Angel Sugar

「嫉妬かもしんない」 第1章

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「で、お前から言ったんだぞ」
 戸浪は先程からの言葉を繰り返した。
「……だからあ、俺、やっぱりこの程度でくじけちゃ駄目だって思ってさあ……」
 突然やってきた二番目の兄の戸浪は、大地が一緒に住みたいという事を、その言った本人が反故にしてしまったことで頭に来ているようであった。
「大、それはそれでいい。だが、こちらに来たのだから、一緒に住もうと改めて言っているんだ。その方が、給料の少ないお前の家賃負担も楽になるだろうし、兄弟一緒に暮らした方が、突然病気になっても面倒見てやれるだろう?」
 戸浪は努めて優しく言っているが、かなり怒っているのが大地には分かっていた。博貴から離れたくて、戸浪を利用したようなものなのだ。戸浪はその事は知らないが、博貴のことがばれた日には半殺しでは済まないだろう。もちろんそれは博貴の方である。
「……俺、風邪引いたこともあんまりないし……。家賃だって三分の二は会社もちだから今のところお金には困ってないよ」
「そう言う事を言ってるんじゃない!」
 机があったらブチ割りそうな剣幕で戸浪は言った。切れ長の目にかかる細いフレームの銀縁の眼鏡が怖さを増す。
 戸浪も大地も母親似だ。だが戸浪は大地と違い背も高く、容貌に可愛い感じはない。元が母親に似ているためにやはり綺麗な顔立ちなのだが、氷のように冷えた雰囲気がある。
「……兄ちゃん……」
 この堂々巡りは何処まで行けば終わるのだろうか?大地は密かに溜息をついた。
「大、私はね心配なんだよ。お前は騙されやすくて、お人好しの大馬鹿者だからね。今までは田舎でのんびり出来ただろうが、東京は違うぞ。嘘つきは多いし、人間関係だって希薄だ。お前はその事にまだ気が付いていないんだよ。だから心配なんだと言ってるんだ。ただでさえ警備保障等という職業も私は気に入らないと言うのに……」
 そこまで言うかと大地は思った。
「俺、子供じゃねえよ。そんなの分かってるし、別に心配して貰わなくても良いよ。それにさあ、俺が普通のサラリーマンにこの不景気の中でなれるわけねーじゃん」
 開き直るように大地は言った。
「大……」
 何故か戸浪は悲しそうな目をしていた。
「兄ちゃん。俺、もう子供じゃないよ。社会人だし……」
「未成年は未成年だ!良いから私の言うことを聞いて、ここを引き払いなさい!」
 戸浪は怒鳴るようにそう言った。全く昔から、今ここにはいないが、一番上の早樹と今目の前にいる戸浪の保護者ぶりに大地は泣かされてきたのだ。あれも駄目これも駄目とどれだけ言われてきたか、全部思い出せない程だ。
「やだよ!何で兄ちゃんの言うこと聞かなきゃならないんだよ!」
 博貴の事が無ければここを出ていたかもしれないが、今はもうここから離れることなどは考えられないのだ。
「大!」
 戸浪は力ずくで大地を家から引っ張り出そうとし、大地は必死にそれに抵抗していた。
 澤村家の兄弟喧嘩ははっきり言ってすさまじいものがあった。三人とも空手の黒帯だからだ。何度家のふすまを破いたか分からない。
 大地は見た目は、秋田小町に選ばれた母親にそっくりで、瞳が大きく睫毛も長い。ちょっと色素の薄い髪にきめの細かい肌を持っており、体つきもそれほどがっしりとしていない。どちらかというと細目である。その所為で女の子と間違われることが多々あった。だが性格はそれとは全く違うのだ。その上、身長もそれほど高くないので、例え大地が本気で怒ったとしても、駄々をこねているようにしか見えない。ただし、大地は喧嘩に負けたことは無いのだ。その事を初めて見た人間には分からない為、からかってえらい目にあう男達もいたことは確かであった。
 暫くもみ合っていると、急に戸浪の動きが止まった。なんだろうと思わず大地は上を見上げた。
「大……先程から気になっていたのだが……ここには幽霊が住んでいるのかい?」
 戸浪はじっと向こう側を見て言った。何を見てそんなことを言っているのかと不思議に思って振り返ると、大地と博貴の部屋を繋ぐためにある扉が薄く開いていた。博貴は膝を折って、扉の下の方から顔を見せている。その顔は半分よりやや少ない面積をこちらに見せており、大地と視線が合うとニッコリと笑みを浮かべた。
「ほら、幽霊だ」
 と言って戸浪はその扉を思いっきり閉めた。同時に、向こうから「いててて」と博貴の声が聞こえた。
「兄ちゃん!幽霊じゃないよ!隣に住んでる大良さんって人だよ」
「隣人のことは分かった。だがね、何故、壁に扉がついているんだい?」
 まだ博貴は「いててて」と言っているようだった。大地が大げさだなあと呆れていると扉に髪の毛が挟まっていた。これじゃあ本当にホラーだ。だが、戸浪が扉にもたれかかっているために扉が動かないのだ。
「うっわああ!兄ちゃん!髪挟んでる!どけよ!」
「盗み見するような失礼な隣人にはこのくらいの仕打ちをしてやっていい。だが、そんなことより私が知りたいのは、親戚でも兄弟でも無いのにどうして赤の他人との部屋を繋ぐ扉がここにあるのかと聞きたいね」
 戸浪はこれでもかというくらいの視線を大地に向けた。
「……俺、来たときからこの扉あったみたいなんだよ。本棚に隠れて分からなかったんだけどさあ……はは。でも、大良さんとはお隣同士仲良くしてるし、今では別に扉があってもいいとやって思ってるんだ」
 明らかに苦しい言い訳であった。そんな大地の事を戸浪は兄として良く分かっていた。
「大、君が悩んでいるときと、嘘をついているとき、目が泳ぐんだよ。今、嘘をついたね。そうだろう?」
「え、そ、そんな兄ちゃんに嘘なんかついてないよ」
 あわあわと言ったが、あとの祭りであった。
「大!ここに正座!」
 と、戸浪が言った瞬間に、バンッという音と共に扉が開いた。その扉にもたれかかっていた戸浪はそのまま、前のめりにこけた。
「済みませんねえ……髪挟んじゃって、あんまり痛いので無理矢理開けました。隣人の大良博貴と申します。初めまして」
 博貴は嫌みを笑みを浮かべてそう言っている。その所為か、戸浪の方は一瞬怒った顔をしたが、平静に戻って言った。
「いつも弟がお世話になっております。兄の戸浪と申します。しかし最近の隣人は盗み聞きするのが趣味なのが多くて困りますな」
 戸浪はそう言ってジロリと博貴を睨んだ。
「あれだけ大きな声を出されていると、薄い壁を通り越して、ただならぬ様子に聞こえるんですよ。なによりここは都会ですからねえ……。大地君に何かあったのではないかと、警察呼びそうになりましたよ」
 博貴も負けていない。
「なんだって?」
 ムッとした戸浪がそう言って立ち上がった。
「もう、止めろよ兄ちゃん。それに大良さんも、兄弟の話だし喧嘩しているわけじゃないので引き取って下さい」
 二人の間に割って入り大地は言った。どうもこの二人、性格的に水と油のようである。
「そうだ、関係ない人間は引き取って貰おう」
 戸浪はそう言仁王立ちで言った。博貴の方は腹が立っているのだろうが、顔には全く出さずに、もう一度笑みを浮かべて。
「そうですね。大地君、今度、困ったお兄さんの事を相談に乗るからね」 
 そう言って隣に帰っていった。博貴はホストなだけに、色んな客をさばくせいか、怒った表情など一切見せなかった。さすがだなあと感心していると、戸浪の方の怒りが倍増していた。
「なんだあの失礼な男は!それに男のくせに雑巾のように髪を伸ばして鬱陶しいぞ」
「兄ちゃん人のことはどうでも良いじゃないか。髪を伸ばそうとどうしようとさ。そんなことより時間いいの?」
 大地は夕方から出勤であったので、のんびりとしていたが、戸浪の方はお昼の休憩時間にここに来たからだ。
「あっ……っと。大、日を改めて又来るが……私が言ったことを肝に銘じて置くんだぞ。それと、ああ、全く。お前には言わなければならないことがありすぎて、一度にいえん」
 戸浪は頭を抱え込むようにしてそう言って玄関に歩き出した。やっと出ていってくれるのだ。
「じゃあ、兄ちゃん」
 ホッとして大地は手を振った。それを憎々しげに見ながら戸浪は帰っていった。それと入れ替わりに博貴がもう一度扉を薄く開けてこちらを見ていた。
「大良あ……お前なあ……」
 そう言うと、博貴は人差し指を唇に当てて、次にその指を玄関の扉の方に向けた。
「え?」
 何度も博貴が指を玄関に向かって指す仕草をするので、大地は良く分からなかったが、とりあえず玄関を開けると、戸浪はまだそこにおり、扉に耳を澄ませていた。
「兄ちゃん……あのね」
 大地は呆れてそう言った。
「あ、はは大、いや、何でもない。じゃあな」
 戸浪はばつの悪そうな顔をして今度こそ帰っていった。
「全く油断も隙も無いんだから……」
「ねえ、大ちゃん。あれが戸浪兄さん?」
「うん。ちょっと強烈だろ……でもまあ、お前も負けてなかったのがすごかったけどな」
「ねえ、大地以前に戸浪兄ちゃんと私が似てるとか言ってなかったっけ?あんなののどこが私と似ているんだい?」
 ムッとしながら博貴は言った。
「別に顔とか似てるって言ったわけじゃねえよ。戸浪にいは頭が良いから言葉でやりこめられたんだけど、そういうのがなんだかお前に似てるって思ったんだよ。ま、こうやって大良と並べて見たら全然似てないって思ったけどな」
 溜息をついて座布団に座ると、博貴が急に腕を廻してきた。
「何だよ……」 
 博貴に覆い被さられた格好で大地は言った。
「大ちゃんって、兄さんに連れてかれたりしないよね」
「大丈夫。なんで?」
「何となくさあ、大ちゃんってお兄さんに弱そうにみえるから」
「そんな風に見えるかなあ……」
「……というかね、大ちゃんは強引な相手に弱そうだからさあ……」
 クスリと笑って博貴は言った。
「んなこと無いよ」
 多少は思い当たることもあったが、大地はそう言った。
「大地……」 
 キュッと抱きしめられて大地の頬は博貴の胸にピッタリ張り付いた。それは心地よい苦しさだった。
「大良」
 こんな風に博貴に抱きしめられるのが大地は大好きであった。頬や身体に伝わる博貴の鼓動にとても安心するのだ。自分で子供だなあと思うのがそういうときだ。     
「大良じゃなくて……こういうときは博貴だろ。まあ、それより……」
 そう言って博貴は大地を抱き上げ、うちの玄関に鍵を閉めた。
「おい」
「鍵締めとかないと、誰かに見られると困るだろう?」 
 博貴はそう言って大地の額にキスを落とした。
「あのなあ、俺、こんな昼まっから、やる気無いぞ……」
「まあまあまあ」
 そう言って博貴は自分の部屋へと大地を連れていった。
「大良っ!」
「固いこと言わないの……」
 そう言って博貴はシングルの方のベットに大地を下ろした。
「それに兄ちゃん来てたから俺ら昼飯食ってないぞ……俺は腹が減った」
「ん……じゃ、キスだけ……」
 と言って、唇を軽く合わせてきた。二、三度触れるだけのキスをしたかと思うと、次に舌を侵入させてくる。大地は待っていたかのように、こちらの舌も絡ませた。
 いつも大地は感じるのだが、博貴のキスは魔法にかかったような気分にさせられるのだ。キスだけで大地の気分は高揚する。
「あ……」
 唇が離れると、博貴の舌から離れるのが名残惜しく思った。
「足りなさそうな顔……」
 ニヤニヤとしながら博貴は言った。
「べ、別に……そんなんじゃないよ、とにかく飯にしようぜ」
 そう言って大地は立ち上がった。今日は何を作ろうかと思案しながら冷蔵庫を開ける。 博貴の方の冷蔵庫が大きいため、大地は自分の家の冷蔵庫にはそれほど物を置いていなかった。食費は毎月二人で半分ずつ出し合うことにしていたのだが、博貴は自分が食べたいと思ったら、それが高かろうが安かろうが色々と食材を買ってくるのだ。だが領収書は持って帰らない。すぐに捨ててしまうからと言ってこちらの食費を取ろうとしないのだ。時には出したお金をそのまま「それで美味しい物買ってきて」と言って、結局受け取らないことも多い。まあ、あちらの方が稼いでいるのだからそれでも良いかと思うようにはなっていた。ボーナスでも出たら何か代わりにプレゼントでも買えばいいかなあと、仕方無しにそう思っていた。
 だが、博貴は貢ぎ物のプレゼントにしても、自分で買う衣服にしてもこちらがおいそれと手を出せる値段のものは無いのだ。それが一番の悩みであった。
 冷蔵庫からこの間沢山作って放り込んで置いた春巻きを取り出し、それを揚げ、とろみの付いた卵スープを作った。冷たいご飯も沢山あったのでハムとタマネギを刻んでチャーハンにする。
「こんなもんかなあ……」
 スープの味見をして大地は言った。
「大ちゃんはお袋の味しか出来ないと思ったら、結構何でも作っちゃうねえ。感心感心」
 博貴は大地が出来た料理を皿に盛っているのを見て、言った。
「そうやって、俺をおだててお前はなんにも作らないんだよなあ……」
 何となく笑みが浮かびながら大地は言った。
「献立考えるのめんどくさいし、作るのめんどくさい。その代わり、私が洗い物担当してるでしょ」
「あのなあ……ほとんど俺が洗ってるじゃないか……よく言うよ」
 大地は料理しながら余った時間で鍋等を洗う。包丁も洗うし、キッチンの周りも料理したとは思えないくらい、綺麗に使うのだ。そうやって母親にたたき込まれた習慣は簡単に身体から離れないのだ。
「まあまあ……」
 よしよしと博貴に頭を撫でられて、宥められた。これが他の人間なら大地は拳の一つでも飛ばしていただろう。だが不思議と博貴なら腹が立たない。
「さっさと食っちゃおうよ」
 大地は出来たばかりの料理を並べながらそう言った。
「そうだね」
 そう博貴が言ったところで携帯が鳴った。大地は思わず博貴の方をジロリと見る。
 博貴はトップのホストだ。だから頻繁に携帯が鳴るのだ。仕事柄それは仕方ないと理解しているが、やはり嫌なものである。博貴の方はその度に苦笑いしながら、電話を持って下の部屋へと降りていく。聞かれたくは無いのだろう。
 仕方ないので先に大地は料理をつつきだした。何時終わるか分からないからだ。その事に付いて、電源を切れとか携帯を捨てろと言いたいが、言えなかった。
 何処かで自分が男であることを遠慮しているのか、仕方ないと諦めているのかその辺りは良く分からないが、そう言ったことは一度も言ったことは無い。ただ、以前に約束してくれていたとおり、愛していると携帯で電話中に言ったことは無かった。言いかけて口を閉じることはままあったが、それは許してやろうと大地は思っていた。今まで日常会話のごとく使っていた言葉なのだからすぐには無理だろうと思うことにしている。今のところ女性を連れ込むこともない。
 但し、職場で愛していると囁いていたとしても、更に外で客とホテルに行ったとしても大地には分からない。信用はしていたが、何処まで信用できるのかは謎であった。
 博貴は態度でも分からないし、顔にも出ない。その上、こちらがそう言うことに関して鈍感であるのも問題なのだろう。騙されやすいのは昔からなのだ。一年つき合っていた彼女が半年以上も二股をしていたことなど別れてから知ったのだ。
 ただでさえそうなのだから、恋愛に百戦錬磨の男の顔色等伺えるわけなど無い。ましてや、嘘を見抜くことなど不可能に近いのだ。だから信じる方を選んだ。愛していると言ってくれたあの博貴の目を信じようと思ったのだ。疑うのは嫌なのだ。
 だが、俺は立場が弱いと大地は思う。何より男性なのだ。何時までもこうしているんだという希望はあっても所詮希望なのだ。いつか振られたら、一発殴って笑ってさよならしてやるぞと、思うことはあるが、本当に出来るかどうか分からない。
 大地は自分の分を食べ終わってもまだ戻ってこない博貴を放って置いて、自分の分だけ片づけると今度は大地の携帯が鳴った。
「もしもし……あれ、真喜子さん……」
 かけてきたのはホステスの真喜子だった。博貴は職場でトップのホストだが、真喜子は銀座でトップのホステスと言っても過言はないほど魅力的な女性だ。その上、姉御肌の真喜子がいなければ今頃大地と博貴がこうやって恋人同士になれなかっただろう。
 博貴より年齢は下のはずだろうが、博貴は真喜子には頭が上がらないようだった。
『ねえ、その辺りに……光ちゃんいるの?』
 こそこそと真喜子が小さな声で言った。光とは博貴の源氏名である。
「え?いえ。お客さんから電話が入ってるみたいで……今、ここにはいませんけど。都合悪かったら、俺、自分の部屋に戻りましょうか?」
『出来たらそうして欲しいわ……良いかしら?』
「良いですよ」
 大地は扉を開けて自分の部屋へと戻った。
「戻りましたあ」
『あのねえ、大ちゃん……すっごく申し訳ないんだけど……』
 本当に申し訳なさそうに真喜子が言った。
「え?なんですか?」
『ほら、以前大ちゃんが酔っぱらって、絡んできた男をやっつけた後、藤城って人からキャラメル貰ったでしょ。覚えてる?』
 そう言えば何となく覚えていたが、キャラメルがどんな物であったかは良く覚えているのに藤城の顔が出てこない。
「……顔はあんまり良く覚えてませんけど……そう言うことがあったの、覚えてます。それがどうしたんですか?」
『それがねえ……ちょっと……やっぱりいいわ……』
 真喜子は言い淀んでいるようであった。
「やだなあ……そこまで言って言わないなんて……気持ち悪いです。なんですか?」
 暫く無言であったが、ようやく真喜子は話し出した。
『実はね、その藤城さんって人がほとんど毎日うちの店に来て、かなりの金額を落としていってくれるのよ……でねえ、花束も毎日贈ってくれて……そんなことはどうでも良いんだけど……下心があるなあって思ってたら、昨日藤城さんが、大ちゃんと会ってみたいって言い出してね。はああんそれが目的……と思ってさあ、丁重にお断りしたんだけど、ママの方が、藤城さんっていう客を離したくないって言ってね。今までずるずる引き延ばしてたんだけど、こっちも押し切られちゃって……。食事の誘いなんだけど、あ、私ももちろん一緒よ。でもね、大ちゃんが嫌だったら、今度こそちゃんと断るわ。それにこんな頼みを貴方にしたってことがばれたら、私、光ちゃんに殺されるかもしれないしね』
 食事をすることが何故殺されることになるのか大地には分からなかった。
「食事を一緒に食べに行くだけでだし。真喜子さんも一緒でしょ。別にふたりっきりでも相手は男だし、問題ないです。たったそれだけのことで大良が文句言うとは思わないけど……」
「大ちゃんって……まあ、いいわ。そう言うところが大ちゃんの良いところだし……」
 自分は何か変なことを言ったのだろうか?大地にはやっぱり分からなかった。
『二度とこんな頼みをしないわ……ごめんなさいね。私もママに借りがあって、もうどうにもならなくって困っていたの……。日にち何時なら良いかしら……』
「えっと……明後日なら日勤だから夕方から出られますけど」
『じゃあ、明後日……待ち合わせはこっちから連絡するわ。本当にごめんなさいね。あ、光ちゃんには、私と食事って言っても構わないけど、藤城さんのことは絶対内緒にしておいてね』
 溜息混じりに真喜子が言った。
 博貴に特定のお客のことを知られたくないのだろうと大地は思った。
「そんな、気にしないで下さい。真喜子さんの頼みならなんだって引き受けます!俺、真喜子さん大好きだもん」
 と言ったところで、博貴の腕が首に廻った。
「大ちゃんこっそり何頼まれてるの?」
 後ろから覗き込まれる形で大地は抱きすくめられた。
「うわあっ……な、なんだよ……」
「なんだか二人でこそこそとやだねえ……何の相談だい?」 
「べべ、別に……あ、真喜子さん、じゃ、また……」
 先に大地は真喜子との会話を終えた。
「……それに、どうして隠れるみたいにこっちの部屋にいるんだい?何か私に聞かれたらまずいのかなあ……」
「なんだよ。大良が先に、こそこそ下で電話してたんだろ。なのに何で俺が文句言われなきゃなんないんだ」
 なんだかこっちが悪いと言われているような気がして大地はそう言った。
「だって私は仕事だからね」
 妙な理屈だと大地は思った。だが博貴には口でも勝てないのでこれ以上反撃しても無駄なのだ。
「真喜子さんが食事をおごってくれるっていうからさ。それだけだよ」
「え、そうなの。じゃ、もちろん私にも誘いが入ってるんだよね」
 嬉しそうに博貴はそう言った。
「何言ってんだよ。食事は明後日、月曜日の夕方!お前は仕事だろ」
 来週半ばまで博貴の休みが無いのを大地は知っていた。
「……真喜子さんだって……仕事だろう?」
 不審な目で博貴は言った。
「真喜子さんはお休みなの」
 大地がそう言うと、ちょっと考え込んだような顔で博貴が言った。
「……ねえ大ちゃん……来週の木曜日は予定入れないでくれよ」
「なんで?」
 そんな風に先に博貴が言ったことは無かったのだ。
「自分で言うのもなんだけどねえ……私の誕生日なんだ。大ちゃん祝ってくれるかい?」「え、そうなんだ。ごめん知らなかった。ん?お前いくつになるんだよ」
 年を聞いたことは無かったのだ。
「二十五」
「おっさんじゃねえか」
 七つも離れているのだ。それは知らなかった。でも良く考えると、戸浪と同じであった。
「傷つくなあ……」
「俺より七つも上なんだ……信じられないなあ……もっと若いかと思ってた」
「年の話は止めよう……。それより大ちゃん一人で先に食べて狡いなあ……待っててくれると思ったのにねえ……」
 苦笑しながら博貴は言った。
「いい年して何言ってるんだよ。さっさと食べて来いよ。俺ちょっと昼寝したいしさ」
「一人で寝るの?」
 ニヤリとした顔をして博貴は言った。大地は昨晩も散々泣かされたのだ。少し眠らないと、こっちは身体が保たない。
「そうだよ。二人で寝たら、お前何するか分からないだろ……」
 ぶつぶつそう大地は言った。
「……冷たいな。まあ、いいか。ご飯食べてこよう……」
 意外にすんなり博貴はそう言って自分の部屋に戻っていった。大地は自分の布団に寝ころんでそのまま横になった。
 誕生日かア……何あげたらいいんだろう。あいつは客からも一杯貰ってるし、俺なんか良い物買えるだけの甲斐性無いもんな……。でもまあ気持ちだし……。
 そう考えながら、いつの間にか眠りについていた。

 食事を終えて大地の部屋へと行くと、既に大地は布団の上に丸くなって眠っていた。そっと近づいて同じように横になり、眠っている大地の顔を博貴は眺めた。
 ちょっと色素の薄い髪の色がサラサラと額にかかっている。睫毛が長く、小さく開いた薄いピンク色の唇が、何ともいえない色気があった。
 額の髪をかきかげると、大地はくすぐったいのか、ちょっとしかめた顔をした。そう言う仕草の一つ一つが博貴には愛おしく感じられるのだ。
 こんな風に穏やかに時間が過ぎることがあっただろうか?大地が側にいるだけでホッとするのだ。こちらが本を読んでいると、邪魔をするわけでもなく、側でいつの間にか寝ている。考えてみると大地は気が付くと寝ている。さっきまで話をしていたなあと思って振り返ると、眠っているのだ。なんだかそれも可愛らしいのだ。
 眠れると言うことはこちらに気を許しているからだろう。大地は話し好きだがしゃべりのほうではない。こっちが話しかけないと、ぼーっとしていることも多い。本人は別にそんなつもりはないと言っていたが、彼が住んでいた所は穏やかで、そんな大地の行動の方が自然なのかもしれない。都会に住むと何故か時間に追われているような気がするのだ。それが普通だと思っていたが、同じ時間軸で生活しているのに、大地にはそういう雰囲気がない。別に仕事に対してぼんやりしているわけではない。仕事は真面目で責任感が強いようだ。だが、忙しいという言葉に振り回されないのが大地なのだ。そんな大地が博貴にはとても貴重であった。
 今のように、大地と一緒に横になるだけで、穏やかな時間に抱かれているような錯覚をおこすのだ。それは心地よい錯覚だった。
「……ん……」
 無意識で大地はこちらに擦り寄ってくる。まるで母犬に甘える子犬だ。
「大地……」
 起こさないようにそっと腕を廻して引き寄せると、大地は小さな声で「……博貴……」と言った。何か夢でも見ているのだろうか?
 それにしても、どういういきさつで真喜子と食事をすることになったのだろう。その事に対する大地の態度は、なんだか妙だからだ。まあ、真喜子の事だから心配することは無いだろうと思いながら、博貴も目を閉じた。大地と同じ夢を見たいと思った。
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