Angel Sugar

「恋する王子様」 第2章

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「分かりました……ご命令なら仕方ありませんね……」
 そうスペンサーが言うと、ルースの口がもの言いたげに薄く開いたが何も言わなかった。
「では、王にご挨拶をしてから、私はこの城を出ます。……その時にもう一度ルース様にもご挨拶に参ります」
 ルースはその言葉に首を横に振った。もう来なくて良いと言うことだろう。こうなるともう苦笑するしかない。
「はあ……そうですか……それも嫌ですか……。ではここでお別れをさせていただきます。貴方様は確かにお馬鹿さんな所がありますが、誰よりもお優しい心をもっておられます。それはとても大切なことですよ。これからもその心を曇らせずに大事にして下さいね……」
 スペンサーがそう言うと、ルースは布団に潜り込んでしまった。
 随分嫌われてしまった。 
 仕方ないのだが……。
「ではお元気で……」
 軽くお辞儀をして、スペンサーはルースの部屋を後にした。
 
「朝っぱらからどう言うことだ?」
 ルースの父親であり、一国の王であるレンドルを、会議の間に行く途中で捕まえたスペンサーは事の次第を話した。そのレンドルは本当に驚いた顔でスペンサーを凝視した。
「……はあ、何と言いましょうか……随分嫌われてしまって……」
 告白されたのをはぐらかしてしまったことから始まったのだが……
「あれがなついておるのはお前くらいしかおらんだろう……ああ、先に行け。すぐに行く」
 言って、会議の間にレンドルは大臣達を先に行かせた。大臣達からすると、スペンサーのような若造が、王と同じ位置に立っているのが気に入らないらしく、こちらをジロリと一瞥したが、レンドルに言われた通りに去っていった。
 だがこちらは、レンドルですら小さい頃から知っているのだ。とはいえ、この城に出入りするようになったのはルースが生まれた頃からだ。
 何よりスペンサーの本当のことを知る人間は少ない。
「……お前に去られると困る」
 レンドルは、はっきりとそう言った。
「……と言いましても……ルース様は私の顔を二度と見たくないご様子でして……」
「ルースのことが無ければ、ここには居着いてくれんのだろう?」
 意味ありげにレンドルはそう言ってスペンサーを見た。
「ええ。そうですね……」
 そう言ってスペンサーはうっすらと笑った。
「……お前がここに腰を落ち着けているだけで、近隣諸国とのパワーバランスが取れる。どうだ、いっそ、うちの抱えの術者になる気は無いのか?」
「とんでもない……買いかぶりですよ。それに私は何処に属する気もありません」
 スペンサーは慌ててそう言った。
「ルースが王になったらさぞかしこの国が荒れるだろうな……」
 レンドルは、芝居がかったような溜息をついて悲しげにそう言った。
 この男は、ルースを跡継ぎにすれば、一緒にくっついてくるであろう男にも期待しているのだ。だから全く王に向かないルースを跡継ぎにと頑張っている。
 そんなことは最初から分かってはいたが、それこそ、副産物として見ているだけで、本当にレンドルは息子のルースを可愛がっている。
 逆に、心配だが、スペンサーがいるから大丈夫だろうと高をくくっていた節があった。
「……まあ……暫く様子を見て帰ってくるつもりですがね……」
 仕方無しにスペンサーは本心を漏らした。
 要するに、ルースを独りぼっちには出来ないのだ。ちょっと目を離しているだけでも気になって仕方ないのがルースという王子なのだ。
「なんだ。それなら別にわしに断る必要など無いではないか……。そうか。たまにはいいだろう。ルースもお前がどれだけ自分に必要なのか身に染みるはずだ。そうなると、少しは自分から頑張ってみようと本気で思うかもしれんしな……」
 ルースは何時も本気で頑張っているのだ。ただ身に付いてくれないだけなのだ。その為やる気が長続きしない。
 周囲はそんなルースを見て、飽き性だの馬鹿王子などと言うのだ。
 血の繋がっている父親ですらこうなのだからルースも可哀相と言えば可哀相だ。だが幾ら説明しても、レンドルは「それはルースがたるんでいるだけだ」だの、病気にでもなれば「精神力がたらん」と手厳しい。
「はあ……そうですかね……。では私は暫く留守をさせていただきますが、くれぐれも王子様のことをお願いします……」
 もうこっちが父親のような気分になっている。本当の父親と言えば、こちらと違い、のほほんとしているのだ。
 ここまであてにされると困るのだが……
 いつか立派な大人になり……
 と、何時だって気が付くと同じ事を考えているスペンサーは、今思ったことを振り払い、溜息と共に城を後にした。
  
「……ほんとに行っちゃった……」
 部屋の窓から、真っ黒な馬に乗ったスペンサーをルースは眺めて涙が出そうになった。
 だが自分が追い出したのだ。
 スペンサー……ごめんね……
 僕のこと好きじゃなくても良いから、ほんとはずっと側にいて欲しかった……
 だけど、無理矢理側にいてもらうなんて……そんなの出来ないよ……
 スペンサーだってしたいことあるもん……
 女の人と恋愛だってしたいよね。
 友達と遊びに行ったりもしたいよね。
 それを僕がずっと邪魔してきたんだ……。
 覚えている限り、スペンサーは何時だってルースの側にいたのだ。父王から一度も暇を貰ったことなどない。
「……」
 窓に背を向けて、ルースは床を見つめた。
 女の子だったら良かったな……
 ほんとにほんとにそう思うよ……
 だったらスペンサーも少しは僕の気持ち分かってくれたかもしれない……。
 ルースは又ベットに倒れ込み布団に潜った。何をする気にもなれないのだ。
 元々ルースは勉強が嫌いだ。絵を描くのも下手だ。楽器など幾ら練習をしても雑音しか出てくれない。
 悲しいほど何の才能もないのだ。
 それが分かったときにはショックだったが、だからといって必死に頑張ってもどうにもならないのだから仕方ない。努力すれば何とかなるという言葉で、今までどれだけ傷ついたか分からないほどだ。
 何とかなっているのなら、馬鹿王子などと陰で噂されはしないだろう。その声を聞きたくないから、すぐに城を抜け出してしまうのだ。
「……仕方ないじゃないか……僕だって……何とかしたいけど駄目なんだから……」
 それに、こうやって部屋に閉じこもると誰も声など掛けてくれない。機械的に女官達が食事の時間になるとやってくるだけだった。
 それを気付かせなかったのはスペンサーがいてくれたからだ。回りが何事も諦める中、スペンサーだけは、ルースのために必死になってくれていた。
 だがそれも母親との約束があったからだったのだ。
 それは知っていた。だが何時も側にいてくれていた為、それ以外の何かもあるのかもしれないと、ルースが勘違いしていただけだった。
 父王はとてもルースを可愛がってくれる。それは分かる。愛されているのも分かる。だが、毎日忙しく、話す機会も無い。
「僕……どうして生まれてきたんだろう……」
 ギュッとシーツを握りしめてルースは呟くようにそう言った。
 誰かに必要とされたい。
 それはスペンサーに求めていた事だった。
 だけど、それは儚くも消えてしまった。
 誰にも必要とされなくなった人間はどうしたらいいんだろう……
 ルースの目から又涙がぽろりと落ちた。



 一週間は帰らないつもりであったのだが、二日目にして既に心配は限界になっていた。仕方無しにスペンサーはレーヴァンを呼びつけた。
「ケケッ、あんたが見に行けば良いんじゃないのか?」
 丸太の上に座ったレーヴァンはこちらが頼む前に、既に分かった口調でそう言った。
「そういうな……さっさと様子を見てきてくれ……」
 箒にもたれたままスペンサーは言った。
 とにかく、久しぶりに帰った家は酷い荒れようであったのだ。まあ何年もほったらかしていた為、ある程度予想はしていたのだが、もう少しで屋根が落ちそうなほど、腐っている部分もあったのだ。
 もちろん、内部は埃の層があちこちに出来上がっていた。地下に作った、薬剤の倉庫は余り変わらなかったが、住処にはほど遠い有様だった。
 と言うわけで戻ってきてから掃除や補強に走り回り、城にいたときよりも疲れてしまっていた。
「え~めんどくさいよおいら……」
 お尻を丸太に乗せて両足を放り投げ、羽で身体を支えるように座るレーヴァンは、もう本人、今自分が鳥だということを忘れていた。
「善行を詰めと言っただろう……」
 ジロリと睨み付けると、ようやくレーヴァンは身体を起こした。
「うー二言目にはすぐそれだ。仕方ないなあ……馬鹿王子の様子を見に行ってやるよ~」
 言いながら羽をバタバタとさせて、ウオーミングアップをした。ここ暫くは飛ばずに、人間のようにペタペタと脚で歩いて移動していたからだろう。
「何も無いと思うが……何かあったらすぐに知らせてくれ……」
 スペンサーがそう言うと、レーヴァンは大きな翼を広げて、一気に空高く飛んだ。そうして上空を二回旋回すると、城の方へ向かって飛んでいった。
「……頼むぞ~」
 弱々しくそう言って、先程レーヴァンが座っていた丸太にスペンサーは座った。すると、鞍と、とうらくを外したファルコが「ブルブル」と言って顔を近づけてきた。
「ああ、ファルコ……済まないな……今は遊んでる場合じゃないんだよ……え、違う?何だ?」
 スペンサーがそう言うと、ファルコはとうらくを銜えて戻ってきた。
「え、城に帰りたいって?どうして……?」
 言うと今度は「プルルル」と嘶いた。
「……つき合ってる馬がいるだって?お前が?」
 呆れた風に言うと、上着の裾を引っ張られた。
「……いたら悪いかって?いや……悪いわけでは無いよ……無いんだがね……は?人の恋路を邪魔するなだって?」
 言うとファルコは何度も頭を上下に振った。
 馬の分際で……全く……
 ジロッと睨むと逆に睨み返してきた。
 長期間人間の世界に連れて行くと、こんな風に世俗にまみれてしまって扱いにくくなる。
「後一週間ほどで戻るつもりだから、それまで我慢しろ」
 スペンサーがそう言うとようやくファルコの目が嬉しさを現すように細くなり、歯茎を見せて口を歪めた。
 あれで笑っているつもりなのだ。
 不気味だ……
 これも人間の世界で生活をさせたからに他ならない。最初に心配していたが、やはりこんな結果になってしまった。
 これで二度と帰らないと言えば、ファルコはストライキを起こすに違いない。それではスペンサーが困るのだ。
 ファルコは精霊達に祝福された馬なのだ。だから風のように駆け、人前では見せたことはないが、空だって走ることが出来る。もちろん水の中も空気の中にいるように走ることができる特別な馬なのだ。
 その自覚が無いのが困るとスペンサーは思った。
「ぶるるるる……」
「え、恋したことがないのかって?余計なお世話だ……」
 箒でグリグリと首元を押しやりスペンサーは言った。
 恋ね……
 フッとルースのことを思い出して、スペンサーは溜息をついた。
 何をどう間違ったら私に告白できるのだ……
 好きと恋愛を間違えているのかもしれない……
 ただでさえ、人間関係の最悪な中にいるルースだ。何時も側にいる相手に好意を持つのは仕方ないのかもしれない。
 それが男だろうと……だ。
「ぶる、ぶるる……」

 俺、馬鹿王子にあんたの相談を何度も受けたぞ。まああっちは俺が理解できるとは思ってなかったみたいだけどな。俺も馬鹿王子とは話は出来ないから、聞くだけだったけど……(馬訳)

「なっ、なんだって?お前が相談を受けたのか?」  
 丸太から落ちそうになりながらスペンサーは言った。

 馬鹿だけど、あの子は可愛いな。あんな風に想われると、あんたも嬉しいだろう。あの子にしとけよ~。馬鹿ほど扱いやすいって言うじゃないか……

「馬の分際で、人間に馬鹿馬鹿言うな。それにだ、ルース様の性別を分かっていないな……」

 男だろ?そんなの分かってるさ。

「分かっていたら訳の分からないことを言うな……」

 あんただって気になってる筈だぞ……

「ああもちろん。心配だ。だが恋とは別なものだ……」

 心配だ~気になる~ほっとけない~は恋の第一段階だろ?俺も最初そうだった。

 知ったかぶりし、ファルコは何故だか胸を張ってそう言った。
「はいはい……お前は裏のゴミを片づけてくれよ……私もそろそろ掃除の続きをする。これが終わらないことには城へは戻れないんだからな」
 そうファルコに言うと大人しく、家の裏へと歩き出した。余程城に戻りたいようだ。
 馬と何故人生の問題を話し合わなければならないのだ?
 あといるのは元人間の鳥だ。
 私はとても不幸なのかもしれないと、スペンサーは深いため息を付いた。
 それにしても……
 この問題はまた出てくるだろう。
 スペンサーが側にいる限り、そしてルースにスペンサー以外の味方か友達が出来るまでは、ルースの目はいつでもこちらに向けられることになるのだ。
 どう対処したら良いのだろう……
 告白されたことが無いとは言わないが、こんな風に狼狽えたのは初めてだったのだ。多分相手がルースであったから狼狽えたのだとスペンサーは思っていた。
 男にだって誘われたことはあるのだ。
 その時は馬鹿馬鹿しくて話にもならなかったが、こと、ルースに関してはどうして良いのかスペンサーには分からない。
 あの時聞いていた話も、きちんと誤解を解かないと、ルースは辛いままだ。まだ、最後まで聞いていてくれたら良かったのだ。
 確かに馬鹿だが……誰よりも優しい心を持っているとスペンサーは言いたかったのだ。そんなルースが可愛いと言いたかった……。
 優しい心はとても傷つきやすい。既に色んな事でルースは心に傷を受けているのだ。だから心配なのだ。
 そういう父親のような気分になっているスペンサーなのだから、いきなり告白されるとは予想だにしなかった。
 どう応えてやれば良いのだ……
 好きだという振りをしてやれば、いずれ自分の思いは恋ではないことに気が付いてくれるのだろうか?
 色々考えすぎて頭が痛くなったスペンサーは空を見上げた。
 先程とは違い、雲が少しずつ空を覆い始めていた。
 降るか……
 レーヴァンが、雨に降られたると少々可哀相だな。と思いながら、スペンサーは今度こそ掃除に専念することにした。

 部屋が急に暗くなってきたため、窓の外を見ると、雲が一面に空を覆い始めていた。
「雨……降るのかなあ……」
 ぼんやりとそんなことを思いながらルースは机にへばりついけていた身体を起こした。目の前には新しく来た家庭教師が置いていった、山のような宿題で前が見えない程だ。
 何が全部出来るまで部屋から出しませんだよっ!
 出来る頃には僕は天才になってるっ!
 違うっ!
 干物かもしれない……
 ムカムカしながらも、ちょっとずつでもやらなければとルースは思っていた。だがその内容は見ても聞いても分からないのだから牛歩のようにしか進まないのだ。
 何で勉強なんかしなきゃならないんだろう……
 あーあ……
 椅子にもたれ、天井を見る。目と目の間が異常に痛い。
 最初は私にまかせて下さい状態の家庭教師だったが、あまりの理解力の無さに呆れ、とうとうルースを部屋に閉じこめたまま出ていってしまったのだ。
 スペンサーでもこんな事しなかったのに……
 甘やかされていたのかもしれない……
 違う、甘えさせてくれていたのだ。
 頑張らなきゃ……もうスペンサーはいないんだから……
 と、思ってもう一度机に向かおうとしたのだが、気が乗らない。ベットでちょっと横になろうとフッと立ち上がり、椅子から離れた瞬間に先程まで座っていた所に雷が落ちた。
「うわあっっ……!」
 何処……どっから来るの?
 部屋の中に雷が落ちてくるのは、幾ら馬鹿でも変だと分かる。
 外は確かに雲が覆ってきているのだが雨もまだ降っていない。それでどうして雷が落ちてくるのか理解が出来ないのだ。
 雷が落ちた所為で炎が出、机の上の宿題に燃え移っていた。
 これはラッキーなんだけど……
 ここにいたら危ないよね……
 そろそろと扉の前に行き、部屋から出ようとしたのだが扉は開かなかった。
 嘘……
 もしかして……
 これって……
 あのおばさんの仕業?
「誰か開けてっ!」
 何度もルースはそう叫び扉を叩くのだが、一向に人の気配がしない。その上火は瞬く間にその周辺のものに燃え移った。
 ……えと……
 あと……窓からしか逃げられないよね……
 急いで窓の所まで来たのは良いのだが、ここから外に出てどうするかまではルースも考えてはいなかった。
 ごほごほ……
 煙が充満し、窓から外へと流れていく。このままここに居続ける事は出来ない。ようやくそう思ったルースは、窓枠を越え、よじ登ると外へは出た。だが、外壁の小さな出っ張りにようやく脚を引っかけている状態であった。このまま下に落ちたら間違いなく死んでしまうだろう。
「……こわ……」
 下を見ると衛兵達がこちらに向かって叫んでいる。だが何を言ってるかまでは聞き取れなかった。
 ルースは火と煙を避ける為、城の側面に張り付くようにして、そろそろと出っ張りを移動した。だが、二メートルほど進むと、その出っ張りも途切れてしまった。
「どうしよう……」
 後ろを振り返ると、先程まで居た場所から火と煙が出ていた。前を向くと、隣の窓枠はかなり先にある。なのに足場は途切れ、安全な向こう側に行くことが出来ない。
「……スペンサー……」
 もう自分の側には居ないスペンサーの名前が自然に口をついて出た。だがもうスペンサーは居ないのだ。
「どうして良いか分からないよ……」
 目に一杯涙が溜まってくる。ここで泣いたら駄目だと思うのだが、ルースは泣き出してしまいそうだった。
「王子っ!大丈夫ですか?」
 隣の窓枠から衛兵がこちらに向かって叫んだ。
「セイル……っ!」
 仕事が暇なとき時折遊んでくれる、衛兵だった。
「王子、もう少し我慢してくださいね。すぐお助けしますから……」
 セイルはそう言って、窓枠を片手で掴み、半分以上身体を外に出してこちらに手を一杯伸ばしてきた。必死なのが分かるように、セイルの日に焼けた肌に冷や汗らしきものが浮かんでいる。
「セイルっ!駄目だよ……届かない」
 片手で壁を掴み、もう片方を必死にセイルの方へ伸ばすのだが、とても届く距離ではなかった。
 もう少し、もう少しと思っていると、セイルの声が響いた。
「王子っ!いけません!」
 その瞬間身体が宙に舞った。
「あっ……わああああっ!」
 身体が真っ逆さまに地上に向かって落ちていく。
 もう駄目だっ!
 ギュッと目をつぶると、身体が急何かに捕まれ、風きっていた身体が、ふわふわと宙に浮かんだ。
「あ……れ?」
 腰の辺りを捕まれている感触を感じて、何とか顔を後ろに向けると大きな黒い鳥が自分の腰を掴み羽ばたいていた。
 この鳥って……
 いつもスペンサーと一緒にいる鳥だ……
 じゃあ……
 スペンサーがどこかに居るのだ。
 それが分かると胸の中にポッと温かい灯がともるのがルースには感じられた。
 スペンサーが居るんだ……
 何処に居るんだろう……
 地上を見るのは怖いのだが、ルースは目を一杯一杯開け、スペンサーを捜した。だが地上では衛兵や女官達が、こちらを指さし騒いでいる姿しか見えない。
 何処に居るの……
 僕が悪かったから……
 一杯謝るから……
 もう好きだなんて言わない……
 好きだけど……言わないから……
 僕、やっぱりスペンサーと一緒に居たいんだ……
 必死に探す瞳が涙で曇り、地上の景色を霞ませる。それでもルースは何度も涙を拭ってスペンサーを捜した。
 すると、急にぐらりと身体が沈んだ。
「……えっ……」
 もう一度後ろを伺うと、鳥が何やら必死の形相をしているのがルースには分かった。
 やはり重いのだ。そうであるから、ぐらぐら、よろよろと曲線を描きながら地上に向かって降下しているのだ。
 スペンサーを捜すのもルースには大切な事なのだが、今は動かず大人しくしておこうとルースは思った。
 僕が動くと鳥さんが大変だもんね……
 大人しく身体を任せていたのだが、大きな木の上まで来ると、身体が急降下しだした。
「ひゃああっ!」
 木の枝に何度もバウンドしながら、一人と一匹は下へと落ちた。
「痛っ……たたた……」
 痛む身体を起こそうとすると、自分を先程助けてくれた鳥の上に乗っていることに気が付いたルースは慌ててその大きな鳥から離れた。
「ね、大丈夫?し、死んでないよね……」
 草むらに大きな翼を広げた鳥は、長いくちばしをぱかんと開け、何故か舌が垂れ下がっていた。
「し、死んじゃったの?ねえっ、ねえってば……」
 鳥の身体をゆさゆさと揺らすと、鳥は目を開けた。
「よ、良かった……」
 ホッとルースが胸をなで下ろすと、鳥はようやく立ち上がったのだが、片翼を引きずっていた。
「折れたのかもしれないね……でも、スペンサーが治してくれるよ。だって君、スペンサーの友達だろ?」
 鳥の顔を覗き込んでルースがそう言うと、鳥は顔を左右に振った。ルースにはどの言葉に対して鳥が否定しているのか分からなかった。
「……とにかく、お城からずいぶん離れたところに降りたから、戻ろうよ。僕が担いであげるから……。そうだ、お城に帰ったらきっとスペンサーが……居るんだよね……?」
 スペンサーの居るところにこの鳥はいつも居るので、ルースはそう言ったのだが、鳥は自分の後ろの方に視線を向けていた。
 誰か居る……?
 もしかしてスペンサー?
 と期待に胸を膨らませて振り返ると、見たこともない男が立っていた。
 こちらが見上げなければならないくらい高い身長の男は、真っ黒な髪を腰まで伸ばし、真っ白な肌を黒いコートから少し覗かせていた。
「あの……」
「なんだ……大したことのないガキではないか……」
 男はそう言って氷のような冷たい瞳をこちらに向けた。
「どなた……ですか?」
 ルースがそう言うと、鳥が片翼を引きずって自分の前に立つと、動く方の翼を広げた。そして「ガッガアアアッ」と、鳥は長い首を前に曲げ、低い声で威嚇するように鳴いた。
「……鳥さん?」
「なんだ鳥人間か……お前が先にあの世に行きたいのか?」
 男は淡々とそう言うと鳥はルースを振り返り、何だか情けない顔を一瞬向けると、又前を向いて、先程と同じように鳴いた。
 こいつは悪い奴なんだ……
 ルースは鳥の態度を見てとると、今度は鳥の前に自分が立った。その行動に驚いた鳥が「ギャアアギャアア」と鳴くのをルースは両手で抱えてその男に言った。
「一体何の用ですか?」
 腕の中で暴れる鳥をギュッと抱きしめてルースは言った。
「いやね、君のことだけを聞いていたんだが、鳥を先に殺ってしまおうと思ってるんだ。その鳥は私に対して失礼なことを言ったものでね。渡して貰えないかな……そうしたら少しだけ君の命は長らえることが出来る」
 周囲が凍るような口調で男が言うと、鳥が腕の中で固まるのが分かった。
「ま、鳥を殺すまでの間だが……」
 クスリとも笑わずに男は続けてそう言う。
「さっきの雷って……貴方ですか?」
「そうだよ。あれを避けたというのは確かに運が強いようだ……。だから出張ってきたんだよ」
 何故かイライラとそう男は言った。
「僕の義母が貴方に頼んだのですか?」
「さてね……」
 うっすらと口元だけで男は笑った。
 ゾッとするような酷薄な笑みだ。
 男のその態度でルースは自分が言ったことが間違っていないことを知った。
「僕はあの時死んでいたかもしれない……だけどこの鳥さんが助けてくれたんだ。だから、僕はいいから鳥さんは許してほしい……」
 ルースはそう男に向かって言った。
 男はもう一度笑った。
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