「嫉妬かもしんない」 第2章
食事会の当日、真喜子から連絡が入り、新宿駅の西口七時に待ち合わせた。大地の方は食事会より木曜日に博貴にプレゼントするもので悩んでいた。そっちの方が事は重大なのだ。少し考える時間が出来るとその事ばかり考えてしまうのだ。時計は究極の時計を博貴は持っている。他にもいろんな種類の時計を持っている。
靴にしろスーツにしろ、仕事に出るときの姿は上から下まで歩くブランドなのだ。まあ、それも商売だからと言われると何も言えないが、プレゼントを考える身にもなって欲しい。いや、金額じゃなくて中身だと思えば良いのだがなんだかそれも虚しい。せっかく買っても身につけてくれないのなら買っても仕方ないのだ。高くても買えそうなライターは博貴が煙草を吸わないために買えない。靴下はなんだかサンタクロースの気分だから嫌であった。そうなってくると物が大きくなるのだ。服や靴など急に値段が上がるために、買えるわけが無いのだ。買いたくても仕送りと生活費で、毎月なかなか思ったようにお金が残らないのだ。
多分年齢よりは多く貰っているのだろうが、やはり東京は住み難い。
そんなことを考えていると真喜子がやってきた。
「大ちゃん……ほんっとうにごめん」
真喜子は手を合わせて言ったが、それは洗練されたスーツに似合わないポーズだ。
「だから、いいんですって。べろべろに酔っぱらった俺の面倒みてくれたし、それに今日はただ飯でしょ?」
ニッコリした笑みで大地は言った。
今日の真喜子のスーツはとても上品なえんじ色をしていた。形の良い胸をギリギリのところで隠し、腰の細さを強調する様にウエストがギュッと絞られている。そのまま腰にそったスカートが足首まで伸び、裾から太股までスリットが入っていた。そこから見える足は細く長かった。なんだか目のやり場に困ると大地は思った。そんな事を考えているのに気が付いたのか、真喜子は言った。
「うふふ。刺激がきつい?」
「え、あ、やっぱり真喜子さんって綺麗です」
視線を避けて大地が言ったところで藤城がやってきた。
「今晩は真喜子さん。大地君久しぶり」
光沢のあるグレーのスーツを着た藤城は薄いサングラスを外してそう言った。藤城は一重の瞳がきつそうな印象ではあるが、怖い感じはしなかった。すらりとしているが、博貴のように細い感じはしない。どちらかというとがっちりした体型だ。その藤城と真喜子が並ぶと美男美女だ。
悔しいことにこの三人の中で一番小さいのは大地であった。
「今晩は……」
大地がそう言うと藤城はニコリと笑みを見せた。普通にしているとちょっと近寄りがたい雰囲気だったが、笑顔は愛嬌があった。そのギャップが何だか良かった。
「真喜子さん、今日は済みません。無理を言ってしまって」
藤城は真喜子の方を向いてそう言った。
「藤城さんにはいつも色々お世話になっていますから気になさらないで下さい」
営業用の笑みで真喜子は言った。それは普段のちゃきちゃきとしたお姉さんぶりの真喜子ではなかった。
「渋谷に予約を取ってますので、私の車で行きましょうか」
そう言って藤城が歩き出した。真喜子の方は大地をみて、ニッコリ笑う。なんだか一緒に歩きたくはなかったが、渋々真喜子のやや後ろをついて歩いた。藤城の方は真喜子とたわいのない話をしながら、こちらに時折視線を向けていた。だが、大地は後ろから人の気配がずっとすることだけが気になっていた。
つけられてるなあと何となく思う。その為、何度も後ろを振り返っていた。
「大地君何か気になるのかい?」
さすがに藤城がそんな大地に気が付いてそう言った。
「え、その、気のせいだと思うんですけど、なんだかつけられてるような気がして……」
そう言うと、藤城が急に笑い出した。
「済まないね。私の部下が心配して付いてきているんだよ。一応姿を見せるなときつく言い聞かせたんだけどね。やっぱり大地君は鋭いね」
別に鋭いわけではないが、ある程度武道を修めた人間には分かるだろう。
「部下?」
「いやいや、何でもないよ。ただ気にしなくていいから」
苦笑しながら藤城はそう言った。どういうことかと真喜子の方を向いたが、真喜子も苦笑していた。
表通りまで出ると、藤城の車が止まっていた。
「ベンツ……」
思わず大地は目がまん丸になってしまった。どうも大地が関わる人間全て金持ちだ。
「そんなに驚かなくても……最近はこのくらいみんな乗っているだろう?」
硬直している大地に、笑いを堪えながら藤城は言った。
「ほら、大ちゃんも乗って」
ポンと背中を押されて、大地は倒れそうになった。予約している店というのもその辺の居酒屋ではなさそうだと大地は躊躇したが、ここまで来たら開き直るしかないのだ。
「あ、はい……」
「そんなに緊張されると私も困るね。以前の様で構わないよ」
それは酒によってべろんべろんになっていたときのことを言っているのだろうか?そんなことを言われても本日大地は酔っていないのだ。あの時のことは思い出すと今でも顔から火が出る。博貴に散々怒られたが、自分でも飲み過ぎたと反省しているのだ。あれ以来、外でお酒は飲んでいない。うちでも缶ビールを一本飲むくらいにしていた。
すると大地の携帯が鳴った。
「あ、電源切るの忘れてた……」
「気にしないで取ってくれていいよ」
藤城はそう言った。その言葉に甘えて大地が電話を取ると、兄の戸浪であった。
「……兄ちゃん……なに?」
『こんな時間に何処にいるんだお前は』
「俺だって外でご飯食べることもあるだろ。もう……ガキじゃないんだから……」
『未成年だ』
「同じ事ばっかり言うなよ。も、切るよ」
『じゃあ、うちに土産取りに来なさい』
「そう言って俺が取りに行ったら兄ちゃん絶対俺を帰さないだろ。送ってくれたら良いから、んじゃあ」
大地はそう言って電源と一緒に切った。戸浪が心配するのは分かるが、こっちはもう社会人なのだ。そろそろ子供扱いを止めて欲しかった。だが、戸浪とは七つ、上の兄の早樹とは九つ離れているのだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれなかった。
「お兄さんから?」
突然藤城が言った。
「え、あ、そうなんです。何時までも子供扱いされて……困ってるんです」
「……分かるような気がするよ。お兄さんとはいくつ離れてるんだい?」
「上の兄とは九つで、今かけてきた兄とは七つ離れてるんです」
「それじゃあ心配だろうね。兄からみた弟は心配の種なんだよ」
そう言って藤城は笑った。
「藤城さんにも弟さんがいらっしゃるの?」
真喜子がそう聞いた。
「いたんだが……事故でね」
「ごめんなさい。余計なことを聞いてしまって……」
申し訳なさそうに真喜子は言った。
「良いんですよ。もう二年も前のことでね。実を言うと大地君に会いたかったのは、弟に雰囲気が似ていたからなんですよ。何となく自分の弟と会えたような気がしてね。キャラメルが好きな弟でね。そう言うわけでいつも持ち歩いているんです」
そうだったんだ。と大地は思った。自分と食事がしたい理由を知って大地はある意味ホッとした。もしかして以前のことを根に持っていたのかと勘ぐっていたからだ。ホッとしたと同時に藤城のことを身近に感じるようになった。
予約したという店は高層ビルの最上階の店であった。大地は開いた口が塞がらなかった。その店に座っている人達は身なりのいい格好で、こちらはスーツなど種類を持っていないためにリクルートスーツなのだ。
場違いすぎる……大地は恥ずかしくて仕方がなかった。
「……あの……俺……やっぱり帰ります……」
「大ちゃんどうしたの?」
真喜子が心配そうにそう言った。理由を分かってくれていないと叫びそうになった。
「その……こういうところ、俺には似合わないないなあって……」
「そんなこと気にしていたら、出世できないよ」
藤城はそう言って、ボーイに案内されるまま歩き出した。
「ほらほら、ただ飯ただ飯」
小さく真喜子はそう言って大地の背中を押した。押されるままに大地はテーブルに付いた。その席は眺めのいい場所で、東京が一望できる。大地は思わずそちらに見入ってしまった。
「すごいや。この夜景……」
「気に入ってくれて良かったよ」
藤城の方は嬉しそうにそう言った。
「高校の修学旅行の時、函館でみた夜景も綺麗だったけど、東京も綺麗……と、なんか……田舎もの丸出し……騒いで済みません」
身体を乗り出して夜景を見ていた大地が途中までそう言い、急に我に返って、席にすわっりなおした。
「良いじゃないの。感動できるって良い事よ」
ニッコリ笑って真喜子が言った。藤城の方は笑いを堪えている。穴があったら入りたいと大地は思った。
「そろそろ食事にしましょうか」
藤城がそう言うと、自分の前に並んだナイフとフォークに卒倒しそうになりながら、大地は心で溜息をついた。
食事が終わると、藤城はホテルの一階へと二人を連れだした。その階には高級ブランドの店が軒を連ねていた。またもや場違いな世界に連れて行かれた大地は既にかなり疲れていた。
先ほども味の分からない料理だったのだ。緊張で味覚が麻痺していたからだ。藤城は話しやすく、良い人であったが、こういう世界に慣れない大地は既に息切れしていた。
「俺……ベンチで座ってますから、二人で行って来て下さい」
既にベンチに座り込んで大地は言った。
「気分が悪いのかい?」
心配そうに藤城が言った。
「お腹が一杯で……ちょっと休憩したいなあって……済みません」
「そう、じゃあ、少しここで休んでいていいよ」
ニコリと笑みを浮かべた藤城に大地も笑みを返した。
「大ちゃんごめんね。ちょっと行ってくるわ」
なんだか嬉しそうな真喜子はそう言って藤城と腕を組んだ。さすが銀座のホステスだ。
二人は似合いのカップルという外見で、ショッピングに出かけた。大地の方は一人になってホッとした。
行き交う人をぼんやり眺めながら、不景気だと言われながらも沢山の人でにぎわっているこの場所をみて、持ってる人間は持ってるんだなあと思った。俺もそれくらいの甲斐性があれば博貴に良いプレゼントを買えるのにな、と溜息が出た。まだ何を買うかも決めていなかった大地は、会社に居るときもずっとその事ばかり考えていたのだ。
そうしていると視界の中に一軒の店が目に留まった。ネクタイの専門店だった。
「あ、そっか。ネクタイなら何とかなるかもしれないや」
大地は立ち上がってネクタイの売場を覗いた。中に入ると店員に掴まりそうで怖かったので、先にウインドウに飾られているネクタイを眺めることにした。
「値段……値段……げっ……何でこんなにするんだ?」
たかがネクタイのはずが、さすがブランド物は金額が違う。飾られているネクタイはほとんどが高嶺の花だった。予算は見栄が入り、ギリギリ出して四万円なのだ。それも消費税込みでだ。この出費の所為でちょっと貯まったお金を引き出すことになり、なおかつ、一ヶ月間大地の小遣いは無し、もちろんお昼は寂しい物となることとなる。夕食は悪いが博貴のうちに乱入すればいいのだ。
だが考えてみると誕生日のプレゼントに四万もつぎ込もう等と考えるのは初めてであった。両親の誕生日でも最高一万円だったからだ。その四倍もの金額を大地は出そうと思ったのだ。確かに気持ちなのだろうが、出来るなら博貴が客から貰うプレゼントと比べて一番したのランクにはなりたくなかったのだ。一番上は無理なのは分かっていた。だが、どんケツは絶対嫌であった。だがその四万でも負けそうな気がしたが、それ以上は見栄を張りようがない。
甲斐性不相応の見栄なのは分かっている。自分の首をかなり絞める行為であることも分かっていた。それでも良いと思っているのだ。
俺って博貴のことホンッと考えてるよなあ……。誰もいないのに照れくさくなった大地は、一人でへへへと笑った。
店の中をそっと覗いてみると、何人かの客が入っていた。二人いる店員はそちらに気を取られているようであったので、大地はそっと店内に入って、こっそりと商品を品定めした。だがどんなネクタイが良いのか分からない。とりあえず安そうな棚を探した。店の真ん中のテーブルにディスプレイされているネクタイは高価だったが、端の棚に置かれたネクタイはまあまあ自分でも買えそうな値段の物が置かれていた。
この辺りだなあと色々みるのだが、ここに博貴がいると併せやすいのだが、想像だけではどんな感じが良いのか分からない。ブランド名も刺繍されているが、どれが人気だとか全く分からない。何より自分のはワゴンでしか買ったことがないのだ。ああもう、俺って貧乏人だよなあと思いながら、手にとって並べて見るのだが、どれも良さそうに見えて決まらなかった。せめて好みの色くらい聞いておけば良かったとここまで来て後悔した。日を改めて来ようかとも思ったが、自分一人でこんな所をうろつける根性が無い。チャンスは今なのだ。
「大君」
いきなり後ろから声をかけられた大地は驚いて振り返った。そこにはいくつも紙袋を持った藤城が立っていた。
「あ、び、びっくりした」
「戻ってきたら君がいないので心配になってね。フッと視線をあげると君がなんだか真剣な顔をしてネクタイを睨んでるのが外から見えたんだよ。それで、ネクタイが欲しいのかい?」
「え、はは。友達の誕生日のプレゼントを選んでいたんです。おしゃれな奴だからどんなのが良いのか困って……あれ、真喜子さんは?」
「彼女にスーツをねだられてね……今、サイズを直して貰ってるよ。そうか、プレゼントにネクタイか……でもね、ここは高いよ」
藤城は棚にあるネクタイを見ながらいった。
「あの……普通、ネクタイってどんなのが良いと思います?」
と、そこでふと大地は気が付いた。藤城は背丈も博貴と同じくらいあった。自分に会わせて鏡で見るより藤城に合わせて感じを見る方がわかりやすい。何より彼はおしゃれだ。藤城に聞いてみるのも良いかもしれないと考えた。
「うん?」
「俺、こういうの分からないんです。ちょっと合わせさせて貰っても良いですか?」
「それは構わないよ。その友達ってどんな色が好きなんだい?」
「……それが、聞くの忘れちゃって……でも、こんな機会が無いと俺……一人でこんな所に来るなんて出来ないし……もう、今日きめちゃえって……」
そう言うと藤城は笑いを堪えた笑みを浮かべた。貧乏人だと思われただろうなあと考えたが、そうなのだから別に構わなかった。とりあえずとっとと決めようと大地は何となくいいなあと思った幾つかのネクタイを藤城の首元に持っていこうとするが、背が高い為に併せにくい。それに気が付いた藤城が店内に置かれている椅子に座った。
「済みません」
「いや、楽しませて貰ってるよ」
藤城は満面の笑みだった。
「……うーん……どうしようかなあ……」
あっちもこっちも合わせてみるがなかなかピンとこないのだ。良いと思うのはどれも値段が追いつかない。だが最後に見つけたネクタイがなかなか良かった。パッと見た感じは燻したような銀色なのだが、照明などの光があたると、その部分だけ金色にひかった。良く見ると金色の糸が複雑に編まれているのだ。お店の照明に映えると綺麗だろうなあと大地は思った。サラリーマンには似合わないだろうが、ホストの博貴にはピッタリに思えた。
「これ……これにしよ」
ようやく決まり大地は嬉しくて仕方がなかった。
「良かったね。友達もきっと喜ぶよ」
「ありがとう藤城さん。藤城さんのお陰だよ」
「いや、私はただ座っていただけだからね」
何故か藤城も嬉しそうだった。
綺麗に包装してもらい、リボンをつけてもらった。さすがに高級なネクタイは包装も高級だった。これを渡したとき博貴はどんな顔をするだろうか?そんなことが頭から離れず終始笑みが顔に浮かんでいるのが大地にも分かっていたが、それを押さえることが出来ないのだ。周りから見ると気持ちが悪いかもしれない。
「大君は自分のは買わないのかい?」
「と、とんでもない!そんなお金ないです。それにあってもこんな高いネクタイ、俺には似合わないから……」
「一つ買ってあげようか?」
リンゴでも買うように藤城は言った。
「え、駄目です。夕ご飯までご馳走になったのに、この上何か買ってもらうなんて出来ませんよ」
必死に大地はそう言った。真喜子はスーツを買ってもらっているのだ。その上藤城が持っている紙袋の数……これらも真喜子が買わせたのだろう。だが真喜子はいつものことなのだから、慣れているのだろうが、大地は違うのだ。
「そうか、なら無理に薦めるのは止めた方がいいな。君に嫌われたくないからね」
藤城はそう言って笑った。どういう意味か良く分からない。
「……真喜子さん遅いなあ……」
「そうそう、済んだらホテル前の喫茶店で待ってると言っていたよ」
全く真喜子にはかなわない。だが、まあ、ずっと気になっていた用事を済ませることが出来た大地はホッとした。
真喜子が待つ喫茶店でお茶を飲み、それが終わると藤城は一人ずつ車で送ってくれた。まず、大地のうちへ送ってくれた。コーポに着くと藤城は先程持っていた紙袋持って大地の部屋の玄関まで見送りに来た。何故紙袋まで?と思っていると藤城が言った。
「これは君に買ったんだよ。だから受け取ってくれないか?」
「え、駄目ですって……そんな……お断りしたじゃないですか」
「それを聞く前に買ってしまったんだからね。仕方ないと諦めて受け取って欲しいんだよ。それにこんな時間に押し問答してると近所迷惑だよ。だから受け取ってもらえないかい?」
「……俺……そんな貧乏じゃないですよ」
「そう言う訳じゃないんだ。ちょっと競馬で大当たりしてね。あぶく銭はこうやって誰かにばらまくことにしているんだ。でないと、運が逃げるって言うからね」
宝くじでそう言う話は聞いたことがあるが、競馬の当たりでもそうなのだろうか?
「……でも」
「実はね、真喜子さんは二十万のスーツに値段が言えないバックを買わされてしまったよ。だから大君にもね」
あくまでサラリと藤城が言った。
「に……二十万!」
大地は開いた口が塞がらなかった。
「だから気にしなくて良いんだよ。滅多にないことだから」
この場合貰った方が良いのだろうか?
「それなら……藤城さんのご両親にでも……あ、恋人とか……」
そう言うと藤城は笑い出した。
「君は楽しい子だね。じゃあ、又ね大君」
藤城は荷物を置いたまま、さっさとコーポの階段を降りていった。こちらが呼び止めても振り返らなかった。
どうしようかと思ったが、仕方がないので大地は三つの紙袋を持ってうちのなかに入った。何を買ってくれたのだろうと思って、早速広げてみるとコートとスーツ、それに三枚もシャツが入っていた。なんだか就職祝いっぽくて思わず笑ってしまったが、どれもこれもブランド物だった。スーツには、サイズが合わない場合は無料で仕立て直し致しますと書かれたメモが入っていた。
「藤城さんって……いくら儲けたんだろう……」
大地は広げたまま呆然としてしまった。
朝の三時に帰宅した博貴は隣で眠っているであろう大地の部屋へ扉を開けて、彼を起こさないように部屋へと入った。普段ならそんなことはしないのだが、今日見たことを信じられなくて確かめたかったのだ。
大地は真っ暗が嫌いなせいか、白熱灯を点けたままにしていた。キョロキョロと周りを見回すと、例の紙袋を見つけた。
「……」
今日、常連の客に店から連れ出され、仕方なくショッピングにつき合ったのだ。そこで見たのは大地が見知らぬ男にネクタイを選んであげていた姿だった。その顔があまりにも嬉しそうであったので、思わず走り出して問いつめたくなったくらいだ。で、その男は紙袋をやたらに持っていた。その袋が今この部屋にあった。商品を見るとどれも高いブランドの包装紙だった。大地の給料でこんな物が買えるわけはないのだ。
今日は真喜子と食事だと言っていたが、それは嘘だったのだ。では誰と食事をしてきたのだろうか?一緒にいた男とだったのだ。
嘘をつくということは大地自身が後ろめたく思っているからだ。大地の兄弟二人の顔は知っていた。だから例の男がそのどちらでも無いことは分かっていた。
問いただしたいと言う気持ちが沸々とおこってくる。聞くとなんと答えるだろうか?
「大ちゃん……」
眠っている大地は気持ちよさそうな顔をして眠っていた。同じように横になって、博貴は大地の額にかかる髪の毛をかき上げた。
「なーんか隠してるだろ……」
答えが返ってくるわけでもないのに、博貴は眠っている恋人にそう呟いた。相手を良く見はしなかったが、落ち着いた感じの男であった。自分と比べて包容力があるような気がした。
「……服が欲しかったら……私だって君に買ってあげるよ。君が欲しい物はなんだってそろえてあげる。でもそういうことしたら大ちゃん怒るだろ?でも、あの男なら君は買ってもらったりするのかい?……はあ、眠ってるのに聞いても無駄だねえ……」
一人で呟くことに空しさを覚えた博貴はそう言って自分も目を閉じた。とりあえずこのまま朝を迎えて、大地が起きる頃にこちらも起きると良いのだと言い聞かせた。大地はなんと答えるんだろう……不安がよぎりながら、博貴は眠りについた。
気が付くと大地は既に起きて朝食の用意をしていた。まだ眠かったが、博貴は身体を起こした。眠ったときには掛けなかった毛布が自分に掛けられているのは大地が掛けてくれたのだろう。それだけで博貴は嬉しかった。
「お前遅かったんだろ。眠いんじゃねえの?いいから、寝てろよ」
ちらっとこっちを向いて大地は言った。いつも通りだ。聞こうか聞くまいかを考えているうちに朝食が並んだ。
ハムエッグにみそ汁の良い香りが漂う。
「起きたてみたいだけど、食べる?」
覗き込むように大地はそう言った。
「もちろん……」
座り直して博貴は言った。
「起きたてに食うと身体変になるぞ」
ははと笑いながら大地は言った。
「……ねえ、大ちゃん。その紙袋何?」
博貴はいきなり切り込んでしまった。
「えっ……あ、こ、これ?」
大地の顔色が急に変わったのを博貴はみのがさなかった。やっぱり後ろめたいとおもっているのだ。
「私には見慣れたブランドの紙袋だなあってね」
「……ま、真喜子さんに買ってもらったんだよ」
どうして嘘だと分かるのに、大地は嘘を言うのだろうか?
「ふうん……どうして真喜子さんが君にこういう物をプレゼントするんだい?」
はっきりと言ってやった方が良いのだろうか?だがそんなことを言ってとんでもない結果になったらどうするのだ?そんなことを考えると博貴はこれ以上の事は言えなかった。
「え……はは、そんなのどうでもいいだろ、俺、もう、仕事に行くから……」
さっきまで箸を持っていた大地は、それを放り出して立ち上がり、わたわたと上着を羽織った。
「そう……」
煮え切らない状態で博貴は大地を送り出した。
残された博貴は一人で、もそもそと朝食を食べた。確かに起き抜けに食べるのは身体に悪そうだ。味覚もはっきりしない。
どうする?今週大地は日勤だ。木曜はこちらは休みだが、いくら何でも誕生日にもめたくはない。とにかく、真喜子にまず聞いてみるのだ。彼女がそんな約束はしていないと言えば、大地が完全にあの男を隠したいと思っていることになるからだ。
朝早くであったが、博貴はもう、いても立ってもいられずに真喜子の自宅へ電話を掛けた。なんコールか目に彼女は出た。
『もしもし……』
まだ眠そうな声であった。
「真喜子さん。大良だけど、ちょっと聞いて良いかな」
『え、ああ。光ちゃん……。どうしたのよこんなに朝早く……』
カタカタと音がしているのは真喜子がコーヒーの準備でもしているようであった。
「昨日……大ちゃんを食事に誘った?」
『ええ、それがどうしたの?別に誘惑はしていないわよ』
くすくす笑いながら真喜子がそう言った。なんだか訳が分からない。
「ふうん。で、何か買い物をした?」
『スーツを買って……鞄を買ったわよ。でもそう言うの貴方に関係ないでしょ。どうしたの?』
「大ちゃんにも何か買ってあげた?」
『え、あ。そうそう。買ったわよ。気にしないで、私の道楽だと思ってよ』
いつも通りに聞こえる真喜子の声は彼女を知らなければ分からないほどの微妙な違いがあった。
「買ってもらうことはあっても買うことはしないのが真喜子さんの信条だったでしょ」
やや皮肉った言い方であった。
『やあねえ、大ちゃんは特別よ。なんだか光ちゃん変ね。まあ、誕生日楽しみにしていたらいいわ』
そんなことより今の状況が知りたいのだ。絶対、何か真喜子も隠していると思うからだ。だがこの調子で真喜子に問いただしたとしても、真喜子が買ったと言ったのなら、それを覆すことを彼女は言わないだろう。
「……分かった」
何も聞き出せないと思った博貴は電話を切った。
「一体何を隠してるんだ……」
腕を組んで考え込んだが、何も思いつかないのだ。こんな風に自分が悩むことになるなんて思いもよらなかった。
「やばかったなあ……」
大地は小さくそう言って、警備員室の椅子に座り直した。あの紙袋が博貴に見つかったのはまずかったと大地は思った。押入に直しておけば良かったのだ。だが、そう考えるのも遅く、真喜子に貰ったなどと苦しい言い訳をしなくてはならなくなった。嘘をついたと気付かれたかもしれない。自分でも馬鹿馬鹿しいくらい滑稽に言い訳したからだ。多分その事で又博貴に聞かれるだろう。正直に言った方が良いのだろうか?だが、そうすると真喜子に申し訳なく思うのだ。そこに携帯が鳴った。
「もしもし……あ、兄ちゃん……もー俺、仕事中だよ」
相手は戸浪だった。
『悪い、早樹にいから連絡あってな。今週の木曜空けておけよ。その日に横浜に上陸して次の日にはまた演習に出るらしいから、その日しか会えないらしいんだ。早樹にい、お前に会いたがっていたから、絶対予定入れるなよ』
「え、あ、うん。分かった」
『早樹にいからもお前にきつく言って貰わないとな』
そう言って戸浪は携帯を切った。
「全くもう…兄ちゃんには困っ…あ、木曜?ちょっと待て、木曜は博貴との約束が……」
さあああっと大地は血の気が引いた。木曜は博貴と先に約束をしていたのだ。それも博貴の誕生日なのだ。だが、早樹は海上自衛隊に所属している。そのため滅多に会えないのだ。それを裏付けるように戸浪は、早樹が木曜だけしか上陸せずに又、海上に演習に出ると言っていた。その日に会わなければ今度何時会えるか分からない。
どうしよう……大地は困ってしまった。どちらも大事なのだ。だが、博貴の誕生日のお祝いは日を改めることは出来る。何より博貴とは毎日会うことだって出来るのだ。事情を説明すれば分かってくれるだろう。
そんなことをうだうだ考えているとお昼になった。博貴のプレゼントを買ったために、まともなお昼を当分食べられないのだ。見られるとかっこわるいのでパンとおにぎり一つを持ってこそこそと屋上に上がり、あちらこちらを這っているダクトの上に座わって、パンをかじった。
一般の人はここには入られない。大地は管理用のキーを使ってここに入ったのだ。警備員の特権というのだろうか?
パン一つにおにぎり一個、飲みのも無し。それはなんだか寂しいお昼だが、気持ちは満たされていた。ネクタイを早く渡したくて仕方ないのだ。どんな風に喜んでくれるのだろうかと考えるとなんだかうきうきとした気分がずっと心の中にあるのだ。引き締めていないと、いつの間にかニタニタと笑いが漏れてしまう。
「大君!」
いきなり声をかけられた大地は喉にパンを詰まらせた。
「だ、大丈夫かい?」
藤城は咳き込んでいる大地の背中を叩きながらそう言った。
「な、なんで、ここに藤城さんがいるんですか?び、びっくりした……」
「それは、私が聞きたいね。ここは母の経営しているビルの一つで、私も手伝っているんだよ。で、お昼はたまに屋上で食べることにしているんだが、そう言えば大君、警備員だったね。ああ、大東警備保障と契約していたことをすっかり忘れていたよ」
そう言って藤城は笑った。なんだか、タイミングが良すぎるような気もしたが、別に気にする程の事でもないだろうと大地は思った。
「そうだったのですか……こんなビルのオーナーだなんてすごいですね」
「母がだよ。私は手伝っているだけだからね。それより、君、それでお腹が一杯になるのかい?」
「え、ははは。ちょっと身分不相応な買い物をこの間したので……」
「ふうん。余程、大切な人なんだね。その人は……」
意味ありげに藤城がそう言うので、大地は思わず笑って誤魔化した。
「まだお腹に余裕があるのなら、サンドイッチでも食べるかい?」
そう言って藤城は手に持っていた紙袋を開けた。
「え?」
「はい、缶コーヒーも一本君にあげるよ」
そう言ってクラブサンドと缶コーヒーを手渡された。
「でも、俺、こんなにして貰う理由は……」
欲しいと思うがそんなことは言えなかった。
「いいんだよ。どうせ私も食べきれないんだから……」
藤城はそう言って自分のサンドを口にほおばった。大地も遠慮なくそれを貰うことにした。断ると余計に申し訳ないような気がしたからだ。
「美味し……」
そのクラブサンドは、野菜や鶏肉が沢山挟まれており、かみしめればかみしめるほど、濃厚なソースが口一杯に広がった。
「だろう?私はここのサンドイッチのファンなんだよ」
「俺もファンになります」
大地はすかさずそう言った。
そうして暫く二人でたわいもない話をし、時間を潰した。
「さてと、私もそろそろ自分の仕事に戻らないとね……。君はまだ休憩時間なんだろう?ゆっくり食べてしっかり仕事するんだよ」
そう言って藤城は立ち上がった。
「あの……ごちそうさまでした」
大地が言うと、藤城は手を振った。
「……いい人だなあ……都会にもいい人がいるんだ……」
去っていく藤城の背中を見つめながら大地は思った。そう言えば博貴にしろ真喜子にしろ出合う人達はいい人達ばかりだ。これはラッキーなことなんだろうと、大地は出会いに感謝した。
仕事も終わり、うちに帰ってくると、まだ博貴がいるような気配がした。とにかく木曜の事だけは言わなければならないと思ったのだ。
「大良!」
「ああ、大ちゃんどうしたんだい?」
博貴は既に出かける用意が済み、玄関で靴を履いていた。
「あの……本当にごめん!俺、木曜駄目になっちゃったんだ。博貴にはすごく悪いと思うんだけど……」
「……そう。仕方ないね」
博貴は顔に笑みを浮かべていた。怒っている様子はない。
「早樹にいがその日しか駄目で……その日逃したらまた演習に出ちゃって……今度何時会えるか分からないんだ。だから……ごめん……日を代えていい?」
「えっと一番上のお兄さんだね?」
「うん。早樹にいは海上自衛隊に入ってるんだ。それで木曜しかこっちに上陸しないからって……」
「それじゃあ仕方ないね」
博貴はそう言った。怒っている様子はない。
「ほんとごめんな」
「大地……ちょっと……」
博貴はそう言って手招きした。そろっと近づくと、博貴はギュッと大地を抱きしめた。
「大地……聞きたいことが沢山あるよ……」
「え……な……」
なに?と聞こうとしたが、博貴の唇が重なって言葉が途中で止まった。忍ばせてくるような博貴の舌が、こちらに絡まった。すると自然に大地の腕は博貴の背中に廻る。暫くそうしていると、急に博貴の方から離された。
「駄目だ……これ以上大ちゃんを抱きしめていたら、そのままベットに行きたくなるよ」
口元に笑みを浮かべて博貴は言った。
「あのな……」
「じゃあ、大ちゃん。仕事に行ってくるよ」
「あ、うん」
博貴を送り出した後、彼は何を聞きたかったのだろうかと大地は考えた。やっぱりあの荷物の事だろうか?きちんと言った方が誤解が無いのかもしれない。だが今週大地は日勤でほとんど博貴と会う時間が無かったのだ。ゆっくり抱き合うことも出来ない。木曜は早めに切り上げて帰ろうと大地は思った。なら、プレゼントくらい渡すことが出来るはずだ。
ごめん……博貴……大地は呟いた。