Angel Sugar

「嫉妬かもしんない」 第3章

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「早樹にい!」
「おお、大!元気だったか?お前もこっちに出てきたんだなあ。おやじや、母さん寂しがってるだろう」
 子供のように早樹に担がれたが、大地は嬉しかった。早樹はまるで父親のような存在なのだ。九つも離れているとそうなるのかもしれない。
 早樹は浅黒く日に焼けた顔で真っ白な歯を見せて笑っていた。ごつごつとした指がなんだか懐かしい。はたからみると兄弟に見えないほど早樹とは似ていなかった。だが、早樹は父親似で、大地と戸浪は母親似なのだ。
「大は私にはそんな風に喜んでくれなかったな。いきなり、帰れだったからな」
 戸浪は不機嫌にそう言った。
「だって、戸浪にいは、うざいことばっかいうんだもんなあ」
 早樹に下ろされた大地はそう言った。
「なんだって?私はお前が心配だから言っているんだ。何故それがわからないんだ」
 そう言って戸浪は又怒りだした。
「まあまあ、いいじゃないか。大も大人になろうとしているんだから、戸浪も温かく見守ってやるんだな」
 間に入った早樹がそう言った。
「やっぱり早樹にいは違うよな。俺、早樹にい大好きだ」
 そう言って大地は早樹に抱きついた。
「うん。だがまだ子供だから、何かあったらちゃんと戸浪に相談するんだぞ。戸浪もお前が可愛いから、心配しているんだからな。分かっているね大」
「分かってるよ……だって戸浪にいの事だって俺大好きだよ」
 そう言うと戸浪は破顔した。戸浪も大地に弱いのだ。こんな顔は会社の人間が見たら卒倒するだろう。それほど戸浪は笑顔を見せない男なのだ。
「さあ、戸浪、お前何を食わせてくれるんだ?魚は止めろよ。どうせなら、海の上で食えない物がいいな」
「分かってるよ。とにかく車で都内に出よう。予約はしてあるから」
 そう言って戸浪は車に乗るように二人に言った。
 戸浪の車はクリーム色のソアラだった。どうも戸浪はかなり収入があるようだ。
「兄ちゃん……すげえ……車」
「金を掛けるところが無いからな。車くらい良いのに乗りたいだろう?」
 褒められた戸浪はすこぶる機嫌がいい。
「ところで大は警備会社だってな。どこのだ?」
 早樹がそうきいた。
「大東総合警備保障だよ。ちゃんと一部上場企業なんだけど……知ってる?」
「知ってるよ。すごいじゃないか、大」
 嬉しそうに早樹が言った。そんな風に言ってくれたのは早樹だけであった。両親は反対、戸浪もそうであったからだ。
「早樹にいだけだよ……そんな風に言ってくれるの……戸浪にいなんて、ぼろくそ言ったんだからね」
「そうなのか?戸浪」 
 早樹は戸浪をジロリと見つめた。
「……大には似合わないからね」
「俺なんかサラリーマンとしてなら雇ってくれないよ。兄ちゃんみたいにちゃんとした大学も出てないし、出たとしても俺口べただもん……あるのは体力だけだからさ」
 何より後四年も勉強したいと思わなかったのだ。だから就職することを大地は選んだ。
「とにかく……私は心配だから反対したんだ。ああ?」
 丁度信号が赤で車を停車させていた戸浪が、身体をやや乗り出して横を見ていた。
「なんだ戸浪……」
「いや、大、あれ、隣の男だろ、ふうん。まあ、なかなかもてる顔はしていたな」
 意味ありげな戸浪の言葉に大地は顔を上げた。
「え?」
 戸浪が見ている方向を見ると、高級ホテルの通りで博貴が綺麗な女性と何かを話しながら歩いていた。そうしているうちに、博貴はその女性の腰に手を回し、ホテルの入り口を入っていった。
 今のは一体何だろう……。どう言うことなんだろう……。既に車は走り出し、二人は見えなくなった。
 今日は博貴の誕生日のはずであった。本当なら大地が一緒に居るはずなのだが、早樹が今日しか会えないと言うので、仕方無しに祝う日を改めて貰ったのだ。だが、博貴の方は本日は休みだ。自分の代わりに誰かに声をかけたのだろうか?
「大、大?どうした?」
 早樹が大地に声をかけた。
「え、あ、ごめん。聞いてなかったよ。何?」
 声をかけているのなど気づかなかった大地は慌てて言った。
「いや、急に気分が悪そうな顔になったから、どうしたんだろうと思ってね」
 早樹は心配そうに言った。
「そうかな?別に何でも無いよ」
 大地は笑顔でそう言ったが、多分顔は引きつっていたに違いない。帰ってきたら聞けば良い。大地はそう考えたが、今日帰ってくるのだろうか?もしかして、朝方帰ってくるかもしれないのだ。そうなると、最悪の事を考えてしまうだろう。
 大丈夫。俺は信じると決めたんだ。それに博貴は約束をしてくれたのだ。大地はそう思うことで、自分を納得させた。
 
 夜遅く大地は帰ってきた。兄弟で食事を楽しむどころか、ずっと博貴の事が気になり、料理の味も何を話したのかもほとんど覚えていなかった。兄達もそんな大地に何となく気がかりな様子であったが、相談など出来るはずも無かった。聞かれるたびに、何でもなんでもないを繰り返し、とうとう、諦めて何も聞かなくなった。
 早樹が最後に「悩みがあってどうにもならなくなったら、必ず相談するんだぞ。どんな事でも怒らずに聞いてやるからな。それは戸浪も同じだよ」と、言ってくれた。何故かそれが涙が出るほど嬉しかった。
 だが、出来るわけが無いのだ。大地は男とつき合っているからだ。それも普通の男ではない、ホストだ。そんなことを言おうものなら、博貴は二人の兄に半殺しにされるに決まっている。新聞沙汰になるかもしれない事を、わざわざ相談するわけなど無いのだ。
 コーポの階段を上がると、博貴の部屋の方は電気が付いていなかった。まだ戻っていないのだろう。多分そうだろうと思いながらも、帰っていて欲しかった。
 大地は自分のうちへ入り、電気を点けた。なんだか酷く寂しい。だが、そう考えているうちに帰ってくるだろうと大地は考え、この間買ったプレゼントを持って博貴の部屋へと移動した。すると宅急便の箱が置かれていた。ちらりと見てみると、博貴の働いているクラブからの物であった。壊れ物注意の札が付いているところを見ると、博喜宛の客からのプレゼントが自宅に贈られてきたのだろう。宅急便でくるということは、持ち帰ることが出来ないくらいあるのだ。
 何が入っているかは、見る気は無かった。そんな権利を大地は持っていない。その上見たとしても、自分のプレゼントと比べてしまい、落ち込む可能性の方が大きい。
 目線を箱から逸らして、薄暗がりの部屋のベットに腰を掛けた。時間は一時を廻った所だった。帰ってくるよな。そうだよな。一生懸命自分に言い聞かせて、大地はただ待った。だが、一時間二時間経っても博貴は帰ってくる様子は無かった。大地は何時の間にかそのベットで丸くなって、眠っていた。
 どの位眠っていたか分からないが、突然、ガチャガチャと鍵を廻す音が聞こえ、大地は目を覚ました。既に周りは明るくなっている。
「大良……」
 思わず立ち上がって玄関に足を運んだ。
「あれ、大ちゃん。帰ってたんだ。お兄さんの所に泊まってくるかと思ってたよ」
 ちょっと頼りない足の運びでこちらにやってくると博貴は大地をギュッと抱きしめた。「お前……すげ、酒臭い……」
 ムッとするようなアルコールの臭いが博貴からした。珍しくかなり飲んだようだ。だがそれは一人で飲んだのだろうか?一人でこれほど飲むのだろうか?アルコールに混じって微かに石鹸の匂いもする。良く見ると髪も半乾きであった。それらを総合して大地は自分が想像したことを認めたくなかった。
「……んー。随分飲んだよ……久しぶりに……。そんなに匂う?」
 博貴はそう言いながらも大地を離そうとしなかった。
「匂いで俺が酔っちゃいそうだよ」
 なんだか泣きそうになりながら大地は言った。信じない。博貴を信用すると決めたのだ。だから自分が想像したことを信じたくなかった。
「大地が欲しい…今、欲しい……大地が日勤だったから、ずっとご無沙汰で……もう、我慢できない」
 耳元で囁かれ、大地は胸が締め付けられた。ギュッと掴まれたように胸が苦しいのだ。我慢していないと涙が出そうだった。
「ちょっと待てよ……俺……お前に渡したい物があるんだよ……」
 必死にまとわりつく博貴を押しやって大地はそう言った。
「ん?何?」
「これ……誕生日祝いに……たいした物じゃないけど」
 そう言って大地はしっかり持っていたプレゼントを博貴に差し出した。すると博貴の顔色が変わった。こんな博貴を大地は見たことが無かった。喜んでいるようにはどこから見ても見えない。
「大地……それは貰えないよ」
 大地を離して博貴は言った。その理由が大地には全く分からなかった。
「なんで?ちょっと待てよ……そりゃ、金額にしたらお前が客から貰うプレゼントよりランクは落ちるけどさ、せっかっく選んだんだぞ……冗談で言ってるなら許さない!」
 怒鳴る大地をよそに博貴はキッチンに行き、コップに水をくむとそれを飲んだ。そして流しのところで身体をもたれさせてこちらを見た。その博貴の顔は困惑したような、複雑な表情をしている。
「貰えないんじゃない。それはいらないんだ」
 溜息をつきながら博貴は言った。
「……」
 大地は言葉が出なかった。この男は何を言っているのだろう。頭が混乱していてまともに大地は考えられないのだ。安っぽい物はいらないと言っているのだろうか?それとも自分からのプレゼントなどいらないと言っているのだろうか?
 どの理由にしても大地にとって酷くショックな理由ばかりであった。
「金額云々を言ってるんじゃないよ……理由は大地が一番良く分かっているはずだ」
 何を言いたいのか大地には分からなかった。
「理由……そんなのわかんねえよ……じゃ、何か?俺が必死に選んだのにお前はいらないって言うんだな。じゃあ、捨てればいいってのか?」
「正直に言うよ。そのプレゼントは受け取れない。捨ててくれた方がスッキリするよ」
 博貴はきっと大地が兄達との約束の方を優先したことに腹が立っているのだろう。それしか考えられなかった。だから、嫌がらせしているのだ。その延長で自分の代わりに女と会って、朝まで一緒に居たのだ。認めたくないが、そうとしか考えられないのだ。
 だがその理由をきちんと話したはずだった。博貴とはいつも会える。だが、早樹とは今度何時会えるか分からないと説明した。仕方なかったのだ。それに腹を立てるなら何故そのときにしてくれないのだ。他の女と会って、抱いたその後で、博貴は大地に事もあろうか、欲しいなどと言ったのだ。こんな侮辱など無かった。
「……お前は……最低だよ。もう、いいよ。お前が言わなくても捨てるよ。でも大良が言ったから捨てるんじゃない。俺が嫌だから捨てるんだ!」
 握りしめた拳の間接が白くなるほど力が入っていた。
「もう、そんなことはいいよ大地……」
 そう言って博貴は大地を床に倒した。
「そんなこと?……お前にとってはそんなことなんだな……」
 涙が溢れそうなのを大地は必死に我慢した。泣けば負けなのだ。
「大地……だから、もういい……」
 そう言って博貴は大地の胸元に手を伸ばしてきた。背中から床の冷たい感触が伝わってくる。なんだか酷く惨めだった。本当は博貴に弄ばれているのかもしれない。
 博貴は自分がどんな風にこの日を過ごしたのかを大地が知らないと思っている。確かに自分は鈍感で騙されやすくて、単純だ。自分でも時々馬鹿が付くなあと思うこともある。だが、騙すより騙された方が良いと思って生きてきたのだ。だからといって、こんな騙され方はないだろう。
 何もかも知って、それでも抱かれるほど大地は馬鹿ではないつもりだ。
「よせよ……離せよ……」
 博貴の手首を掴んで大地は言った。
「大ちゃん……痛いよ……」
「腕……折られたくなかったら、俺の上からどけよ」  
「……大地……」
「どけって言ってるだろ!お前、商売できなくなるぞ。本気だからな」
 そう言って博貴を見つめると、諦めたように博貴は大地の上から身体を離した。
「君が理解できないよ……大地……全く分からない……」
 それはこっちの台詞だった。何故先に言われなければならないのだ。
「はあ?、よく言うよ。理解できないのはお互い様だよ。でもな、大良のことなんか誰だって理解できないよ。俺だってお前の事がわかんないんだからな。もう、いいよ。こんなの……馬鹿馬鹿しくってやってられないよ」
「君がそんな不誠実な男だとは思わなかったよ大地……」
 と言ったところで大地は博貴を殴った。手加減はしていたが、素人にこの今までは手を出した事はなかった。
「それ以上言ったら……ホントに仕事出来なくしてやるからな」
 それだけ言って大地は自分の部屋に駆け戻った。上着を取り、外へと走り出した。何処かで思いっきり泣きたかった。泣ける場所が何処にも無いのだ。
 何処をどう走ったのか分からないうちに何処かの公園に着いた。かなり大きな公園であるのか、木々が沢山生え、人工的に作った池もあった。大地はとぼとぼとそこを歩いた。
 朝早いためか、時折、マラソンをしている人とすれ違う。
 奥まで歩くと、人が誰もいない所に出た。その池の脇にあるベンチに足を抱えて大地は座った。手の中で握り込んでいた所為かプレゼントは真ん中がベコリとへこんでいた。それを見て涙が零れた。ただ涙が零れて仕方がなかった。仕事に行かなければならないのに、身体が動いてくれないのだ。まるで鉛の様であった。
 大地は何とか会社に電話をして、風邪だと言って休みを取った。仮病など使ったことなど無かった大地であったが、どうにもならないのだ。ただもう何もかも嫌なのだ。自己嫌悪と怒りがぐしゃぐしゃに混ざって、何も考えられなかった。ただ俯いて膝を抱え、泣き続けた。
 昼近くになってようやく涙は止まったが、身体は動かなかった。ベンチに横になって、木の間だから見える空をじいっと眺めた。雲がいつの間にか空を覆っている。雨が来そうだなあ……とぼんやりと麻痺した頭で考えた。まあいいや……。
 大地はうとうとと泣き疲れた子供のように眠った。



 窓の外を雨が叩いていた。
「仕事……行ったんだろうなあ……っつ……」
 大地に殴られた頬が痛み、氷で冷やすがなかなか痛みは引かなかった。それでも大地はかなり手加減したのだろう。手加減されていなかったら、顎が砕けていたに違いないからだ。
 だが、あんな風に大地が怒ったことは無かった。それでも博貴は譲れないものがあったのだ。確かに何も知らない顔をしてすんなり受け取っても良かった。だが、他の男に選んでいたついでに、尚かつその男に買ってもらった物を、何故欲しいと思うのだ?金額じゃない。安くても大地が選んで、大地が買ってくれた物が欲しかったのだ。お金がないのなら、ちょっと豪華な食事でも作ってくれたらそれで良かった。何も贅沢なことを望んでいたわけじゃなかった。大地の精一杯の心が欲しかったのだ。
 大地の性格を誤解していたのだろうか?自分が感じていた大地の純粋さなど全て思い違いだったのだろうか?
 そんなことを考えて博喜は頭を振った。
 今日は戻ってこないだろう。いや、今度こそ本当に帰ってこないかもしれない。博貴はそう考えて薄く溜息をついた。それでも今度は迎えにいくつもりはなかった。帰ってこなければそれでも良い。この先同じ事で嫌な思いをするのはまっぴらだからだ。これで終わってしまったとしても、それまでなのだ。
 何故これほどこちらが意固地になっているのだろう。このくらいのことで意地になっている自分が情けなかった。だがその理由は分かっていた。
 このまま……こんな風に大地と終わってしまうのだろうか……
 博貴はそう考えてもう一度頭を振った。



 目が覚めると、頭ががんがんとして寒気がした。だが自分の頬に感じるのは冷たい氷枕の感触と、温かい布団に包まれている身体であった。
「あ……れ??」
 熱っぽい目が視界をぼんやりとしたものとして認識していた。
 ここは何処なんだろう?自分は一体どうしちゃったのだろうか?
 間接が痛む身体を起こして大地は目を擦った。
「ああ、気が付いた……」
 そこには藤城がポカリスウェットの缶を持ってこちらにやってきた。と言うことはここは藤城のうちなのだろうか?
「あの……」
「いいから、大君熱があるんだよ。まあ、あんなところで寝てるんだから、風邪も引くね。本当にこっちが驚いたよ」
 藤城は言いながら、大地が起こした身体をベットに倒して、布団を整えた。
「済みません……俺……」
「のどが渇いたら、これを飲むと良い。それともお茶か何かにしようか?」
 手に持っていたポカリスウェットの缶を脇にある机に置いた。
「気を使わないで下さい……俺……大丈夫です……帰ります」
 そう言ってもう一度身体を起こそうとした大地を藤城が押しもどした。
「熱があると言っただろう。覚えていないのかもしれないが、行きつけの医者に往診に来て貰ったんだよ」 
 苦笑しながら藤城はそう言った。その通り、身体はシクシク痛み、頭もガンガンしている。大地は観念して、ベットの沈み込んだ。
「そろそろ、夕ご飯の時間だが、何か食べられるかい?薬も飲まないと駄目だから、少しでも食べて貰いたいんだけどね。あ、お兄さんに連絡して置いた方がいいかね」
「いえ、兄ちゃんに心配かけたくないので……連絡は結構です。あ、夕ご飯、もうそんな時間だったんだ……」
 まだ頭がはっきりとしないのだ。
「そうだね……ずっと眠っていたよ……」
 目を細めて藤城が言った。
「……ごめんなさい……迷惑かけてしまって……」
「良いんだよ。そんなことは気にしなくてね。じゃあ、お粥でも作ってもらうよ」
「作ってもらう?」
「ああ、お手伝いのおばさんがいてくれてね。その人に頼むんだ。もう少ししたら帰ってしまうから、すぐに頼んでくるよ」
 そう言って藤城は出ていった。
 藤城は一体どういう人なんだろうか?そう言えば何の職業かも聞いたことは無かった。何よりどうしてこうタイミング良くいつも現れるのだろう。それも又気になっていた。
 だが、頭がぼんやりして色々考えるのが酷く辛かった。自分でも熱っぽいのが分かるのだ。風邪などもう何年も引いたことは無かった為に、その辛さが身にしみた。
 暫くすると藤城が戻ってきた。
「そんなに食欲は無いと思うけど、雑炊なら食べられるね」
 お盆の上にお粥の入った雑炊に、温かいお茶、それと梅干しが添えられていた。
「はい……無理にでも食べて明日には何とかしたい……」
 大地はそう言ってレンゲを掴むと、雑炊を食べ始めた。思ったより熱くはなく、味覚も無くはなかった。そうして何とか雑炊を茶碗一杯食べ終わると、出された薬を飲んで、横になった。
「そうそう、大君。あの時買ったプレゼント……包装が雨で……」
 藤城の言い方は何故かとても気をつかった言い方だった。
「……あれ、もう捨ててくれて良いです」
 せっかく買った物だったが、持っているのは辛いのだ。
「え?」
「……受け取って貰えなかったから……もう、いらなくなっちゃって……」
 大地は思い出して又涙が出そうになった。だが、それを悟られたくなくて必死に笑顔を作った。
「あ、良かったら……ごめんなさい。断られたからって他の人にあげちゃ駄目ですよね。捨てて下さい」
「……そうか」
 藤城はそれだけ言って沈黙した。その沈黙が大地には耐えられなかった。
「あいつ……俺のプレゼントより良い物一杯持ってるし……他の人からも、貰ってるから……どうせ受け取って貰っても、開けずにずっと棚の中にしまわれてたかもしれないし、それを考えたら断られて良かったのかもしれない……」
「プレゼントは……気持ちだろう?」
 そう、気持ちだ。あのネクタイは大地が今出来る精一杯のプレゼントだったのだ。それなのに博貴は気に入らなかったのだ。いや、約束を破った大地に対しての最低の嫌がらせなのだ。だが、それだけじゃないのかもしれない。博貴はたった一人を愛せるタイプでは無かった。だから、大地の事がそろそろ鬱陶しくなってきたのかもしれない。
「俺もそう思う……でも……駄目だったんだ……」
 我慢しているのにも関わらず、目の端から涙が滲んだ。どれだけ泣いたら涙が涸れるのだろうか?涸れてしまえば良いのにと大地は思った。
「大君……」
 藤城の大きな手の平が、宥めるように大地の頭を撫でた。その行為が大地の我慢していた涙を一気に流させた。
「俺……っ……あれが、精一杯だったんだ……でも……駄目だったんだ……なんっで……なん……でなんだろう……どうしたら良かったんだろう……。分からないんだ……俺が悪いのかな…俺が……っ……」
 大地は顔を上げてそう言って泣いた。すると藤城がそっと自分の方へ大地の身体を引き寄せた。その包容力のある腕の中で、大地は更に泣いた。
「君は精一杯のことをしたんだろう?大君は悪くないよ……自分を責めるのは間違っていると私は思うがね」
「……俺……っ……わあ……わあああああん」
 言葉にならずに大地はひたすら泣いた。何時泣きやみ、何時眠ったのか自分で全く分からないまま、藤城の腕の中で大地は泣き疲れて眠った。

 翌日、やや熱が下がったが、体調はまだすぐれず、もう一日会社を休んだ。藤城の方も会社があるのか、朝早くに出ていった。その後、面倒を見てくれたのは、お手伝いの川原江美であった。年の頃は母親よりやや年齢が上のおばさんで、体つきは小柄だが、ぽちゃっとしていた。
 川原は大地が汗が出て気持ち悪いと思っていると、新しいパジャマを用意してくれたり、身体を拭いてくれたりと、まるで母親のように面倒見てくれた。この家に関係のない自分に良くしてくれるのが申し訳なかった。
「坊ちゃん。何か甘い物でも持ってきましょうか?」
「あの……坊ちゃんは止めて下さい……何か俺には不似合いで……。それに余り気を使わないで下さい」
 何度も言った言葉を大地は言った。
「とんでもない。真一郎ぼっちゃまのお客さんですもの。大切なお客様ですよ。最大のおもてなしをしないとね」
 そう言って川原はニッコリと笑った。丸い顔が更に丸くなった。
「ありがとうございます」
「それにね、真一郎ぼっちゃまがあんなに嬉しそうにしているのは、環ぼっちゃまが亡くなられて以来なの。あ、御存知無かったかしら?」
 弟が亡くなったという話は本当だったのだ。
「一度……聞いたことがあります。可愛らしい弟さんだったって」
「ええ、雰囲気が大地坊ちゃんによく似てますよ。きっと環ぼっちゃまと重なるところがあるんですねえ」
 そう言って川原は先ほど代えたシーツとパジャマを持って出ていった。
 それを見送って大地は又ベットに丸くなった。このままずっと惰眠を貪っていたいという気持ちに駆られた。だが夕方には自分のうちに帰らなければ、明日会社に行く気持ちがそがれてしまうとも思った。それにこれ以上藤城に甘えるわけにはいかないのだ。そろそろ自分の生活を取り戻さないといけない。例え、博貴に会ったとしても平静を装う事くらい出来なくてはこれから暮らしていけないのだ。
 そうこう考えているうちに夕方になり、藤城が戻ってきた。そのころには大地は着替えを済ませて帰る準備をしていた。
「あれ、もう大丈夫なのかい?」
「色々お世話になって……本当にありがとうございました。あの……今はお礼を何も出来ませんけど、今度給料が出たら……」
 そこまでいって藤城は大地の口を人差し指で押さえた。
「いいんだよ。弟が帰ってきたみたいで嬉しかったのは、こちらなんだからね」
 笑みを見せて藤城は言った。
「本当に……ありがとうございました」
「うちに帰るのかい?君が良ければここにずっといてくれても良いんだよ。ここから会社に通勤しても良いんだけど……」
 そうした方がいいという口調で藤城が言った。
「と、とんでもない!そんなに甘えられませんよ」
 驚いた大地はそう言って手を振った。
「残念だ。じゃあ、無理に言わないよ。さあ、うちまで送ってあげるよ」
 そう言って藤城は玄関の扉を開けた。
「あの……川原さん。色々ありがとうございました。なんだかお母さんみたいですごく嬉しかったです」
 そう言うと川原は嬉しそうに「いつでも来てちょうだいね」と言った。
車に乗って帰路の途中大地は何気なく藤城の職業を聞いた。
「そう言えば……藤城さんってどういう仕事をしてるんですか?」
「……うーん……。君に嘘はつきたくないから正直に言うけどね。但しそれは私が望んだ訳じゃなくて、頼まれて手伝って居るんだと言うことを分かって欲しいんだけど……あと一年でお役後免になることだし……」
 言いにくそうに藤城は言った。なんだかやばい職業なのだろうか?
「え??」
「まあ、いずれ真喜子さんに聞いてしまうだろうから、白状するよ。一般市民が嫌う暴力団だよ」
 さらっと言うので大地の方が返答に困った。
「私の今の父親は二人目で、一人目の父親が暴力団の組長なんだよ。そちらが私の本当の父親なんだが、母親が愛想を尽かして別れたんだ。で、今の父親は貿易商をしているよ。それで、本当は私が手伝う理由も無いんだけど、前の父親の体調が悪くてね。で、組は他に作った息子が本当は継ぐことになってるんだが、あいにく海外へ留学中で、あと一年戻れないらしいんだ。それでしかたなく、期限付きで手伝っているんだよ。それが済んだら又今の父の会社を手伝う事になってるんだ」
 なんだかややこしい家庭環境であったが、境遇を責めることは出来ない。
「……そ、そうなんだ……」  
「やっぱりそんな職業の私は怖いと思うかい?」
 悪戯っぽい目で藤城は大地を見た。似合うようで似合わない職業だと大地は思った。但し暴力団を職業と言って良いのかどうか分からない。
「え、そんなことはないです。藤城さんが優しい事は分かってるし……でもちょっとびっくりしたから……」
「そう思わせてるだけかもしれないよ」
 意味ありげにそう言って藤城は笑った。
「でも、俺……麻薬とか拳銃とか裏で売ってたりしたら、きっと藤城さんに裏切られたみたいな気分になると思う……」
 ついそう言ってしまったが、藤城の気を悪くしたのではないかと大地は言ったあとで後悔した。
「前の父や組が裏で何をしているか私は良く知らないんだよ。跡目を継ぐ訳じゃないから詳しいことは教えてくれないんだね。でも、跡目がいないと言う状況は他からちょっかいをかけられやすいらしくて、私はただ座ってるだけだよ。ちょっとガンを飛ばしたりしてね。実際、今までは貿易の仕事で海外にいってることが多かったから、こっちもとまどっているんだよ。まあ、飾り物みたいに座って、たまに下の者をつれて新宿界隈を歩くだけで良いんだから、楽は楽だね」
「……そっか……ま、いいや。俺が見た藤城さんを信じてたら良いことだし」
「付き合いの長かった友達に、期限付きで代行してるだけなんだと話しても、結局離れてしまって……結構辛かったから、大君の言葉が嬉しいよ」
 本当に嬉しそうに藤城は言った。
「俺が、実際藤城さんが例えおもちゃの拳銃でも持ってたり、白い粉の袋を持ってたら、警察に走って行くけどさ」
「……うーん。では、パン作りは危険だから止めた方がいいね。小麦粉の分量を量っているときに見られたら誤解されそうだからね」
 それがあまりにもおかしくて大地は笑った。藤城がパンを作っているのが想像付かないからだ。
「……そんなに面白いかね」
 困ったように藤城が言った。
「だってさ、想像付かないから。パンを作る藤城さんなんて、駄目だ可笑しすぎる……」
 大地は冷たくなっていた心が、温かくなった様な気がした。
 そうこうしているうちにコーポの着いた。
「大君、辛いこと色々あるだろうけど、大切な人を亡くしたり、信じていた友が離れていったり、人生なんて辛いことがたくさんあるが、良い出会いもある。楽しいことだってある。そこで終わってしまう事なんてないんだよ。今が辛くても、君らしく真っ直ぐ歩いていればいいんだよ。私はそう言う君が大好きだからね」
 藤城の言葉は心にじんわりと染み込む温もりをもっていた。
「……ありがとう藤城さん」
「それと、君は当分食べるものがあんまりないんだろう。だから、これを持って帰ると良い。貰い物の食べ物だが、少し足しになるだろう?」
 そう言って後部座席に置いてあった大きな紙袋を二つ取り出した。
「こ、これ以上して貰ったら、俺ばちが当たります」
 両手を振って大地は言った。何よりそこまでしてもらう理由が無い。
「いや、貰い物を横流しする私の方が問題ありだよ。そんなことを気にしていると、実際君は栄養失調になってしまうから、素直に受け取りなさい」
 強い口調に藤城に言われた大地は、その勢いに押されて頷いた。車から降りると、藤城は紙袋を持ち、コーポの玄関まで送ってくれた。
「何かあったらいつでも相談に乗るよ」
 笑みを見せた藤城が言って携帯の書かれた名刺を大地に渡した。
「あの……お茶でも飲んでいかれます?」
 このまま帰ってもらうと、申し訳ない気がしたのだった。
「いや、いいよ……それより……」 
 藤城がそう言った瞬間、大地はいきなり抱き込まれて唇を塞がれた。普段の冷静で落ち着いた藤城からは想像できないような、キスであった。博貴とは違い激しく揺さぶられるような感じがした。
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