Angel Sugar

「嫉妬かもしんない」 第4章

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 藤城が離れ、何事もなかったような笑みで「お休み」といって帰っていくのを、大地は呆然と眺めている事しかできなかった。暫くして、ようやく頭がはっきりしてくると、大地は置いて帰られた荷物を持ってそそくさと部屋に入った。そうして触れられた唇を自分の指でなぞった。
「俺……何やったんだ?」
 つぶやきが自分しかいない部屋にこだました。
「とにかく……貰ったもの片づけよ……」
 言いながら紙袋から藤城の言った貰い物を開けた。パスタやそれらを絡めるソースの缶、ソーメンにうどん。なんだか麺類が多いと思わず笑いが漏れた。他には水で戻す切り干し大根やら高野豆腐などが詰められている。その上おもちなんかもあった。どれもこれも繋がりのない物が色々入っているので、日持ちのする物を選んで入れてくれたのだろう。大地はそんな藤城の優しさに感謝した。
 もしかして、藤城に惹かれているのだろうか?
「大ちゃん……」
「わあっ……!」
 博貴が扉を開けて入ってきたので大地は驚いた。仕事ではなかったのか?
「ここしばらく休んでるんだよ……君の所為で店に出られなくてね」
 氷を入れたビニールを頬に当てており、良くは見えないが、大地が殴った頬が腫れていた。そんなに強く殴った覚えはなかった。
「別に、謝るつもり無いぞ……」
 大地は広げた品物をキッチンの戸棚に直しながらそう言った。
「君じゃなかったら慰謝料請求してたよ。一日で私がどれだけ稼ぐか言わなくても分かると思うけどね」
「俺にそんな甲斐性なんてねえよ……そう言う言いがかりは金のある奴に言うんだな」
「金のある男に色々買ってもらっちゃったりしてる大ちゃんだもんね。そんな大地に言う方が間違いか……」
 こいつ、藤城さんの事を知っているんだ。それを知った大地は頭に来た。博貴のプレゼントを買って生活費が無いことを分からないのだろうか?
「……お前より優しい人だよ……」
 博貴の方を見ずに大地は言った。今は視界に入るのも腹立たしい。
「大地……それは下心があるからだよ……」
 片づけている真横に立った博貴がまじめくさった声でそう言った。
「下司な言い方止めろよ」
 博貴は何処まで人を斜めに見るのだろうか?
「それしかないだろ、見ず知らずの君に優しくする理由なんてね」
「下心……あってもいいよ。それに俺だって馬鹿じゃないよ。そんなこと分かってたし、でも俺、嫌いじゃないから……」
 藤城と寝ることなど考えられなかったが、あまりの博貴の言いようにむかついた大地はそう言った。
「……大地……」
 ちょっとは堪えたか!と大地が思うと博貴は腕を掴んだ。
「なんだよ。離せよ……大良にもう関係ないだろ」
「君は物につられるような男だった?」
 冗談で言っている目じゃなかった。それが余計に神経を逆撫でされた。
「お前は誰にそんなこと言ってるんだよ!俺は物乞いじゃねえぞ!」
「大地……」
 いきなり組み伏せられて大地は息が止まりそうになった。
「馬鹿やろう……離せ……何考えてるんだよ!」
「ねえ、自分の物にちょっかい出されて黙ってると思ってるのか?」
 その言葉で大地は分かった。先程のことを博貴はどこからか見ていたのだろう。だからこんな風に怒っているのだ。
「俺は……誰のもんでもねえ!品物じゃねえぞ」
「君は私のものだ……約束しただろう」
羽交い締めにされ、動けなくなった大地の首元に博貴の唇が当たった。
「都合の良いときだけ自分の物だなんて言うな!俺の事なんてお前は何とも思ってねえくせに!いらなくなったのに他人に取られるのが気に入らないのか?」
「君のことを、いらないなんて言ってないだろう。どうしてそう思うのか私にはわからないね」
 ついこの間、大地の精一杯の気持ちを捨てろと言った事を博貴は忘れているのか?いや、都合の悪いことは全部忘れるのだ。今、博貴にあるのはやることだけなのだろう。どうでもいいのに、ちょっかいを出されて興奮してるのだろうか?多分そんなところだろう。
 博貴にはいくらでも相手はいるのだ。それは全部自分の物で、大地もそこに含まれている。だからいらなくなっても手放すのは……いや、他人にちょっかいをかけられるのは、プライドが許さないのだ。
「嫌だ……離せ……畜生!」
 病み上がりの身体はそれほど力が出ないのだ。息切れも簡単に起こす。それなのに博貴は大地のシャツを捲り上げようとしていた。反抗すればするほど博貴に抱き込まれ身動きが取れなくなる。どうあっても逃れられない状況に大地は涙が零れた。
「どうせ……お前は俺が嫌がっても無理矢理やるんだろ……やれよ……心が無い身体だけでいいんなら抱けよ!お前の気の済むまでやればいい!」
 心が無いもの同士抱き合うのも滑稽なのかもしれない。そう思うと涙がポロポロとこぼれ落ちる。何時の間にこんな風になってしまったのだろう。大地には分からなかった。抱き合うことが幸せで、一緒にいるとが楽しかった博貴を、遠くに感じた。
「大地……もしかして君……この二日間……あの男のうちにいたのか?」
 信じられないと言う瞳で博貴は言った。
「いたよ……二日間……ずっと俺の面倒を見てくれた……他にも聞きたかったら全部話すけど……聞きたいのか?」
勝手に誤解すれば良いんだ。大地はそう思った。
「大……地……」
 博貴は大地を離すと考え込むような表情を見せた。
「……」
 互いに沈黙し、先にそれを破ったのは博貴であった。
「そっか、大ちゃん……好きな人が出来たんだ。仕方ないねえ……うん」
 まるで世間話でもしているような博貴の口調に大地は絶句した。
「分かった。ごめん。大ちゃんの気持ちも考えずにさ……悪かったよ」
 はは、と笑って博貴は立ち上がった。こちらはその豹変ぶりについていけない。
「じゃ、ね」
 博貴はにっこりと笑いながらそう言って立ち上がると、扉を開けて自分の部屋へと戻っていった。大地はただ呆然とそれを見送った。



「珍しいわね。大ちゃんからお誘いがあるなんて。今日は会社休みなの?」
 真喜子はそう言って大地を覗き込んだ。
 博貴の態度があまりにも理解できなかった大地は、暫く日が経ってから真喜子に電話をし、相談に乗って貰うことにしたのだ。付き合いの長い真喜子なら博貴のことが分かるかもしれないと思ったのだ。
 今日は大地が休みであったために昼間なら大丈夫だろうと真喜子に連絡をしたのだった。
「休みです。それと、あの……俺、あんまりお金無いから……割り勘でも良いですか?」
 先にそれを断っておかないと、喫茶店代もかなり苦しいのだ。
「もうー大ちゃんが苦しいの知ってるわよ。だって四万もするプレゼント買ったんだもの、ここは私のおごり。で、光ちゃんも喜んでくれたでしょ」
 何も知らない真喜子はそう言って笑顔を見せた。
「……それが……いらないって言われて……」
「はあ?何それ……」
「俺、プレゼント渡そうとしたら、大良に断られたんです。で、最後には捨ててくれた方がいいってまで言われちゃって……なんだか俺……あいつが分からないんです」
 思い出すのも辛かったが、何とか真喜子にそう言った。
「……変ねえ……大ちゃんからのプレゼントなのに……何をへそ曲げてるのかしら……」
 真喜子は不思議そうな顔をしている。
「俺……心当たりがあると言ったら一つくらいで……」
 そう言って大地は先に博貴と約束をしていたにも関わらず、兄の方の約束を優先したことや、そのとき博貴が女性とホテルに入っていった事などを真喜子に話した。
 全て話し終えると、喉がからからに乾いていた。 
「……ねえ、大ちゃん……。私だって光ちゃんのこと全部分かる訳じゃないの。貴方も気が付いてると思うけど、自分のこと余り話す人じゃないでしょ?ただねえ、私思うんだけど……」
 と、言って真喜子はくすくすと笑いだした。
「あの……真喜子さん……?」
「ごめんね。なんだか可笑しくて……。光ちゃんって聞いてるとどうも本気の恋をしたことが無いみたいだから……。うーん……したこと無かったのかもしれないわね」
 それは大地も含まれているのだろう。
「それは……知ってます……今更……」
「あ、違うの違うの。大ちゃんが初めて本気になった相手だから、光ちゃんは、どうして良いか分からないのかもしれないなあって思って……。確かに彼は女性の扱いを心得てるし、もてるわよ。でも大ちゃんが思ってるほど光ちゃんは誰でも、そうね貴方に出合う前だって、女をとっかえひっかえ自宅に連れ込むようなタイプじゃなかったわ。ホストのトップまで行く人間は、客とはやらない人の方が多いのよ。まあ、光ちゃんだって男だし、ごくたまに、そういうことしてたみたいだけど、前に一度聞いた事があるんだけど、やること自体淡泊だって言ってたしね。女性に優しいけど、仕事上だけっていうなんかこう、顔は笑ってるけど、意外に冷たい所もあるしさあ。そんな光ちゃんが本気になったんだから、あっちもどうして良いのか分からないのかもしれないわよ」
 にわかに信じられないような真喜子の話だった。
「どうして良いか分からないからって……そんなの変です。だって、それじゃあ、プレゼントを捨ててくれた方が良いとか、あんな簡単に好きな人ができたんだあ、じゃ、ってそれだけで終わるなんて俺、理解できないんです。あれ以来……あいつ何も無かったように普通に話してくるし……。この間まで……その、一応つき合ってたし、そういう関係だったのに、何にも無かったみたいなお隣づきあいに突然なれるなんて……俺には分からない。そりゃ、もう、ご飯作ってとか言わないけど……なんか、俺だけ置いてけぼり食らったみたいで……。だからもう、俺達終わってるんだって思おうとしてるけど、俺だけなんか引きずっていて……」
 ギュッと唇をかんで大地は言った。
「ねえ、大ちゃん。あのね、前に貴方お兄さんのうちに出ていったことあったでしょ。あのとき、初めて私光ちゃんから相談受けたのよ。まあ、相談って言っても私が聞き出した様なものだったけどね。たしかに私達付き合い長いし、相談は乗ってくれるわよ。でも光ちゃんは私に相談しない人だったのよ。こっちは友達だって思ってたけど、あっちは違うのかなあって思ったこともあった位よ。本当に光ちゃんは自分のことは滅多に話さないの……。でも、大ちゃんが出ていったとき、本当に辛そうで……あんな光ちゃん見たこと無かったわ。だって去る者は追わずの光ちゃんよ。それが大ちゃんを迎えに行ったんだからそれだけ真剣なのよ。でも、あの時も行きたいくせに、自分には勿体ないだのなんだのとうじうじ言うもんだから、こっちが煽ってやった位なんだから。だからそのとき思ったの。この人は本当の恋をしたことがなかったんだなあって……。知らなかったから、次にどうして良いのか分からなくなるんだと思うの。だからね、大ちゃん。きちんと光ちゃんと話してみたらどう?感情的にならないで、聞きたいこと、言いたいことちゃんと言って、それでも駄目なら貴方も気が済むんじゃないの?聞けないから、言えないから……置いてけぼり食ってるような気がするのよ……きっと」
「……真喜子さん……」
 真喜子の言う通りだった。ちゃんと話したいのに、距離が出来てしまったことで言い出せなかったのだ。それが辛かった。
「ほらあ、そんな情けない顔しないの。光ちゃんは、大ちゃんが聞けば、はぐらかしたりしないわよ……私は良くはぐらかされたけど」
 そう言って真喜子は笑った。
「うん……ありがとう真喜子さん。ちょっと元気になった……」
「じゃ、さっさと帰って光ちゃんのうちに行って来なさい。その代わり、今度ボーナス出たら、美味しい物ご馳走しなさいよ」
 真喜子はそう言って、レシートを持って立ち上がった。
「根性出来たうちに……話してみるよ」
 真喜子と並んで大地はそう言った。
「途中で気が滅入って、ふらふらと寄り道しないように、送って行くわ」
 表に出たところで真喜子はタクシーを止め、大地を乗せるとうちまで送ってくれた。コーポに着くと真喜子は大地にガッツポーズをして見せた。大地は真喜子に相談して本当に良かったと思いながら、階段を上がった。
 よしっ……玉砕するなら、玉砕してやる!大地は心の中でそう言って、両頬をぱしっと叩いた。それでも考えてみると既に玉砕しているのでは無いのだろうか?だが、このままでは自分の気持ちが納得いかないのだ。
 部屋に入って、いずれ無くさないとと思っていた扉を開けて博貴の部屋へと入ったが、博貴はいなかった。折角奮い立った気持ちがしぼみそうな気分であった。出かけたのだろうかと思いながら、一階に下りると博貴はその部屋にあるベットの上に、無造作に着たバスローブ姿で寝転がっていた。
 手元には色々本が乗っており、昨日読んでそのまま寝てしまったような感じであった。
「なあ……ちょっといいか?」
 床に座って、遠慮がちに大地は言った。眠って起きないかもしれない。だが無理矢理起こすのも申し訳ないと思ったのだ。
「……ん……あれ、大ちゃんどうしたの?」
 伸びをしながら博貴は身体を起こした。
「……え……その」
 ここまで来て後込みしている自分を叱咤しながら大地は言葉を繋ごうとした。
「何か悩んでるの?」
 お前の事で悩んでるんだと叫びそうになりなった。
「もうさ、俺達別に特別な関係じゃないの分かってるんだけど……」
 そう言うと博貴は、うんうんという感じに頷いた。もう、博貴の方は大地を見ても何の感慨も涌かないのだろう。大地だけが、まだ引きずっているのだ。真喜子は本気になったのは大地だけだと言ってくれたが、そうなら、こんな風に普通に出来るわけがないのだ。
 以前の様に戻れるという希望はもう持っていない。ただ、はっきりしなければこちらはずっと引きずってしまうのだ。
「俺……どうしても聞いておきたいことがあるんだ。ここで聞かなきゃ、俺この先ずっとその事で悩みそうでさ……聞いて良いか?」
「いいよ。なんだい?」
 博貴はいつも見せる、ちょっと笑みを浮かべている表情で言った。
「俺、聞きたかったんだ……どうして俺が買ったプレゼント受け取って貰えなかったんだろうって。お前言ったよな、俺が一番分かってるみたいなことさ……。でも俺どう考えても分からないんだ。そのプレゼント買った所為で、俺、今月無茶苦茶生活苦しくなってるんだけど……あ、それを何とかしてくれって言ってるわけじゃないんだ。ただ、あのプレゼント……俺が今出来る精一杯だったのに……どうして捨てろってお前が言ったのか、分からなくて……。もしかしたらお前との約束より兄ちゃんとの約束を優先したのが気に入らなかったのかなとか、四万程度の代物じゃ、不満だったとか……あ、値段ばらしちゃったなあ……まあ、いいか、もうどうでもいいことだし。俺が鈍感で、分からなかったことは悪かったと思うけど、どう考えても分からないから……聞いた方がいいなあと思ってさ。だからちゃんと教えてくれよ」
 そう言うと博貴は本当にびっくりした顔をしていた。こちらの目をじっと凝視したまま視線を外さない。
「大ちゃんが買ったの?」
「誰が買ったプレゼントの話をしてると思ってるんだよ。お前まだ寝ぼけてるだろ。仕方ないなあ……もう少し時間をおいてから来るよ」
 なんだかもう聞くのが嫌になった。こっちは真剣なのに博貴が寝ぼけたことを言うからだった。
「大ちゃん……私はちゃんと起きてるよ。で、話は戻るけどね。君が買ったの?」
「お前やっぱり寝ぼけてるって。それとも、とぼけてるのか?」
 冷静にと言われていたが、博貴が同じ事を二度繰り返し言ったことで又ムッとしたが、そこはぐっと堪えた。
「……俺が買って、お前が捨てろって言った誕生日プレゼントの話してるんだよ」
「……」
 今度は沈黙だった。それほど言いたくない理由なのだろうか?
「じゃあ、それはあとでも良いよ。お前は忘れたのかもしれないけど、以前俺に色々聞きたいことあるって言ったよな。何を聞きたかったんだよ」
 又沈黙だった。
「……分かったよ。もう良いよ。今更、言いたくないんだろ。俺だけが気になってただけなんだからな……。お前には、もうどうでも良いことなんだ……」
 一気にくじけた自分の気持ちが、さっさとここから出たいと言っていた。
「ね、そのプレゼントどうしたんだい?」
「捨てた。お前が捨てろって言ったからな……。だからそんな話ししに来たんじゃねえんだよ……俺は……。ただ、どうして捨てろとまで嫌がられたのか、その理由が知りたかったんだ。答えてくれないんだったら、俺もう帰るよ。悪いな……寝てるとこ邪魔して……」
「大地……」
 久しぶりに聞いた、大地と言う博貴の声が懐かしく感じた。その声で甘く囁いてくれた事もあったのだ。
「……答える気になったのか?なら、もう少しここにいる」
 大地は床に置いてあるクッションを引き寄せ、それを抱えてそう言った。
「……実はね……大地……私は……」
 ベットに腰をかけたまま、言いにくそうに博貴が言った。
「俺、ショック受けたりしないぞ。だってもう終わったことなんだからさ。はっきり言ってくれて良いよ」
 既に散々泣いて、けりを付けたつもりだからだ。同じ事で何度も泣いたりしない。
「…ショックを受けてるのは私のつもりなんだけどね……」
 ちらりとこちらに視線を向けた博貴が言った。
「はあ?お前いい加減にしろよ……散々人をこけにして、何でお前がショック受けてるなんて聞かされなくちゃならねえんだよ!こっちは精神的にも、実生活も滅茶苦茶になってんだぞ!……」
 そこまで言って大地は言葉を切った。
「ごめん……それは俺自分で招いたことなんだからお前に当たっても仕方ないよな……で、お前の言い分は何だよ」
 今日は冷静になるのだと必死に言い聞かせて、何とか高ぶった気持ちを抑えた。
「……以前、君が真喜子さんと食事に出かけると言った日……覚えてるかい?」
「うん……それが?」
「あの日……お客さんにショッピングに無理矢理連れ出されて…で、偶然君を見つけて……大地が……その、藤城という男に嬉しそうにネクタイ選んでいたのを見てしまったんだ。隠れるように見てたら、その藤城がなにやら手に一杯紙袋持っていただろ。その紙袋を君の家で見たものだから……私は……その、てっきり……」
 チラチラとこちらの顔色を窺いながら博貴はそう言った。
「ま、さ、か、てめえ!俺が藤城さんにお前のプレゼントまで買ってもらったと思ったと言うんじゃねえだろうな!」
 あまりの発想に怒るどころか呆れ返った大地はジロリと博貴を見つめた。すると博貴は手を合わせると頭を下げて、ごめんと言うポーズを取った。
「そ、そんな失礼なことすると思ってるのか?俺が、お前にだよ!人に買ってもらっものをプレゼントするなんて……そんなこと……。いい加減にしろよ!」
 抱きかかえているクッションが変形するほど大地はそれを握りしめた。
「思ってしまったんだよ……実は……。聞きたかったことはその事だったんだ」
 博貴がそう言ったので大地は目の前が真っ白になって倒れそうになった。
「分かった……俺が悪い訳じゃなかったんだから……スッキリしたよ」
 確かにスッキリした。結局の所、博貴の大きな誤解だったのだ。馬鹿馬鹿しいが、笑いも出ない。博貴が誤解して憂さ晴らしに女とホテルに行ったのだろうか?多分そう言うことだろう。いや、違う。そういう風に疑ってはいけないんだと必死に大地は思った。
「大地……」
 じっとこちらを見つめて博貴が言った。今、博貴はどう思っているのだろう。手を伸ばしてくるのだろうか?まだ、好きだと言う気持ちがあるのだろうか?俺は好きだ。こんな奴だけど……笑えない誤解をした博貴であったが、抱きしめて貰いたいとずっと思っていたのだ。その代役は誰にも出来ないからだ。
 思いっきり抱きしめてくれたら許してやろう。何回も謝ったら、許してやろう……。大地はその考えに鼓動を早めながら博貴の方を見た。
「……なんだよ……」
 言葉はいらない……抱きしめて欲しいんだ。
「あのね……」
 そう言って博貴が立ち上がったときに携帯が鳴った。
「大地、まってて」
 言いながら博貴は携帯を取った。大地は自分が先程考えて事を振り払い、自分の部屋に戻ろうと部屋から出ようとした。するとを携帯片手に持ったまま博貴は大地の腕を掴んだが、それを振り払った。もう何も聞くことは無いのだ。自分のなかで痼りになっていた事は解決したからだ。
 大地は、以前博貴にされたように「じゃあ」と笑顔で言うと、階段を上がり、自分の部屋へ走り込んだ。なんだか胸が痛かった。息切れしそうな程痛い。実際どうして逃げるようにここに帰ってきたのか分かっていた。博貴が客と話すのを聞きたくなかったのだ。それが例え仕事だと分かっていても、博貴が客に甘く囁いたりする声が耳に入るのが耐えられなかったのだ。
 すると扉が叩かれる音が聞こえた。博貴?と大地は思ったが音は玄関から聞こえた。大地は玄関に向かい、扉を開けると藤城が立っていた。
「藤城さん……」
「今日は休みだって聞いたから、食事でも誘おうと思ってね」
 そう言って藤城は笑みを見せた。
「……良いんですか?俺……なんか藤城さんにして貰ってばっかりだけど……」
「なあに、道楽だよ。美味しいランチを食べてドライブでもどうだい?」
「行きます。でも、あんまり高級なのはちょっと……この間は緊張して味が分からなかったから……」
 今ここには居たくなかった。色々余計なことを考えてしまうからだ。
「気が付いていたよ。大丈夫。今度は、緊張しなくても良いところだからね」
 そう言って藤城が歩き出したので、大地も靴を履いて外へと出た。
「そう言えば川原さんが、大地ぼっちゃま何時来てくれるのでしょうと言われててね。食事が済んだらうちに遊びに来ないかい?今日会うかもしれないことを話すと、川原さんが特製アップルパイを作って待ってると伝えて欲しいと言われてるんだ」
「あ、行きます!俺、それにアップルパイ大好きなんです!」
 川原のぽっちゃりした丸顔の笑顔を思い出して、大地は会いたいと思った。
 下まで降り藤城の車に乗ろうとすると「大ちゃん!」と呼ばれた。振り返ると博貴がコーポの二階に立っていた。だが、バスローブ姿だ。
「大良!自分の格好確かめてから外に出ろよ!それ笑えるぞ」
 そう言って大地は藤城の車に乗り込んだ。
 当分、博貴のことを考えたくなかった。



「大地……」
 去っていく車を見つめて博貴は呟いた。今の現状は自分が招いたのだ。冷静に考えると大地が人から買って貰った物を、何食わぬ顔で人にプレゼント出来るようなタイプではないのだ。それなのに、嫉妬心が判断を狂わせたのだ。
 にこやかに去っていった大地は今頃どう思っているのだろうか?いい加減呆れているに違いない。その上、間の悪いことに客からの電話が入った。大地を引き留める事も出来なかった。他にも話したいことが沢山あった。
 とにかく大地が許してくれるまで謝り倒すつもりだった。
 だが、何も話せないうちに大地は藤城と行ってしまった。仕方なく博貴は自分の部屋へと戻った。
 もうどの位大地の手料理を食べていないのだろうか?何時から彼を抱きしめることが出来なくなったのだろうか?
 ……ふとそんなことを考えた。
 大地が精一杯の想いで買ってくれたプレゼントを拒否したのは博貴であった。あの時、今のように話して誤解を解いておれば良かったのだ。出来なかった自分が馬鹿だったのだろう。
 大地は折角買ったプレゼントをどんな気持ちで捨てたのだろう……。それを思うと胸が痛かった。彼をとことん傷つけたのだ。
 大地は今まで相手にしてきた客とは反応が違いすぎるのだ。その分とまどいもある。次にどう大地が出てくるか予想が付かないのだ。こっちが引けば、大抵向こうが追いかけてくるのだ。だが大地に関してはそれは無かった。自分で考えてみれば、と言って突き放したら反省して追いかけてくるだろうと期待して待っていたと言っても過言ではない。それなのに大地は全く違う反応を示したのだ。
 今更そういう駆け引きを大地にしてしまったことを後悔してもどうにもならないのは分かっていた。だが、大地をこのまま藤城に渡してしまうのか?あの男にどれだけ嫉妬しているか大地は知らないだろう。
 ネクタイを選んでいた所を見て、本当に頭に来たのだ。そんな感情は初めてだった。持て余し、どう扱って良いのか分からなかった。だから意固地になって、理由も言わずに大地に当たってしまった。
 既に大地はあの男に抱かれたのだろうか?だが玄関口で藤城のキスを逆らうことなく受け入れた大地を見るとそうなのかもしれない。何よりいなくなった二日間あの男の家に居たと大地は言った。二日間……何があったか全部話そうかと言われ、博貴は怖くて聞けなかった。笑って逃げる方を選んだのだ。
 嫉妬……嫉妬している。それは酷く自分自身を苛んでいた。ずっとどす黒い物が心に澱んでいるのだ。大地を渡したくない。誰にもだった。大地相手にどんな駆け引きも必要ないのだ。しても大地が分からないからだ。単純だから、こちらも単純に正直にぶつかるしかない。何故、今までそれを分からなかったのだろう。定石に当てはめていた自分が馬鹿だったと博貴は思った。
 だが、今更謝って大地が戻ってきてくれるだろうか?傷ついた大地を慰めたのは藤城だろう。大地の心が既にこちらに無いことも考えられる。いや、その可能性の方が高い。そんな大地に愛していると言う言葉が届だろうか?それはあまりにもご都合主義な希望的観測だ。博貴はそう確信して唇を噛んだ。



 食事を終え、藤城のうちへ行くと川原が嬉しそうに迎えてくれた。川原の作ったアップルパイは今まで本当のアップルパイを食べたことが無かったのではないかと言うくらい美味しかったのだ。残った分は持ち帰ることが出来るように包んでくれた。
 お昼のランチも美味しく、アップルパイも堪能した。胃の方は満足で満たされていたが、藤城と話している間も、心に吹く冷たい風をずっと感じていた。
「……あれが彼氏だろう?」
 突然そう藤城に言われて、大地は沈黙した。
「……」
「多分そうだろうと思っていたんだよ……」
「……うん。あ、ううん。今は違うと思う……」
 大地は素直にそう言った。
「喧嘩したのかい?」
「くだらない喧嘩……だったと思う……けど、もう終わっちゃったよ」
 ソファーに座って、出された紅茶の表面を眺めながら大地はそう言った。入れたクリームがぐるぐると円をかいていた。
「……あいつもてるし……ホストだから……女には苦労しないし……俺なんか別にどうって事ないんだろうなあって。実際他の女とホテルに入っていくの見たしさ…。はは…変だろ。同性なのに男が好きだったなんてさ……。別に男が好きだった訳じゃないんだけど……何となくそうなっちゃって……」
 恥ずかしく思いながら大地は下を向きつつそう言った。
「変だとは思わないよ。実際私は君が好きだよ」
 真剣な顔で藤城が言った。
「え?」
「別におかしな事を言ったつもりはないんだが……気になっていたのは確かだよ」
「……うん」
 気づいていなかったとは言わない。今のところ受け入れられないだけだ。
「まだ好きなんだろう?」
 そう、博貴が好きなのだ。例えあっちが、もうどう思っていなくても、こればかりはどうにもならない。
「たぶん……」
「忘れたいと思わないかい?」
 そう言って藤城は立ち上がった。
「……思う……ううん。分からないよ」
 忘れたいのだろうか?
 違う。元通りに戻りたいのだ。それが分かっていても、何をどうして良いか分からないだけだ。
「彼は君を裏切るようなことをしたんだろう?」
 いつの間にか藤城は大地の隣に立っていた。それを見上げるように大地はじっと藤城の瞳を見つめた。そして感じる。藤城を決して嫌いだと思っていないことを。
「……俺は……確かに……見たけど……信じるって言ったから。そう言った自分を信じたいんだ。あれは見間違いかもしれないし……」
「君がそう思いたいだけなんだろう?実際は分からないことだ。そうなのか、そうでないのか……ね」
 確信に触れられて大地の心が揺れた。
「俺は……」
 ぐっと引き締めた口元が震えた。目頭が熱い。
「おいで……」
 藤城は大地の手を取って引き寄せた。
「……藤城さん……」
 引き寄せられるままに大地は藤城に従って、居間を出る。そして階段を上がり、二階の一室に入った。そこは寝室だった。キングサイズのベットが大きさ以上に大きく見えた。そのベットに藤城は腰をかけ、立ちすくんでいる大地の両手を取った。
「私が嫌いかい?」
 大地は首を振った。嫌いではない。だがまだ藤城と抱き合うことの現実感が沸かないのだ。
「あの……川原さんがこのうちに……」
 大地は迷っていた。
「あの人には帰って貰ったよ。このうちには君と私だけだ。恥ずかしいことは無いんだよ」
「……俺……シャワー浴びたい……」
「いいよ。ほらそこがバスルームだ」
 藤城が指さす方向を大地は振り返りバスルームを確認するともう一度藤城を見た。藤城は笑みを見せている。それを見ると、ここから逃げ出せなかった。
 大地はバスルームに入り、服を脱ぐとシャワーを浴びた。
 本当に良いのか?何度も心の中で繰り返して問うた。自分の中で決心はまだ出来ていなかった。しかし、ここを出れば有無を言わさず藤城は自分を抱くだろう。
 そうなって後悔しても遅いんだぞ。
 湯が眠ったような頭をはっきりさせてきたが、もう行くところまで行くしかないのだ。今更、帰るとは言い出せない。そう考えると身体が震えてきた。博貴の時には感じなかったものだ。今頃博貴は仕事に出ているだろう。そして日常のように女を口説いているのだ。
 もういい……どうなっても。
 大地はそう思いながらバスルームを出ると、バスタオルで身体を拭き、何時の間にか用意されていたバスローブを着た。そう言えば以前、こういう状況があった。博貴は待ちきれなかったのか、何度も外から大地を呼んだ。外に出ると扉の前で抱きしめられて、キスをされた。あの時が懐かしいと思った。今、ここに博貴は居ないのだ。そして、その代わりに藤城が待っている。
「大良……」 
 小さく呟いて、そんな自分に頭を振って大地は藤城が待っている部屋へ戻ろうと扉を開けた。次に顔を上げて大地は驚いた。
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