「恋する王子様」 第1章
「ルース様っ!王子っ!何処に居るんですかっ!」
真っ黒な体躯に黄金のたてがみを持つファルコにまたがり、スペンサーは暫く辺りをうろつきそう叫ぶのだが、森の中からはいつもの如く鳥たちの囁くような声しか聞こえない。
はあ……
私は一体何をやってるんだ……
ぐるぐる同じ所を行ったり来たりしているような気がスペンサーにはしていた。。
この辺りはルースの遊び場なのだ。帰ってくる頃には真っ黒な姿になり、王子などと分からない姿と変貌しているはずだ。
もう十七におなりな筈が……
いつまで経っても子供のようで困る……
「王子っ!いい加減に出てきてくださいっ!本日は父王様と昼食会ですっ!覚えていらっしゃる筈ですよっ!」
なあんて、叫んだところで出てくる王子でないことはスペンサーも重々承知している。が、一応ポーズというものがあるのだ。
義母の王妃と食事を共にするのが嫌で逃げているのは分かっているのだ。
嫌う理由も知っている。
仕方ない……
今日は許してあげましょうか……
捕まえることは簡単だ。だがルースはあの義母とそりが合わないだけでは無い。あの義母が企んでいることを考えると、嫌う理由には充分だろう。なにより、実害もあるからだ。
はしたない女だ……
スペンサーが最初、現在の義母に当たるジェニスを見たときそう思った。
心が暗いのだ。
それにしても……
どうして私が表舞台に居るのだ……
元々魔術師として深い森の中に住んでいた。それがルースの母親に貰った恩を返すために今ここに居るのだ。
そのルースの母はもうこの世にはいない。彼女を助ける為に駆けつけたときには遅く、残されたルースだけが母にしがみついて泣いていた。
周囲は義母の息のかかった連中でその時既に固められていた。あの雰囲気の中、どうして幼いルースをそこに一人捨ておけただろう。
母親そっくりのルースは小さな拳を握りしめ、緑の宝石のような瞳を濡らしていた。
力になってやらなければ……そう思ってあれからずっと側にいるのだが……
もうとにかく勉強が嫌い。芸術を愛でることも出来ない。気が付くと勝手に馬を走らせて弾丸のように何処かへ飛んでいってしまう。そうして帰ってくると何をしたのか分からないくらい、どろどろになって帰ってくる。
お前は何処のガキだ……
なんて言いたくなることもあるほどだ。
何でもいいが……
何時になったらしっかりしてくるのだろう……
優しい王子には強さがない。
賢さも無い。
ただものすごい強運の持ち主なのはスペンサーも認めている。だがそれだけでは世渡りは無理だろう。
可愛い顔立ちに緑の大きな瞳……
まるで少女のような顔立ちは、将来王と呼ばれるにはあまりにもかけ離れた容貌だった。
まだ王女なら良かったのだ。
もうあれは生まれた性別と持ち合わせた性格なのだから仕方ないのだが……。
ルースが立派になり、一人でも生きていけるだけの強さと賢さを身につけたとき、自分は又、山深い場所にある住処に戻ろうと思っていたのだが、今のルースを見ていると、死ぬまで側にいる羽目になりそうな気がするのだ。
もちろんルースが死ぬまでの事だ。そのくらいの時間は自分にとって長いものではない。一瞬の時の流れの中の出来事である。
いやだから、死ぬ前に何とかなって貰わないと困るのだ。
はあ……
探すポーズを取るのも疲れた……
ファルコから下りるとスペンサーは木の根元に腰を下ろして溜息をついた。
しつこい~……
ガサガサとまるでレンジャーさながらに、ルースは身体に草木をくっつけて隠れていた。
目立つ金髪は一つにまとめて括り、その紐の間にも大きな葉っぱの茎を差し込んで、頭を隠している。
森に入るに当たり、ぞろぞろと長い上着は城へ置いてきた。だからサテンのブラウスにズボンとブーツだけの出で立ちだ。
母親譲りである緑の大きな瞳をくるくると動かし辺りを窺う。そんなルースにつき合わされた愛馬のテイオーが後ろからぷるると小さく啼いた。
「黙っててテイオー……見つかったら、連れ戻されるんだからね。今日はあの女と一緒に父上が来るんだから……連れ戻されると困るんだ……」
そう言うとルースは身を屈めた。
スペンサーだって知っているはずだ。
僕がどれだけあの女を嫌っているのか……
いや、何をされているか分かっていて取り繕えというのだろうか?
母親はルースが十歳の時亡くなった。だがどうも毒を盛られたのではないかという噂が未だに残っている。
ルースにはそれが本当のことか嘘なのか分からない。だがすぐにやってきた、現在義理の母親である、ジェニスを見た瞬間に、こいつかもしれないと漠然と思ったのは事実だ。
何よりその後、何度となく危ない目に遭ってきたのは、偶然ではないだろう。だが運がとびきりいいのか、何時も危険を回避できてきた。
僕を殺したいのだ……
義母には連れ子が居る。どうも義母はその息子を跡取りにしたいようであるのだが、今のところどんなに色香に惑わされようと、父王は跡取りにはルースと決めているようであった。
だけどまあ……それは止めた方が良いと思うんだけど……
だって~
興味ないもん~
女狐の息子より僕に国を任せる方が、よっぽど危ないような気がするし~
ルースはそんなことを考え、思わず笑いそうになり、口元を抑えた。
今、あの教育係のスペンサーに見つかるわけにはいかないのだ。但し、奥の手を使われるともうこっちは袋の鼠だが……
とりあえず……
隠れているしかない。
そう思いながらルースが身を屈めていると、スペンサーは探すのを諦めたのか、ファルコから下りると、木の根元に腰を下ろした。そして鞄から何故か本を取り出し読み出した。
僕を捜しに来たんじゃないの?
どうしてあんな所でくつろいでいる……?
肩よりやや長いグレーの髪を撫で上げ、長い脚を組んで本を読むスペンサーの姿は、絵になっている。あの脚の長さは反則だ。こちらは十七にもなって、まだ小さいままだ。いつまで経ってもスペンサーを越すことが出来ない。
むかつく~
いつも女官達はみなスペンサーの噂で花を咲かせているのをルースは知っていた。物静かな立ち居振る舞いと、どことなくとらえどころのないスペンサーは、乙女心をくすぐるのだそうだ。
まあ……確かに格好いいけど……
すらっと背が高く、均整の取れた体型。何故かスペンサーは黒い色を好んで着ているのだが、それがよく似合っていた。
グレーの髪に、瞳も薄いグレー。その瞳を何時も穏やかに和ませているので、そのまま見ると冷たい印象の顔が意外に柔らかくなる。
僕だって……大人になったら……
と、ずっと思っているのだが、ちっとも男らしくなり、格好良くなりならない。大きな目は何時までも大きく。小さな身長は何時までも小さい。
だがあんな風になりたいと思いながらも、別の感情をスペンサーにルースは抱いていた。
こればかりは言えないが……。
僕……女の子に生まれたかったなあ……
はあ……と溜息を付いたとき、声が掛けられた。
「王子っ!いつまでそこで頑張るんですか?」
スペンサーはいつまで経ってもじっと隠れているルースに痺れを切らしてそう言った。茂った葉っぱの向こうに見える黄金の髪は、あまりにも不自然だ。あれで隠れているつもりなのだからどうしようもない。
だが暫く待っても返事は無い。
「いい加減にしなさい。さっさと出てくるんですっ!」
もう一度そう言うと、ガサガサと茂みが左右に揺れ、妙な声だけが聞こえた。
「はて、なんのことじゃろう……」
ってそれは誰の真似だ?
「王子……怒りますよ」
すくっと立ち上がってスペンサーがそう言うと、ルースは転がるように茂みから飛び出してきた。その後ろを従者さながらテイオーがくっついて出てくる。
「……何……僕……今日は帰らないよ」
むうっと頬を膨らませたルースはそう言い、テイオーの手綱を握りしめた。
「はいはい。分かっています。もう帰らなくていいですよ。そうではなくて、そろそろお腹が空いたのではありませんか?」
「……空いた……」
「じゃあ、こちらも昼食にしましょう」
そうスペンサーが言うと、ルースは満面の笑みで頷いた。
どうせこうなるだろうと先読みしていたスペンサーは、鞍に乗せていた革袋を下ろし、持ってきた食料を広げた。その様子をルースはじいっと見つめている。
「王子、何度申し上げたらお分かりになるのですか?王子とあろうものが、地べたに、お尻をつけてべったり座り込むのは恥ずかしいことですよ。私に命令するなり、何か下に引くなりしませんと……」
「……もー……スペンサーは口を開くと小言ばっかり~」
ぷーっと頬を膨らませてルースは言った。だがやっぱり地べたに座り込み、膝を抱えたままだ。
「王子が何事もきちんと出来ないからですよ。……もう十七におなりになるのに、それでは困ります。私が父王に叱られるんですからね。王子がこのまま礼儀正しい紳士になれないのでしたら、私も何時解雇されるかもしれませんよ。そうなったらもっと厳しい方に来てていただくと良いのですがね……」
冗談で言ったのだが、ルースは本気にしたようで、急にこちらにしがみついてきた。
「嫌だよ……僕はスペンサーが良いんだっ!僕、良い子になるから……そんなこと言わないでよ……」
大きな緑の瞳が涙で曇る。
「冗談ですよ……。言い過ぎましたね……済みません。王子は充分良い子です」
そう言って頭を撫でてやると、髪に付いていた葉っぱがパラパラと落ちた。
「ほーら、こんな葉っぱを頭に縫いつけている王子が何処に居るんですか……」
笑いながらスペンサーは他にも付いている葉っぱを、奇麗に落としてやった。するとルースは嬉しそうに顔をほころばせた。
可愛い笑顔だ……。
このルースが良い子なのは分かっている。
だがこの王子に求められている王の資質が無いのが困るのだ。
それを無理矢理何とかしろと言われても、本質がそうでないのだからどうしようもない。
説明したところで、王は首を縦に振ってくれないのだ。
はあ……
優しすぎる性格は時にその優しさで優柔不断になる。痛みを堪えて切り落とす事が出来ない場合が多い。
そんな性格を持って国を治めることが何故出来るというのだ……。
強い兄でもいれば良かったのだが……
そう思わせるほど、ルースは優しいだけのお馬鹿さんなのだ。
「僕ね……僕ね……」
「あ、王子、ちょっと待っていてくださいね……」
しがみつくルースをやんわりと離し、スペンサーは立ち上がった。
「トイレ?」
トイレ……トイレねえ……
「そうですね……だからここで待っていてください」
仕方なくそう言って、スペンサーは木立の奥へと向かった。ルースから見えなくなるところまで来ると、上空から羽を広げると幅三メート程の大きな鳥が降りてくる。その鳥はスペンサーの肩にフワリと止まった。
「レーヴァン……またあのおばさんが何か企んでるのかい?」
今日昼食を一緒に等と言ってきたものだから、又何か企んでいるのだろうとは思っていたが、思いきりビンゴで、逆に疲れたのだ。
わかりやすい人だ……
「そうそう、企んでる。ケケッ、いい加減あきらめないのかって、おいらは不思議だけどな」
ガリガリと片足で首元を掻きながらレーヴァンは言った。
「今度はなんだ?」
「おやつを多分置いて帰るだろうから、それ食わない方がいい。しこたま毒詰まってる。おいらは遠慮するよ」
カカカと笑ってレーヴァンは言った。
「はあ……全く何度失敗したらあのおばさんは諦めてくれるんだろうか……」
狩りの最中の事故と見せかけ、矢を飛ばしてくるのは日常茶飯事。プレゼントと言って毒針を仕込んだケーキなど、数え上げたらきりがないほどの攻撃だ。
余り手が込んでいないのがみそだが……
あの義母は余り賢くないのだろう。
「無理なんじゃないの?おいら思うけど、馬鹿王子が死なない限り、あれ続くと思うぞ。そーか、あのばばあが突然死ぬとか~心臓発作とか……駄目か?」
意味ありげに視線をこちらに向けたレーヴァンはそう言った。
「おいおい、何を物騒なことを言ってるんだ。そうか、分かった。貰ったものは元々食べたりしないから……大丈夫だ」
そうスペンサーが言うとレーヴァンは翼を広げて又飛んでいった。
疲れた顔で帰ってくると、又ルースは何処かに行っていた。こちらが持ってきた革袋の食料を幾つか食べては行ったようだ。
ああもう~
スペンサーは又ルースを探す羽目となった。
テイオーと一緒に泥遊びをしているところを捕まえられ、今度こそ城へ連れ帰された。だがその時ルースが暴れた所為で、スペンサーまでドロドロになった。そんな二人を見て呆れる家臣達を無視し、部屋へ戻ると、すぐに風呂にぶち込まれた。そうして女官達に洗われ、ようやく出てきたところで又、散々ぱらスペンサーに小言を言われた。
「そんなに怒らないでよ……楽しかったんだから……」
何時の間に風呂に入ったのか着替えたのか分からないが、既にスペンサーは何事もなかったかのような姿に戻り、真顔で言った。
「いい年をして、何が楽しかった……ですか。貴方は午前中の勉強も逃げ出す、捕まえたと思ったら今度は泥遊び……王子としての自覚は無いのですか?自覚は……」
「無い」
はっきりとルースはそう言った。だがスペンサーは驚きもせずに言った。
「無くても結構。だったらポーズでいいから取りなさい。それが大人です」
「やだよ……疲れるもん……」
シャツ一枚でベットに座り、むうっとした顔でスペンサーに言った。
「もんじゃありませんっ!」
「ねえ、僕の何処が王子に見える?これで父上の後を継げると本当に思う?僕無理だと思うんだけどなあ……みんなだってそう思ってるじゃないか……。良いよ僕は別に継がなくてもさ。あのおばさんの息子に継いで貰えば良いんだよ……。その方がまだましだと思うけど……」
足をぶらぶらさせながらそう言うと、スペンサーに膝をぴしりと叩かれた。
「痛い~」
「全く……人の話を聞くときはそう言う態度はいけないことも教えた筈なんですがね」
両手を組み、こちらを睨みながらスペンサーは言った。
そんな二人の間に女官が入ってきて、王妃様からの差し入れだと、菓子箱を置いていった。
「……僕いらないそれ……」
ルースはそう言って、菓子箱を開けることもしなかった。
「賢明ですよ……あとで処分しておきます……」
スペンサーはただそう言って、表情を和らげた。
「父上……どうして僕に継がせたいんだろう……」
もう嫌で仕方ないのだ。もちろん自分が賢いとは思ったことはない。だが周囲で立つ噂の意味くらい、幾らなんでも理解できる。
「貴方のお母様をそれだけ愛していらっしゃったのですよ……」
「うん……」
それは知っている。
「スペンサーは誰か好きな人居る?」
「私ですか?今のところいませんね……」
平然とスペンサーはそう言い、先程の菓子箱を火にくべた。
パチパチと一瞬燃え上がる火は、スペンサーの顔立ちをくっきりと浮かび上がらせる。
「ふーん……」
「ルース様……もしかしてどなたかお好きな方が出来たのですか?」
何故か嬉しそうにそう聞いてきた。
出来たというか……
ずっとというか……
「あ、うん……」
「さて、どちらの姫でしょう……。私で良ければ色々とお手伝いさせていただきますが……」
色々思い浮かべているのか、うーんと唸ってスペンサーの瞳は何処か遠くを眺めている。
「……姫……じゃない……」
下を向いてルースは言った。そんなルースの隣りにスペンサーは腰を下ろし、こちらを覗き込んでくる。
「では、どこの娘さんですか?もしかして最近よく抜け出すのはその娘さんに会いに行かれているのですか?」
私としたことがそんなことに気が付かなかったなんて~という表情をするので、ルースは益々言い出しにくくなった。
「違うよ……」
「この私に言えない方ですか?」
肩をつつかれて顔が赤くなってしまった。
「僕ね……あのっ……怒らないでくれる?」
顔色を窺うように下からスペンサーの顔を見てルースは言った。
「もちろん。ようやくお年らしい事で私は喜んで居るんですよ。怒りませんよ」
ニコニコ顔でスペンサーが言うので、ようやく勇気が出たルースは言った。
「僕っ!スペンサーが好きなんだっ!」
「は?」
顔が笑ったまま固まった。
「スペンサーが……好きなんだ……」
言ったっ!
言っちゃった!
ドキドキしていると、スペンサーが又言った。
「……私も……ルース様が可愛くて好きですよ……。ですが今は恋愛のお話ですよ」
違うっ!
何か誤解している。
「ち、違うよ。人として好きとか嫌いとかじゃなくて……恋してるっていう好きなんだ……」
「誰が?」
「僕が……」
「誰を……?」
「スペンサーをだよっ!もうっ!必死に告白したのに、どうしてそうなんだよっ!」
真っ赤になりながらルースはそう言った。
「告白?私に?ルース様が?……」
スペンサーの顔色は先程とは違い真っ青だった。
その表情は、思い切りの拒否だった。
分かってはいたが、とても辛かった。
違う、辛いなんてものじゃないのだ。
本当はここで今すぐ泣き出してしまいそうなほど悲しかった。
「……駄目だよね……僕……ごめん。忘れてよ……いいから……。言わなきゃ良かった……あ、もう僕寝るよ……出てってくれる?」
茫然としているスペンサーを引っ張って、部屋から追い出し、ルースは扉を閉めた。そこでようやく涙が落ちた。
言わなきゃ良かった……
想い続けてきた初めての恋は、いきなりの結末で閉じたのだ。
今……何があったのだ?
廊下をぼんやりと歩きながら立ち止まって振り返る。そうしてルースの部屋の扉をスペンサーは見つめた。
「モテモテねん」
いきなりそう言われて振り返ると、レーヴァンが窓枠に止まっていた。
「……お、驚かせないでくれ……びっくりした……」
心臓の辺りを抑えてスペンサーはそう言い、窓枠に手を置いた。
「はは、スペンサーが驚くなんて滅多にないぞ。それにさ、おいら久しぶりに面白いもの見せて貰ったよ~」
ケケッと低く笑い、レーヴァンは周囲の闇と同じ色の体躯を振るわせた。
「……こういう場合は……どうする?」
もうこちらはまだパニックが続いたまま、物事をきちんと考えられないのだ。
「告白されちゃったんだもんね~男に……」
カカカカッケケケッと五月蠅いほどレーヴァンは笑う。
「いや……だからな。笑い事じゃないんだ……」
頬杖付いたスペンサーは、はーーーっと長い息を吐いた。
「これでスペンサーが振ったらあの馬鹿王子、城から飛び降りてしんじまうんじゃないのか?ほら、初恋って思い入れも深いだろうしさあ~おいらそうなったら知らないよ~」
「お前が助けてくれたら良い」
ムッとした顔でスペンサーは言った。
「冗談は置いて置いてと、どうするんだ?」
「私が聞いて居るんだっ!」
「鳥のおいらに聞くのか?」
「元人間だろう……」
「……うーん。おいらは別に男でも女でも何でも来いだったからな……あ、人間だった頃だぞ」
「お前はそんなふざけた人生を歩んでいたのか……」
呆れた風にスペンサーは言った。
「説教するなよ~鳥に~」
ケケケッと笑ってレーヴァンは言った。
「元人間だった頃のお前に言ってるんだ」
ああ、違う~
こういう話はどうでもいいんだ……
と、スペンサーが思っているとレーヴァンの方から話を戻してきた。
「おいらの説教はいいとして、あの馬鹿王子どうするんだ?」
長い首を傾げてレーヴァンは言った。
「馬鹿馬鹿言うな。馬鹿だが、言ったら本当に馬鹿になる」
「おい……」
「お前が言ったのだろうが……。確かになルース様は賢くない。勉強はしない、お稽古事も駄目、その上、性格も優しいだけで闘争心が無い。統率力も欠ける。何より指導者に必要な決断力もカリスマ性もこれっぽっちもない……だがな……」
「おいおいおい、後ろって」
レーヴァンが羽を広げバタバタさせながらそう言うので、振り返るとルースが立っていた。
「……ルース様……」
まさか聞いていた?
「……僕のことそんな風に思ってる人に……好きだなんて告白したんだ……。やっぱり僕は馬鹿だよ……」
涙がポロポロと落ちて頬を伝う。そんなルースに先程とは違う胸の痛みをスペンサーは感じた。
「あ、今のはっ……」
「……いいよ。僕はスペンサーがずっと側にいてくれたから、スペンサーだけは味方だって思ってきたけど……違ったんだ……。死んだ母上との約束だって言ってたけど……本当にそれだけだったんだね。だったらもう……いいよ。もう何処へ行っても構わない。僕は……一人で大丈夫だ……」
淡々とそう言い、それが終わるとルースはきびすを返し、自分の部屋へと戻っていった。去っていくルースに言葉も掛けられず、暫く微動だに出来なかったスペンサーであったが、ルースが部屋へと入る扉の音で、我に返った。
「あーーーっ……ど、ど、どうするんだっ!き、き、聞かれたぞ……」
レーヴァンの方を振り返ってスペンサーはそう言った。
「おいらはちゃんと注意したぞ……」
首を竦めてレーヴァンは言った。
「……ああ……どう説明するんだ……」
頭を抱えてスペンサーは言った。
「説明じゃなくて言い訳だろ……」
「五月蠅い……」
「そんな、めんどくさいことは止めて、ちょいちょいっと記憶を消しちゃえば良いだろ。スペンサーにはそれが出来るんだから……」
そうあっけらかんに言うレーヴァンをジロリと睨んで言った。
「……駄目だよ……それは……」
手首を握りながらスペンサーは言った。
「別にさあ……いいじゃないそのくらい……」
「良いことはない。ここでは使わないと決めたんだからな……私は今はただの人間だ」
きっぱりとそう言ってスペンサーは又頬杖を付いた。
「俺をこんな姿にしたくせに……」
「善行を積めば人間に戻してやると言っただろう。お前はまだまだふざけている」
じーっとレーヴァンを見つめると、羽で目を隠した。
「そんなことよりだ……どうするかな……」
「馬鹿王子だから、一晩寝たら忘れるんじゃないの?おいらはそのタイプだったし……」
「……」
そうだろうか?
いや、そんな単純なタイプでは無いはずだ。
王子は小さな事で結構悩む部分があるのだ。
それはずっと一緒に居たから分かるものではあったが……。
とりあえず……
一晩待ってみるか……
眠って忘れてくれることを、少々期待したスペンサーではあったが、そのあては、翌日見事に外れた。
とにかく普通に接するのだ。
何時も通りに……だ。
何事も無かったように……
そうするしかない。
スペンサーはそう思いながら、ルースを起こしに部屋へと向かった。その扉の前で昨日のルースを又思い出して、苦い気持ちになったのだが、そんなことで躊躇しては居られないのだ。
「ルース様……起きておられますか?」
数回そう言ったが、返事が無かったため、仕方無しに部屋へと入った。
ルースは天蓋付きのベットに身体を起こしてはいたが、こちらを見なかった。その視線は虚ろだった。
こんなルース様を……見たことがある……
何時だったか……
スペンサーは思い出せず、とにかく何時も通りに振る舞うことを心がけた。
「朝食はどうなさいますか?」
そう言うと、ルースはただ首を振った。
「……朝はきちんと取らないと身体がもたないですよ。特に王子はそれほど身体が丈夫な方では無いのですから……」
「スペンサー……僕は言ったよね……何処かに行ってって……。僕はね、もうスペンサーの顔を見たくないんだ……。何年も想っていた相手に速攻振られて、その上、どう僕を見ていたかも知らされて……。それでどうして何時も通りに振る舞えるの?理解できないのは僕が馬鹿だからか?」
やはりこちらを見ずにルースは言った。
「……王子……」
「ほんとに……もう……いいから……王子として命令出来るのなら、命令としてそう言うよ。二度と僕の面倒は見なくて良い。解雇する」
その言葉は真っ直ぐスペンサーに向けて発せられた。こちらを見つめる緑の瞳も揺るがなかった。