『命がけのクリスマス』



「えー!?クリスマスイブも部活あんのー!?」
 土曜日の部活終了後、特別練習で少し練習時間を延長していたレギュラーたちは、部室で着替えをしている最中に告げられた今後の部活の予定に、不満そうなため息を次々と漏らした。
 そんな中遠慮も何もなく嫌そうに叫んだのは、何を隠そう青学男子硬式テニス部一の気分屋、菊丸英二である。
「街はクリスマスで浮かれかえってるってのに、オレ達は汗にまみれてテニス!?やーなこった!!」
「菊丸、グラウンド50周+いつもの筋力トレーニングの倍をしたければ休んでもいいぞ」
「イ・ヤ!」
 手塚の提案に、英二はきっぱりとそう言ってそっぽを向いた。
「しかもレギュラーだけってどういうこと!?」
「今年最後の練習試合を25日に控えているんだから、当然だろう」
「むーっ!」
 正論で返されたため言い返す言葉を持たなくなった英二は、せめて自分の不愉快が手塚に伝わるように眉間に皺を寄せて手塚を睨む。
「確かに一緒に過ごそうって約束する彼女とかいないけど、ヤなもんはヤ!」
「別に一日中拘束するわけじゃない。だから我慢しろ、菊丸」
「…………」
 呆れ返ったように言った手塚を、英二は恨みを込めて睨んだ。
 その時ふと、不二が口を開く。
「手塚、練習は何時で終わる予定なの?」
「4時に終わらせる予定だが」
「ふーん…じゃあその後、ちょっとしたパーティー出来るね」
「パーティー?」
 聞き返してきたのは英二。
 先程までの手塚へ向けていた恨みがましい目付きはどこへやら、大きな目をぱちくりと瞬かせて不二の顔を見ている。
 不二はそんな英二にこくり、と一つ頷いて見せた。
「あんまり盛大には出来ないけど、ここでちょっとしたお菓子を食べたり、シャンメリーを飲んだりくらいは出来るんじゃないかな。プレゼント交換なんかいいかも」
 不二がそう言うと、英二がぱちん、と指を打ち鳴らした。
「それいい!特別なお祭りの日に練習なんかするんだから、これくらい特典があってもいいよな、手塚!」
 目をきらきらを輝かせて手塚を見てくる英二。
 秋から新部長として部員をまとめることを求められている手塚だが、こうなった英二を止める術を、手塚はまだ知らない。
「…………勝手にしろ」
 何ゆえか徒労感をひしひしと感じながら、手塚はため息を吐いて言った。




「メリークリスマ〜ス!!」
 ぱんぱんぱん!!
 微妙な時間差をもって、クラッカーが高らかに鳴った。
 尾を引いて立ち昇る僅かな白煙。鼻腔をくすぐる火薬の匂い。それらが部室に立ち込める。
 部室の隅には、何処から持ってきたものやら――――いや、きっと誰かが家から持ってきたんだろうが――――ご丁寧にも小型のクリスマスツリーが飾ってあり、色とりどりの電飾がきらきらと輝いていた。
「姉さんがパイを焼いてくれたんだ。みんなで食べよ?」
 不二が紙袋の中から大きな正方形の箱に入ったパイを取り出した。
「わー!すげ〜!!」不二の姉ちゃんに感謝!!」
 言いながら、英二は不二に抱きつく。
「はいはい、ちゃんと伝えとくから」
 不二は苦笑しながら、家から持ってきた取り皿と携帯用のフォークを人数分取り出す。
「桃と海堂と、英二、河村、乾、大石、手塚、んで僕…」
「不二、すまないな、こんなものまで用意してもらって」
「ううん、気にしないで。というか感謝してもらって悪いんだけど」
 切り分ける用意をてきぱきと整えていく不二は、普段通りの柔和な表情そのままで衝撃的な一言を告げた。
「これ、ロシアンパイなんだよね」
『!?』



 不意打ちで放たれた衝撃的な告白に、浮かれ気味だった一同の空気が瞬時に凍った。
 瞬間的に部室の空気が重さを増し、彫像のように動きを止めた部員たちとは対照的に、部室片隅のツリーの電飾が虚しく明滅を繰り返す。
 長らく沈黙が支配していたが、それを恐る恐るといったていで破ったのは大石だった。
「ロシアン…って…」
 しかし、返ってくるだろう答えに予想がついているのか、大石はそれ以上の言葉が続かない。視線を宙に彷徨わせて躊躇しているのが、ありありと見て取れる。
「あ……あの、ほらロシアンルーレットっての、あるじゃないですか!俺、昔、ロシアンルーレットっていうのは、宝くじの当選決める時にやってるヤツだと思ってたんですよ!」
「た…宝くじの当選って、あの回転してる円盤に矢を当てるやつだよね…!」
「は…はは、桃城、その勘違いは面白いなあ!」
「あ…あはははは!桃〜、バカだなー!」
「ですよねー!ははははははは!」
「あはははは!」
「あははは…はは…」
「ははは…はは………」
『……………………………』
 重くなった雰囲気を打破しようといきなり過去のボケ話をかました桃と、それに乗った河村と大石と英二だったが、後に続く者はなく、三人の白々しい笑い声はやがて、誰からともなく絶えた。

 気まずい沈黙。

「ロシアンパイってのは…」
 このままでは埒があかない、と思ったのか口を開いた海堂に、不二は嬉しそうに言葉を引き取る。
「うん、どこか一箇所に乾特製の栄養ドリンクがたっぷり入ってるんだ」
「な、なーんだ!栄養ドリンクかぁ!」
「不二先輩のお姉さんと乾先輩のコラボレーション菓子ってわけですね!そ、それくらいだったら…」
 殊更に明るく言う英二と桃城だったが、言葉を遮って乾が呟く。
「ドリンクについては味の保証はない」
「……………」
 聞かなきゃ良かった、とでも言いたげに、英二と桃城はそっと面伏せた。
「ああ、でもね、僕、そのドリンクをちょっと味見したんだけど、別に普通の味だったよ」
『!』
 瞬間的に、全員の瞳に光が戻る。
「じゃ、じゃあロシアンも何も…!」
 喜びの声を上げかける桃だったが、次の不二の一言で絶句を余儀なくされる。
「偶々家に帰って来てた裕太は、味見して気絶してたけどね」
「ほう、体調でも悪かったのか?」
「そうなんじゃない?」
(絶対違うだろう)
 と、各人、心の中だけで乾と不二にツッコミを入れる。
 そして、二人以外の全員が底の見えない奈落の縁に追いやられたような光景を幻視した。
 絶望という二文字が、二人以外全員の胸に重く圧し掛かる。
「…しかし不二が無事だったということは、ドリンク入りのパイが不二に当たれば、俺達は助かるんじゃないか…?」
 大石のその言葉に、先ほどまで胸中にこびり付いていた絶望という文字は去り、希望という二文字が、全員の胸の中に鮮やかに浮かび上がった。
「そうだよ!不二にドリンク入りが当たれば…!」
「俺達は生き残れるってワケですね…!!」
「”生き残る”だなんて…桃は大袈裟だなあ」
 不二がおかしそうにクスクスと笑うが、他の者たちの心中は同じ言葉で占められていた。
(大袈裟じゃない…!)
「じゃあ、切り分けるね」
 ルンルンと愉快そうですらある様子の不二。その不二の言葉に、全員一斉に、判決を待つ罪人のように身を固くする。
「ドリンク入りってことは、少しくらい中身が他と違って見えたりするんじゃないですかね?」
 不二がパイを切っているのを横目に見ながら、桃が英二にこっそりと耳打ちする。
 しかし英二が何らかの反応を返す前に、乾がぽつりと呟いた。
「桃、ドリンクは無色透明だったんだ」
「赤色2号でもなんでもいいから、なんで染めておかなかったんだよ…!」
 声を潜めて言う英二に、乾は真顔で返答する。
「合成着色料は身体に悪い」
「そんなところで妙にこだわっててどーすんだよ…!」
「用意できたよ」
 頭を抱えた英二を嘲笑うかのようなタイミングで、不二の声が部屋に響いた。





「みんな、パイは行き渡ったよね?」
 一同は、自分の目の前にあるパイを凝視しながら頷く。
「じゃあ”せーの”で、一斉に食べようか」
 不二はそう言って、フォークを持った。それに倣って全員フォークを手にする。
 全員の視線が不二の口元に集中する。
 ごくり、と生唾を飲む音さえ響きそうな静寂が、部室を支配する。
 不二はたっぷりと含みを持たせてから、適当なところで口を開いた。
「せーの…」

 サク。

 パイをフォークが貫く小気味いい音が一斉に響き渡り、次いで咀嚼する音が静寂を打ち破る。

「う……!」





*食べたのは誰?


「か、海堂…!?」

「も、桃城…!?」

「え、英二…!?」

「た、タカさん…!?」

「い、乾…!?」

「お、大石…!?」

「て、手塚…!?」