう見えてしまう理由だろう。だが顔と口調がちぐはぐだ。
「あ、あれ、分かってたんだ」
「だってさ、兄ちゃんが会社を長期で休むって言ったらそれしかないからさ……」
ちょっと表情を翳らせて大地は言った。
「あ、でも、戸浪ちゃんは気にしてなかったよ。だから君も気にしなくて良いと思うよ」
フォローしようとして祐馬が言うと、大地はいきなり怒りだした。この兄弟は二人とも瞬間湯沸かし器のように怒る。
「人の兄ちゃんを戸浪ちゃん言うなっ!」
忘れてた~
以前も俺、これで怒られたんだっ!
と、思ったときには遅かった。
「ご、ごめん……えっと、君の兄さん休みが取れるの結構楽しんでるみたいだから……気にしなくていいって言いたかったんだ」
慌てて祐馬はそう言った。
「そんなわけねえよ。兄ちゃん責任感強いんだからさ。俺に気を使って貰わなくても構わな……」
とそこまで言って大地がいきなり自分の後ろの方へ視線を固定させた。そして目を見開いたので、思わず祐馬も後ろを振り返ると、先程から気になっていた扉から誰かがこちらを見ていた。
目線が合うとその男はニッコリと笑った。
「大良っ!てんめー顔出すなって言っただろ!」
もう、湯飲みが乗った机をひっくり返さんばかりに大地はそう言って、駆けだし、扉の向こうへ行ってしまった。
すると声が聞こえてきた。ここは壁が薄いのだろう。
「ねえ、大ちゃん。あの男、なんだか鶏の鶏冠みたいな頭してたね。あれがそうなの?」
むかっ!何が鶏冠だっ!
って、大地とは違う声という事はさっき覗いてた男だろう。
「うっせーんだよ、てめえは大人しくしとけって、俺言ったよな!今度入ってきたら叩き出してやるかんな」
と、大地。
なんだ、兄弟そっくり……
そう思うとなんだか可笑しくなってきた。
「なんだよ、何笑ってんだよ……」
むうううっとした顔で大地は帰ってくると、先程座っていた座布団に座った。
「えっと、あの人お隣さんなんだ……」
戸浪よりこっちの弟の方が恐いと祐馬はマジで思ってしまった。
「ごめん、絶対入って来るなって約束させて置いたのに、兄ちゃんの彼氏を見たかったみたい。あいつ……あとで飯抜きにしてやる」
最後は独り言のように大地はそう言って怒っていた。
「そ、そうなんだ……いいけど……」
「兄ちゃんの彼氏だけ知るのフェアーじゃないからばらすけど、さっきの人が俺の彼氏」
大地は怒った表情の上に顔を赤らめた。
ものすごく器用な子だ。
「え、さっきの人が?」
と、驚くと、又大地は怒りだした。
この兄弟は恐い。いや大地の方が恐いかもしれない。
「何だよ。文句あんのか?俺だって、兄ちゃんの彼氏が年下なんてぜってー嫌だけど、そんなの言わなかっただろっ!だから、あんただって俺に言う権利無いんだからな!」
って、言ってるじゃないか……
とは言えない。
「分かってるって……何も俺、言う気無いよ。でも、ちょっと見ただけで、よくは分からなかったけど、大地くんの彼氏って、すごいかっこいいね。背も高かったし、男として俺羨ましいよ」
実際は、はっきり見えなかったのだが、祐馬がそう言うと大地は急に笑顔になって「そ、そうかなあ」と照れだした。
うわああ、単純~
戸浪と違って機嫌がすぐ治る。
「そんな話じゃなかったよな。それで兄ちゃん足どうなの?」
「え、あ、右膝だけギブスはめることになって……先週医者に連れて行ったんだけど二週間ほど会社は休んで養生するようにって言われたんだ。でも本人は元気だよ」
「そか、良かった。……でもさ……あれ、俺が悪いんだ……」
大地はそう言って御茶を飲んだ。
聞いて良いのだろうか?そう思っていると大地から話し出した。
「兄ちゃんが高校三年の時にさ、って兄ちゃんが十七歳で俺が十歳の時の話なんだけど、その頃もう膝が悪いの分かってて、兄ちゃんは筋肉をつけるのに毎日山を登ってたんだ。今みたいにスポーツ学みたいなの無かったから、山なんて膝に悪いのに、そのときは分からなくて……それだけだったら良かったんだけど、その日は俺も付いて行ってさ……行かなきゃ良かったって今すげえ思う」
大地はそう言って何処か遠いところを見てる。思い出しているのだろう。
「それでさ、山の中腹ぐらいまで来たとき、俺、ふざけてはしゃいでいたら、足滑らせて沢に落っこちちゃったんだ。で、兄ちゃんそこで人を呼びに行けば良かったんだけど、俺を背負って山を下りてくれたんだ。山って言っても、道の無い山でさ、場所に寄ったら急勾配のあるすげえ山なの。そんなとこ、兄ちゃん医者に絶対重い物は持っちゃ駄目だって言われてたのに、俺を担いで半日かけて連れて帰ってくれた。俺の方は足折ってただけですぐに治ったんだけど、兄ちゃんの膝はそこで駄目になったちゃったんだ。兄ちゃんあの時二ヶ月入院してた。それで空手は続けられなくなったんだ。あの猫足は……って空手のポーズのことなんだけど、膝に重心がかかるから……もうやっちゃいけないって……」
ちょっと涙目で大地は言った。
「よしよし……」
よしよしって?
と、誰かの声がしたと思ったら、いつの間にかさっきの男が大地の後ろから頭を撫でていた。
「大良っ!てめええっ!」
と同時にバキッと大地はその大良と言った相手を殴った。
本当に兄弟よく似ている。
「だ、だって大ちゃん、いくら兄さんの彼氏でも、私以外の人と二人っきり……ってなんだか嫌に決まっているだろ?心配している私の気持ちを分かってくれないのかい?」
大地によって部屋の隅に追いつめられた男はそう言って大地を宥めようとしている。
「お前なあ……」
ちょっと怒りの矛を収めた大地がそう言って呆れていた。
あ、もしかして、戸浪も嫌だったのだろうか?
どうも、如月がいるとそわそわして落ち着かないのはいくら鈍感な祐馬にも分かっていた。最初は何か言われたことで、それを気にしているのだろうと思っていたのだが、それは違うのだろうか?
祐馬にとっては兄のような存在で全く気にならないのだが、戸浪にとっては他人だ。いくら祐馬の親戚とはいえ、俺と如月さんの仲、まさかこんな風に疑ってなんかないよなあ……
それはそれで嬉しいけど……。
「……大ちゃんの彼氏の大良博貴と申します」
と、いきなりかしこまって博貴がそう言った。
「あ、俺、三崎祐馬と言います」
なんだか見合いしているみたいだった。
「も~あっち行けよ……俺、三崎さんと話してるんだからさ……」
ブチブチと言いながらも大地は博貴の隣に座った。こうやって並べて見るとなかなか似合いだ。
「嫌だよ」
博貴はどうも居座るつもりのようだった。まあ、大地のような恋人を持つと心配だろうなと祐馬は思った。
とにかく大地は可愛いのだ。恋愛感情など無くても、こう、頭を撫でてやりたいという気にさせる。
「ちょっと聞きたかったんだけど……、兄ちゃんが入院してるときに、俺、三崎さんに会って無いよな?」
と、大地がふとそんな爆弾発言をした。
「え?」
「大ちゃん」
博貴が押さえた口調でその続きを止めさせた。
「あ、ごめん。ずっと昔の話なんだ。違ったら良いんだ。俺も十歳だったからあんましよく覚えてないし……。兄ちゃんの病院にずっと来てたから……もしかして三崎さんだったのかなって……ごめん」
それはきっと戸浪の昔の相手だと祐馬は思った。
「え……と、どんな人?」
「……う~ん……顔覚えてないけど、あ、今、思いだしたけど目、青かったような気がする。日本人なのに何で青いんだろうって思った記憶があるから……」
「えっ……」
目が青い日本人……
「大地っ!」
「あいたっ!何すんだよ」
今度は博貴が大地の頭を叩いたようだ。
「そう言うことは言うんじゃない」
「え、だって大昔の話しだし、別に兄ちゃんがその人と……」
と言って大地がこちらの顔色を見て青くなった。
「え……ってことは……」
「済みません。大地が余計なことを言って……」
何故か博貴が謝っている。
「あ、いえ、別に何でも無いんです。はは、嫌だな……気にしないで下さい」
と言ったのだが、大地の方は本当に済まなさそうな顔をしている。こちらの顔はそんなに変な顔をしているのだろうか?
「じゃ、俺帰りますから……明日宜しく……」
祐馬はそう言って立ち上がり、大地のうちを後にした。
車にたどり着くまで祐馬は二、三度転んだ。
どういうことなんだろう……
目の青い日本人ってそんなにいないよな……
嘘みたいだけど……
もしかして如月が戸浪の昔の彼氏?
そう考えて否定した。
それなら会った瞬間にお互い何かしらの会話があるはずだ。
そんな雰囲気は無かった……と思う。
何より俺にそんなこと言わなかった。
だが、途中で車を停めて、祐馬は姉に電話をかけた。
「もしもし姉ちゃん……俺、祐馬……ちょっと聞きたいんだけど、姉ちゃんの旦那って出身何処だったっけ?」
「突然電話してきて貴方なにそれ?」
姉の方は驚いている。
「良いから教えてよ。兄さんって生まれも育ちも東京だったよな」
「違うわ。秋田よ。父親の転勤で東京に移ったって聞いてるけど……」
え……
それって……
「祐馬、それがどうしたの?」
「え、あ、いいんだ。じゃ」
と、祐馬は姉が何か言っている途中に携帯を切った。
嘘だろ……
ってことは……
戸浪ちゃんは俺に話さなかったけど……
如月さんも何も言ってくれなかったけど……
戸浪ちゃんの昔の相手って……
如月さん?
「やだな俺……何考えてるんだよ……」
そんな偶然などありはしないだろう。
もしも、そんなことがあったら、戸浪も話してくれたはずだ。それが無いと言うことは如月ではないと言うことだろう。
絶対違うはずだ。
祐馬はそう思うことでようやく車を出した。だが真っ直ぐうちには帰らなかった。
着いたのは如月の泊まるホテルだった。フロントで部屋番号を聞き、如月のいるだろう部屋を尋ねた。
「なんだ祐馬、どうしたんだ?」
「ちょっと……聞きたいことがあって……」
「いいよ、入るといい……」
如月がそう言って窓際にあるソファーに案内した。
「あのさ、如月さんが今、日本に二週間もいる理由何?そりゃ爺さんの事もあって帰ってきたんだろうけど……それにしちゃ長い滞在だよな。だって如月さん忙しいはずじゃん」
そう言うと如月はこちらをじっと見て言った。
「ああ、昔に忘れた物を取りに戻ってきたんだ……」
「それって何?ううん……人?」
祐馬の心の警笛は聞くなと言っていた。
「お互い好きなのに色々あって離ればなれになった相手を捜しに来たんだ。忘れられなくてね……」
「その人は見つかった?」
「ああ……」
「そんで……戻ってきた?」
声が掠れた。
「もちろん……」
自信たっぷりに如月は言った。
「……もしかして……俺……知ってる?」
そう聞くと如月は頷いた。
「ああ……」
……嘘だっ!
祐馬はそれ以上聞くことが出来なかった。
「……もう茶番は止めだ……。そうだ、お前が今一緒に暮らしている戸浪が私の忘れられない恋人だ。いや向こうも忘れられなかったようだがな……」
そう言って如月はこちらを見据えた。
「……戸浪ちゃんはっ……俺を……俺を選んでくれたんだっ!」
何度だって言ってくれた。
俺が好きだとはっきり……
俺が一番だと言ってくれた。
「馬鹿だな……祐馬……」
如月はそう言って笑った。
「俺は馬鹿じゃないっ!」
「本当に戸浪がお前に惚れているとでも思ってるのか?お前の知らないところで会っていたと、どうして思わないんだ?私が帰ってきたのは、あの爺さんの誕生日じゃない。その一週間前だ。そのとき、戸浪が遅い日はなかったか?正確には日本に三週間滞在する気で来たんだ」
戸浪はずっと仕事だと言って遅かった。
それは如月と会っていたのだろうか?
「違うっ!それは嘘だ。俺は知ってる。ちゃんと戸浪ちゃんは仕事してたっ!あんたの言うことなんか俺は信じないっ!俺は……俺は戸浪ちゃんを信じてるんだっ!」
そう言って祐馬は立ち上がった。
信じるものか……
「膝が急に悪くなったのも、毎日私と抱き合ったからだと思わないのか?」
「誰が信じるもんか」
「悪いな祐馬……返して貰うぞ……」
そう言った如月の声を最後に祐馬は如月のマンションを後にした。
「え、祐馬に言ったのか?」
大地からの電話を受けて戸浪は驚いたように言った。
「ごめん兄ちゃん……俺知らなかったんだ……青い目の人のこと……」
「そうか……気にしなくて良い」
そう言って戸浪が話していると玄関の扉が開閉する音が聞こえた。
「済まない、祐馬が帰ってきたから……又連絡するよ。気にしなくて良いから、本当だぞ」
携帯を切ると、祐馬が側に立っていた。
「誰と電話してんの?」
そう言った祐馬の表情が暗い。如月だと分かったのだろう。
「弟だよ……」
言い終わらないうちに祐馬は戸浪の前に膝をついて座った。
「どうして隠してた?」
「……お前が慕っている……尊敬している相手が……昔つき合っていた相手だとはどうしても言えなかった……」
はっきり言おう……
もうそれしかない……
戸浪はそう決心した。
「いつ知ったの?」
「ああ、お前がベロベロに酔って帰ってきたとき初めて知った」
祐馬の両手が戸浪の頬に触れた。
「本当に?そんだけか?」
「ああ、再会しただけだ。それ以上の事はない」
まっすぐ祐馬の瞳を見て戸浪は言った。
「なあ……」
言って祐馬は戸浪を引き寄せ自分の胸に抱いた。
「二人で会ったりしてないよな……」
祐馬はつぶやくように言った。
「何故会うんだ?あの男とは終わったとはっきり言ってあるだろう」
「本当に?」
「ああ。誓えるぞ」
「嘘じゃないよな?」
「どうしてお前に嘘を付くんだ?」
祐馬の頭を撫でながら戸浪は言った。
「だって……」
「もしかして……如月に何か言われたのか?」
あの男は侮れないのだ。
祐馬にあること無いこと吹き込んでいるかもしれない。
「別に……」
「確かに……お前は如月のことをよく知っている。だから私が言うことより如月を信じるかもしれない。だが、そうなったら私は何を言って良いか分からないよ祐馬……」
「……」
「お前が私を信じられないと言うなら……私を捨てろ……もうそれしかないだろう?信じられないのに……これからずっと私を疑って過ごすのはお前にも辛いだろう?良いんだ祐馬……そうしても……」
この腕を失うのは辛い。
だが疑われたまま一緒に暮らしてお互い傷付けあうのはもっと辛いだろう。
「……」
「何か言ってくれ……どうしたらいい?」
何故こんな祐馬を傷付けられるんだろうか……
如月は仮にも弟のように可愛がって来たはずなのだ……
なのに……
こんなに純粋で、優しい祐馬を何故傷付けることが出来るんだ……
「もう……駄目か?我慢できないか?……私の昔の相手は……お前の知り合いだったことが……耐えられないか?」
自分で言って自分が泣けた。
こんな台詞、言いたくなんか無い。
それでもこの事は祐馬が決めなければならないのだ。
「……駄目なら……このまま私に電話をかけさせてくれ……大地に迎えに来て貰うから……」
ギュウッと祐馬を抱きしめて戸浪は言った。
「信じてる……俺……戸浪ちゃんを信じてるよ。だからあいつに言ってやった。くだらないこと一杯言うから……あいつを嘘つき呼ばわりして帰ってきたんだ。俺、俺は……戸浪ちゃんが俺を選んでくれたの知ってるから……だから……」
「祐馬っ……」
更に抱きしめている手に力を入れて戸浪は祐馬に抱きついた。
「だって、言ってくれたよな……俺に先に会いたかったって……以前言ってくれたよな……俺、それ信じてる。俺が一番だって言ってくれた戸浪ちゃんを……俺大好きだから……俺も……戸浪ちゃんのことが一番好きだから……」
言って祐馬はこちらを離した。
泣いているかと思ったのだが、泣いているのはこっちで祐馬は笑顔だった。
この笑顔が好きなのだ。
曇らせるのが怖かった笑顔は、曇ることなくそこにあった。
「なあ、何泣いてるの?」
「……っ!」
一人ボロボロ泣いていた自分が急に恥ずかしくなった戸浪は顔が真っ赤になった。
「戸浪ちゃん……俺のこと好きだよな?一番だよな?」
頬に伝う涙を口元で掬い取りながら祐馬は言った。
「何度でも言える……お前が好きだ……」
多分、この気持ちはどんなことがあっても揺るがないだろう。如月にあってもこれっぽっちも揺るがなかったのだ。
あれ程好きだった相手はとうに過去の思い出になっていた。
戸浪には今が一番大切だった。
なんて酷い男だろうと自分でも思う。
だが、仕方ない。
もうこの祐馬を失うことなど考えられないのだ。
その晩、お互い裸で抱き合って眠った。
翌日如月に言われた内容を無理矢理祐馬から吐かせて戸浪は激怒した。
「お前っ!そんな話をこれっぽっちも信じなかっただろうなっ!どうして今更あの男と会って、抱き合えるんだ!普通に考えても分かるだろうがっ!疑うのなら会社の同僚を連れてきてお前に証言させてやるっ!こっちはそんな事も考えられないくらい仕事に追われていたんだっ!」
椅子に座って、松葉杖をバンバンと床に叩きつけて戸浪は本当に怒っていた。
「しょんなおこんないでよ……」
祐馬はシュンとなってパンをかじっている。
「お前もお前だっ!わざわざ会いに行くからそんな不愉快なことを言われるんだっ!文句があるなら私に言えば良いんだろう」
「それも嫌だ……あいつと会うな。俺ももう連れてこない」
「ああ、そうだな……。お前そろそろ出社だろう?」
「あーーっ!朝から戸浪ちゃんと話してたからこんな時間になってた!」
バッと立ち上がって祐馬は言った。
「さっさと行け」
「ふあ~い……いいなあ家でごろごろ出来て……」
松葉杖の先でぐいぐいと祐馬の背を押し「ほら早く行け」と、戸浪は言った。
祐馬が出ていくのを見送って、戸浪はしっかりと玄関の鍵を閉めた。
何も言って来ないだろうと思うのだが、やはり如月が諦めているとは思わない。
「……はあ……」
溜息を深く付いて戸浪は温かい窓際にクッションを置いて一眠りする事にした。
昼近く電話が鳴っているたので受話器を上げると問題の如月だった。
「祐馬にくだらないことを言っただろう……」
「まあな……」
「だが、お前の思い通りに事が運ばなくて残念だったな」
「仕方ないな。諦めるしかない」
意外にすんなり如月は言った。ようやく分かったのだろう。
「……如月……済まなかった」
戸浪は祐馬には怒って見せたが、如月には申し訳ないという気持ちがやはりあるのだ。
「いや……」
「お前には随分世話になったのに……」
病院に入院していたあの時、如月は毎日見舞いに来てくれた。退院してからも随分世話になったのだ。その優しさを戸浪は愛した。
だがそれは遠い昔のことだった。
「ああ、昔のことだ……」
「いつ……戻るんだ?」
「来週にはな……ところで戸浪……膝大丈夫か?」
「全く、そのお陰でこっちは会社を休んでいるんだ……」
「はは、悪かった。そうだ、昔話でもゆっくりしないか?」
「お前……私がこんな足で会えると思ってるのか?」
「だから、私が行くよ。最後に一度だけ会ってくれ……もう、二度とお前には会えないだろうからな……」
そう言って小さく溜息を付くのが聞こえた。
「……祐馬には言うなよ。なら会っても良い」
「あの子にはこれ以上恨まれたくないからな。この事が無かったら今でも良い弟だったはずなんだ……後悔してる」
寂しそうにそう言う如月は昔の如月だった。
「来るならさっさと来い、昼間しか会えないからな」
「分かった。今から行くよ」
そう言って如月は電話を切った。
電話を切ってからすぐに如月は現れた。
「なんだ、近くから電話をしたのか?」
「まあな。だがお前松葉杖か……その姿はあの時以来だな……」
そう言って如月は笑った。
「こんな足だが、茶くらいは入れてやれる」
戸浪はそう言ってきびすを返そうとすると、如月は松葉杖に足を引っかけた。その拍子に戸浪は床に転んだ。
「おまえっ何をっ」
と言ったところで腕を捕まれ引きずられた。
「馬鹿な戸浪……自分から私を引き入れるなんてな……」
「なっ?」
引きずられながら、戸浪は如月の言っている意味が理解できなかった。
「逆に、こう不自由な方が、お前を思い通りに出来るだろう?お前は自分がそんな足だから私が何も出来ない優しい男だと思ったようだがね」
と言ってベットに放り投げられた。
「如月っ!」
こちらが身体を起こすより先に如月に組み敷かれた。
「失ってみるんだな……」
如月はそう言って戸浪の上着を剥いだ。
「よせっ!お前はっ!こんな事をしても無駄だと分からないのか?」
必死に抵抗するのだが、両手を押さえつけられて、どうにも身動きがとれなかった。足は頼りなく動かない。
痛めた膝だけが、急に力が入った所為で痛みを訴えていた。
「無駄なことはしない……」
押さえつけられるようなキスをされて戸浪は息が詰まった。手足の自由が全く利かない。舌を差し入れられながら、胸元に手が這わされる。
「うっ……うううっ!」
「愛してるよ……戸浪……」
言って如月の手はズボンの中に入れられ、そこにあるものを掴んで締め上げた。痛みが下半身から上がって息が止まりそうになった。
その時
「あんたら……二人ともでてってくんない?」
信じられないことに祐馬の声を戸浪は聞いた。
夢だと思いたかった。