Angel Sugar

「疑惑だって愛のうち」 第1章

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 呪われてる……と思う。
 どうしてこう、ここという場面になると何故か上手くいかないのだ。
 いくら何でも、普通ならやることを終えて恋人同士になっているはずだ。
 ついこの間もようやく居候が出ていったというのに、さあとベットになだれ込んだまでは良かったのだが、そのベットは水浸しにされており、結局買い換える羽目になった。
 水浸しになったベットはどうも乾ききらず、中でカビが生えるのもぞっとすると思った戸浪は業者に引き取って貰うことにした。新しいベットは今週末、祐馬と一緒に見に行くことになっていた。
 現在は敷き布団を引いて毎晩眠っているのだが、そんな状態でその気になれというのも無理な話で、何となく気分がそがれた二人はどちらが誘うわけもなく、清く正しく二人で眠っているのだ。
 もちろん、何処でも良いと言って仕舞えばそれまでだ。あのマンションでは二人っきりなのだから、今は誰に気にする事もない。
 だから戸浪としては、もうどこでも良いか……と普段なら絶対思いもしないことを考えていた。だが、祐馬の方はここまで来たら、初夜は旅行先でやって記念日にするんだ~なんて言いだしたのだから、もうどうしようもない。
 記念日とか、その場所とか、私にはどうでも良いんだが……
 その気にさせられて、何度も肩すかしを食らうと、こんな気持ちになるのだろう。だからといって自分がそんなことを思っているなど、口が裂けても言えない。
 祐馬が必死に我慢しているのが分かる。
 だったらこっちも、そうだと分かれ。
 私に鈴香の様な真似をしろと言うのか?
 いや、考えると私もやったことだが……
 思わず戸浪は場所も考えずに顔が赤くなりそうな気がした。
 祐馬に自分が大事にされているのは良く分かっている。
 何時も気遣ってくれる祐馬に感謝している。
 だが、肝心な所が何かごっそり抜け落ちてるのだ。
 ……ったくもう……
 図面を見ながら戸浪は深く溜息をついた。
「澤村君、ちょっと……」
 部長の柿本に呼ばれ、振り返ると自分の部の人間が、部長席に集まっていた。慌てて戸浪も立ち上がって、その輪の中にはいった。すると部長席の隣りに見たことのない男が立っており、こちらと視線が合うとニコリと笑った。
 新人か?こんな季節に?
「これでうちの部全員だな、こちらの彼は須藤克弥君。中には知っている人も居ると思うが、名古屋支店から今回、半年ほど応援で来てくれることになった。みんな仲良くしてやってくれ」
「名古屋支店設計部第二積算課の須藤勝弥です。宜しくお願いします」
 そう言って頭をぺこりと下げる。
 克弥の癖毛でゆるくウエーブのかかった赤茶っぽい髪がその仕草で揺れた。
「それと、澤村君、暫く君の下につけるから、色々仕事を廻してくれて良いぞ」
 部長の柿本はそう言って笑った。
 良いからと言われても……。
 多分、この間倒れたことで、随分仕事を抱え込んでいる印象を与えてしまったようであった。だがあれは戸浪が食欲不振の末のものだ。
「分かりました」
 仕事は一人でする方が性に合っているのだが、年齢的にもそろそろ下の年齢の人間を育てる立場になってきているのかもしれない……
 そう言うところで戸浪は納得した。
「彼の歓迎会は定時退社の出来る水曜、幹事は平瀬に頼むとするか……じゃあそういうことだ仕事に戻ってくれて良い」
 柿本はそう言って、部の人間を解散させた。
 そんな廻りにキョロキョロしている克弥に戸浪は言った。
「須藤君はこっちだよ。私の隣の席が空いているからそこに座ると良い」
「はい」
 戸浪に案内されるまま克弥は席に着いた。
「私は澤村戸浪。今年から四年目にはいったとういう位だから先輩って程でも無いんだ。だから気を使わなくて良いから……」
「まだ二年目なんです。ですからまだ知らないことも多いので色々教えてください」
 克弥は丁寧に言った。
「……ああ私じゃ大したことは教えられないが……」 
 そう言って戸浪が克弥を見ると、目線を逸らされた。慣れないために恥ずかしいのだろうかと思っていると、一日中克弥はそんな調子であった。
 第一日目からドッと戸浪は疲れた。

「ただいま……」
 戸浪が帰ってきた声を聞いて、祐馬は夕食を作っていた手を止めてキッチンから飛び出すと、まるでお迎え犬宜しく玄関まで走っていった。 
「お帰り戸浪ちゃん」
 祐馬は満面の笑みで出迎えだった。だがそんな祐馬とは逆に戸浪は疲れた顔をしていた。
「お前は何時も元気だなあ……」
 靴を脱ぎながら戸浪はそう言う。
「な~んか疲れてる?」
「少しな……」
 小さく溜息をついて戸浪は廊下を歩きだした。
「もさ、夕食の準備出来てるし、さっさと飯食って風呂に入ったら気分良くなるよ」
「そうするか……」
 ようやく戸浪は笑顔を見せてそう言った。
「んじゃビール出しとくから、着替えてきたらいいよ」
 祐馬がそう言うと戸浪は軽く頷いて寝室に姿を消した。祐馬の方はキッチンへと戻り冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出した。
 これで酔ってくれたらほんと俺、やりやすいんだけどなあ~
 戸浪が少しでも酔う体質であったら、ベットにも簡単になだれ込めるのだが、戸浪はざるだった。酔いもしないし全く顔にも出ない。
 とにかく何かこう、ムードを盛り上げられるような雰囲気を作りたいのだが、元来そんなものに疎い祐馬だ。何をどうして良いか分からない。
 どちらかというと「やっていい?」とストレートに聞くタイプだから、戸浪に蹴られるのだ。
 鈴香がようやく出て行き、それ以後、数回そう聞いて戸浪の怒りを買った。その為、やはりこういう事をストレートに言っては駄目なのだと、ほんの少々学習した。
 だが旅行先ともなれば、事情も変わってくるのだろうが、毎日同じ生活をしていると、ムードもへったくれも無い。
 だから仕方無しに、まあ、初めての事なのだから、記念日にするために旅行でまず、何度か~それ以降はなし崩しと言うことで~と、祐馬は思っていた。
 旅行に関しては、どんな話をしても意外に戸浪は寛容なのだ。
 俺は家でも何処でも、あんまかわんねえんだけどな……
 と、思うのだが、それは祐馬がそうあるだけで、戸浪は違うのかもしれない。
 だからといって、それで諦めているわけではない。まだ旅行の日程も組んでいないのだ。それまで何も無しはあまりにも辛い。だからどうにかそんな雰囲気に持っていきたいのだが、そのやり方がいまいちスマートでないのが問題だった。
 その場の気持ちで襲いかかっても、戸浪に蹴られて転がされるのが関の山だ。
 でもなあ……
 俺に音楽とか似合わねえし……
 花なんか飾ったら、俺、女じゃんか……気持ち悪いよなあ……そゆの……
 オニューベット購入までお預けなのかなあ……とも祐馬は考えていた。
 まあそれなら休みまであと二日だ。
 ここまで我慢してきたのだから何とかなる。いくら戸浪でも新しいベットと布団を買えばその気になるかもしれない。
 今は床に布団を二つ並べて寝ているのだから、まあ確かにムードは全くない。これが何処かの旅館であるなら話は別だろうが……。
「何一人でニヤニヤしているんだ……気持ち悪い……」
 戸浪がジーンズに薄手のシャツを着た姿でキッチンに入ってくると、所定の椅子に座った。
「え、別に~俺だって色々悩んでるんだもんな」
 言いながら祐馬は戸浪に缶ビールを渡した。それを受け取った戸浪は呆れた顔をして言った。
「ニヤニヤして悩むのか……妙な悩みだな……」 
「で、戸浪ちゃんは何疲れてるの?」
 煮た魚を机に置いて、ホウレンソウのひたしに鰹をかける。
「なあ祐馬……」
 急にこちらに視線を合わせて戸浪が言った。慣れるまで大変だったその顔は今ではまともに視線を受け止めることが出来ようになった。
 奇麗だからなんて戸浪に言うと又殴られるのが分かっているために言えないのだが、本当に戸浪の顔立ちは整っている。
「なに?」
「私の顔は恐いか?」
「はあ?」
「お前は最初から平気だったようだが、どうも怖がられてる……ような気がする」
 はあと溜息をついて戸浪が言った。
「誰かに恐いって言われた?」
 まあこの顔で睨まれた日には背筋が冷たくなることもある。確かにある。それは睨まれる+拳(もしくは蹴り)がとんでくるためだ。
 だが戸浪があっちこっちでそんな風に睨んだり、殴ったりするタイプで無いことは充分分かっている。
「名古屋から暫くうちの部へ応援に来た後輩の面倒を見ることになったんだが……こっちが話しかけても、視線をそらせておどおどするんだ。一日中そんな状態だったんだよ。それでこっちが気疲れした」
 それって……
 もしかして……
 最初戸浪ちゃんを初めて見つけたときの俺と同じ状態じゃんか!
「戸浪ちゃん……」
 こっちが溜息が出た。
 本人これっぽっちも、自分がもてるという自覚が無いのだ。
 弟の大地は男にもてる顔だ。だが戸浪の顔はどちらにも、もてる顔だった。この法則なら一番上の兄は女にしかもてないのだろうか?
 等と祐馬は考えて、頭を振った。
 いやそう言うことを考えてる場合じゃなかった。
「なんだ……」
「戸浪ちゃん、それは戸浪ちゃんに好感を持ってるって事だよ。だから目線を逸らせんの。恐いのなら、ビクビクするだろ。俺がビクビクするなら分かるけどさ~。頼むからさあ、そういう自分の事もっと自覚してよね。俺マジで心配になっちゃうよ……」
 この男、低血圧でぼーっとしているときは何を言っても、何をされてもいまいち訳が分からない状態になるのだ。そんな時、祐馬が何か悪戯やって後で見つかったときに恐ろしいことになるので、妙な悪戯はしないのだが、何事にもそつがないように見えて実際は結構とぼけたところがある。
 それはそれでギャップになって可愛いのだが……。
 心配なのだ。
「はは、お前は馬鹿だな……」
 言って戸浪は笑い出した。
 こっちは笑い事じゃないのにだ。
「笑い事じゃないのっ!んも~如月だってあんなに戸浪ちゃんに執着してたんだぞ。もてない男に執着するわけ無いだろっ!」
 ビールの缶をガンッと机に置いて祐馬は言った。
「でもなあ祐馬、今日会って今日すぐ相手に惚れるものか?相手の性格だって分からないのに……」
「あのさ、俺は戸浪ちゃんに一目惚れしたんだって言ったよな。そりゃもちろん、性格も好きだけど……。最初の入り方は人それぞれだろ……みんながみんな、相手と長くつき合って好きだ~なんてなるわけないじゃんか。会ってその場で恋をすることだってある」
「私は男なんだが……」
 苦笑して戸浪は言った。
 もう全くこちらの言っている事を理解してくれていない。
「戸浪ちゃん。男を好きになった俺を目の前にしてそんなん言うの?」
「そう興奮するな。大したことじゃないだろう」
 けろりとした顔で言われると、もうどう言って説明して良いか分からない。
「……何でも良いけど……変なことにはならないでよ……」
 そう言うと戸浪がビールを吹きだした。
「お前っ、へ、変な事って何だ?訳の分からないことばかり言うなっ!」
 全然危機感ないんだもんなあ……
 祐馬は密かに溜息をついた。

 後かたづけは戸浪の分担である為、それらをこなし、洗濯物を片づけてから風呂に入る。それが済むと寝室の電気を消し、戸浪は布団に潜り込んだ。すると祐馬が話しかけてきた。
「んな~マジな話し……」
 言いながらこちらの布団の中に入ってくると、べったりとくっついてくる。
「なんだ……さっきの話ならもういい」
 なにが一目惚れなんだ……全く……
「だって……」
「ああもう、ひっつくな」
 グイグイと祐馬を押しやってそう言った。
「何だよ~鈴が居てたときの方が戸浪ちゃん素直だったっ!」
 と言われても、鈴香が居たときは、触れる以上進めないことが分かっていたので、良かったのだが、今鈴香は居ない。突き進もうと思えば何処までも行ける。
 抱かれたいと思う癖に、そのギリギリまで来ると、期待と不安で半分半分になるのだ。
 何だろうこの気持ちは……
 と、その場になると思うのだが、上手く説明できない。
 要するにこちらがそんなこととを考える隙も与えずに一気に突き進んでくれると、逆にありがたいのだが、祐馬にそんな根性はない。
 何度言えばこの馬鹿に分かって貰えるのだ?
 いちいち聞くから駄目なんだっ!
 聞くなっ!何も言わずに、一度くらい突き進んでみろ!
 と思うのだが、根性が無い祐馬にはそんなことは出来ない。
 逆に一気に行けそうなときは、間の悪いときばかりだ。状況を把握できない男を恋人に持つと本当に苦労する。
 その上、そう言う状況で拒否をしているのに、普段も同じように拒否されると思って今は手を出せないようだった。
 ああもうイライラする……。
「……はあ……」
「あのさあ……ほんと、ほんとに気をつけてよ。変なそぶり見せたら俺を何時も殴るみたいにぶん殴れよ。俺マジで言ってるんだ。俺の本気をそろそろ分かってくれよ」
 と言ってこちらの身体を抱きしめてくる。
 こうなるともう戸浪も素直になるしかない。
「分かってるよ……祐馬……」
 なにも聞かずにそのまま押し倒して来いっと、戸浪はそんなことを考えて、祐馬の腕の中で目を閉じた。そんな自分の心臓がバクバクと音を立てているのが分かる。
「……ねえ戸浪ちゃん……キスして良い?」
 だから聞くなと言ってるんだああっ!
 バキッ
「あいってえっ!」
「お前はっ!本当にムードがないっ!もう寝ろっ!」
 この男相手にムードを求めるのは所詮無駄なことだと分かっている。だがいちいち聞かれる立場にもなってみろと思うのだ。
 最中にまで聞いてきそうでぞっとする。いや、当初祐馬はいちいちこれは良い?あれも良い?と聞いてきたはずだった。
 聞かれるのはもうごめんだ。
 なんだかお伺いを立てられているような気がして仕方ない。
 そういうのは嫌なのだ。
 そんな風に聞いてこられると主従関係のように思えて仕方ない。恋人同士なのだ。同じ立場で抱き合いたいと思っている。なのに、そう感じさせる祐馬の問いかけが戸浪にはもう嫌で仕方ないのだ。
「キュウン……」
 祐馬はそう言って、すごすごと自分の布団に戻っていった。
 そういうすぐ引き下がるような気持ちで居るなら手を出してくるなっ!と、逆に戸浪は思うのだ。でも自分でもある意味どうして良いのか分からなくなってきているのだった。
 ああもう……ああああもううううっ!
 イライラは当分収まりそうになかった。 

 翌日会社に行くと、既に克弥は自分の席に着いて仕事をしていた。こちらも定時より三十分早く出てきているのでそれより先に来て仕事をしていると言うことは、意外に真面目なのだ。
 何より早いために人はほとんど出社してきていない。
「早いな……そんなに早く来なくても良いんだぞ」
 言いながら戸浪も鞄を置いて席に着いた。
「出来たら本社で働きたいんです。だから頑張っているのを見て貰って、転勤依頼通ればいいなあ、という下心があるので、気にしないで下さい」
 言って克弥は笑った。
「そうか……そう言うことならもう言わないよ」
 こちらも笑みを浮かべてそう言うと、克弥は顔を急に赤らめ、視線を逸らせた。
 何だこの反応は…… 
「……済みません……」
 その上、何故か謝っている。
「私の顔に何かついているかい?」
「……いえ、何でもありません……」
 克弥はそう言いながらこちらを見ない。
 深く聞くとなんだかやばそうだな……と感じた戸浪はそこで聞くのを止めた。
 あながち祐馬が言ったことも当たっているのかもしれないとようやく思えたのだ。
「そうか、ならいいんだが……」
 言って戸浪も仕事をし始めた。
 暫くすると克弥が聞いてきた。
「あの……ここなんですけど……」
 図面を指さして上目使いにそう言った。
「ああ、これね……」
 と、克弥が聞くから説明をしているのだ。なのに、克弥の視線はこちらを捉えて離れない、それなのに、目線を上げると向こうは逸らせる。
 一体何なんだっ!と思うのだが、深く聞くのは恐い。
 だがこういう仕草はイライラさせられるのだ。
「悪いんだが……そう、いちいち視線を逸らせないでくれないか?余りいい気はしない……」
「す、済みません……澤村さんがあんまり奇麗な顔をしておられるので、見とれてしまうんです……。失礼だから視線を逸らしていても、又こう見てしまって……」
 克弥が照れ照れとそう言った。
「……そう言う冗談は気分が悪いんだが……」
 バサッと図面を押し返して戸浪は言った。
 横目で克弥を見ると、少し落ち込んだ顔をしていた。だが、そのフォローをする気にはなれなかった。 
「冗談じゃ……無いです」
 こちらに聞こえるくらいの小さな声で克弥はそう言った。
「……そうか……」
「……多分……」
 言って小さな紙切れをこちらに寄越した。

 澤村さんに僕一目惚れなんです(ハート)

 何だ?括弧ハート括弧閉じるっていうのは??
 イヤ、そうではなくて、一目惚れって何だ?
「……」
 戸浪が茫然としていると、又紙切れが置かれた。戸浪が今度は何だと思って紙切れを覗き込むと、見なければ良かったと思った。

 誰かつき合ってる人は居るんですか?

「……」
 これに返事をしなければならないのだろうか?
 と、思いながらそれをせずに戸浪は聞こえるように紙切れを丸め、更に克弥に見えるようにゴミ箱に捨てた。

 諦めませんから……
 
 最後にそう一枚書き戸浪の机に置くと克弥は「資料取ってきます」とニッコリと笑って資料室へ歩いていった。
 なんだか戸浪は背筋が寒くなるのを感じた。
 
 昼に川田と一緒に食道に行くと、戸浪は朝方克弥から貰った紙切れの話を川田にした。
「お前って……なんか年下に好かれるんだろうなあ……まあ何となく分かるが……」
 はははっと笑って川田は言った。だがこっちは冗談じゃないのだ。
「笑い事じゃない。そんな紙切れを男に貰ってどうして喜べるんだ?」
「まあな……ははっ、でもなんか相手がお前だから、仕方ないなあって考えるしかな……」
 言って川田はチャーシュウメンをズルズルッと食べた。
「仕方ないって……私はあの後輩と半年も一緒に仕事をするんだ……。毎日紙切れ攻撃を受けると思ったらぞっとする……」
 ラーメンとセットになっているチャーハンをレンゲでかき混ぜながら戸浪は言った。
「そうやって嫌がっていても、毎日のことになると情が移って可愛くなるんじゃないのか?だってな、お前には前例があることだし」
 意味ありげに川田が言うので、戸浪はジロリと睨んだ。
「……お前な……その話は会社ではするな」
「分かってるって。でもまあ、あんまりしつこくなったら気をつけろよ。最近の奴はストーカー紛いに付け回してくるらしいからな」
「まさか……」
「夜道には気をつけようねえ澤村~」
 嬉しそうに川田がそう言う。こういう話題は大好きなのだ。
「……そんなことをしてもすぐ分かる。こっちは止めたとは言え空手の段を持ってるんだ。付け回されたらすぐに気が付く……」
 ムッとして戸浪は言った。
「だと良いけどな……」
「そんな話よりお前、スッチーとはどうなったんだ?」
「うっ……いきなり痛い話をしてくるぞっ!」
 川田はそう言って胸元を押さえた。
「又駄目だったのか?」
「又って言うなっ!何かむかついたから俺が振ったんだ」
 そう言って川田は怒り出した。
「何を怒って居るんだお前は……」
 クスッと笑って戸浪は言った。
「自分が幸せだからって、そんな痛い話を振ってくるからだ。あれから何も俺が言わないって事は駄目だったって事だろう。分かってくれよ~そう言うことをさ」
 いや、戸浪は分かっていたのだが、あまりにもこちらの不幸を楽しそうにからかうから川田の方に振ったのだ。
「何だやっぱり駄目だったんだな」
「……はあ……俺が理想を求めすぎるのかなあ~」
 と溜息をつく。
「どういう理想を相手に求めて駄目なんだ?」
「別に大したことじゃないぞ。奥ゆかしいのが俺タイプなんだよな~でも、三回目に会ったとき、ホテルに誘われた日にはいくら俺でも冷めるって……こいつ誰にでもそうなのか?みたいなさ……」
 真面目な顔で川田がそう言うので、笑うことが出来なかった。
「……最近は三回目でホテルとかそう言う話を聞くか?」
 戸浪はすっとぼけたことを川田に言ったので、川田が爆笑した。
「お前それおかしすぎるぞ~」
「いや、別に変な意味で言ったんじゃないんだが……普通はどうなのだろうと思ってな」
 こっちは三ヶ月と少し、何にも無しなのだ。それはどう取るんだ?
「……俺はやっぱり俺から誘いたかったんだな……
「そうか…じゃあ普通は何回会えばお前はホテルに誘うんだ?」
「何回って……お前なんか、その何回にこだわってるな……」
 こだわっている訳ではないのだが……。
 いや、こだわっているのだろうか?
「別に……そう言う訳じゃないんだが……」
「普通か……俺の普通はやっぱり定時退社の水曜は会って、それと毎週末会って、一ヶ月くらいかなあ……まあそのときのムードによるけどな」
 毎日一緒に暮らして三ヶ月を過ぎたのはどうなるんだろうか?
 と、聞けないことを戸浪は考えた。
「そうなのか……」
「いや、俺がそう思ってるだけで個人差あるだろうからな……。結婚まで何もなしに過ごすカップルも少なくともいるからさ……俺には無理だけど……」
 川田はそう言って笑った。 
「結婚ね……」
「もしかしておまえんとこ何にも無しか?」
 ぎくっ……
「そういう話はしたくないな」
「……まあ……なんちゅーか……お前らの所のような特殊な場合は俺わからねえぞ」
 私だって知るかっ!
「……だから……私の所はどうでもいいんだっ!」
 どうしていつも、この男と話をすると、いつの間にかこちらに話がすり替わるんだっ!
「まあ、相手年下だからな……色々気を使うんだろうよ。何よりお前相手だとちと骨が折れそうだ……」
「なんだその言い方はっ」
「お前の顔で拒否されたら立ち直れないって言うんだよ。こうなんていうか、整いすぎた顔って言うのも考えもんだな……まあ、だからといってお前の顔は女っぽい訳じゃないんだよなあ……中性的って言うか……」
 顔、顔言うなっ!
 生まれて今までこんな顔だったんだっ!
 悪かったな!
「……お前みたいに庶民的な顔になりたかったよっ」
「あ、それってお前、嫌みになってないか?」
 と、川田が叫ぶ。
「何処がどう嫌みなんだ……」
「俺は褒めたが、お前の言い方は褒めてない」
 理解不能だ。
 川田の言い方も褒めているようには戸浪には聞こえなかったのだ。
「済みません、ご一緒して良いですか?」
 いきなり二人の間に入ってきたのは問題の克弥だった。
「おー名古屋の設計さんか、大変だなあかり出されて……」
 川田はそう言って席を詰めた。
 何故詰める~!
 こいつは絶対からかってるぞと戸浪は思ったのだが、当人前にそんな事など言えなかった。
「こちらに来たばかりで知り合いがいないんです。一人で食べるのも寂しいので交ぜていただけるとありがたいんですけど……」
 馬鹿丁寧に言う克弥を無下にあしらうことも出来ずに戸浪は「いいよ」と言った。一応こちらは克弥のチューターみたいなものだからだ。
 嫌でも面倒は見てやらないとならないのだ。
「でもよ、お前、同期とかいるだろう……」
「実は中途採用なんです。だから同期がいなくて……」
 こいつ幾つだ?
 年下じゃないのか?
 そんな事を戸浪が思っていると克弥は言った。
「実は二十四です。元々小さな設計事務所に入社したのですが、一年でつぶれてしまって……それで再就職をこちらの会社でしたんです」
「んじゃ、一個下か……」
 川田が意味ありげな目をこちらに向けていった。
 やっぱり年下だな~と言う目だ。
「大変だったんだな……」
 戸浪は社交辞令的にそう言った。
「でも良かったです。澤村さんにお会いできましたから……」
 っておい、川田がいるのをこいつは見えないのか?
 川田自身は笑いを必死に堪えている。
「……そうか良かったな……」
 自分が間抜けなことを言ったとも戸浪は気がつかず、それにうけた川田がお腹を抱えて笑い出した。
 あ、なんか間抜けなことを言ったのか?
「澤村~お前面白すぎるぞ~。まあ良いけど、こういう奴なんだよこいつはよ。でもな、空手は黒帯だから間違ってもくだらないことすんなよ。しらねえぞ~ぼっこぼこにされても……」
 笑いながらではあるが、川田は一応牽制をしてくれているようだ。
「空手黒帯なんですか?すごいですね。でも澤村さんになら殴られても良いかなあなんて思いますけど……」
 克弥はそう言って笑った。
 川田はそれを聞いて今度は声を上げて笑い出した。
 こいつら……まとめて蹴り飛ばしてやろうか……
 戸浪は本気でそんな事を考えていた。
 だが考えると、何だか自分の周りに三崎タイプの人間が増殖しているような気がして戸浪はぞっとした。
 一人の面倒も見られないのに、これ以上増えたらどうなるんだ?
 会社でもこんな奴の面倒を見なくてはならないのか?
 一人ですらもてあましているというのに……
 そんな事を考えて戸浪は肩をすくめることしか出来なかった。
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