「恋する王子様」 第4章
「冗談は止せ……」
首に廻された腕を振り払いスペンサーは言った。
「冗談じゃない」
フェンリルはきっぱりとそう言った。
「嫌がらせをするな……」
「嫌がらせじゃないさ。まあ……多少そう言うところもあるかもしれないが……」
ふむと頷きながらフェンリルは言った。それでも表情が余り変わらない。
「ほらみろ」
スペンサーは眉間に皺を寄せてそう言った。
「お前がここ数年、ずっとガキに振りまわされいるからだ」
そう言ったフェンリルは多分不服そうなのだが、とにかくこの男、何を言っても表情にあまり変化がないのだ。その為、今ひとつ感情が掴めなかった。
これも不気味だな……
「ガキじゃない。ルース様だ。それで、キーワードは何だ……さっさと言え。王はかなり立腹されている。この事でお前が市中引き回しにされないことだけでもありがたく思うんだな」
「私が?どうしてそんな目にあわされなくてはならないんだ。よしてくれ」
フェンリルは自分が何をしでかしたのか、とんと頭に入っていない。
「ルース様は死に瀕しておられるんだ。お前のかけた呪いの所為でな。それが充分理由になると思うんだが?」
「私は嫉妬してるんだ……スペンサー……」
そう言ってフェンリルはガバッとのし掛かってきた。
「いい加減にしろっ!」
グイグイとフェンリルを押しやっていると、視界に、ファルコがこちらを向いているのが入った。そのファルコは口を開き、食べていたであろう草を落として、目を驚ろかせていた。
「誤解されるようなことをするなっ!」
馬に誤解されるのもなんだが……
「いいじゃないか……そろそろ私の気持ちを受け入れてくれても……。もうずっと恋焦がれているんだ……お前もそれは知っているはずだ……」
なあんて表情無しに囁かれても気持ち悪いだけであった。
そうではなくて……
時間がないのだルース様には……
スペンサーが使った術は呪いを少しだけ先延ばしに出来る応急処置のようなものだったのだ。そうであるから、時間はそれほど残されていない。
「私を怒らせるな……」
とスペンサーが言うと、両側にそそり立つ崖の一部分が剥がれ落ち、フェンリルの身体を掠め、いくつも大地に突き刺さった。同時に土煙が舞う。
「……恐い恐い……」
言いながらフェンリルはようやく身体を起こした。
恐いのはお前だろう……
その表情の無い顔は何とかならないのか……
と、思いながらスペンサーは溜息をついた。
「……い・い・か・ら、さっさと吐け。ここで血を見たくないのならくだらないことを言わずにさっさと言うんだ」
身体を起こしてスペンサーはそう言った。
「誰が言うものか……」
フェンリルは筋金入りのひねくれ者だった。
「……お前って奴は……」
深いため息を付いてスペンサーは言った。
「スペンサー……私に聞かなくてもあの印を何とかできる事をお前は知っているだろう。なのにどうして私の元へと来たんだ。こっちは分かっていて選択肢を与えたんだぞ。それで真っ先に私の方に先に来てくれたお前を見て私は期待した。何が間違っているんだ?この私の可愛い恋心を、お前はどうして分からないんだろうな……」
だから淡々とそう言うことを言うな。
「……大事にはしたくなかったんだよ」
ルースにかけられた呪いはキーワードを依頼者が提示するタイプのものだ。依頼者が途中で呪いをかけた相手を許した場合、術者がいなくても依頼者がその言葉を使ってすぐに解くことが出来るのだ。
すぐに解けるといっても、そこは呪い。相手が苦しみ悶え、最後には死ぬのはかわならい。ほとんどの場合、呪った相手はあまりにも酷い呪いを目の当たりにするため、酷くならないうちに呪いを解くものだが、あの王妃にそれは期待できないだろう。
スペンサーは王妃が企んだと知っていながら、このことを大事にはしたくなかったのだ。気位の高い大国の姫は、こそこそと悪巧みを企んではいる。レンドルもそれを知っている。が、だからといって一国の王妃に、お前がやったのだろうと問いつめ、人前で恥をかかせることはまず出来ない。
だから仕方無しにフェンリルに聞く方を選んだのだ。
「スペンサー……譲歩してやる」
フェンリルは訳の分からないことを言い出した。
「何だ……?教えてくれる気になったのか?」
「一晩じゃなくても良い」
どうしてもそれに、フェンリルはこだわりたいようであった。
「……もう何も言うな……情けなくなって来た……」
同じ師に学び、術者としてこちらとほとんど同じ技量を持つフェンリルなのだが、この色ボケは昔からスペンサーに対し、この調子なのだ。いい加減飽きやしないかと思うのだが、この嫌がらせは定期的にやってくる。
渡り鳥か……お前は……
人からの依頼など滅多に受けないフェンリルだ。金を幾ら積まれても動くこともしない。何処かの国に召し抱えられる気もない。興味がない為、悪巧みに荷担することもない。
それは褒めてやる。だが、今回はスペンサーがらみ、たったそれだけで、ほいほいと引き受けたのだこの色ボケは。
聞かなくても充分スペンサーはそれを分かっていた。
新しい嫌がらせの方法を開拓したな……
何度目か分からない溜息をつき、スペンサーはファルコを呼んだ。そうしてファルコの背にまたがろうとすると、フェンリルが耳元で囁いた。
「先っぽだけで許してやるが……どうだ?お得だろう……」
「意味不明の事を言うな」
ジロリとフェンリルを睨み付け、スペンサーはファルコにまたがった。
「分かってるくせに……」
「もういい。もう一人に聞く」
「……つれないな……スペンサー……」
口調だけは寂しげだ。
「もう関わってくるな……分かったな」
ファルコを走らせようとすると又フェンリルは言った。
「あ、私はどっちでも良いからな……いつでもオッケーだ」
どっちでも……いつでも……
色ボケは死ぬまで色ボケなのだろう。
それと同じく、この嫌がらせを止めるつもりはないようだ。
スペンサーはもう何も返事をせずに、ファルコの脚をまた空へと向けた。
目が自然に開くと、レンドルが喜んだ顔を向けているのが見えた。
「……あ、とうさま……」
今も苦しいのだが、身体中からミシミシと訴えていた痛みが引き、今は随分楽になっていた。頭の芯はまだ疼いているのだが、声も出せる。
「スペンサーが来てくれたからな……もう大丈夫だ。直ぐに元気になれるぞ……もう安心していいんだ……」
ルースの汗を拭いながらレンドルは言う。
「え……スペンサーが……?」
じゃあ……夢じゃなかったのかな……?
夢の中でスペンサーの声を聞いたのだ。
そして、いたわるようなキスをされた感触だけをルースは覚えていた。
あれも……
本当のこと?
心臓の鼓動が呪いとは別の理由で早まった。
震える手でそっと自分の唇を撫で、ルースはその時のことを思い出そうとするのだが、ユラユラとした記憶しか見つからなかった。
スペンサーの唇が触れた瞬間、甘い味覚が口に広がったような記憶もある。
キスって本当に甘いんだ……
もう、自分がどういう状況かも忘れたルースは、スペンサーとキスをしたことを思い出した事で頭が一杯になり、顔を赤く染めた。
「ルース……苦しいのか?」
ルースの急に赤く染まった顔色に、レンドルは心配になったのか、そう言って頬を撫でた。
「ううん……違うよ……今はすごく楽だよ……。スペンサーは?」
赤々とした顔を隠すように、枕に顔を埋めるとルースはそう言った。
「お前にかけられた、なにやら怪しげな術を、スペンサーは解くために暫く出かけているが、直ぐに戻ってきてくれるだろう。だからもう暫く頑張るんだ……いいなルース……こんな事に負けたら男じゃないぞ」
そうレンドルが言い、愛情深く微笑んだ。
「……うん……僕頑張る……だってスペンサーが付いてくれてるもん……」
死んでもいいや等と考えていたのだが、今はもうスペンサーにキスをされたことで、そんな気持ちがすっかり掻き消えていた。
僕のこと……
スペンサーも好きなのかな……
本当は好きだって事なのかな……
だってキスは好きな人としかしちゃ駄目だってかあさまは言ってたもん。
みんなそうなのよって教えてくれたもん。
じゃあスペンサーが僕にキスしてくれたのは、僕が好きだから?
好きだから、キスしてくれたんだよね……
どうしよう……
僕……
すごく嬉しい……
あ、でも……
スペンサー直ぐに戻ってくるって言ってるけど……
どんな顔して会えば良いのかな?
僕……
分からないよ……
どうしよう……
心臓が破裂しそうなほどバクバクと音を立てているのがルースには分かった。
僕あんなに酷いこと言ったのに……
スペンサーは帰ってきてくれたんだ……
そっか……
本当は僕のこと好きでいてくれたんだよね
だから帰ってきてくれた……
キスだって……
キスだってしてくれたんだ……
もう自分の身体の状態など全く忘れたルースはその事だけで頭が一杯だ。
「レンドル様……大事なお客様が……」
大臣はそういって、部屋の扉の前でこちらを見ていた。
「今は駄目だ……」
扉の方をチラとも見ずにレンドルは言った。
「ですが……クシュカ王が来られています……」
クシュカは隣国の王で、機嫌を損ねると何時までも覚えているタイプなので扱いが大変なのだ。ルースも一度見たことがあるが、背が高く痩せたタイプで、性格も含めて、父親のレンドルと全く正反対の男だ。
「とうさま……いいよ。僕ほら……随分楽だし……」
ニコリと笑ってルースはレンドルに言った。するとレンドルは仕方ないと言う顔をして、ダンケンに言った。
「ああ……仕方ないな……ダンケン、息子の事を暫く頼む」
部屋を出ていくレンドルを見おくり、ルースは楽になっている身体を伸ばした。
楽になったのはスペンサーのお陰だ。それがとてもルースには嬉しい。
「ルース様……何かお飲みになった方が宜しいですよ……」
ダンケンはそう言って、水差しを持ってきた。
「……うん……ちょっとのどか乾いたみたい……」
少し身体をずらし、枕にもたれながらルースはその水差しを受け取った。そうして水分をようやく一口分、口に含んで、何とか飲み込んだ。
「……はあ……」
楽なのだが、身体はまだ重怠い。なんだか嵐の前の静けさのような気もする。
フッとルースはそんなことを考えて首を振った。
スペンサーが来てくれたのだ。もう安心しても良いはずだ。
早く帰ってこないかな……
顔を見たいよ……
顔を上げ、窓の外を見ると、太陽は既に山にかかり、真っ赤な色になっていた。窓から入った夕日は部屋に長い陰を落とす。
今日は晴れたんだ……
ぼんやりしながらルースはそう思った。
「ルース様……窓をお閉め致しましょうか?」
「ううん……まだ良いよ……夕日奇麗だから……」
小さな声でルースはそう言い、又少しクラクラとしてきた頭をはっきりさせようと左右に振った。
スペンサー……
夜には帰ってくるのかな……
「今のうちにお召し替えしましょうか……汗も随分出たようですし……着替えを用意させますので、お待ちいただけますか?ああ、部屋にもそろそろ明かりが必要ですね……。そうそう何か食べる物も用意した方が」
矢継ぎ早にダンケンがそう言うので、ルースはとりあえず頷いた。するとダンケンはイソイソと部屋から出ていった。
独りぼっちになった部屋で、ルースはもう一度身体を伸ばし、指が無意識のうちに甘い味覚を感じた所に触れていた。それに気が付いたルースは又顔が赤くなった。
「……あ……」
僕って……
なんか……恥ずかしいかも……
こんなお子さまって駄目かな……
キス一つでおろおろしてる……
スペンサーは大人だし……
キスくらい何でもないことかもしれないよね……
あ、又どんな顔して良いかわからなくなっちゃった……
なあんて、考えていると誰かが入ってくるのが分かった。フッと視線を向けると見たことがない女官だった。タオルを手に持っているところを見ると、ダンケンに聞いて持ってきたのだろうとルースは思った。
それにしても見たこと無いけど……
新しい人かな……
女官はこちらに近づくと、手に持っていたタオルをいきなり口元に被せてきた。
「……うーーっ……う?」
弱々しく手を振り上げたが所詮抵抗するほどの力はなく、ルースはそのまま気を失った。
レーヴァンは馬番のアンクに汚れた身体を拭いて貰い、軽く手当てして貰って干し草の上でトロトロと微睡んでいた。
折れた翼はルースのことが済めば、簡単にスペンサーに治して貰えるはずだ。
おいらはとっても良いことをしたんだ……
満足な気持ち一杯で、寝返りを打つ。その頭上ではルースの愛馬のテイオーが夕食の飼い葉を食べていた。
温かい干し草は疲れた身体にとても優しく、夢心地で居たのだが、テイオーがふと呟いた。
「あれ……ル~ス様じゃあ無いのかなあ……」
まさか~と思いながらレーヴァンは長い首を持ち上げた。すると、馬房のすぐ後ろの窓から、毛布で来るんだ細長いものを持っている男達が慌てて馬に乗るのが見えた。
その毛布からちらりと金髪の髪がこぼれ落ちる。
「……う、うそお……まさかっ!」
こんな時に誘拐!?
「ルース様の匂いが、ぼ~くにはするよ」
鼻をふるふると震わせながらテイオーは言った。
「スペンサーは何やってるんだよっ!テイオー追いかけないとっ!王子様が誘拐されるっ!王子様今病気なんだっ!こんな時にどこかへ連れて行かれたら、死んでしまうっ!」
動かせる方の羽をバタバタとさせながらレーヴァンは言った。
「そうなったら、ぼ~くはどうなるの?」
間延びしたテイオーの話し方にぶちぎれたレーヴァンは怒鳴った。
「テイオー!王子様が死んだら役立たずのお前は肉だっ!馬肉だっ!分かったらさっさとおいらを乗せて、あいつらをおっかけるんだよっ!」
「馬肉っ!」
と、叫んだテイオーは、いきなりレーヴァンの身体を自分の背に乗せ、柵を飛び越えた。
奥で飼い葉を運んでいたアンクがそれに気が付いて叫んでいたが、一頭と一匹は、ルースを連れ去った男達を追った。
時間を食っただけで何の収穫も無かった……
くそ……
仕方ない。
王妃に問いつめるしかないな……
そんな事を思いながらスペンサーは星の散らばる空から城へ駆け下りようとしたのだが、下には沢山の松明の火が照らされ、衛兵達がぞろぞろと城から出ていく。
「なんだ……何があったんだ……」
既に上空に居る頃から、こちらに気が付いた数人の衛兵が何か叫んでいた。
すぐさま駆け下りると、レンドルが真っ青な顔をして走ってきた。
「スペンサーっ!ルースが……ッ!ルースが部屋から消えたんだっ!探してくれっ!あの子はっまだっ……」
そこまで一気に言って、膝を地面に落とした。
「部屋から……どういうことです……まだ動けないはずですが……」
ファルコから降りずにスペンサーは聞いた。
「主治医のダンケンがちょっと目を離した隙に部屋から居なくなったんです」
レンドルに付き添うように付いてきた大臣が、呆然として声のでないレンドルに代わって言った。
そこへ馬番のアンクが走ってきた。
「スペンサー様っ!あなた様の大きな鳥が、ルース様のテイオーと一緒に突然飛びだして行ったんですが……何か、関わりがあるでしょうか……」
「レーヴァンとテイオーが……」
眉間にしわを寄せ、滅多に直さない眼鏡を人差し指で鼻の上に押し上げると、スペンサーは続けていった。
「もう我慢の限界だ……。少しは反省して貰いませんと、こちらの気が済まない」
意味ありげにそう言ったスペンサーの瞳は薄いグレーから透明の色合いを帯び、ファルコが嘶いた。
森を走るテイオーは、蹄をカチカチとならしながら、今までにないスピードを出して走っていた。そのたてがみにくちばしを使って必死にしがみついているレーヴァンは声を上げることも出来ず、テイオーに身を任せていた。
そのテイオーがいきなり止まったものだから、反動で前へと飛ばされ木の幹に叩きつけられて下へとずり落ちた。
「はがっ……お、おいらを殺す気か……」
げへげへと咳き込みながら、立ち上がるとテイオーが言った。
「あんの~小屋に居るみたいだぞぉ……」
その鼻面の向く方向を見ると、確かに小さな小屋があった。先程追いかけていた男達の馬も二頭小屋の表に繋いであった。
さて、鳥と馬で何が出来るんだろうと思案していると、小屋から悲鳴が聞こえた。違う絶叫に近い声であった。
一匹と一頭は顔を見合わせ、テイオーが何も言わずにレーヴァンを又その背に乗せると、小屋の扉めがけてつっこんだ。
すると、バキッと言う音と共に小屋の中へと転がり込んだ。
「王子様っ!」
中の様子を確認するように同時に首を曲げると、ルースは真っ青な顔色で暴れていた。だがその衣服は血に染まっていた。
「お、お前らっ……なっなんて事をっ!」
レーヴァンは小さな頭に血を昇らせ、通じることのない声を上げた。だが二人居る男達はいきなりの闖入者に驚くよりも、ルースの方に驚いて声を上げていた。
「こ、こいつは呪いだっ!近づいた伝染するかもしれないっ!」
と、言いながら、こちらの壊した扉に向かって一人が走り出すのをテイオーが大きな蹄で蹴り飛ばした。
もう一人は怯えるように小屋の隅に居るのでそれを無視し、レーヴァンは片翼を引きずりながらルースに近寄った。
血はルースの口元から吐き出されていたものだったのだ。
「あ……ああ……」
暴れることを止めたルースは、涙を落としながら丸くなり、今度はうめき声を上げている。
「お、王子様……おいらだよ……す、すぐ城に連れて帰ってあげるから……」
小刻みに震える王子の小さな身体に翼をかけてレーヴァンは言った。だが、息は上がり、ヒューヒューという音しか口から発せられないルースを確認し、レーヴァンは真っ青になった。
呪いが……
成就される……
「スペンサーっ!あんた何やってるんだよッ!役立たずっ!馬鹿野郎っ!」
ルースの身体を守るようにレーヴァンは翼を広げその下に包み込んだ。
その時、周囲の音が全て静寂に包まれた。
「スペンサー……あんた……」
言いながらレーヴァンの口元には笑みが浮かんだ。
谷間にある小さな洞窟の前でフェンリルは夜空の元、スペンサーが向かった方向を眺めていた。
「珍しい……大業を使ったか……」
ふとそう呟き、何となく野次馬根性の出たフェンリルは、その姿を大きなオオカミに変えると、川を疾風のごとく下り始めた。
騒然としていた筈の城内が、今ではあらゆる音が止まっていた。その中をスペンサーは歩き、目的の部屋へと入った。
王妃のジェニファーは女官達に身繕いを手伝って貰っていたのだろう。重厚な椅子に腰掛け、ある女官達には髪を結い上げてもらい、ある女官達には爪の手入れをさせていた。
だがその女達やジェニファーはぴくりとも動かず、その光景はまるで蝋人形が飾られているようであった。
その動かないジェニファーの前に来ると、人差し指でジェニファーの額に触れると、いきなり話し出した。
「このドレスは気に入らないわ……やはりあの……なっ!」
自分の前に立つスペンサーに気が付いたジェニファーは声を上げた。
「今晩は王妃様……」
笑いもせずにスペンサーは冷えた目をジェニファーに向けた。そのジェニファーは周囲を見渡し、自分とスペンサー以外はすべて動かないことに気が付いた。
「な、何用ですか。このようなところにお前ごときが勝手に……」
と、言ったところをスペンサーは平手打ちを食らわせた。その反動でジェニファーは床に倒れた。
「私が居ない間に小細工をされましたね。説明等必要は無いはずです。さあ、ルース様にかけた呪いのキーワードはなんです?」
そう言い放ったスペンサーの瞳は無色透明になっていた。
「な、何の事かしら……」
身体を起こしたジェニファーはまだとぼけていた。そんなジェニファーにスペンサーは音もなく近寄ると、馬鹿げたオモチャを沢山付けたような、アクセサリーのぶら下がる手首を掴んだ。
「私は……過去を操ることも、未来を垣間見ることも出来ませんが、今という時間を操ることは出来ます。分かりますか?そうやって自分の時も止めることも出来ます。それは沢山の事を学ぶためです。そんな使い方しか今はしておりませんが……」
と言い、ギリッと掴む手に力を入れた。
「誰かさんの時間を早めることも出来るんですよ王妃様……。早々に老いさばらえた姿にして、後の残りの人生を歩ませることだって出来るんです。楽しいでしょうねえ……身体は老いさばらえたまま、残りの人生を過ごすことは……。貴方がもっとも恐れている老いを、誰よりも早く体験できるなんてね。後何十年命の灯があるかどうか知りませんが、そんな姿で最後まで生きるなんて……最高のショーだと思いませんか?」
クスリと笑いスペンサーは言った。だがその表情は酷く冷たい。
「そんな事をしてみなさい……わ、私の父に……」
声を震わせジェニファーはそう言った。
「ああ、貴方のお父上の弱みを私が持っていないとでも思っているのですか?誰も私に関わろうとしないのは、あらゆる王の弱みを私が握ってるからだと何故分からないんです?馬鹿な女だ。貴様のような女は家畜にでもして一生泥の中で働かせてやりたいね」
最後の言葉は吐き捨てるようにスペンサーは言った。
「…………」
血色を無くしたジェニファーは身体を震わせた。
「さあ、お言いなさい。キーワードは何です?」
王妃の瞳は屈辱に燃えていた。